納豆菌文化圏、乃至は蹴球文化圏にて仕事。 知らない電車を沢山乗り継いで、西から東へ。
関東平野というのはこんなに美しい所だったのかと驚きながら、車窓の風景に魅入る。
どこまでも続く水田は、柔らかい緑の絨毯である。 漆黒の光る土は耕され、幾何学模様の畝がどこまでも続いている。
常緑の森と谷戸が交互に入れ替わり、森の端には立派な屋敷がある。 人の暮らしも自然も、風景の中に美しく溶け合っている。
信州人が「平」とよぶ平地は、−あの佐久平や善光寺平でさえ−、可哀相だが、まるで猫の額である。 この広大な利根川下流の平原に比べたら、所詮は山間地にたまたまできた隙間であることを思い知らされる。
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けれども残念なことに、本当にやるせないことに、 副都心に近づくに連れて、その風景はやがて 恐ろしいほど無秩序で無味乾燥なベッドタウンに変わってしまう。
その平坦であることが災いし、 どこまでもどこまでも果てなく開発されている。
なぜ日本では、美しい都市をつくることができないのか。 それは、なぜ美しい生活を望まないのかと同義なのである。
2008年06月11日(水) それを手放してはいけない 2004年06月11日(金) お世継ぎを!
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