2005年06月08日(水) |
人類最高のアミューズメント |
帰宅。
佐々成政のように−といっても逆方向であるが− 山を越え谷を越え、砂防ダムの堰堤をいくつも横目にし、富山県へ。 Hの山の学校に便乗した、小旅行である。
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立山の山岳信仰は、大したものだったのらしい。 奈良時代から、あんな高所へ行く行為があったのが驚きである。
芦峅寺の「佐伯」性は、江戸時代から続く立山山岳ガイドの家系で、 「中語」と称するその組織は、神と人の中間に属する存在だったそうだ。
* 神の総べる所へ行くには、まず直径2m近くもある立山スギの森を抜ける。巨木が林立する森の中で、人は俗界に別れを告げる。
高低差200mの滝などもある。水量は毎秒3tであり、ヒューマンスケールを完全に越えている世界を通過しなければならない。 水の動きや轟音を横にし、さらに上界へ。
スギからツガ、ダケカンバの林に移行し、雪の残る白い世界が現れる。 そして植生限界が近づくと、そこはついに最果ての地、あの世という訳である。 火山泥流でできた開放的な平坦地を、白い峰がぐるりと囲んでいる。 強い紫外線とともに、異形の世界である。
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火山地形は特殊であり、時間をかけた堆積・侵食作用ではありえない平坦地や崖地を作り出す。 湖ができたり、火山ガスや水蒸気などが噴出する。異臭が漂う。 花畑が人間界とは無縁の華やかな世界をつくるかと思えば、 岩石砂漠のような荒涼とした場所がある。 「ここは体温のあるものが存在する場所ではない」という演出が、あらゆる要素によってなされるのだ。
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こうした特殊地形の場所を極楽浄土や地獄に見立てたというのは、全く不思議でない。
しかしそれを感じるには、ゆっくりと山頂へ至るプロセスが重要で、私たち現代人は時間をかけてあの世へ到達する贅沢を許されない。
自ら汗をかくこともなく、息があがることもなく、バスやらケーブルカーで集団輸送されるわけである。 冷静に考えるとこういうのは「一日中乗り物に乗っていた日」に該当する。
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それにしても「あの世を見る」という形のアミューズメントは、 いつから日本に無くなってしまったのだろうか。 極楽往生を希求する江戸時代の人に比べ、現代人は死へのリアリズムが失せてしまったのか、形をかえて存在しているのか。
そんなことを考えながら、再び、あっという間に俗世に戻ったのであった。
2004年06月08日(火) 星の牧場
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