熊野にて仕事。 仕事、といってもほとんどボランティアのような対価の用事なんである。
そうだからもう、仕事がはねたあとは、 宵越しの金は持たねえ、の意気込みで消費に勤しむ。
そもそもこの土地は、そうした処なのらしい。
紀伊山地の杣人は、伐り出した木を川で運び、 河口のこの街で市に出すと、一晩豪遊して、また山へ帰っていく。
今でも熊野川上流の街からやってきて、 一晩に十万単位でお金を使う輩もいるのらしい。
しかしそうはいっても、新宮の街は明らかに衰退している。
かつて栄華を誇った形跡がみられるだけ、物悲しい。
自分が考える以上に、経済のグローバル化は-ひどい爪痕を残しながら-、
地方の小都市を侵食し、焼き払い、文化も記憶も根こぎ奪っている。
そのことに、腹の底から湧き上がるようなやりきれない気分を、
小さな酒場ののれんをくぐることで、どうにかしようとする。
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2015年05月14日(木) |
上空から何かが落下する |
自民党で進む、小型無人機「ドローン」の飛行規制法案の議論。
もっとでかいの−オスプレイ−を先にやってくれ、と独り言つ。
もっともこちらは、自民党が飛ばしたくて飛ばしたくて仕方がない。
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「上空から何かが落下すると危ない」ということを、 我々が身近に感じるのは、悪いことではない。
都市ではそうしたことはもう、めったに経験しないから、 その感覚を失っている。
実際、松ぼっくりが一つ、アカマツの枝から落ちて頭にあたるだけだって、 結構痛いんである。
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上から物が落ちてくる、というのは神話や昔話の領域で、 人為的にそれが行われることに対して、本来人間は、感情の処理ができない。
だから、怒りや恐怖の感情が発露する。そんな風に思う。
そうだから、空爆というのは−今や我々は当たり前のようにしているが−、 何を落とすかに関わらず、現代が生み出した最悪の戦法だ。
空から雨あられのように爆弾を落とされるなど、一体どんなことだろう。
2013年05月14日(火) 私の赤ちゃん 2010年05月14日(金) 役務疲れ 2007年05月14日(月) 仕事放棄・子育て支援 2006年05月14日(日) 当然とは何か 2005年05月14日(土) 慕情の日 2004年05月14日(金) 三倍速の一日
安永徹&市野あゆみwith松本室内合奏団演奏会。
生きてて良かった。
喜びの気持ちが心底からわいてくる、夢のようなひと時であった。
人間の心を、これ程までに、文字通り鷲掴みにできる芸術家というのは、 何て偉大なのだろう。
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