2003年09月11日(木)  9.11に『戦場のピアニスト』を観る

遅ればせながら、見逃していた『戦場のピアニスト』をスクリーンで観ることができた。かなり気になっていた作品だったが、ここまで重くのしかかる内容だったとは。観ている間は打ちのめされっぱなしで、会場の浅草公会堂を出た後は足がふらつき、しばらく現実の「平和な日本」になじむまでに時間がかかった。

雷門の近くは小さな路地が密集しているが、そこから銃を構えたドイツ兵が撃ってくるような錯覚を感じたり、地面に死体が転がっていないことに胸を撫で下ろしたり、妙な緊張と安堵のくり返しを味わい、どっと疲れた。アウシュビッツの収容所を訪れたときの頭の中に鉛を置き去りにされたような感覚が残っていた。

SF映画やアクション映画なら、手に汗握り、心臓バクバク、悪を憎み倒しても、「これは作り物の世界だから」と、夢から覚められる余裕がある。けれど、「このような残虐な過去が事実としてあった」というのは逃げ場がなく、息苦しい。

客席から何度も小さな悲鳴が上がるたび、この何倍もの阿鼻叫喚を誘う地獄絵が、ほんの60年ほど前に現実としてあったのだと思い、その光景を数年前に訪れたワルシャワの記憶に重ね合わせ、何ともいえないほど気持ちになった。人が人に対して、これほど残酷になれてしまうことの恐ろしさ。こんなことは二度とあってはいけないし、二度と起こさないために何ができるのだろうか、と考えさせられた。

肝心のピアニストの人生については、ドイツ人将校との交流が意外にあっさり描かれていて、むしろ命を賭けて彼を匿った地下運動家たちの勇気に感嘆した。ドイツ人将校のその後はクレジットで紹介されたが、地下運動家たちとピアニストの家族はどうなったのか。ピアニストは80才まで生きたそうだが、命の恩人や家族には再会できたのだろうか。音楽以外にも友のいる人生だったのだろうか。

平和な時代の平和な国で、不条理な差別も迫害もなく、堂々と町を歩き、好きな場所へ移動できるありがたさに感謝しつつ、これが、いつの時代でも、世界のどの場所でも、誰にとっても、当たり前のことであってほしいと願った。

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