「プロポーズ・アゲイン。」というプラチナの新聞広告にあった「よい夫検定」の問題。「初めてのデートの場所は?」とダンナに投げかけると、「うるさい」と答えが返って来た。ど忘れよりもタチが悪い。落第者は妻にプラチナを贈って出直しましょう。宝石にあまり興味がないわたしは、プラチナよりもプラスティックのほうが好みだけど。
かつての恋人は妻という名の家政婦となり、今や母という名の乳母も兼ね、恋は遠い昔に置き去りにされている感がある。結婚何年目かのある日、突然「いとおしい」と言われて頬を赤らめたら「うっとうしい」の聞き間違えだった。ずっと恋していたいわたしには淋しいことだけど、結婚とは生活の重力に引っ張られて地に足をつけていくことなのかもしれない。せめて恋の時代を通り過ぎても、別な形の愛情に置き換わっていることを願う。
家族は愛情が前提の単位だから、それを失った相手のために食事をこしらえたり洗い物をしたりするのは苦痛になる。給料の出ない家事という奉仕にどれだけ前向きに取り組めるかは、家族への愛情のバロメータになるかもしれない。
わがダンナは家事逃れの天才で、「君の入れてくれた風呂が好きだ」とのたまってまで風呂掃除を押しつけようとする。「君の入れてくれた珈琲が好きだ」なら乗せられて一杯煎れるけれど……。「わたしが食事を作ったんだから、あんたがお皿を洗ってよ」と言うと、「君が汚したんだから,君が洗ってよ」と言い返され、憤怒のあまり絶句したこともある。お風呂もお皿も洗い物はダンナという結婚当初の約束は、「聞いてない」。以前、夫婦で大石静さんにお目にかかる機会があったとき、ダンナは「武士」というありがたいあだ名を頂戴した。
子どもが生まれてからも武士ぶりは健在だったけれど、最近変化が現れだした。お手伝いも遊びになる娘のたまに巻き込まれる形で家事に手を出すようになったのだ。洗濯機から洗濯物を運び出すリレーごっこやお風呂ゴシゴシごっこを父娘で楽しそうにこなしている。
感謝や思いやりがあれば夫婦はやっていけると聞くけれど、毎日顔を合わす相手に興味を抱き続けられるかどうか、これがすごい挑戦なんじゃないかと思う。感謝や思いやりを向けることは努力で何とかなっても、関心をコントロールするのは難しい。ダンナとは知り合って人生の半分ぐらいになるけれど、これだけ一緒に過ごしてきても、初めて知る一面があるのが面白い。「子はスパイス」だと思う。
さて、今日の日記の内容にも関連して、宣伝をひとつ。9月27日公開の映画『最後の初恋』の劇場用パンフに今井雅子のエッセイが登場。映画に登場するモチーフにからめてエッセイを競演するという企画で、わたしがいただいたお題は「嵐・海」。母であり、妻である前に女でありたい。生活に埋もれているそんな女心に揺さぶりをかけるのは、嵐の海……。劇場で手に取っていただけたら幸いです。原作は『きみに読む物語』『メッセージ・イン・ア・ボトル』のニコラス・スパークス。嵐の海で恋に落ちる二人はリチャード・ギアとダイアン・レイン。
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