ソムチャイ・タイ首相が27日夜に非常事態宣言を発令した新バンコク国際空港(スワンナプーム空港)と旧バンコク国際空港(ドンムアン空港)は、29日朝時点で計1万人のPAD支持者がなお占拠している、というニュース。
こればかりは、「というニュース」ではすまないのである。
無事に山登りが終わってカトマンドゥに戻ったHの帰り道は、 バンコク経由成田行きであり、報道にあるとおり足止めをくらっている。
本人はまあ頑張ってくれとしか言いようが無いけれど、 留守番の我慢が限界に来ているAがかわいそうである。
隣国のインドでも物騒な様子であるし、何事もなければよいがと思う。 ヒマラヤの高所などより、娑婆のほうがよほど危険だ。
2006年11月29日(水) a place of happiness,innocence or beauty 2005年11月29日(火) 一流ピカピカ
Aが学校で習ってきた、きらきら星。 得意そうに、ピアノでおさらいをしている。 お空の星よ、と、高らかに歌い上げている。
気がすんでおやつの煎餅を食べているAの横で、 おもむろに「きらきら星変奏曲」をかけてみる。
変奏曲は、紙に描いた絵が浮かび上がって飛び出すようなマジックである。 主題は形を変え、表情を変え、活き活きとした命を吹き込まれる。
なにこれ!と目を丸くして、 煎餅を片手に持ったままギーゼキングの演奏に耳を傾けるAが愉快である。
こういう仕掛けは、教育というよりも自分のいたずらの領域として、やって楽しいのである。
2007年11月28日(水) 現代フォークロアの火 2006年11月28日(火) 2004年11月28日(日) 化学変化
留守していた家に戻ったら、 Hあてに毎月送られてくる山岳雑誌が届いていた。
熊に襲われた山野井さんは一体どんな連載記事を書いているだろうかと思いながら、 勝手に封を切って読む。 インドへ行っていた甲府のSさんの記事にも目を通す。
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アルパインクライミングの気配を感じるのは、久しぶりである。 家の山道具はすっかりなくなっているし、食卓の話題にのぼるということもない。 社員が全員営業に出払ってしまっている営業所みたいなものなんである。
もしもHが帰ってこなかったら、これはこのままだなあと思う。 そして私は多分、山のことなどまったく何も知らないし、 クライマーなど誰一人知りあいにいない、というふうに生きていくだろう。
そのような自分を想像するのは、何か不思議な感じがする。
2007年11月15日(木) 成仏について 2006年11月15日(水) 西陽の幻 2004年11月15日(月) サラリーをもらって戦地へ行く人
Hのいない日々が約一月になろうとしている。
寂しいAは、以前のように母一人子一人というわけではないから、 実務に追われる母をよそ目に、その気持ちを一人で引き受けている。
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赤ん坊が寝た後の静かな夜更けに、ふと思い立って、Aをスケッチする。 じっとしていてというと、すまし顔でポーズをとっている。
まだ少し幼児の面影が残るふっくらした頬や鼻筋を、少し伸びた柔らかい髪の毛を、私を見つめる黒目がちな眼を、その真直ぐなままに描く。
出来上がりを見せると、恥ずかしそうにふふん、と鼻をならす。 あなたはもっと可愛いのだけど、お母さんなんだか下手だね、と言いながら、
私はあなたをちゃんと見ているからという気持ちを込めて、 何枚もなんまいも、デッサンする。
2005年11月10日(木) silent violence 2004年11月10日(水) バーチャル懐古
立冬。
庭の柿の木が、まだ実をつけたままになっている。 家主のKさんは、実をもぐのをやめてしまったのらしい。
この夏に心臓を悪くして、それでも手術後は驚くように回復し、 新聞配達に畑にと今までどおり暮らしているけれど、 さすがに柿の木に登って実をもぐのは、家族が止めたのだろう。
時計のように正確に、毎年、春には春の、夏には夏の、 秋そして冬には冬の労働を、まじめに飽くことなく繰り返していたKさんのことだから、 収穫できない柿の実が枝についたままなのは、さぞつらいだろうなと思う。
庭先で片付けをしているKさんの、ときおり見上げるようにして柿の木を眺める少し小さくなった背中を見ながら、そんなふうに思った。
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人生は永遠ではない。 Kさんの、毎年ずっと続くように見える営みも、 少しずつ変化をみせ、今までどおりできないことが少しずつ増えていって、 いつか終わりが来るのだ。
育つ者があれば、老いる者もある。 それは同じ作用の結果なのだ。
2007年11月07日(水) 2006年11月07日(火) 2005年11月07日(月) 見ざる、聞かざる、言う 2004年11月07日(日) お休みの日の男親は
米国大統領選挙が終わり、オバマ氏が大統領ということになった。
やればちゃんとできるじゃないか-もちろん集計作業のことである-という感想と、 この世界同時不況の最中に大統領とは、大変なことだという気持ち。
日本の総理大臣とて、例外ではないだろう。 それとも政治家としての腕がなるのだろうか。 もっとも、腕前のない人ほど腕まくりをするものである。
そういえば、福田康夫という人は、なんだか訳がわからないうちに辞めてしまったけれど、 私は、この人はひょっとして、この津波のような大かく乱を確信していたのではないだろうかと思っている。
そう思うほど、見事なタイミングで逃げ切ったなあと思うのである。
2005年11月06日(日) 出発 2004年11月06日(土) 為政者ではない私達
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