浅間日記

2004年12月24日(金) 冬の祝祭日

昔観た「グレムリン」という映画の主人公は、確かユダヤ人の男の子だった。
クリスマスなんて自分とは無縁なんだ、と語る場面があって、
宗教を節操なくチャンプルーにする日本人の私としては、
そういうもんなんだと、かすかな驚きをもったこともありよく覚えている。

その舞台になったアメリカで、「12月のジレンマ」とよばれる論争が
例年になく火花を散らしているのだそうだ。
非キリスト教徒へ配慮してクリスマスの祝祭を慎むべきか否か、というものである。

二万人が参加する、クリスマスセールへの不買運動。
サンタクロースや「ジングルベル・ロック」はOKだが、イエス・キリスト、「きよしこの夜」はダメ。とか、
オフィスで開くのは「クリスマスパーティー」ではなく「年末パーティー」。「クリスマス休暇」ではなく「冬休み」。とか。

民族のるつぼと言われるお国事情か何か知らないが、程度の低いことだ。
アメリカという国全体が、不寛容でヒステリックであるという状態を顕著に現している。
「異教徒に配慮して慎むべきだ」というのは
「異教徒も皆で祝うべきだ」と言っているのと同じである。

いいではないか。何だって。
人々が暖かい食卓を囲んだり、賑わいを演出したり、笑顔になることに
くちばしを挟むものではない。
どんな理屈をもってしても、そういう平穏を妨げる権利はない。
他国の市民に対しても。



「JIROの独断的日記」さんがクリスマス休暇についてお書きになっていた一文が、
印象的である。
クリスマス、そして正月と続く日本の冬の祝祭日の本質が、ここにある。
以下、引用させていただく。

「どこの国でもずっと好況ということはなく、山の時もあれば谷の時もある。今の日本は、明らかに谷底を這っているような状態だ。そのときに無理に力ずくで山にしようとするのが、どだい無理なのだ。もう、いい加減、みんな、くたびれている。
国民全体がしばらく、小泉首相なみにのんびり遊んで、腹の底から笑う。楽しい。気持ちがよい。という感覚を思い出した方がいい。そうすれば、人心が穏やかとなり、エネルギーが充電されて、また元気な日本が取り戻せるような気がする。」

引用終り。

メリー・クリスマス。


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