浅間日記

2004年12月16日(木) 狼もいる、母親ヤギもいる

「狼と七匹の子ヤギ」を借りてAに読んで聞かせると、
恐ろしかったのか、私にしがみつき、小さい声で「こわい」と言った。

ちゃんと童話の世界に、こういう教訓があったことを改めて感じる。
子どもを襲う大人は、おそらく今に始まったことではない。残虐性も狡猾性も。

子どもが連れ去られそうになる事件が、私の住むこの街でも発生した。
あちこちに、気をつけましょうと貼紙が張ってある。
子どもの連れ去り事件は今後、警戒すればするほど、
声色を変えた狼のように、より狡猾になっていくかもしれない。



これまで起きた誘拐事件の幼い被害者達は、そういう無防備があったわけではなく、
問題は今後だということを前提に記す。

身内とそうでない者の区別をつけることが、最近の子ども達には困難な時代だ。
そういう訓練の機会が少ないという意味で。

親の付き合いによって、日替わりで変わる周囲の大人達。
レストランやテーマパークの、業務用笑顔。
親しげに距離をちぢめ話かけてくる、テレビ番組全般。

こういうものに、テレビの子役タレントの如く即時に愛想よく振舞えば、
よしとされる評価軸がある。

上手く表現できないが、人間全体に対する信頼感を失わず、しかし
人との適切な距離を図れるという能力は、人生を生ききる上で
薄っぺらな愛想なんかより重要だ。

関係が分からない人は怖い、又は照れくさい、という認識は、
人間は悪であり人は信頼できない、ということとは違うように思う。

そして、何よりも、子どもが心から安心でき、心を開ける親子の関係を
確保すること自体が大切だ。
それが、人との距離を図るための、全ての原点になるのだから。

子ヤギ達は残念ながら狼の狡猾な騙しを見抜けなかったけれど、
美しい声と雪のように白い手足を、母さんからの安心の確証として
判断基準にもっていたことは確かである。


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