勤めていた広告会社でコピーライターの同僚だったクラシゲ嬢は、関西出身らしい個性的な着こなしと気さくな性格に好感が持てて、一緒に仕事したことはないけれど、大好きなお姉様だった。わたしが会社を辞めてからも年賀状のやりとりは続いていたのだけど、今年の年賀状は戻って来てしまい、引っ越したのかと思ったら「キューバに行ったよ」と聞いていた。小柄でいつもニコニコしているけれど底知れぬパワーを秘めたクラシゲ嬢がキューバでラムを飲んでいる姿は、想像してみると、とても自然だった。
そのクラシゲ嬢から突然連絡があり、東京に戻って来たという。「近いうちに会えない?」というので、善は急げ、「じゃあ今日」と返事をした。
エクセルシオールカフェで軽く食事しながら、キューバで撮ってきた写真のプリントアウトを見せてもらう。クラシゲ嬢にコピーだけでなく写真の才能もあったことは今日まで知らず、そのことにも驚きながら、あふれる色と笑顔に圧倒される。「こんな小さい赤ちゃんでも、すっごくいい表情するのよ」とクラシゲ嬢。たしかに、澄ました顔がない。日本人よりひとまわり大きな目や口がさらによく動いて、写真のこちら側の人間を仲間に引き込みそうな磁力がある。クラシゲ嬢の小さな体がしっかり溶け込んでいる写真もあって、もともと魅力的な人なつこい笑顔が、いっそう眩しく見えた。
キューバは社会主義の国なので、物は基本的にほどほどに足りていて、すごく貧しい人もいないかわりにすごく富める人もなく、日本を悩ませているような格差への不満や鬱屈はあまりなく、理不尽に人を傷つける事件も聞かない。お金がたくさんあっても使うところがないし、お礼をするときは「油」をあげると喜ばれる……。日本とはまったく価値観の異なる国の話を興味深く聞いた。キューバの案内書は日本ではかなり乏しく、魅力を伝えきれていないので、自分が発信したい、とクラシゲ嬢。彼女のコピーと写真があれば、読んでも眺めても楽しい充実した本が期待できそう。「取り急ぎ、キューバブログを作ってみたら?」と提案すると、「ブログって何?」と聞かれ、今度はわたしが話す番に。
キューバの話も面白かったけれど、「日本で女が独身のまま40代を生きる不自由」についての話もわたしには新鮮だった。わたしは結婚したことで、「あらゆるカードを旧姓のまま使えない不自由」を味わったけれど、「銀行からも不動産屋からも信用されない40代独身女の生き辛さ」は面倒くさいを通り越した深刻な問題で、「そういう線引きのないキューバのほうがよっぽどラク」というクラシゲ嬢は、またしばらくしたらあっちに戻るつもりなのと言った。だけど、日本を離れる間の連絡先確保がまた曲者で、銀行には「郵送物の送り先が国内に確保できなければ口座を閉じてくれ」と言われたとか。「ずっと日本にいたら見えていなかったこと」をいろいろと教えられた。
2006年09月12日(火) マタニティオレンジ7 おなかの赤ちゃんは聞いている
2004年09月12日(日) 黒川芽以ちゃんのTシャツ物語
2003年09月12日(金) ビーシャビーシャ@赤坂ACTシアター
2002年09月12日(木) 広告マンになるには