終日、大阪某所。
大阪弁に囲まれて終日過ごす。 決してワンストップで終わらない会話の不思議である。 何故そんなに親しげにするのだという不思議である。
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日本語は日本という国家より古い、という話を読んだのは何処だったか。
言語の中にはその土地の風土に根付いたコミュニケーションのプロトコルが隠されている。 そして大阪弁で交わす会話の場合、親しみのあるコミュニケーションを 暗黙のうちに許しあう何かが潜んでいる。 だから関東の人間が時々おかしな関西弁を口にするのは、 親しいコミュニケーションをとりたいというサインなんである。
それでは信州の言葉は何が潜んでいるのかというと、 それは多分、「議論」ではないだろうか。 とにかく信州人というのは議論好きなんである。
もっと他の言語、英語やフランス語、スペイン語、中国語はそれぞれどんなものか。 そして、失われてしまった少数民族の言語についても思う。 そこには言葉とともに失われてしまった概念や文化が必ずあって、 その中には少なからず、現代の消費文化にさらされた私達が決して持つことのできない自然と人との関わりに関する要素があるはずで、私はそれを知りたいなと思う。
2004年12月13日(月) 王様の手料理
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