我が家はこのところずっと来客が続き、ちょっと疲れ気味である。 クリスマスイブぐらいはせめて普通の夜にしよう、ということになった。
煮物と御浸しとご飯で、池波正太郎風、和食クリスマスである。甘味はなし。
*
夜半にむっくり起き上がり、盗人のごとくキッチンに忍びこむ。
やはり、卵も生クリームも、鮮度のよいうちに加工してあげなければ可哀相である。 一ヶ月も前から仕込んでいたラム酒漬けドライフルーツが、その機を逃すのもいたたまれぬ。
オーブンを温め、材料を計量し、調理にかかる。 バターを柔らかくして砂糖を練りこみ、シナモンやクローブを、ドライフルーツを入れ、卵を泡立てて加え、ダマにならないように粉を混ぜ込む。
年中行事の食物をぬかりなく用意できることに、心が落ち着く。
*
一人台所に立って手を動かしながら、いつしか頭では今年を振り返り、来年を思っている。世の中は随分と混乱したもので、嫌が応でもそうした気配が自分の中にも入り込もうとしている。
誰かが作り出したこの嫌な気配を、私達は−皆で生きようとすることで−必ず振り払うことができる。専門知識がなくてもできる。実績も、もちろん資本も不要だ。
なぜならば、人間というのは、独りで生きていかなければならないものであり、だからこそ一人では生きていけないものだからだ。 人は人を必要とし、必要とされることで能力を発揮する。人間社会の原点である。
*
駄考のスイッチをつけっ放しにしたまま、ケーキ種をきれいにまとめ焼型に流し込み、トントンと落ち着かせる。自分は幸せだなとひとりごちて、オーブンへ。
かくして、丑三つ時、近所に知れたら恥ずかしいぐらいの甘いにおいを漂わせて、焼きあがり。めずらしくもない自家製ケーキであるが、満足である。
*
ふとにわかに、そうだ今こしらえたこの焼きたては、縁ある人すべてに差しあげることにしようと、静まり返ったキッチンで不思議なことを思い立つ。
私たちは共に生きているのだから、きっと、絶対に、お手元に届くはずだ。 そう確信している。
メリークリスマス。
2007年12月24日(月) 愚者の家 2006年12月24日(日) 文明と因縁 2005年12月24日(土) 大工よ、屋根の梁を高く上げよ 2004年12月24日(金) 冬の祝祭日
国際オリンピック委員会が、北京五輪のドーピング検査で違反が見つかった陸上男子ハンマー投げで2、3位に入ったベラルーシの2選手の失格とメダルはく奪を決め、5位の室伏広治(34)=ミズノ=の銅メダル繰り上げを発表した、というニュース。
当の室伏選手が繰上げでメダルを獲得するのは、アテネ五輪に続いてこれで二度目であり、受賞コメントでも、ドーピング違反に対する厳しい声と受け止めるとあり、諸手を揚げて嬉しいというわけではなさそうである。
これに関して、西田善夫というスポーツアナリストの解説。
ハンマー投げという競技は、筋肉の量がすべてと言ってもよい競技なのだそうである。 選手はみな身体が大きく、レベルの高いところでわずかな差を競うような、 厳しい競争があるのだそうである。
メダルを獲得したこと以上に、室伏選手の薬物に手を出さない勇気は、 一般の青少年への一つの見本になるだろうと、西田氏は言う。
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日本人選手がすべて薬物に対してクリーンであるかどうかは別として、私はこう思う。
競技において薬物の手を借りずに技を極めようとするのは、日本人が「天然物好き」だからである。
魚でもキノコでも水でも、養殖に比べて天然物は圧倒的に付加価値が高い。 「人為を加えていない成果」を人は高く評価し、人為が添加されたものは「まがい物」、つまりうわべは同じでも真実でないとする文化があるのである。 室伏選手のスポーツマンとしての美学は、−私の勝手な想像でいうと−ここにあるのだと思う。
その一方で、私達には「人為を極めることによる実り」も高く評価する傾向がある。 酒造りも、芸能も、山に木を育てることも、人間のはたらきかけによって成果を生み出す行為は、ある種尊いものとして扱われ、その技巧の高みに到達した匠は、分野を問わずひとつの哲学をもっている。
*
このことは、私にはとても興味深い。 つまり私達には、天然の仕事であるべきものと人がするべき仕事の評価を、別にしている。混在は好まないけれど、「どちらもあり」でよしとしているのである。
だからオリンピックが「薬物を使用してどこまで人間は身体能力を伸ばせるか」というレギュレーションになれば、それはそれで日本は「素晴しい」成績を残すだろう。たぶん、盆栽をこしらえるように芸術的な肉体をこしらえるに違いない。
そういう理由で、私は室伏選手のクリーンさは、一般の青少年が薬物に手を出さないというモラルとは、本質的にあまり関係がないと思うのである。
2006年12月22日(金) 2005年12月22日(木) 一陽来復 2004年12月22日(水) 戦場跡地
北安曇郡小谷村の大網集落に関する特集が、地元紙で続いている。
小谷村大網集落というのは、白馬村のさらに先にある集落で、 日本海側の糸魚川へぬける途中にある。 交通の便は悪く、傾斜地が多く、豪雪地であり、土石流などの災害の危険もある。
取材を受けているのは、その諸々の事情を飲み込んで、 だけど住み続けるのだという残された人達なのである。 「限界集落」という呼称を使わない、という条件で地元の人々が取材に応じているのらしい。
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祭りの継承のために、年寄り6人が準備をすすめる。 ハンディキャップのある人は、新聞配達という仕事の中で、 雨の日も雪の日も休まず配達をすることで、自分を支えている。
集落を維持するためにやらなければならない仕事は山ほどある。 誰もが集落のために、自分の能力の範囲で何かの役割を期待され、 あなたがいてくれてよかったと、お互いに思っている。
ここで生きていくための苦しみも喜びもすべて自分達で引き受け、 人と人は、苦楽を共にして生きる実感をもっている。 どこよりも人間らしく暮らすことのできる場所だと集落の代表者は言う。
そんな魅力に惹かれて、外から移り住む若者や、 力になりたいと都市に住みながら関わり続けるひとも紹介されている。
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大企業では大規模なレイオフを実施し、人を簡単にお払い箱にする一方で、 人を大切にする重みの、これほど違う場所がある。
小谷村は、確かに大層な山間地である。雑踏がない。ビルもない。 かつての山村文化やコミュニティも、現実を見れば風前の灯火であることも確かだ。
けれども、人間性という切り口で言うのなら、 大企業の打ち出すグローバリズムの方がとっくに限界に達している。 この大きなロットは、個人という単位にまで精度がしぼれない。
それでもまだ、私達はこの幻想にしがみついて夢を見続けるのだろうか。
今は、何かを手放し、何かを手に入れる「入れ替え作業」について、私達が考える時なのだと思う。
2007年12月18日(火) 裁判三話 2006年12月18日(月) 協力か介入か
2008年12月16日(火) |
陽を拝む/世界の日陰 |
冬至まであと一週間。 いつまでたっても部屋に陽が射さない家で途方にくれる。
むこうの森も、家の中も、向かいの道も、どこをみても日陰である。 ああ早く、あの山の端からお日様が顔をのぞかせないものだろうか。
二階に上がり、ストーブで部屋を暖めて日の出を待つ。 太陽さえ見ることができれば、この気分もきっと変わるだろう。
小一時間もすると、ようやく陽が家の中にお出ましした。 思わず手を合わせてしまう。
*
太陽は、太陽系の命の源であり、かけがえのないものである。 陽の光さえあれば、そこからまた一日を始めることができる。 まことにシンプルな希望である。
私はまるで、太陽神を崇める古人みたいにして、 お天道様の光を、真剣に、身にしみて、ありがたく感じているのである。
毎日、こんがらがった毛糸のように、混乱している経済のニュースが届き、 世界中の人が、希望を希望している。 突如として出現した-ようにみえる-、世界の日陰にあって、 私達の心はどう感じ、どこに陽の光を見出すのだろうか。
2007年12月16日(日) 湯福温福 2006年12月16日(土) 信頼できる他人 2005年12月16日(金) 音楽の意味 2004年12月16日(木) 狼もいる、母親ヤギもいる
イラク人の記者から靴をなげられた、ブッシュ大統領のニュース。
人を侮辱することは、失礼な態度である。 けれども、この記者のことをどうしても悪く思えない。
いやむしろ、イラク戦争の結末として歴史に刻みたい。
ブッシュ政権時代に始めたこの戦争は、米国の貧しい人たちを殺人兵士に仕立て上げ多くの無辜の民を殺戮させ、 イラク国内をさらなる混迷に呼び込み、何の平和ももたらすことなく、 陣頭指揮をとったブッシュ大統領は犬呼ばわりされ靴を投げつけられて終わった。
この瞬間を教科書に加え、その会見場所には記念碑を建立し、毎年その日には振り返りたい。
記者の子孫を「ブッシュ大統領に靴を投げた人の子孫」として名を残したい。 そうした気持ちである。
*
投げつけられた靴と侮辱の言葉は、なんの正当性も無く件の戦争に加担したこの国にも向けられている。
小泉という人は巧みに政界から姿を消したけれど、本当は ブッシュ大統領の横で、否、いつものように彼をかばうべく前に出て、 共に靴を受けるべきなのだ。
2007年12月15日(土) クリスマスの真実 2006年12月15日(金) 失敗 2005年12月15日(木) 南へ北へ 2004年12月15日(水) 追って狂気の沙汰を待て
眠れぬ夜に、ラジオ深夜便。村田兆治元プロ野球選手のインタビュー。 なんだ野球選手ね、と興味がないながら耳を傾ける。
そのうちに、目が覚めてきた。 なんだかこれは、布団の中で寝ぼけて聴く話ではないぞと気持ちを改めた。
村田氏の話には、技を磨く職人に共通する哲学がある。
プロとして、エースとしての責任感。 自分の技術に対するプライド。 選手としての自己管理能力。 実践に裏付けられた自信。
人間頑張れば、不可能を可能にすることができるんです、という言葉には力がある。 もう少しで野球ファンになってしまいそうなほど、為になるであり、 しばらくは「村田兆治に恥じない人生」を、我が日常のテーマに掲げておけそうである。
*
真剣に生きている人の生き様に触れると、人は襟元を正そうという気持ちになる。 この人のように頑張りたいと、手本にし、行動指針にしたくなるのである。
さらにその人が、−日本刀研ぎとかピアノの調律師とかダムの設計技師などでなく− カッコよく走り、投げ、躍動し、勝ち負けという、努力の結果が分かりやすいゲームスポーツの選手であるならば、子どもにとってこれほど明快な目標はないだろう。
そういう訳で、スポーツが青少年育成に貢献するとすれば、その理由は選手人の生き様にあるのだろうと思う。
まったく興醒めな蛇足で恐縮であるが、逆に言うと、そうでなければ、どんなに速い球を投げても、速く走れても、 スポーツが青少年育成に貢献する理由はない、とも言える。
2007年12月12日(水) 2006年12月12日(火) 旅がらす三行日記 2005年12月12日(月) 2004年12月12日(日) 高尾山
朝のラジオで、どこかの市民劇団が「なめとこ山の熊」を上演する、というのんびりしたローカルニュース。
アナウンサー曰く、「生活のために熊をとって暮らしている猟師が、最後には熊に殺されてしまうという悲しい物語です」。
ひどい解説である。矮小解釈もいいところである。 小さなニュースだといって見逃すわけにはいかない。 熊に殺される?!悲しい物語!?
最近のNHKラジオの若いアナウンサーには、言いたい文句が山ほどあるが、 総合すると、勉強不足で短絡的である。 限られた時間で表現しなければならないことは承知だが、魂が抜けている。
一種の義憤のようなものにかられて、言葉にできない。 悔しさのあまり、件の物語を読み直した。
*
でもまあ、仕方のないことかもしれない。 これは、鷲谷いづみ東京大学教授の、「万葉集にうたわれた精神世界を、現代人はもう理解することができない」という嘆きにも通じるだろう。
自然との関わりを失い、人はほとんどすべて都市生活者となった今、人間の自然観や精神世界だけは変わらないということはないのだ。 野生動物と人間との命と命をかけたやりとりなど、理解できる由もない。
でも私は−自分の豊かさと幸福のために−、宮沢賢治の物語世界ぐらいは、たとえ想像の範囲かもしれないけれど、共感できるようでいたい。
2006年12月11日(月) 不足 2005年12月11日(日) 女の子は大人より賢い
2008年12月09日(火) |
お金しかもっていない貧しさ |
古新聞を整理していたら、数日前の「論壇リポート」の記事。 埃だらけの押入れの前で読む。
金融危機と経済秩序、というタイトルの下、各論壇月刊誌十二月号で取り上げられている内容のダイジェストが掲載されている。 「現代」は「米国型強欲資本主義の終焉」と特集。ジョージ・ソロスの弁として、「「過剰に信用を創造した」金融関係者の「飽くなき強欲」を問題視」とある。 「世界」は京都大学名誉教授の伊東光晴という人の、サブプライム住宅ローン問題の分析。1980年代の低所得者向けの中古車ローンという金融サービスに発端があるという。 「中央公論」の、京都大学大学院教授の佐伯啓思の弁。先進国の経済問題は「深層には、その表面的な消費の沸騰とは裏腹に、経済活動の潜在的な『過剰』があり、このグローバル競争経済は、ますます事態を深刻にするだけ」と論じている。
*
世界中に暗い影を落としている資本主義経済であるが、 この世界の約束が他のものに取って代わるということは、そう簡単にはないと思う。
金を払うものがいれば、金をもらうものがいる。 ドルが下がれば、円が上がる。 笑うものがいれば、泣くものがある。
動力機関として実にうまくできているからこそ、近現代にこれだけ定着した。 けれども、このシステムはオーバーユースとなってしまった。 佐伯氏のいうように、グローバル競争のせいかもしれない。 そういう風に、私は理解する。
*
ガタがきた動力機関は、酸素欠乏と過呼吸を繰り返して、 健全な血液の循環を滞らせている。
得をしなければ損をすると思うような価値観をつくりあげ、 そもそも人が人に対して下す評価である「信用」を無機質なものに与え、 家族も友人もなく、お金しかもっていない貧しい人間集団をこしらえた。
人々の心が「安心」から遠ざかるのも無理からぬことである。
*
私達は何のために息をしているのかを思い出し、ゆっくりと深呼吸をする時だ。 そうすればきっと上手くいくし、それしか上手くいく方法はないだろう。 ジョージ・ソロスにもそう伝えたい。
2006年12月09日(土) 2005年12月09日(金) 2004年12月09日(木) 宮崎監督のゲルニカ
色々な出来事から、ようやく日常を取り戻す。
気が付くと冬至はもうすぐそこである。 例年この時期は、日ごとに陽が短くなるのが憂鬱でしかたないのだけれど、 今年はこの気忙しさと赤ん坊がいる暮らしのせいで、あまり気にならずにすんだ。
あとはクリスマスのご馳走をどうするかでも考えて、ごまかそうと思う。
2005年12月08日(木) 社長を出せ
2008年12月01日(月) |
自分を支える特別な儀式 |
帰国予定日。しかしHはネパールに足止めのままである。 本日も、赤ん坊とAと三人の暮らしが続く。
* この2ヶ月間に、私が料理している間にテーブルセッティングをするのが、 いつの間にかAの役目になっている。
ランチョンマットを敷き、コースターにグラスを置き、箸を並べ、花を飾る。 Aは、自分を支える特別な儀式のようにして、一つひとつの所作を丁寧に執り行う。
最後の仕上げに、神棚にお供えでもするようにしてCDをデッキに入れる。 朝食の時はギーゼキングのピアノ、夕食の時は安永徹さんのバイオリンというのが、もう数週間続いている。 毎日まいにち、こればっかりである。
たまにはスガシカオを聴きたいんですが、などという私の申し出を受けいれる気はまったくないらしい。
たずねると、1曲目のコレッリの曲がすきなのだというので、ちょっと驚いた。 あの澄み渡る青空のようなフレーズに、Aのような小さい子どもも心を慰められるというのだ。
2006年12月01日(金) 勘亭流の並木道 2005年12月01日(木)
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