2004年12月15日(水) |
追って狂気の沙汰を待て |
多忙。
高村薫という作家は、よく新聞に時評を書くのだけれど、 割合自分と意見が一緒であったり、新しい発見があるので、 気をつけてウォッチングしている。
先日は、宅間守の死刑執行についてコメントを寄せていた。 通常は刑の執行に平均8年ぐらい費やすのらしいが、1年という わずかな期間に執行されたことについて、氏は 「椅子から転げ落ちるぐらい」驚いたという。
他の死刑判決を受けた受刑者に先駆けて執行する理由が明確でない、 ということに氏は疑問と不安と恐怖を記している。 「宅間死刑囚が凶悪であるから特別に早い、と言う理由であれば、 なお恐ろしい」ともの述べている。 そして氏は、この措置を図った国に対して、強い論調で、 執行を早めた理由を示せるものなら示してみろと迫り、結んでいる。
宅間死刑囚の罪の残虐性という要素を溶脱してみると、 今回の執行措置には、「国が気に入らないから殺した」 「他の者が追随すると国のためにならないから殺した」という、 あってはならない方向性が浮き上がってきて、高村氏はこれを見抜き、恐れたのだ。
善と悪の価値観というのは、何かが起きればたやすく引っ繰り返る。 しかし国権が国民に何をし得るかということは、前例が大きな意味を持つ。 ある方向が定まると、にわかには引っ繰り返らない。
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