昔観た「グレムリン」という映画の主人公は、確かユダヤ人の男の子だった。 クリスマスなんて自分とは無縁なんだ、と語る場面があって、 宗教を節操なくチャンプルーにする日本人の私としては、 そういうもんなんだと、かすかな驚きをもったこともありよく覚えている。
その舞台になったアメリカで、「12月のジレンマ」とよばれる論争が 例年になく火花を散らしているのだそうだ。 非キリスト教徒へ配慮してクリスマスの祝祭を慎むべきか否か、というものである。
二万人が参加する、クリスマスセールへの不買運動。 サンタクロースや「ジングルベル・ロック」はOKだが、イエス・キリスト、「きよしこの夜」はダメ。とか、 オフィスで開くのは「クリスマスパーティー」ではなく「年末パーティー」。「クリスマス休暇」ではなく「冬休み」。とか。
民族のるつぼと言われるお国事情か何か知らないが、程度の低いことだ。 アメリカという国全体が、不寛容でヒステリックであるという状態を顕著に現している。 「異教徒に配慮して慎むべきだ」というのは 「異教徒も皆で祝うべきだ」と言っているのと同じである。
いいではないか。何だって。 人々が暖かい食卓を囲んだり、賑わいを演出したり、笑顔になることに くちばしを挟むものではない。 どんな理屈をもってしても、そういう平穏を妨げる権利はない。 他国の市民に対しても。
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「JIROの独断的日記」さんがクリスマス休暇についてお書きになっていた一文が、 印象的である。 クリスマス、そして正月と続く日本の冬の祝祭日の本質が、ここにある。 以下、引用させていただく。
「どこの国でもずっと好況ということはなく、山の時もあれば谷の時もある。今の日本は、明らかに谷底を這っているような状態だ。そのときに無理に力ずくで山にしようとするのが、どだい無理なのだ。もう、いい加減、みんな、くたびれている。 国民全体がしばらく、小泉首相なみにのんびり遊んで、腹の底から笑う。楽しい。気持ちがよい。という感覚を思い出した方がいい。そうすれば、人心が穏やかとなり、エネルギーが充電されて、また元気な日本が取り戻せるような気がする。」
引用終り。
メリー・クリスマス。
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