紙面というのは、掲載された記事の内容を越えて、何かを伝えることができる。 編集作業を通し事実と事実の重ね合わせによって、 推察される別の事実や可能性を示唆する。
例えば、印象深かったので覚えているのだけれど、 地下鉄サリン事件の時、事件が掲載された場所のすぐ脇に、 オウム真理教の記事−サリン事件とは全く関係のない−が 掲載されていた。 それは明らかに、事件との関係を記事を隣り合わせるという方法で示唆していた。
そして、今朝のこの記事も、私はそういう風に読み取ったのである。
新聞の科学面にある「チャボの卵からライチョウ誕生」という見出しの記事と、 その隣にある「功罪ある科学 伝えることも重要」という見出しの、 米沢富美子慶応大学名誉教授によるエッセイ記事の組み合わせである。
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「チャボの卵からライチョウ誕生」というのはある研究の紹介記事で、 その内容はこういうことである。
ライチョウの卵から始原生殖細胞とよばれる特定の細胞を取り出してチャボの卵に移植する。 始原生殖細胞というのは、精子や卵子を作る細胞に分化する前の細胞だそうである。
チャボは、ライチョウとチャボの二つの遺伝子をもった「キメラ」として成長し、チャボとしての卵とライチョウとしての卵を産む。 そして、オスのライチョウの精子と掛け合わせた場合、ライチョウとしての卵だけが成長するのである。
この研究は、国立環境研究所の生物資源研究室というところで、 絶滅危惧種であるライチョウの繁殖、遺伝子多様性や個体数の維持を目的として行われている。
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次に、米沢氏の記事は、こうである。
氏は、科学というのは役に立つものである一方、弊害になることもある、と指摘している。
科学の功だけでなく罪についても正しく伝えるのは科学者の仕事であるが、 科学者というのは、未知の問題を解明したいという好奇心 −それは重要なモチベーションであるとしても−が先行するものであるから、
市民へと仲介するような、高い使命感をもって科学報道にあたるジャーナリストの貢献は大きいと述べている。
併せて、昨年設けられた「科学ジャーナリスト賞」についても紹介している。
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そういうわけで私は、この紙面編集から、 始原生殖細胞に関する技術について強い警告が発せられていると、 そう思わざるを得ないのである。
ただの直感であるが、編集が示唆するメッセージとは、 そもそも直感で受信する以外方法がないのである。
カッコーは自分の卵をよその鳥に育てさせるけれど、 こんな強制的な托卵までして絶滅危惧種を残すことには、 もはや生物多様性を維持することへの道すじを見失っていると強く思う。
ヒトも含む生物種や個体の概念をめちゃくちゃにする技術へ応用・発展する危険性があると、そんな気がしている。
2004年06月04日(金) 善意のベクトル
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