浅間日記

2006年12月30日(土) 返事を頂戴する 返事を差し上げる

今年の日記はこれで終わり。
これだけは書いておこうということを書く。

WEBの目には見えないかかわりの中で、今年も日々を綴った。

欠かさず読ませていただく方の日々の喜びや悲しみに共感し、
また自分の思いの至らなかった問題に思考を巡らせ、
時にはお返事を差し上げるつもりで、自分の日常を文章にした。

つたない情報で書き上げたテーマを掘り下げていただいたこともある。
嘆き節ばかりの日に、楽しい話題を読ませていただいたこともある。

それはちょっと違いますよというサジェスチョンとなったこともある。
どれもみな、勝手に返事を頂戴したつもりで、ありがたく拝読した。

トラックバックもないささやかなサイトでも、
ひとりの人間が心から願う大事なことを
心を込めて丁寧に綴ってゆけば、それは伝わるものだと思うし、
そのことは、文字によるコミュニケーションを身につけた人類の力だと私は思う。

一年間ありがとうございました。

2005年12月30日(金) ニュース
2004年12月30日(木) 年の終りに日記考



2006年12月29日(金) 静かな決意

バーガーショップで、年末の買物の合間に一休み。
置いてあったNewsweekを手に取ると、潘基文次期国連事務総長の就任宣誓後のコメント。

「国連の名誉は国連の最も貴重な財産だが、最も傷つきやすい部分である」

潘基文氏は62才、韓国の前外交通商相だそうである。
国連の信頼回復を最優先課題とすることを、件の就任宣誓では発言した。



何と私は寝惚けていたのだ。
仮定の話ではなく、国連は本当の本当に、
イラク戦争以降、機能不全に陥っていたのだ。



潘基文氏は、調停の名手として国際的に名を馳せているが、
明確な決断を下さない点について、リーダーとしての資質を問う声がある。
これに対する氏のコメント。

「中庸はアジアでは美徳とされるものである。それは熱意やリーダーシップの欠如を意味するものではなく、静かな決意を示すものである。」

立派なコメントだと思う。

世界全体で未来に向けた合意をする機関について、
信州のバーガーショップで考えるのも悪くない。
敷居が高いと思う必要はないのだ。

2005年12月29日(木) 資本と消費の適正規模
2004年12月29日(水) 感知



2006年12月28日(木) イノシシ政権

『美しい国』に向かってイノシシのように一直線に進みたいと、
安倍首相のコメント。

総理、それは、現政権の行方に懸念を示す者が、
皮肉として使うべきフレーズですよと、
誰か進言してあげなければいけない。

総理の立場でそのような間違った使い方をすると、
それはそれは恐ろしい意味をもつのだと。

2005年12月28日(水) 他人の夢中
2004年12月28日(火) 自然災害とカレンダー



2006年12月27日(水)

仕事の区切りとともに、体調不良。
クリスマスに分不相応に夜更かししたせいである。



白湯以外の飲み食いを一切控え、布団の中で丸くなる。
丸二日そうして過ごす。

医者に行ったらどうかとか、抗生物質を飲めばよくなると、
横からHがみて心配する。

抗生物質は、子どものころ飲みすぎた分がまだ残ってるからいいと
屁理屈をいって、布団に引きこもる。

自分の身体は自分で治すのだと意固地になるのが、もう健全でない。

2005年12月27日(火) 



2006年12月24日(日) 文明と因縁

蒸留という作業をやってみようというお誘いを受け、泊りがけでSさん宅へ。
登場したのは、圧力鍋と塩ビのパイプと水槽を組み合わせた、
Sさん手製の実験道具。



よい香りが立ち込める夜更けに、Sさんとシリアスな話。

この状況は極めて深刻で、そして貴方は十分ベストを尽くしている。
しかし人にはどうすることもできない宿命や因縁があって、
それは法律や制度ではどうしようもないことなのだ。

話に耳をかたむけて、このようにコメントをする。
それを延々と繰り返すしか術のない、やりきれない話。



私達は過去の世代から沢山の宿題を引き継いでいて、
そのうちの幾らかは完了することができ、幾らかは未来に引き継ぐだろう。

それは、国の借金のように形が見える問題もあるだろうし、
網の目のような因果関係によって生み出された混沌も存在する。
目には見えないが、文明の歴史の分だけ、時代の中へ確実に横たわっている。

私は、今生きている者の責務として、
せめて自分ができると思う分ぐらいは、
そのこんがらがった網の目をほどいて、生を終えたいと思う。

子どもを一生懸命育てるというのは、そういうことだと思っているし、
そういうことを何世代にもわたってなし崩しにしてしまう戦争というものは、決してあってはいけないと思うのだ。

2005年12月24日(土) 大工よ、屋根の梁を高く上げよ
2004年12月24日(金) 冬の祝祭日



2006年12月23日(土)

年内の仕事は、ようやく片付いた感じ。
おなじみの戦場跡地のような風景に呆然としながら、復興へ着手する。

堅牢な城壁のように積みあがった皿を片端から洗う。
無秩序に散乱する紙や本や衣類を、しかるべき場所へ納める。
汚れたシャツやタオルを洗濯機に放り込む。
階段や廊下の薄雪のごとく被覆された埃を集めて捨てる。

やり放題を重ねて薄汚れていくプロセスよりも、
気合いを入れて元の姿へもどしていくプロセスの方が、人間の精神は安定する。

2005年12月23日(金) パレオパラドキシア



2006年12月22日(金)

造り酒屋で、絞りたて生酒を買い求める。
釜のあるパン屋で、ずっしりと重たいパンを購入する。
街はずれの醸造店で、蔵出ししたばかりの醤油を手に入れる。

他ならぬこの人たちの手によって生きていられると実感する。
冬の買物は楽しい。

2005年12月22日(木) 一陽来復
2004年12月22日(水) 戦場跡地



2006年12月21日(木)

昼下がりの汽車に飛び乗って、Sさんへ会いに新橋へ。
成田からかけつけたNさんも合流。

世代の異なる二人との邂逅は、しみじみと在り難い。

Nさんが、サンタクロースはいるかという米国であった裁判についての話題。
1ドル紙幣に書かれた「IN GOD WE TRUST」の文字に心を動かされた、判事のエピソード。
子ども達に夢と希望がある限り、物的証拠などなくてもサンタクロースは存在するという結論に至ったのらしい。



大層感激して家に戻ってみれば、その魔法はとけていた。

アメリカ国民はいまや−勝手なことを言わせていただければ−、
何かを信じ続けることより、感じた疑問をフェアに検証することのほうが、未来に必要だ。
そして、サンタクロースなしでも夢と希望をもって生きる方法について、考えたほうがいい。

多分あの時の魔法は、Nさんが口にしたからこそ、輝いたのだろう。

2005年12月21日(水) composer
2004年12月21日(火) 船を出そう



2006年12月20日(水) 和室的予算案

07年度予算財務省原案のニュース。

何をするにしても予算は重要だ。
予算は、いくら使うのかを通して、何がしたいのかがやがて浮き上がる。
特に、新規予算を目を凝らして眺めていると、如実である。

そして私は、肝心の金のところでだけ
あの首相の過激な思想が反映されない訳がないと、
そう思っている。

2005年12月20日(火) 書き入れ時の貧しさ
2004年12月20日(月) 放心



2006年12月19日(火) 絶望アピール

辻井喬氏の記事。
「世界のその先が見えてしまう人だとしても、人は絶望してよいというものではないのです」と書いてある。

辺見庸氏の記事。
「自分の言葉に身体をかけて責任を持つ単独者であり続けなさい。にせ金の言葉と対極にある自分の言葉を、へどもどしながらでも話す存在。その人が放つ光はかすかな微光のようなものかもしれないが、それが単独者の崇高さだ。私も固い結晶体のような本物の言葉を、残りの生で命の限り紡いでいきたい」という。

高村薫氏の記事。
「これからは地方の時代」なるタイトルで書かれているが、弱弱しい。
天下国家を論じることへのあきらめのように感じられる。



私の好きな人たちは皆、これほどまでに絶望している。

教育基本法改正案が可決されたことを象徴として、
この国の地軸がぐらっと傾きを変えたことを感じている。

同時に、彼らは自分の抱える無力感と絶望を、
どうやって次の希望へつなげようかと考えている。

人の尊厳をこれ以上目減りさせないために何が必要か、
気力をふりしぼって思考を止めずにいることが、切ないほど伝わってくる。



しかしながら−彼らに敬意を表しつつ−
無芸無才の私は、いっそもう、声を大にして絶望を唱えようと思う。
この国に絶望していますと、家の前に張紙でもしたらいいとさえ思う。

不満や反対の声は、残念ながらもう為政者の誰の心も動かさないし、
理詰めの反論も、過ちを質し、正す力をもたない。

どれも、意図的に見過ごされるか、
筋違いの無駄な動きを喚起するだけである。

だから、そんなことはもうやめて、
良心ある国民は−私は−ここで一旦、絶望を唱えようではないか。

どうせなら世界中のクリスマス騒ぎに便乗して、
先進国日本では、国民が国の未来に絶望していることを、
この際大々的に、国際社会へむかってアピールしたい。
はっきり言ってもうお先真っ暗ですと、何の要求もなく、ただ主張したい。



年の瀬に捨て鉢な悪ふざけはおやめなさいと叱られそうである。

言訳をするならば、もう駄目だと思っている本心を偽り、変に頑張るのは、
それは美徳ではなく、今そこにある病を悪化させるだけだと思うのである。

何よりも、もう嫌だこんな国、と声を大にして言えなくなったら、
−今と同じ状況でそう思うことすらなくなったら−
それは本当に終わりなのだ。

2005年12月19日(月) 
2004年12月19日(日) 



2006年12月18日(月) 協力か介入か

日本の国連加盟50周年記念式典。

「これからも国連の活動に積極的に協力して、安保理の常任理事国となりしっかり責任を果たしていきたい」
「安保理は、国際の平和と安全の維持に主要な責任を担う能力と意志を有する国々の参加を十分に確保する必要がある。二十一世紀に合った形に改革されなければならない」
と、息巻く安倍首相。

アナン事務総長は、
「世界で偉業を成し遂げるために核兵器を所有する必要はない」と注文。



なんだ要するに不協和音じゃないか。

そう思っていたら、朝のラジオで専門家の電話コメント。
ラジオで流れていく端から、耳をすましてつかまえる。

日米安全保障条約は国連憲章に合致したものである。
だから日米安全保障条約に基づいて合意したものは、
これは国連憲章に違反しているわけがない。

そういう奇妙な論理で、日本はイラク戦争への我国の対応を解釈したのらしい。

そして挙句の果てには、こんな奇妙な論理を展開させる国連憲章は改革してしまえ、という風潮であって、
それが、件の安倍首相の真意なのだそうである。


国連は機能破綻するだろうか。
飯をかき込むHに意見を聞いてみる。

そうなったら大変だよと、
律儀に、しかし行儀悪く、飯の入った口でもごもごと応える。



2006年12月17日(日)

寝具を乾かしにランドリーへ。

大きなドラム式乾燥機へ、どさどさと放り込む。

つけっぱなしのTVは、松坂何某の話題。
野球というのは本当に懲りないことをやっている。

このまったく興味のわかない、一人の野球プレイヤーの出来事について、
興味がわかない理由をひとしきり自分自身に脳内演説しても、
まだ乾燥機は終わらない。

手持ち無沙汰で仕方がないから、
ぐるぐると回転する乾燥機のドラムを呆けた顔で凝視する。



我家のタオルケットやシーツは、巨大な乾燥ドラムのなかで塊となり、
ドラムの回転に身をゆだねている。
ドラムの真上にくると、真下にどすんと落下して、また真上に運ばれる。

ところが、あるときこの塊はきれいにほどけて、
新体操のリボンみたいにクルクルヒラヒラと広がって回るようになる。

塊型よりもこの「ヒラヒラ型」のほうが、洗濯物がドラムの中で広がって回るから、よく乾く気がする。

これを心待ちにして、よくよく見ていると、どうやらこれには一定の法則があるらしく、
塊状回転時間と、ヒラヒラ状回転時間は大体同じぐらいの間隔で順々にやってくるのだ。



誰かこれを科学的に説明してくれる人はいませんか、
できれば数式で表してもらえると嬉しいのですが、と
ランドリーの他の客へ片っ端から聞いてまわりたい気持ちを抑えつつ、
無事に乾いた寝具をたたんで車に押し込み、家にもどる。

2005年12月17日(土) 興行考
2004年12月17日(金) 童話再び・駄文



2006年12月16日(土) 信頼できる他人

Aに罪滅ぼしのつもりで、りんごのケーキを焼く。
喜ぶように、と念じながら粉をふるって混ぜる。

傍らのラジオで、佐野元春がゲストの番組。
彼の、前向きでクレバーな作品と人柄を愛するファンは多い。
ラジオ番組に関するいくつかのコメント。

僕はラジオが大好きなんです。10代の頃も今も好きです。
信頼できるDJが、番組のなかで自分の知らない名曲を沢山紹介してくれ、
音楽はテレビに出るもの以外に優れたものが沢山あると気付かせてくれました。


信頼できる他人が、自分の知らない世界に出会わせてくれる。
なんて幸せなことだろう。



これはいい、これはすごいと思うものを、無遠慮に、そして勇敢に、
限りなく近くへ引き寄せる力をもっている。
それが、10代という年頃だ。

時代や生まれた国や言語の違い、そういうものをすべて飛び越えて、出会うべきものと出会う。
そしてそれを支えとしながら、ゆっくりと自分で自分自身を成立させてゆくのだ。



大人になった私は、できることならば、否、可能な限り、
新しい世界をみせられる「信頼できる他人」という存在になりたいと思うし、
そうしている大人をみると、立派だなと思う。

2005年12月16日(金) 音楽の意味
2004年12月16日(木) 狼もいる、母親ヤギもいる



2006年12月15日(金) 失敗

晴天。

冬枯れた峠を越えて、隣の街へ。



朝方、人の失敗を面白おかしく追い詰めるAを強く叱り、
そのことで、いささか後味が悪い思いをしている。
Aは、大声にびっくりし、沈黙し、気まずさに涙を流していた。



もう少し知恵のある伝え方をすべきだったと深く反省。

間違いをした子どもを強く叱るというのは、
いじめの問題に絡めて昨今なんだか奨励されているが、
そんな尻馬にはもう二度と乗るまいと誓う。

静かに、目を見て、普通に説明すればいいんである。
毅然とした態度というのは、もともとそうしたものである。
緊急の事態だとしても、それは変えてはいけないのだ。



どんな不正を正そうとも、大人の強い力で叱るというのは、
子どもに愛情に欠けた衝撃を与える。
大人と子どもの不公平な力関係でついた傷と言ってもよい。

そんなものは、躾とか不正をただす正義などではない。
イラクに攻め入るアメリカみたいなやり方であって、
自分の大切な家庭に持ち込むなど、金輪際、ごめんである。

2005年12月15日(木) 南へ北へ
2004年12月15日(水) 追って狂気の沙汰を待て



2006年12月14日(木) 手を使え、足を使え、頭はそのために使え

ようやく定点に戻る。

先週聴いた佐藤初女さんの言葉を、頭の片隅でいつも反芻していた。
旅がらすの最中も、新幹線の中で考えた。

佐藤初女さんは、青森の弘前にある小さな家を開放して、
何かに苦しんでいる人と寝食を共にするということをやっている。

佐藤さんから呼びかけることなどはしていない。
でもとにかく、どこかで話を聴きつけて、
全国津々浦々から色々な人がやって来るそうだ。

そういう老若男女を、名前も聞かず暖かい家に招きいれ、
手塩にかけ丁寧にこしらえた食事を出し、
黙ってその人の話を聴いて、布団を並べて眠る。

それだけのことしかしていません、と彼女は言う。
しかし、それだけのことに救われた人は多いのらしい。



丁寧に作った食事を美味しくいただく。

「人間は命ある存在だから、食べることを疎かにすると、徐々に色々なことが難しくなります。食べることは命の移しかえなのです。」と彼女は言う。

このことは、何十年も食によって苦しみから人を救ってきた佐藤さんの、
「経験から導き出された確信」なのだそうである。



人間は、悲しみや絶望を感じる不思議な生物だ。
そうした生物としてのオプションみたいな感情や思考は、別に悪くない。
それは、優れた芸術文化や哲学の源泉となるし、
何よりその優れた生物オプションの中には、喜びや希望だってあるのだ。

けれど、不幸にして感情や思考に心の自由を奪われてしまう時もある。
そのときは、素直に生物としての第一機能に戻るのがよい。
手を使い、足を使い、そのためにだけ頭を使えばよい。

「食べて命をつなぐための作業」にその労力をそそぐことができたら、
それは、生物として寸分の隙もないほど合理的なことだ。
だから、人間はそのことを幸せと感じてよいと、私は思う。

もし、そうしたくてもできないほど疲れてしまった時は、
やっている人の傍で、じっと眺めていればよい。
子どもみたいに台所でうろちょろしていればいい。

彼女の言う「経験から導き出された確信」について分析するのは愚考にすぎないけれど、
自分の言葉で説明する必要があるとすれば、そういうことなのかなと思う。

2005年12月14日(水) 



2006年12月13日(水) 旅がらす三行日記 字余り

師ではないが、東奔西走。都内で仕事。

職業は部長、と評したくなる風貌の方と仕事。

大会社の同期入社という間柄は、幼馴染の一種のように親しげである。

社会人として同じ親をもち、同じ時代を背負い、共に育つからだろうか。

2005年12月13日(火) おおきにの国
2004年12月13日(月) 王様の手料理



2006年12月12日(火) 旅がらす三行日記

大阪にて仕事。昨晩は宿まで来てくれた大阪在住のTちゃんと長々話す。

相変わらず甲斐甲斐しいが、その心配りは、学生時代より大人っぽいものに洗練されていた。

育ちのよさというのは、若い時代を通りすぎて一人前になった時、真の姿を現すものだなあと感心する。

2005年12月12日(月) 
2004年12月12日(日) 高尾山



2006年12月11日(月) 不足

寝食を忘れて一生勉強しても、万物の全てを知ることはできない。
否、一生勉強しても、ごくわずかなことしか知ることができない。

そのことの、何と希望にみちたことだろう。
明日もその次の日も、永遠に新しい発見の喜びが保障されているとは。



かように、半ば負け惜しみに近い未達成感を抱えたまま仕事Aを一区切りさせ、
仕事Bを始めるべく、そろそろ移動しなければならない。

全てにおいて付け焼刃で、勉強不足を痛感する。
そう私は、なまくら包丁で仕事をぶつ切りにしているのだ。


2005年12月11日(日) 女の子は大人より賢い



2006年12月09日(土)

甲府まででかける。

初冬の冬至までの日々は、毎年私を憂鬱にするのだけれど、
今年はどういう訳か、ひとつも苦痛にならない。
気がつけば12月も半ばになっていた、と言う感じである。

身体が、まだまだいけるという余裕をみせている。
日の短さを克服して、なお有り余る血の気が巡っている。
仕事の合間に腕立て伏せなどやっている。

どう考えても異常である。
冬だと言うのに血の気が多すぎる。

朝のラジオ体操が原因だろうか。
あるいは、騙されたと思って服用した漢方の効用か。
それとも梅干か生姜の過剰摂取だろうか。

まあとにかく、有難い年ということにしておく。

2005年12月09日(金) 
2004年12月09日(木) 宮崎監督のゲルニカ



2006年12月07日(木) 仲間の未知数

今年最後の追い込み仕事。
果たして完遂できるのか、今回はとても心もとない。

孤独な仕事部屋で、成果を待っている人がいることだけを支えにPCに向う。



インド遠征の、ちょっとした記事が届く。
書いたのはH君。

頂上直下から、前回の失敗と、それから今回の遠征までの2年間の思いが溢れて、
涙が止まらなかった、と書いてある。

ちょっと胸があつくなった。
H君は、前回足を怪我して、それでチームは敗退したのだ。

彼を「完全に打ちのめした」この挫折感について、
私は−友人なのに−少しも想像していなかった。
自分のせいでチームのみんなの夢を奪ってしまった現実を背負い込んで、
2年間、ずいぶん苦しい思いを抱えてきたのだろう。



私は、今回の遠征のチーム編成については、ずっと反対していた。
重要なプロジェクトについて、一度しくじった人間と再びチームを組むことは、
少なくともそれが自分の仕事だったら、絶対に選ばない選択だった。
だから、Hの判断を甘いなと思っていた。

次は誰が何と言おうが絶対に登る、という異常な執着心と、
暗黒のような挫折感の中にいる仲間をリスクとともに引き受けることについて、
Hは一体、どこでどう整合させたのだろう。

連れあいながら理解できないが、そのうち話してくれるかもしれない。

身内のことで道徳の教科書みたいに結論づけるのは嫌だから書かないが、
とにかく、こういう形で成功したことはよかったと思う。

2005年12月07日(水) 



2006年12月06日(水) 白雪五人男

寒い晴天の朝。車のフロントガラスは白く凍っている。

遠くに白い山稜が輝いている。白浪五人男の揃い踏みのごとく、
連なる名峰がずずずと風景に秀でている。

日本の屋根などといわれるこの山脈は、冬の白く厳格な様相こそ、
その本来の姿だなあとつくづく思う。

むろん、同じことを春の芽吹きの優しい山肌や、夏の透き通るような青い峰にも感じるのだから、
随分いい加減なものだけれど、季節季節でそう思ってしまうのだから仕方がない。

2005年12月06日(火) 
2004年12月06日(月) 充実感は自分だけ



2006年12月03日(日) 映像の1日

お隣へ、新築のお祝いに出かける。

大人の集まりに途中で退屈したAときたら、
普段見ないテレビをここぞとばかりに2時間も見続け、
それがあまりに面白かったのか、その日の寝しなに長々と報告会をしてくれた。



オーバーアクションで唄った挙句、鐘が1つしか鳴らなかった人の話。
おそらくは、NHKの「のどじまん」であろう。
Aは猛烈に可笑しかったのらしい。

海水を天秤桶で汲み上げて、塩田をつくって釜焚で塩を作る話。
Aによる製造工程の解説はかなり怪しいが、本人は自信たっぷりに、
もうこれで自分はいつでも塩をつくることができると豪語する。

次はマラソン大会の話。
アフリカの人が一番だったが、なぜ月桂冠を頭に載せるのかと問われる。
こうした質問は、親として直答しなければならない。例えわからなくても。
という訳で、いつものように法螺話。



今日はたくさんテレビを見て、ひとつ利口になってよかったね、と総括コメント。

すると、でも嫌なテレビも少しあったよ、と急に声をひそめる。
Aは特別に小さな声で、ゆっくりと、それはね戦争の話、と言った。

2004年12月03日(金) 義援金の配分



2006年12月01日(金) 勘亭流の並木道

都内某所で打ち合わせ。

帰りみちは、黄色いイチョウ並木を三拍子で歩く。
広い運動場の向こうは国会議事堂で、シンメトリーな絵のなかにいる。

このあたりは、完全に西洋式なんである。
威厳と秩序を具現化すべく、街路も建物も設計されている。

たいしたもんだと欧風ゴシック体で歩いていたら、
とつぜん勘亭流の「銀杏祭り」なる看板がぬっと現れ、
あっという間にそこは、飛鳥山の花見みたいな場所に早変わり。

老若男女が、冬の陽の中で餅やソバを飲み食いし、
黄金色のいちょうを綺麗だ見事だと喜んでいる。
なんでもありの賑やかな音楽が流れている。

まあいいや、これも悪くない。
悪くないというよりも、
私はその「文化のひっくり返し力」を、どこかで歓迎している。

四季折々の自然を楽しむ、そういう場を
不特定多数の人間が共有し、「御相席」を喜ぶことができる能力は、
日本人の底にある気質なのだと思う。

白幡洋三郎氏だって、「日本文化としての公園」で言っている。
本当は、日比谷公園よりも亀戸天神が好きなのだ。

2005年12月01日(木) 


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