2009年09月22日(火)  小豆島5日目は香川県三木町の渡邊邸で妖怪三昧

小豆島のゲストハウスで4回目の朝を迎え、冷蔵庫の中身大掃除の朝ごはん。明日の午前中の飛行機で東京に戻る予定だったのだけど、今日、柳生さんに高松を案内していただくことになったので、高松へ渡ったついでに東京へ向かうことにした。やる気の出るキッチンと眺めのいいベランダ、洗い場にベッドを二つ置けそうな広々したお風呂……わが家の何倍も広く、快適なゲストハウスと名残を惜しむ。

土庄港の高速艇乗り場では小豆島にまつわる曲が順繰りに流れている。一昨日、うちの両親を見送ったときに『ぼくとママの黄色い自転車』の主題歌、さだまさしさんの「抱きしめて」が聴こえてきて感激したが、今朝もちょうどいいタイミングで「抱きしめて」が流れていて、見送られているようだった。

柳生さん、峰子さんとともに高速艇に乗り込む。二階があり、ラウンジのようにソファが置かれているのを初めて知る。小豆島の話、柳生家の成人した四人のお子さんたちの話、窓から見える風景の話(二つ重なった不思議な岩が見えた)……あっという間に30分、高松港に着くと、長男忠平さんのお嫁さん、陽子さんがお出迎え。これから高松市の隣の三木町で開かれている忠平さんのグループ展を見に行く。

19日に通った県庁公園前の大通りを走っていると、「たまちゃん、ここで、ズボン落っこちたねえ」とたまが言い出した。県庁公園近くのうどん屋「さか枝」で食べた帰り、ウエストがゆるくなったジーンズが漫画のようにすとんとくるぶしまで落っこちた。それをよく覚えていることに驚く。今回の旅行のいろんな出来事も、小さな思い出の引き出しにしまわれていることだろう。


小豆島での「ぼくママ}上映会を主催した映画館ホール・ソレイユの前を通っていただく。「ぼくママ}がかかっているかなという期待があったが、違う作品だった。『子ぎつねヘレン』の太一役、深澤嵐くん主演の『いけちゃんとぼく』、『子猫の涙』でご一緒した森岡利行さんが監督、脚本の『女の子ものがたり』を上映中。

グループ展「和今感彩」の会場は、渡邊邸という古い茶室が集まった情緒あるお屋敷。門をくぐると、大きな紅い和傘が目に飛び込み、着物美女がチケットと引き換えに、靴を入れるエコバックとラムネなどのガラス瓶に入った冷たい飲み物が差し出してくれる。一瞬でこの空間、空気に恋してしまった。「和今感彩」というタイトルは、「和魂漢才」をもじったもの。前にいた外資系広告会社のモットーが「和魂洋才」だったことを思い出す。

中に足を踏み入れると、手づくりのお菓子やら和風小物やらTシャツやらを展示販売している。夜市のような楽しさ。小豆島のお菓子作家さんのブラウニーを、たまが試食を気に入ったので、購入する。

さらに奥の間に進むと、お目当ての忠平さんが襖(!)に描いた妖怪の絵を前に説明していた。蝋燭の炎が、ゆらめき、妖しさを盛り上げる。


絵は描きかけで、昨日も今日も泊まり込み、筆を進めて進化中なのだという。部屋の片隅にはただならぬ妖気を放つ、これまた襖に描かれた妖怪画が。これは、もともとこの屋敷にあったものだそうで、時の洗礼も受けて、すごみを増している。忠平さん、この絵に大いに刺激を受けたそう。

「夜に来ると、いいですよお」と忠平さん。こんな部屋に泊まり込んだら、背筋が冷えそうだけど、それがまた絵描鬼・柳生忠平にとっては、筆に妖気を呼び込むチャンスなのかもしれない。以前、妖怪もののアニメを開発する仕事に半年ほど首を突っ込んだことがあり、妖怪についてけっこう勉強したが、この世と妖怪の世界はつながっていて、妖怪たちは自由に行き来しているのだという。それも文明の発達で、道がふさがれつつあるらしいが、ここならいくらでも通り道が開いていそうだ。

作品はちょっと怖いけど、妖怪をデザインしたTシャツを購入。男物なので、Sサイズでも大きい。そのうちレディースも作る予定とのこと。パフスリーブとか、ワンピースとか、かわいいラインに妖怪の組み合わせを希望。

その隣の間には、忠平さんデザインの革のバッグを展示。こんなの見たことない。面白い。

忠平さんの妖怪画の前にお供えされているのは、20日に小豆島で見た井口三四二さんのコレクションのひとつ。民俗資料館を案内してくださった柳生さんが、展示物を「妖怪のもと」と呼んだ理由がわかった。今は休眠していて宝のもちぐされとなっているコレクションをどのように展示したら人を引きつけられるだろう、と考えをめぐらせていたが、古い道具に新しい感性を吹き込む忠平さんの発想にヒントがあるように思った。

外に出る。お堂の中にも妖怪画、これ以上ふさわしい展示スペースがあろうか。鬼気迫る提灯は、昨日、会場の設営をしているときに見つけたのだとか。これが灯って絵を浮かび上がらせるところも見てみたかった。ちょうどお堂の後ろを電車が走る。琴平鉄道、通称「こと電」の白山(しろやま)駅から徒歩10分とのこと。東京のわが家の最寄り駅は白山(はくさん)で、いつも乗り換え案内を調べると、「白山(新潟)」「白山(香川)」という候補が出るのだが、香川の白山駅はこんなところにあったのか。

「妖怪のもと」×柳生忠平の競演は続く。やかんや鍋が妖怪になるのだから、鍵と錠前だって妖怪になる。自分で自分をかんじがらめに施錠しているのか。

これはセメントを平らに塗る道具だったっけ。近所で大工さんが仕事するのを惚れ惚れ眺めた思い出が蘇る。この妖怪も自分で自分を塗り固めているのか。


左は煙管(キセル)で右は分銅か。分銅妖怪も自分の重みで身動き取れなくなっている。

これは携帯筆らしい。筆ペンの祖先か。

代々受け継がれてきたこの屋敷を管理している小橋さんとお話ができた。「前はこういうものを背負わされて重荷で重荷で……でも今は、どうやって活かしていこうかと考えてたら楽しいですね。白州邸にも行って、じっくり見てきました」。快活で頭の回転のいい女性で、お話もキレがいいと思ったら、ラジオのパーソナリティもなさっているという。ダンナ様はテレビ局に務めていて、「ぼくママ」試写会などにも関わられていたとのことで、作品のことをよく知ってくれていた。

お堂の隣に建つ蔵の前で立ち話したのだが、蔵の下の部分の色が変わっている部分を指差し、「あそこから泥棒が入ったんです」。数年前のその出来事がきっかけで、それまで眠らせていた屋敷を開放して、風を通さなくてはと思ったという。蔵から何を盗まれたのかもわからないらしく、「風穴だけ開けに来たのかもしれませんね」と話す。この建物に人といい空気が集まっている場面に出会えて、とても幸せだった。建物の外観の写真を撮り損ねたのが惜しまれる。


香川といえば、うどん。クルマを走らせて目に留まった「根っこ」というお店へ。わたしは釜揚げを、たまはざるを。「昼どきを過ぎてもこんだけ人が入ってたら、当たりや」と柳生さん。本場でうどんを食べるというだけで、わたしには十分おいしさの条件はそろっている。

食後は高松市内に戻り、柳生さんの親戚がやっているというきらら温泉でひと風呂浴び、マッサージでほぐされる。その間、たまはこんこんと昼寝。目覚めてお風呂に入ると、大浴場に興奮。露天風呂も泡風呂も楽しんだが、調子に乗って風呂から風呂の移動にダッシュし、洗い場の床に勢いよくダイブして大泣きした。あわてて脱衣場に引き上げたが泣き止まず、地元のおばちゃんが「痛かったなあ」と同情してなだめてくれ、「子どもを泣かせたままにしとくと、お母さんの器量が疑われるよってな」とわたしに耳打ち。たまは「たかまつばあば」となつき、「たかまつばあば、おおさかばあばのこと、しってるかなあ」。

畳敷きの休憩スペースで休み、柳生さんの親戚の方とご挨拶。パワフルで強運の持ち主の女主人は柳生さんの叔母さん。「山あり谷あり、わたしの一代記、おもろいよー」。

四国に来たからにはお遍路さんに会いたかったが、車で移動する人がほとんどとのことで、道を歩いている姿は見かけなかった。温泉近くの八十三番札所、一宮寺を訪ねたが、参拝時間が終わっていて、静かだった。その分広々としていて、たまは大はしゃぎ。お地蔵さんがエプロンをしている姿に親近感を抱いた様子だった。

陽子さんに空港まで送っていただき、JAL最終便で羽田へ。ひさしぶりに旅行らしい旅行をして、狭く散らかったわが家に帰ると、なんだか気が抜けつつも、ほっとした。

2008年09月22日(月)  「せつない」が言葉になった、たま2才1か月
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2003年09月22日(月)  花巻く宮澤賢治の故郷 その3


2009年09月21日(月)  小豆島4日目はアートの島「直島」へ

娘のたまが生まれた頃だっただろうか、友人に「すっごくいいよ」とすすめられ、直島のことを調べたことがあった。岡山からさらにフェリー、しかも宿泊施設は限られていて、ほぼ満室。これは無理だと断念し、それから数年、思い出したように小豆島滞在中に日帰り旅が実現した。土庄港からは直行の船はなく、高松に出てから直島行きに乗り換える。高速艇なら乗り換え時間を入れても2時間足らず。

今回お世話になりっぱなしの小豆島の柳生さんのお友だちで、瀬戸内国際子ども映画祭の準備にも関わっている直島の井下良雄さんが船着き場まで出迎え、早速、古民家をアートスペースとして活用している「家プロジェクト」へ案内してくれる。

室内に浅く水を張って発光ダイオードを浮かべ、数字が明滅するアート(その間隔は島民たちに秒数を決めてもらったそう)。碁会所の畳に木でできた花をちりばめたアート。壁の絵が鏡のような床に映りこみ、深い崖の底にすいこまれるような錯覚を覚える「FALLING」というタイトルのアート。

有名な地中美術館へ抜ける山道をたくさんの人が歩いている。ここは竹下通りか、と思うほどの人通り。約4000人の島民に対して、年間の訪問者数は約40万人。今日は大型連休でにぎわい、島民を上回る勢いの旅行客が押し寄せているのだとか。なんにもない山道の途中に突如巨大ゴミ箱が現れる。いたるところにアートがあって、これは楽しい。

地中美術館の整理券待ちの列に井下さんの奥さんが並んでくれていた。朝から女文楽の練習をしてから昼前に並び、17時半入場の整理券を取れたという。9時に並んでも11時入場だったとか。「今日はえらい人や」と井下さんもびっくり。

草間彌生のオレンジかぼちゃに、たまは大興奮。るるぶを見たときから、「ここいく!」と所望していた。「台風のときに流されかけて、大変やった」と井下さん。


井下さんの同級生がやっている山本うどん店は大人気で、ベネッセミュージアムの中にある和食屋に名前を残し、作品を見ながら待つことに。

イタリアから運んだという大きな石のオブジェに寝そべり、建物に切り取られた空を見上げるというアート。雲までなんだか絵画的。

30分待ちのはずが1時間半待ちとなり、メニューは親子丼を残すのみ。小鉢がちょこちょこついて上品な定食といった感じ。食事の前にフレッシュジュースを注文。島にいると、喉が渇く。退屈したたまがぐずると、元保育士というウェイターさんが松葉を持ってきて、あやしてくれる。たまは松葉をひきちぎり、「ちょうちょさんつくるー」と遊びだした。


長蛇の列で入れなかった「家プロジェクト」のひとつ、古い歯科を再生させた「歯医者」。10分待って3メートルというペースだったから、一時間待ち覚悟? 廃屋のような建物が行列に取り囲まれている図もまたアート。「自由の女神みたいなんがおるんやけど、狭いとこに押し込められてるから不自由の女神やー」と井下さん。

港近くにできたお風呂やさん。「アーティスト大竹伸朗が手がける実際に入浴できる美術施設」、その名も直島銭湯「I♥湯」。カラフルなコラージュが楽しい。

右も左もゴテゴテと。色とりどりで何とも楽しい。目を輝かせていると、「いかにも君好みだねえ」とダンナが呆れる。

「中もすごいで」と井下さんに言われ、入浴。大人500円、子ども200円。そして、直島島民は300円。番台のおっちゃんも「I♥湯」シャツを着ている。男湯と女湯の仕切りの上には巨大な象! 浴槽はタイルがコラージュ。サボテンがニョキニョキの温室がのぞめて、作品の中にどっぷり浸れる感覚。

脱衣場のベンチには映像スクリーンが埋め込まれ、トイレもまたコラージュ尽くし。便器と洗面台には中国の骨董のような絵が描かれている。プロデュースはベネッセの福武總一郎さん。アートと生活の融合に脱帽! 散髪屋やマッサージ屋もぜひ作ってほしい。

銭湯から歩いてすぐの港近くには、赤くて大きな草間彌生かぼちゃ。ここは大人気のフォトロケーション。

島のあちこちの触れるところにアートがあり、自分もその一部になれたりする。その感激が口コミで広まって、島に人を連れてくるのかもしれない。「人がいっぱい来よると、年寄りは元気になるし、どんどんええ顔になりよる。みんな家もきれいにしよるし、見られてるゆうのは大事なことや」と井下さん。たしかなセンスと方針を持ったプロデューサーがいれば、宝は磨かれるんだなと感銘を受けた。

帰りは高速艇がなくフェリーを乗り継いで小豆島土庄港に戻り、迎えてくれた柳生さん夫妻に「島勝」という日本料理屋の庭の見える個室で会席をごちそうになる。盛りつけも味もすばらしく、カメラを車に置いてきたのが残念。たまはフェリーから爆睡してたが、ゲストハウスに帰って目を覚ますと、食べきれなくて持ち帰った天ぷらをむしゃむしゃ食べた。

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2006年09月21日(木)  マタニティオレンジ8 赤ちゃん連れて映画に行こう
2003年09月21日(日)  花巻く宮澤賢治の故郷 その2
2002年09月21日(土)  アタックナンバーハーフ


2009年09月20日(日)  小豆島3日目ロケ地めぐり&朝ドラ「つばさ」最終週は「二度目の春」

『ぼくとママの黄色い自転車』ロケ地、小豆島を訪ねて、3日目。今日はオリーブの記念植樹から始まった。映画でも今回の滞在でもお世話になっている柳生好彦さんは小豆島ヘルシーランドというオリーブオイル関連商品を扱う地元企業の会長さん。滞在先のゲストハウスのすぐ隣にオリーブ畑がある。今の季節は苗木を植えるのではなく、すでに根づいた木に土をかけるセレモニー。木の脇に記念メッセージのプレートを立ててくださるというので、「たまえの木」と名付け、「のびのび育て! たまえの木」と願いを込めた。

今はたまの背たけの倍ぐらいの大きさだけど、大きくなると、7〜8メートルほどになるのだという。小豆島の大地に根を下ろした「たまえの木」が枝を伸ばし、実をつけ、のびのび、すくすく育つのを想像するだけでも愉快だ。もう少し大きくなったたまを連れて、大きくなった木を見に来よう。

今日大阪に帰るうちの両親とともに、柳生さんに小豆島を案内してもらうことに。昨日のバーベキューでたまとよく遊んでくれた地元のユウキ君(5歳)とお母さんのミカさんも一緒で、にぎやか。車窓の外を黄色いレンタサイクルが連なって走るのをあちこちで見かける。真新しい車体の黄色が、島の緑に実によく映える。主人公の大志少年を黄色い自転車に乗せたいというのは、わたしのこだわりだったから、映画の中だけでなく現実の光景となったのは、とてもうれしい。

小豆島には農村歌舞伎の舞台が二つ残っていて、神社にしつらえられた舞台だけでなく、そこでの上演も300年あまりにわたって受け継がれているのだという。こちらは肥土山離宮八幡神社。上演は奉納という荘厳な儀式であり、とても神秘的な体験なのだそう。


映画にも登場する棚田は、もうひとつの歌舞伎舞台がある中山の春日神社の近くにあった。

「民俗資料館に興味はありますか?」と柳生さんに聞かれて案内されたのは、閉館となって久しい資料館。同級生のお父様、井口三四二さんが散逸していく島の生活道具を後世に残したい一念で集めた膨大な資料が倉庫に所狭しとひしめきあっている。別名「妖怪の元」と柳生さんが呼ぶ理由を、2日後の22日に知ることになる。

「店台」などと道具のひとつひとつに添えられた味のある説明書きは、三四二さんの直筆。亡くなる間際、柳生さんに資料館を頼むと言い残し、今は柳生さんが管理されているというが、三四二さんの想いを知っているだけに責任は重く、どのような形で公開すればいいのか、思案しているところだという。

美容院の一角を再現したこのコーナー、磨けば面白くなりそう。外観も再現して、フォトロケーションにするとか。

運営していた頃の看板は、今は役目を休んで転がっている。これも骨董の趣。


建物入口に立てられている資料館への想いを綴った看板からも三四二さんのひたむきさが伝わってくる。私財を投げ打ち、膨大な時間を費やし、まさに人生を懸けたのだろう。このまま眠らせておくのは宝の持ち腐れで、宝の山にする手はないものかと考えてしまう。

再びロケ地めぐり。大志(武井証)が自転車を走らせた石畳の道沿いに、大志がママの琴美(鈴木京香)を思い出す夢と、ラストの奇跡が起きる場面に登場する風車があった。宣伝写真の沖田家スリーショットを真似て、家族写真を撮る。

沖田一志(阿部サダヲ)と山岡静子(市毛良枝)が木陰で大志と琴美を見守る大きなオリーブの木は、昭和天皇が植えたものだとか。根元に大きなバッタがいて、恐らく生まれて初めてバッタを見るたまは、飛び跳ねて逃げるバッタをしつこく追いかけていた。

近くには「オリーブ発祥の地」の碑が。101年前、オリーブが根づいたのが、この場所らしい。

「光彩園」のロケ地は、町が運営するスパ施設。

その手前にある「道の駅」では、ハーブを使ったお土産を扱っていて、ホールではハーブのリース越しに「ぼくママ」ミニ展示をのぞめる。

眺めのいい2階のレストランでハーブカレーとフレッシュハーブティーの昼食。カレーは辛口、甘口ともになかなかおいしい。

ポットにびっしり詰まったフレッシュハーブには感激。しかし、店員さんの余裕のなさはハーブがもたらすゆったり感にはほど遠く、受け答えもぶっきらぼうなのが惜しまれる。

たまが出発前に「るるぶ」を見たときから目をつけていた「むらさきのアイス!」が売っていて(ラベンダー味)、オリーブ味とともに食べる。たまは口のまわりをクリームまみれにしながらほぼ一本食べきった。

オリーブ公園を後にし、映画で3歳の大志が「おせんべいのにおい」と呼んだ醤油のにおいがこぼれる醤油工場へ。においと記憶は強く結びつくが、わたしが小豆島で真っ先に思い出したのは、醤油のにおいだった。

続いては、昨日お会いした有本裕幸さんのいる二十四の瞳映画村へ。「魚にえさをやれるんですよ」と有本さんに聞いていたが、シャリシャリに凍ったシャーベット状態の小えびを箸でくずすという豪快な絵付け。タイがジャンプして食いつきにくる。

大石先生と子どもたちの像。Vサインをしている子や手を振っている子……ではなく、先生を相手にじゃんけんをしている。映画を観ていないのに、たまはすばやく理解して、「じゃんけん」とチョキを出していた。

87年公開版の撮影で使われたセットを中心に古い街並が再現され、土産屋などが入っている。校舎の中にはロケで使われたそのままなのか、教室が残っていて、先生になったり生徒になったり。目の前は海で、このロケーションはすばらしい。校舎近くにはボンネットバスがあり、子どもたちがうれしがって乗り降りしていた。

有本さんにおみやげをたくさんいただき、記念撮影。「麒麟麦酒」の前掛け姿。ここの雰囲気にぴったりな「昭和ラガー」というビールがあるのだそう。この空の色、まだ夏のよう。

映画村入口には、ぼくママのチラシが。有本さん、ほんとに熱心に応援してくださってます。


「二十四の瞳」の著者、壷井栄の資料館では、生い立ちをまとめた映像を見ながら、彼女が使っていたというテーブルで葉書を書く。古き良き映画好きなご近所仲間のT氏に高峰秀子版二十四の瞳のポストカードを。切手は資料館で買え、ポストは映画村を出たところにある。
バスの待合室が大きな醤油樽。これ、島の至る所にあれば、小豆島らしくて、観光客に喜ばれそう。

再びドライブして土庄町へ戻り、ちょっと疲れの出たユウキくん親子と大阪へ帰るうちの両親が車を降り、かわりに峰子夫人が合流して、小豆島で売り出し中の「迷路のまち」へ。会長の泊道夫さんは瀬戸内国際子ども映画祭の準備にも関わられているとのこと。待合所にも「ぼくママ」チラシを発見。

泊会長自らの案内で、迷路のまちを歩く。その昔、外からの攻撃をかわすために家同士がスクラムを組むように入り組んで建てられ、路地を三叉路にした結果、迷路のような街並ができたのだという。

上から見ると、重なり合うようにひしめく屋根は、歯並びの悪い歯のようでもある。

その眺めは、西光寺の三重の塔から見たもの。正面の本殿(?)に地下に入る道があり、壁を触らないと方角を見失うほどの闇を抜けると、突如オレンジの光に包まれ、見ると、淡いぼんぼりの光が両側の鏡で無限に続いていて、その光に反射的に救済を感じるという幻想的な体験ができる。その脇の階段をずんずん登っていくと、三重の塔のてっぺんに出て、迷路のまちを見晴るかすことができるのだった。

横から見ると十字架の形に見える隠れキリシタンのものらしい墓などを見ながら、迷いそうな路地を幾度も曲がり、「咳をしても一人」の尾崎放哉の記念館へたどり着く。すでに閉館時間となっていたが、記念館の前にある現役の井戸にたまは大喜び。「いれものがない両手でうける」は小豆島で作られた句だそう。迷路のまちを知り尽くした泊さんの解説のおかげで、何気なく歩いていたら見落としそうな見どころをたくさん拾わせてもらった。

朝から柳生さんにつきっきりで案内していただいたが、夜は長男夫妻に食事をごちそうになる。刺身、天ぷら、西京焼、そうめんなど、地元の幸をたくさんいただく。長男さんは妖怪の絵を描く「絵描鬼」で、柳生忠平の名で活動している。この名前が呼びやすく、たまもすっかり「ちゅーべー」となついたので、わたしもそう呼ばせていただく。

同じブランドの自転車に乗っていたのが縁で陽子さんが声をかけたという馴れ初めはドラマに使えそうだけど、その出会いがなくても一週間後に同じイベントで会うことになっていたとは、まさに運命。もうひとつ驚いたのが、京都で学生時代を過ごした陽子さんが、わたしが下宿していた女子寮の名を「聞き覚えがあります」と言い出し、「下宿先の候補として見に行きました」。おっとりした品のある口調で「トイレやお風呂が共同のところがよかったんです」と言い、本当は吉田寮に憧れていたというから、なかなかユニーク。妖怪との親和性も高そうだ。

話が弾んだので、ゲストハウスまで送ってもらったときにお茶していきませんかと誘う。ドアの前に紙袋が置かれていて、見ると、昼間一緒だったユウキくんとお母さんからおもちゃの差し入れだった。「小豆島滞在中お使いください」とメモが添えられていた。その中に、わが家にもある「水でお絵描きセット」を見つけて、早速お絵描き大会。忠平画伯が妖怪風のたまを描いてくれた。陽子さんも絵が上手。ここでは「幽霊が見える、見えない」話で盛り上がった。

こうして、盛りだくさんな小豆島3日目は終わった。

盛りだくさんといえば、明日からいよいよ最終週の「つばさ」は最後までネタ切れ知らず。主題歌のタイトルでもある「二度目の春」の意味は? 主題歌の歌詞と物語のシンクロというのも新鮮だけど、頭の何週分かの台本を読んでこの歌詞を作り上げたアンジェラ・アキさんはタダ者ではない。演出は1〜3週、6週(斎藤と加乃子)、10週(紀菜子あらわる)、14週(大衆演劇)、16週(台風)、19週(ビバマリア)、24週(千代と加乃子和解)のチーフディレクターの西谷真一さん。目を離さず、ハンカチも手放さず、ラスト6日間お楽しみください。ファン掲示板へも感想をお寄せくださいね。

2003年09月20日(土)  花巻く宮澤賢治の故郷 その1


2009年09月19日(土)  小豆島2日目『ぼくママ』上映会

虫の声を聴きながら眠り、海からの陽射しに朝早く目覚める。島の朝! 7:30のBS hi(東京のわが家では映らない)と7:45のBS2、8:15の地上波で「つばさ」第25週の結末を観る。大画面のハイビジョンで観る冨士さんは、ど迫力。


朝食はベランダで。海まで遮るもののない眺めが何よりのごちそう。水着に着替えて海まで行き、誰もいない浜辺を一家で独占して水と戯れる。

海が大好きなたまは、おおはしゃぎ。でも、唇が紫になり、海から上がると震えていた。

午後からは今回の旅行のメインイベントである『ぼくとママの黄色い自転車』上映会。その前に、柳生さんの車で、船着き場横にある「二十四の瞳」像を見に行く。昨日着いたときは気づかなかった。若い女性二人組に「録ってください」と頼まれてシャッターを切ると、「今の人は小豆島を舞台にした映画の脚本を書かれた方です」と柳生さんが教えたので、「今日上映会があります」とチラシを渡す。

たまは船に興味津々。写真はたまが撮ったもの。


上映会会場の公民館近くの天ぷら屋さん「幸宝」でお昼をごちそうになる。今日高松で次回作がクランクインした井口喜一プロデューサーも合流。天ぷらに行き着くまでに出される一品一品が感動もの。「こちらはフグです」と説明され、「え! これが!」と驚いたのは胡麻豆腐(フグのフォアグラか!と早合点)だったが、胡麻豆腐もフグも舌でとろけて口福〜。満を持して登場の天ぷらは、衣の軽やかなサクサク感が秀逸。きす、えび、あなごなど、衣に閉じ込められ、揚げられると、海鮮の新鮮さが際立つ。今朝もぎたてといういちじくの天ぷらが珍しく、サクッ、ジュルッといただく。

途中、たまが拳を天つゆに突っ込んで母娘で天つゆまみれになる事件があった。その瞬間、頭に思い浮かんだのは、舞台挨拶どうしよう!だったが、すぐに水洗いすると、まったくしみは残らず、ワンピースの布地が薄いので自然乾燥で乾いた。たまはせっかく映画にちなんで黄色いワンピースを着てきたのに、着替える羽目に。

14:20からの2回目の上映の20分ほど前に公民館に着くと、長蛇の列! 岡山から駆けつけた今井雅子ファン第一号の「岡山のTOM」さんと一年半ぶりに再会。岡山産マスカットを求肥で包んだ「陸乃宝珠」(「珠」の字が入っているのがポイント)という源吉兆庵のお菓子をお土産にいただく。

1回目の上映を終えて出てきた人たちが2回目をこれから観る知り合いに「よかったよ」などと笑顔で声をかけていく。1回目、2回目ともに300人を超える人が観てくれたそうで、これは島民3万人あまりの2%に相当する数。全戸に配布したチラシには、わたしが舞台挨拶する旨も記されていた。

1回目を観ていたわたしの両親は、舞台挨拶を見るため、会場に残っていた。高松に住む母のいとこが友人を誘って1回目を観にきてくれていた。わたしが会うのは初めてらしい。映画のおかげで、いろんな人に会える。

入れ替えに時間がかかり、10分押しで小豆島町長、土庄町長、井口さんとともに舞台挨拶。小豆島の風景をお借りしたお礼、16年前に小豆島に来たこと、原作との大きな違いである黄色い自転車が島の緑に映える姿を見て感激したことなどを話す。映画の終盤で感動していただけたなら、その半分は小豆島という場所の力だと締めくくった。小豆島町長さんは小豆島観光協会の会長でもあり、ぼくママのプロモーションにもご尽力いただいた様子。恰幅のいい堂々たる風貌の土庄町長さんはユーモラスな語り口。このお二人とご挨拶しそびれてしまったのが残念。慣れた名調子で司会進行をされた「二十四の瞳映画村」の有本裕幸さん、上映会を主催された高松の映画館ホール・ソレイユ支配人の岡雅仁さんとはご挨拶できた。

いよいよ地元での本編鑑賞。スクリーンで観るのは、初号試写、完成披露試写、キャリアマム試写会、親子試写会に続いて5回目。地元ならではのあたたかな期待感が客席を包み、とてもいい雰囲気。小豆島の場面に差しかかると、おなじみの場所が画面に現れるたびに「おお」とどよめきが起こる。「おお?」とハテナや笑いが混じるのは、大志が自転車で移動する距離への突っ込みらしい。それもまた微笑ましい感じがして、ああ小豆島で観ているんだなあと実感できた。映画が終わると自然に拍手が起こり、ありがたい気持ちでいっぱいになった。出口で「ひさしぶりの映画で、いいものを見せていただきました」と地元の女性に声をかけられる。小豆島には映画館が一軒もないので、今日の鑑賞がひさしぶりという人は多かったのかもしれない。

「ぼくまま、みるう」と心待ちにしていたたまは、犬のアンが出てくるたびに喜び、終盤まで集中して観てくれ、エンジェルロードを見届けたあたりでコテッと寝た。舞台挨拶も印象に残ったようで、「ママの こえ きこえたよ」とうれしそうに言い、「また しょうどしま いって ぼくまま みるう。ママの こえ きくう」。保育園でも小豆島へ行くことを「ぼくまま いく」と先生たちに言っていたから、たまにとって、「小豆島=ぼくママ」らしい。

わたしたちが泊めていただいているゲストハウスに移動し、映画の関係者の方やご近所さんも集まって、柳生さん主催のバーベキューパーティ。あなごやサザエなど海鮮も豪快に。

お刺身もあふれんばかりの歓迎の意を表しているかのよう。二十四の瞳映画村の有本さんに、つくだ煮京宝亭支配人の川原英治さん、オリーブ園営業部長の永井順也さん、寒霞渓ロープウェイ営業課長の高橋俊司さんを紹介していただく。皆さん、小豆島観光協会の活動に携わり、ぼくママ公開に合わせて小豆島PRに奔走されたとのこと。公開初日に東京バルト9でオリーブ石鹸が、大阪ブルク11でつくだ煮が配られたのは、そういうわけだった。

初めて会う方ばかりだけれど、話題に困ることはなく、心地よいひとときを過ごさせていただく。わたしのありふれた顔は、初対面の人に「どこかで見たことがある」「知っている人によく似ている」と言われることが多く、今宵もそうだったが、そのおかげで、するりと小豆島の人の輪になじませてもらった気もする。「集まった人たちがそれぞれ気の合う人を見つけて、そこから交流が始まるのお見るのが好きなんですよ」と柳生さん。映画は人と人をつなげる天才だけど、柳生さん自身もそうで、映画と柳生さんが出会った「ぼくママ」は愉快な縁に恵まれている。

2008年09月19日(金)  広告会社時代の同期会
2004年09月19日(日)  2代目TU-KA


2009年09月18日(金)  高松うどん&小豆島1日目

『ぼくとママの黄色い自転車』上映会を目当てに、今日から小豆島で遅い夏休みを取ることに。娘のたまが生まれてから、大阪の実家に帰るか、近場の海へ出かけるぐらいで、一家で長期旅行に出かけるのは、初めて。昨夜、荷造りをしながら、たまは「あした、りょこう。あした、りょこう」と創作ダンスを舞い始めた。


飛行機で高松入り。香川出身で映画『UDON』(脚本は「つばさ」の戸田山雅司さん)を作ったうどん通の本広克行監督に教えてもらったおすすめ店のうちひとつ、「さか枝」が、県庁公園近くにあり、高松駅行き空港バスを途中下車して5分ほど歩く。おひるどきで店の外まで行列。黙々とうどんをかきこむ人々の静かな迫力に威圧される。注文、会計はどうするのか、異国に舞い込んだようにドギマギ、モタモタ。3人分で1000円足らず。しっかりしたコシのある麺で、たまは「小」ざるうどんでは足りず、わたしの分を横取り。わたしは甘い豆の天ぷらを気に入る。本場の雰囲気にのまれながら食べる醍醐味が何よりのスパイス。

大通りを1キロあまり歩き(歩くと何か楽しい発見があるかと期待したが、商店街は脇にそれたところにあったらしい)高松港へ。チケット売り場には「ぼくママ」マップ。高速艇で小豆島土庄港に着くと、「ぼくママ}のぼりと映画で使われたのと同じ黄色い自転車がお出迎え。さらに、映画公開を記念して始まった黄色いレンタサイクルも。このあと、小豆島滞在中に島のあちこちで黄色い自転車を見かけ、そのたびに映画が島に新しい風を起こしているようで感激した。


映画製作と宣伝に多大な協力をしてくださった小豆島ヘルシーランド会長の柳生好彦さんが港まで出迎えてくれ、ゲストハウスに案内される。東京のわが家の何倍もの広さと窓の外は海という絶好の眺めをたたえたこの家が小豆島滞在中の宿。柳生さんの奥様の峰子さん、長男のお嫁さんの陽子さん、次男のお嫁さんの希保さんを紹介される。オリーブオイル効果か、皆さんお肌がつやつや。

上映会に合わせて大阪の両親も泊まりがけで来ていて、宿泊先の小豆島国際ホテルへ会いに行く。偶然にも、わたしのチョコレート名刺やいまいまさこカフェのチョコ壁紙を作ってくれた広告会社時代の先輩、古川ジュンさんがエンジェルロードの広告でお仕事していたのが、このホテル。ここの社長さんに「小豆島が舞台の映画を作った」と「ぼくママ」を紹介された古川さんが、「この脚本書いたの、知り合いですよ」と話してつながり、世の中狭いなあと驚いたが、うちの両親がこのホテルを選んだのも何かの縁。ホテル前には黄色いレンタサイクルがあり、ロビーにも宣伝スペースが設けられていて(写真を撮りそびれて残念)感激。

映画にも登場するエンジェルロードは、ホテルの目の前。客室からは潮の満ち引きで道が現れたり隠れたりするのをのぞめるらしい。ちょうど潮が引いているときで、歩くことができたが、たまは「みずが あがってくるよう」と怖がり、小石を積み上げるという不思議な行動に出た。何か神懸かり的な空気が宿っている場なのだろうか。



エンジェルロードの突き当たりに生い茂る木に、実のようなものがたわわについている。近づいてみると、ハート形の絵馬がたくさん! 


夕食は、宿泊客と同じものを出してもらう。海の幸の新鮮さに目を見張り、頬張る。宿泊しないわたしたち一家は小豆島在住の人だと思われたようで、料理の説明をするたびに「地元の人はよくご存知でしょうけど」と言われ、東京から来ましたと修正するチャンスがないままそうめんまで食べてしまった。

食事中も相手を変えては探険に出かけていたたまは、食後はロビーの外のライトアップされた芝生で大はしゃぎ。うちの両親が会うのは1月以来だから8か月ぶり。あまり孫に執着がなく、大阪に帰ってこいとも言わない人たちではあるが、「たまちゃん、元気やなあ」と面白がっていた。小豆島で落ち合うことにして良かった、と延々と芝生を走り回るたまを見て思った。

2008年09月18日(木)  マタニティオレンジ333(最終回) 魔の二歳児 魔法の二歳児
2005年09月18日(日)  和歌山・串本の干物
2004年09月18日(土)  愛以外は証明できる宇宙飛行士
2003年09月18日(木)  夢も人もつながる映画『夢追いかけて』
2002年09月18日(水)  月刊ドラマ


2009年09月15日(火)  読書の秋! amazonの本全品送料無料

3日で3冊を読んだことを先週水曜の日記に記したが、その翌日の木曜には道尾秀介さんの『シャドウ』を読んだ。先月読んだ『Story Seller(ストーリーセラー)』という人気作家の競作短編集の中で、表題になった有川浩さんの作品と道尾さんの『光の箱』が飛び抜けて面白かった。有川さんは『阪急電車』が去年読んだベスト3に入るほど気に入ったけど、このところ日曜版の書評でこの人の名前を見ない週はないほど話題作を連発している道尾さんの本は読んだことがなかった。

作者の筆力が仕向けた人物を犯人だと怪しんだので、ラストで全容が明かされたときは、やられたと思ったが、振り返ると、ミスリードのための意図があからさまにわかる部分もあり、無理がないことはない。だけど、まんまと騙される快感をひさしぶりに味わえた。『葉桜の季節に君を想うということ』(歌野 晶午)や『倒錯のロンド』(折原一)などの叙述トリックものに一時期はまったけど、素直に思い込むクセのあるわたしは、いつも作者の狙いに見事に引っかかる。

土日で『やさしい訴え』(小川洋子)を読み、昨日は夜中に起きだして『素人庖丁記』(嵐山光三郎)を読んだ。どちらの作家も何を読んでも外れなし、ページを開いているだけでウットリとなれる。小川さんの美しい文体は繊細な旋律のようだと思うことがあるけれど、今回はチェンバロという楽器を真ん中にした男女三人の話で、チェンバロは嫉妬の対象にもなり、秘めた愛の目撃者にもなり、いっそう深い響きと余韻を物語にもたらしている。

嵐山さんの食べものへの造詣の深さと飽くなき好奇心は、『文人悪食』などからもうかがえたが、好奇心の赴くまま素人包丁をふるい、尺八の竹を煮物にするチャレンジ精神には恐れ入った。病院食にうんざり、ぐったりしていたのに、差し入れのステーキ400gでみるみる回復という逸話もこの人らしい。人生の最後を飾る「死期の献立」についても真剣に論じ、正岡子規が死の前年から36歳(若い!)で亡くなるまで、病人とは思えない食欲で延々食べ続けたものを記録した日記(『仰臥漫録』として岩波文庫から出ている)を紹介している。食べることは生きること、食欲は生命力だとはよく思うけど、命を削ってまで食べる壮絶な生き方もあるのだ。

子どもが寝静まった深夜は本の世界に入り込むのに打ってつけ。真夜中の読書も快適な涼しさとなり、読書の秋だなあとしみじみ。2日に一冊ぐらいのペースで読んでいけたら、言葉銀行の充実をはかれそうだ。コピーライター時代の先輩が「わたしたちの仕事は言葉を捻り出すことだけど、出すばかりだと枯渇するよ」と警告してくれたのを思い出す。折しもアマゾンから「本全品送料無料キャンペーン」(11/4まで)のお知らせが届いた。1500円以上送料無料もすばらしいが、一冊でこの金額を超えるのは難しく、いつも余計な買い物をしてしまうのが難点だった。この機会に今井雅子(いまいまさこ)の関連本を求めてみるのも、よろしいかと。

2008年09月15日(月)  「第2回万葉LOVERSのつどい」でますます万葉ラブ!
2002年09月15日(日)  パコダテ人P面日記 宮崎映画祭1日目


2009年09月14日(月)  ヘッドスパとジェルネイルのビューティサンデー

先日髪を短くしたら、先っぽに残っていたパーマ部分が切り取られて、途端にまとまりがつかなくなった。前回は半年以上の間が空いたけど、今回は一か月も経たないうちに昨日、美容院へ駆け込んだ。担当の美容師さんが新規開店した系列店に移ったばかりで、お店はお祝いのお花だらけ。ヘッドスパとパーマを組み合わせたコースの割引券が案内葉書についていたので、ヘッドスパを初体験する。ここのお店はハンドマッサージでリンパの流れを良くするやり方。抱き枕のようなものを抱えながら、20分ほどもまれた後、じっくりシャンプー。ユーカリ配合とのことで、マッサージ剤もシャンプーもスースーして気持ちいい。わたしの頭皮は血行が悪いため赤みがかっているらしいが、何度かヘッドスパをすると、理想的な青白い地肌になるらしい。「自分の頭皮って見る機会ないですからねえ」と話す。

夕方からは、友人せらママの家でジェルネイルを初体験。先日、娘の星良ちゃんの中学校の宿題でインタビューを受けたとき、せらママもわが家に来たのだけど、せらちゃんのインタビューよりせらママの人生相談が主役になった。娘たちが大きくなって子育てにかけていた時間がずいぶん浮き、それをどう使えばいいのかしら、と迷っている様子だったので、「技術を身につけるとか、磨くとか、自分も楽しめて、人とも分かち合えるような生産的なこと」をおすすめした。たとえば、趣味のキャンドル作りと仕事の英語教室を組み合わせて、親子で楽しめる英語キャンドル作り教室を開く、そのための準備をするなど。

思い立ったら即行動するせらママは、その夜、早速新しいキャンドルの先生を見つけて教室を申し込み、さらに前から興味のあったジェルネイル講座を受講。自宅でジェルネイルができるキットとその使い方を取得したので、「今井さんの爪で練習させて」というわけだった。

ちょうど今度の週末に『ぼくとママの黄色い自転車』上映会に合わせて小豆島へ行くので、「黄色い爪で上陸だ!」作戦と銘打ち、せらママは数日前から黄色いジェルネイルを試行錯誤。アクリル絵の具をジェルに混ぜて黄色を出すのだけど、だまになったり、固まらなかったり、なかなかうまくいかない。二人で相談して、「クリアジェルに黄色いパーツを貼り付けて黄色感を出す」方針に。

甘皮処理に始まり、ベースのジェルを塗っては紫外線で固め、パーツを乗っけては固め、上にジェルを重ねてはまた固め……フルーツのまわりにゼリー液を流し込んで冷蔵庫で固め、ゼリー寄せを作るような感覚。レモンの他にライム、ピンクグレープフルーツ、スイカを組み合わせて、今から夏が始まりそうなトロピカルな爪になった。

昔、留学時代の友人ミカコの従妹にヒロコちゃんというネイルアーティストがいて、ミカコの家でよくネイルアート会を開いた。ネイルをしながらとりとめのない話をするのが楽しくて、ネイルを挟んでのおしゃべりは女の子の特権だなあと思った。時は移り、話題の中心は子育てだけど、2時間がかりでネイルを仕上げる間、せらママとじっくり話すことができた。

わたしがネイルをしに行くことを話したわけでもないのに、土曜日の夜、お客さんからもらったお絵描きセットで、たまは爪に色を塗りだして、「ネイルアート〜」とうれしそうに見せに来た。ネイルアートなんて言葉、わたしが教えたんだっけ。たしかに、足の甲まで色にまみれて、これはこれで前衛アートになっていた。

2008年09月14日(日)  降雪確率100%の「ハーベストの丘」
2003年09月14日(日)  ヤッシー君、地震を吹っ飛ばす!
2002年09月14日(土)  旅支度


2009年09月13日(日)  朝ドラ「つばさ」第25週は「最後のラブレター」

先日の昭和芸能舎公演『長ぐつのロミオ』は六本木のディスコが華やかさを競っていた時代が舞台だった。一緒に観に行ったヤマシタさん、アサミちゃんに「ヴェルファーレで松田聖子に間違われた事件」を話すと、勘違いのスケールの大きさに受けていた。正しくは「松田聖子に間違われたと思い込んだ事件」である。詳細を記した日記にも書いたが、おめでたい性格ゆえに、物事を前向きにねじ曲げて解釈する傾向があり、ありえない勘違いをしでかしてしまう。

最近では、「つばさ」の資料を届けた宅配便のお兄さんが、封筒に「つばさ」のロゴのスタンプが押されているのを目に留めて、「ひょっとして、関係者ですか?」と声を弾ませたときのこと。「ええ、まあ」と答えると、「ひょっとして、出演されているんですか?」。まあわたしって女優に見えるのかしらと自惚れたのと、お兄さんが言葉を続けたのがほぼ同時で、「そちらのお嬢さん」とわたしが手を引いていた娘のたまに目をやった。「いえ、違います」と言うと、「そうですか。いやーお嬢さんが出ているのかなって思いました。かわいいし」とお兄さん。娘じゃなかったらわたしが出ているとは思わなかったらしい。

宅配便の勘違いといえば、学生時代、関西ローカルの「ナイトinナイト」に「公募名人」としてゲスト出演した翌日のこと。荷物を配達に来たお兄さんがわたしの顔を見るなり、「昨日、桂三枝さんとテレビ出てはりましたよね?」と興奮した声を上げた。「観てはりました?」「観てましたよー。うわ、びっくり、本物やわ」とひとしきり盛り上がった後で、「サインください」とお兄さん。いやん、すっかり有名人やんと舞い上がり、「どこにサインしましょ?」と聞くと、「ここにお願いします」とお兄さんは伝票の受領欄の小さい四角を指差した。

……とまあ思い込みの激しさでは武勇伝に事欠かないけれど、最近思うのは、「思い込み」と「決めつけ」は違うということ。自分の価値観、許容範囲からはみ出したものに遭遇したときに、受け入れる余地があるかどうか。その間口は、大きいほうではないかと思う。インド人を幼なじみに持ち、アメリカの高校に留学した経験から、肌の色や言葉が違っても人間はわかりあえるという感覚が育ったし、応援団や広告代理店での波瀾万丈な日々からは、どうにもならない状況にも突破口はあることを学んだ。完璧な人はいないし、完璧な人生なんてない。その事実を受け入れた上で、どれだけ歩み寄れるか、積み上げられるかを探る姿勢に希望は宿るのだと思う。

明日からの「つばさ」第25週では、ラジオぽてとと城之内房子(冨士眞奈美)の対立が激化。欲しいものを手に入れるためなら手段を選ばない房子とわかりあえる道を探るつばさ。絵本『まじょのなみだ』に加乃子が付け足したハッピーエンドのように、みんなから怖れられる魔女の素顔は、みんなとつながりたい淋しがりやなのかもしれない。果たして、つばさは、房子は、どういう答えを出すのか……。24週に続けて「脚本協力 今井雅子」のクレジットが毎日出る増量週間。演出は初登場の松園武大さん。タイトルの「最後のラブレター」にちなんで、台本のお供はハートで描かれたラブレターを。いろんな形で愛をふりまいてきた「つばさ」も、25週を終えると、残すは最終週のみ。ラストまで休むことなくで精力的に進化を続ける公式サイトにもご注目。ドラマが二倍面白くなること請け合い。公式掲示板にもぜひ感想を書き込んでくださいませ。

【お知らせ】魔女田さん、NHKラジオに40分出演

日本イラン合作映画『風の絨毯』でご一緒して以来のくされ縁で、瀬戸内国際子ども映画祭の準備にも一緒に関わることになった平成の錬金術師、魔女田さんこと益田祐美子さんよりラジオ出演のご案内。

9月17日(木)NHKラジオ第一放送 どきめきインタビューのコーナーで10時から11時45分ころまで「主婦からプロデユーサー 4本目の映画「築城せよ」現在公開中!」(仮)という題で40分間おしゃべりします。また、5作目の映画(ドキュメンタリー)準備中と瀬戸内国際こども映画祭・綜合プロデユーサーについても最後で少し触れる予定です。

とのこと。肩書きのプロデューサーが「プロデユーサー」になっている(dhuで「デュ」と打つ術を知らないから?)のがお茶目。「どきめきインタビュー」と案内にはあるけど、正しくは、「ラジオビタミン」という番組内の「ときめきインタビュー」コーナー。でも、魔女田さんの爆弾発言にはらはらどきどきで、どきめきになるかも。「NHK側は 放送禁句用語をなるべくしゃべらないようとのこと。心がけます」と益田さん。その昔、NHKの地方局でラジオのパーソナリティをしていた益田さんは、中継でレポーターが「男性の身体のとある部分をかたどった氷」の話題を紹介したとき、スタジオから「その氷、なめると大きくなるんでしょうか」と思ったまんまの天然ボケ発言を放送に乗せた前歴がある。でも、益田さんのぶっとびリアクション以前に、中継で取り上げたのも意欲的。どきめきインタビュー、何が飛び出すか、乞うご期待。「10時から11時45分頃まで」「約40分間」というのも矛盾しているので「10時45分頃まで」が正解?

2008年09月13日(土)  大阪・北浜『五感』のVIPルーム


2009年09月12日(土)  「ツジモトは約束を守りますか?」の会

学生時代からの友人で新聞記者のウヅカ君が海外特派員になる夢を叶えてイランへ赴任することになり、共通の友人であるセピー君とツジモトさんも招いて、わが家で送別会を開く。うちのダンナを加えた男性四人は日本人と留学生がともに暮らす寮に下宿していた仲間で、寮の近所に住んでいたわたしは、ちょくちょくパーティに顔を出していた。


主役のウヅカ君が持って来てくれたケーキのメッセージは「たまちゃんもがんばってね」。期待以上に不安も大きかろうが、そこには心強い仲間の支えがある。ツジモトさんはウヅカ君にイラン駐在の役人を紹介し、お父さんの母国イランで生まれ育ち、大学でペルシャ語を教えるセピー君はウヅカ君に個人レッスンで仕込んでいるところ。その寮の出身者の世界を股にかける活躍とネットワークは大したもので、国に帰った留学生たちは、国家の要職に就いたり、大臣クラスの通訳になったり、それぞれの国を背負う人材になっている。

ウヅカ君とセピー君が実践しているのが、「ツジモトは約束を守りますか?」「ツジモトは来ますか?」などと例文の三人称を「ツジモト」にする方法。親しみが湧くのか、頭に入りやすく、驚異的なスピードで習得しているのだという。「通常ペルシャ語の文法を教えるのに一年はかかると思ってたけど、2か月でできることがわかった」とセピー君。

「ちょっと、人を勝手に例文にしないでもらえる?」とツジモトさんが反論。最年長のツジモトさんは同級生であるわたしたちより3つ上で、優秀な成績でキャリア官僚に合格し、尊敬を集めていたはずなのに、いつの間にかいじられ役に没落してしまったことが解せない様子。朝ドラ「つばさ」にわたしが関わっていることを知らなかった、というネタでもさんざん攻撃を浴びる。たしかにドラマが始まったときに「元キャリア官僚が重要な役割で登場します」と案内を送り、返事ももらっていたはずなのだけど、「官僚、官僚と言うな」のようなとんちんかんな返信だったから、内容を理解していなかったのかもしれない。

「つばさ」を一度も観たことがないとツジモトさんが言うので、「朝何時に家を出てるんですか?」と聞くと、「7時」。居酒屋タクシーにも乗らず、終電までこつこつ働いているという。「ちょうど今からやるので観ましょう」と夜7:30からの再放送をつけると、「アンジェラ・アキさんという人が主題歌を歌っているのか? この人はグループ?」。「これが経済産業省出身の真瀬さんですよ」と画面を指差したが、宅間孝行さんの顔は知らず、ヒロインの多部ちゃんのことも知らなかった。

いきなり土曜の回を見せられてもちんぷんかんぷんだったようだけど、クレジットにわたしの名前が出たことには興奮して、「すごいすごい」と半年遅れで喜んでくれた。「反響は賛否両論まっ二つなんですよ」と言うと、「法案でも議論を呼ぶほうがいいんだ。何にも引っかからない当たり障りのないものより、意味がある」と熱く語っていた。帰り際、「つばさ、観ます!」と力強く言ってくれたけど。来週から出勤を遅らせるのだろうか。ツジモトは約束を守りますか?

2008年09月12日(金)  キューバ帰りのクラシゲ嬢
2006年09月12日(火)  マタニティオレンジ7 おなかの赤ちゃんは聞いている
2004年09月12日(日)  黒川芽以ちゃんのTシャツ物語
2003年09月12日(金)  ビーシャビーシャ@赤坂ACTシアター
2002年09月12日(木)  広告マンになるには


2009年09月11日(金)  押上のスパイスカフェに迷い込む

昨年5月、南インド料理のダバインディアでカレー三昧した帰り、一緒に行ったヤマシタさんが言った。「押上にSpice Cafe(スパイスカフェ)っていうむっちゃいい店があるんです。次はそこ行きましょう」。その後なかなかカレーを食べに集まる機会がなかったのだけど、今宵宿願を果たす。メンバーはダバインディアのときと同じくヤマシタさんとアサミちゃんとわたし。今週火曜に昭和芸能舎のお芝居を観たのも、この三人。会えるときは、続けて会える。

CMプロダクションで働くヤマシタさんは、アサミちゃんとわたしがマッキャンエリクソンという広告会社で働いていたときにアサミちゃんと同じ得意先を担当していた。この三人を今もつなげているのは、芝居好きとカレー好きの縁。ヤマシタさんは演劇フリーペーパープチクリの編集人の一人で、アサミちゃんがレイアウトをやっている。その打ち合わせで顔を合わせるたびに「また今井ちゃんに会いたいねえ}と二人で噂してくれているらしい。

さて、押上駅から歩くこと10分強。通り過ぎても気づかないようなひっそりした佇まいのお店は古い木造アパートを改造したもの。木のぬくもりに迎えられ、東京にいるのに旅先の遠い町にいるような錯覚を覚える。先日、東京カリ〜番長の水野仁輔君に「今度スパイスカフェに行くんですよ}と言ったら「日本人で本格的なカレーをやっている希少なお店です」と大絶賛していたので、味にも期待が高まる。

「前菜1種類、カレー1種類、デザート2種類、飲み物」で2500円のコースを二つと「前菜2種類、カレー3種類、デザート3種類、飲み物」で3500円のコースを一つ注文。これでカレーは全5種類、デザートは9種類中7種類を制覇できることに。前菜は「本日の5品盛り」を各自注文して、もう自家製ソーセージを分け合う。シェフは地中海料理出身だそうで、見た目も美しく上品な味わいで、シードルによく合う。

白ワインとともに、メインのカレーは定番のマトン、チキン、野菜、トマトと日替わりのドライカレー。マトンはまったく臭みがなく、どれも素材の味わいが上手に引き出されている。ごはんを大盛りにしたらとんでもない量が皿に盛られてきて焦ったが、しっかり平らげられた。

デザートは別腹。バナナのムースといちじくのタルト、チョコレートのタルトとヨーグルトムースとカスタードプリン、ぶどうのゼリーと大葉と柚子のシャーベット。インド料理屋のデザートと言うと、お米のプリンなど何ともいえないメニューに遭遇することが多いけど、これだけデザートが充実しているのはうれしい。

併設のギャラリーでは明日から始まる「琉9典子展〜かさなるかたち〜」(27日まで)の版画が飾られ、作者の琉9典子(りゅうきゅうてんこ)さんとお話しできた。名前から察する通り沖縄からやってきたという。静岡出身、東京を経て、今は名護に暮らしているそう。「都会の那覇よりも名護のほうが沖縄らしい」「地図のくびれの上と下で人柄が変わる」など興味深い話をにこやかに、ふわふわと。「困ったときに手を見てしまうのは、こまって、の『て』だったんだ!」というのが最近の大発見だったそう。サイトのエッセイも不思議な詩のような味わい。

建物を出て、小径を抜けて通りに出て振り返ると、やはりそこに店があるとは気づかない。今のは夢か幻か、明日来たらそこにはもう何もないのかもしれない。そんなことさえ思わせる時間が流れていた。でも、歩いても歩いてもずっしりとおなかに詰まったごちそうの存在感が、夢じゃなかったんだよと教えてくれる。

2008年09月11日(木)  フォトグラファー内藤恵美さんの写真
2007年09月11日(火)  マタニティオレンジ175 母娘漫才
2006年09月11日(月)  マタニティオレンジ6 予定日過ぎても踊れます 
2005年09月11日(日)  ZAKUROの2階のZAM ZAM
2004年09月11日(土)  感動の涙が止まらない映画『虹をつかむステージ』
2003年09月11日(木)  9.11に『戦場のピアニスト』を観る

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