2009年08月08日(土)  ミュー&たまフライング3才誕生会

いまいまさこカフェの「144444人目のお客様にいまいまさこ本プレゼント」の権利を獲得したのは、マタニティビクス仲間のトモミさんのダンナさん。トモミさんちに一家でお邪魔したときにご一緒したけれど、まさかサイトを見てくださっていたとは、驚くやらうれしいやら。

プレゼントの本をお渡しするのにかこつけて、ひさしぶりに母娘同窓会をしましょうということで、一家をわが家にお招きする。うちの娘のたまと一日違いに生まれたミューとトモミさんが、まず到着。はにかみや同士のたまとミューは、最初はぎこちなく距離を取っていたけれど、少しすると一緒に遊び始めた。


お人形のぽぽちゃんにタオルの布団をかけて寝かしつけていたはずが、いつの間にかミューがぽぽちゃんを抱き上げ、タオルの下には、たまのふともも。ミューがぽぽちゃんをだっこして立ち去っても、たまはなんだかうれしそう。

おもちゃのピアノを弾いたり、写真を眺めたり、レゴ遊びやデジカメ撮影ごっこをしたりした後、ベランダを走り回る遊びを始めた二人。同じ方向をぐるぐると回遊しながら追いかけっこするうちに、たまはミューと逆方向に走って待ち受ける作戦を発明。見事ミューをつかまえた瞬間、なんとも得意げないい顔を見せた。

ミューパパへの贈呈本、『子ぎつねヘレンの10のおくりもの』は自然な成り行きで、ミューへのプレゼントに。「生きることは おくりものを おくりあうこと」のメッセージを添えたサインの宛名は「ミューちゃんへ」。作者自ら朗読して差し上げましょうとなったが、たまは「たまちゃんの ほんで よんで」と中国語版を持ってきたり、ミューは途中で飽きてしまったり。最後まで物語を楽しめるようになるのは、もう少し先かな。今は、たまは絵を見て動物探しをしたり、自分なりの解説をつけたりして楽しんでいる。

近所の豆腐屋までお散歩がてら買い物に行き、戻ったところに、うちのダンナが帰宅し、トモミさんの旦那さんが合流。二人のパパもそろい、晩ご飯。メニューは、
●大根チーズ(大根の薄切りで切れてるチーズを挟むだけ。超簡単だけど驚くおいしさ。先日友人宅で出されて、これは便利と早速真似した)
●野菜のゼリー固め(ひさびさの登場。すっかり作り方を忘れて、自分の過去日記を参照した)
●ブロッコリーの芯とじゃがいものサラダ(濃いめの塩水で茹でてアンチョビオイルをかけただけ)
●ほたてしゅうまい(トモミさんの差し入れ)
●おくらのお好み焼き(リビングに載っていた「オクラ農家のおすすめの食べ方」をアレンジ。オクラを細かく切り、山芋のすりおろし、卵、小麦粉少々と混ぜて焼くだけ。小さいサイズをいっぱい焼くと、かわいくて食べやすい)
●ビーフシチュー(ビーフカレーにするつもりが、いいお肉だったのでシチューに変更)

大人たちは和やかに話が弾み、楽しい食事となったが、「いっかのちゅうしんはたまちゃんよー」光線を投げかけていたたまがついにいじけて、隣室に立てこもったり泣き出したり。ミューがたまの食器や椅子を使うと、いちいち「たまちゃんのよー」と文句をつける有様で、先日訪ねたY家の次女、同い年のアオチンが見せてくれたホスピタリティーとは大違い。困ったもんだ。

トモミさんがなだめてくれて、たまが機嫌を取り直すと、2週間フライングしての誕生日ケーキが登場。たまもミューも目を輝かせ、自分たちが主役になった感激に小躍り。ケーキは去年の2才のケーキと同じく、近所のル・ボン・ヴィヴァンのもの。ここはメッセージプレートがクッキー(しかも無料!)なうえに、ささやかな誕生日プレゼントとして袋入りのクッキーを添えてくれるのがうれしい。

3本のキャンドルの炎を神妙に見つめながら「ハッピーバースデートゥーユー」の歌を聞き、息の合った共同作業で火を吹き消した。おなかの中にいたときから、隣り合って踊っていたミューとたま。二人が音楽とダンスが好きな子に育って、一緒に歌ったり踊ったりしているのを眺めながら、「3年ってあっという間ねえ」と母たちはしみじみとなるのだった。

2008年08月08日(金)  『ぼくとママの黄色い自転車』ロケ
2007年08月08日(水)  「やきやき三輪」で三都物語の会
2005年08月08日(月)  虫食いワンピース救済法
2004年08月08日(日)  ミヤケマイ展『お茶の時間』
2002年08月08日(木)  War Game(ウォー・ゲーム)


2009年08月07日(金)  聞きたくないレーガン大統領と東ドイツの絵はがき

週末、ひさしぶりにわが家に客人を迎えることとなった。この一年あまり、仕事の忙しさを口実に掃除も炊事もさぼってきたけど、お客さんが来るからには、部屋もそれなりに片付け、もてなし料理も用意することになる。先日お招きにあずかったY家の夫人いわく「家をきれいにしたかったら、人をよぶことよ」。

ここ数週間、8か月遅れの大掃除を続けているが、積年のゴミやガラクタの整理作業の終わりは見えず、週末に向けて、とりあえず「開かずの間」以外の見えるところは何とかしようとペースを上げているところ。

とはいうものの、絵はがき一枚でも「捨てるべきか、取っておくべきか」と悩むものだから、なかなかはかどらない。「聞きたくない」という顔で耳をふさぐレーガン大統領の絵はがきを発掘し、また悩む。レーガンさんはわたしの恩人。彼が大統領で中曽根康弘氏が首相だったときの「ロン・ヤス外交」の副産物の留学制度で、わたしはアメリカに行けた。絵はがきはその留学中に買い求めたものだろう。帰国してから大阪の実家の自室に貼り、大学の下宿部屋に貼り、就職して上京したアパートのトイレに貼り、結婚した家に来てからはガラクタの山に埋もれていた。壁から壁へ20余年の放浪で、セロテープの跡も痛々しく、ずいぶんお疲れの様子。写真に納めて、お別れをすることにした。

2004年06月06日(日)  レーガン元大統領、逝去。
2002年03月31日(日) レーガン大統領と中曽根首相の置き土産

セピア調のこちらの連なった絵はがきは、1982年に当時「東ドイツ」と呼ばれていたドイツ民主共和国=Deutsche Demokratische Republik (DDR)で買い求めたもの。絵はがきのくたびれ度合いを差し引いても、ずいぶん古めかしい国だったんだなあと思ったら、写真が撮られたのは19世紀終わりから20世紀初めにかけて。いちばん上の写真は、1220年に建てられた建造物を1888年にF.Albert Schwartzが、上から2枚目は1907年にMax Missmannが撮影。

娘の初めての海外旅行先に東ドイツを選ぶ母のセンスは大したものだが、この国にただならぬ関心を寄せ、勉強会に参加していた母が「先入観ができる前に、見せておきたい」と中学一年生だったわたしと小学5年生だった妹を連れて行ったのだった。何かと衝撃的だったこの旅の刺激が、4年後のアメリカ留学につながっているので、レーガンさんと同じく、旧東ドイツは今のわたしに多大な影響を与えた存在。映画『グッバイ・レーニン』を観たとき(>>>日記)以来の懐かしさと感慨に浸った。思い出小箱の蓋を一瞬で開けてくれるこの絵はがきとも、写真に納めてお別れする。紙は呼んでも答えてくれないけれど、データは検索して呼び出せる利点もあるよと未練がましい自分に言い聞かせて。

2008年08月07日(木)  暁に帰る
2007年08月07日(火)  シンクロニシティの人
2005年08月07日(日)  串駒『蔵元を囲む会 始禄 小左衛門』
2004年08月07日(土)  ご近所の会・一時帰国同窓会
2002年08月07日(水)  ティファニー


2009年08月06日(木)  すみずみまで水野仁輔君のカレー本と「かがり火」

料理ユニットの東京カリ〜番長で活躍する水野仁輔君から「新刊本を送ります」と、3冊が届いた。『ニッポン・カレー大全』と『インドカレーキッチン (MARBLE BOOKS―daily made)』と『カレーになりたい!』。カレーネタでこれだけ立て続けに本を出せるのはすごい。水野君の作るカレーも好きだけど、彼が綴るカレーは、愛と感謝にあふれていて、なんとも味がある。幼い頃の隣人のインド人一家仕込みの本場の味が刷り込まれてカレー体質になってしまったわたしは、水野君の筋金入りのカレー愛にも「本物」を感じてしまう。

東京カリ〜番長がカレーをオシャレな存在に仕立てたのは、手がける本や印刷物のクオリティの高さが大いに貢献していると思う。添えられたスパイス番長(カリ〜番長とは別にスパイス料理を研究する四人組)のカードも、写真、デザイン共に品があり、飾りたくなるセンスの良さ。さらに、レシピカードにはレシピ開発者が食材の作り手などにあてた手紙が添えられていて、愛とユーモアがあふれた文章をすみずみまで読んでしまう。3冊の本もすみずみまで味わいたい。

すみずみまでといえば、先日「瀬戸内国際子ども映画祭」の準備会(>>>日記)のときに小豆島オリーブランドの柳生好彦会長から紹介された「かがり火」という地域づくりの情報誌を一冊持ち帰った。レイアウトがかっちりしていて、ちょっと官公庁の出版物っぽいお固さがあるのだけど、文章はとても読みやすく、よく調べ、よく書き込まれていて、読み応えがある。

その中に、ドキュメンタリー映画『オオカミの護符』の由井英監督のインタビューを見つけて読んでいて、「!」となった。今も民間に残るオオカミ信仰を扱ったこの作品の舞台は神奈川県宮前区土橋だという。文京区に引っ越してくる前、大阪から上京したわたしが10年前暮らした住所なのだった。田園都市線鷺沼駅近くにひらける「新興住宅街」だと思っていたら、昔から集落がある地区で、そこにオオカミ信仰が根づいているのだという。映画の存在は新聞記事で知っていたけれど、こんな風にかつて暮らした町とつながるとは驚いた。

すみずみまで読んだご褒美のように出会える発見は、ほくほくとうれしくなる。

2008年08月06日(水)  東京大地震の代わりに、小さな天災。
2006年08月06日(日)  アシナガバチの巣
2005年08月06日(土)  下垣真希 平和のリサイタル『命かがやいて』
2004年08月06日(金)  シナリオ『父と暮らせば』
2002年08月06日(火)  『絶後の記録〜広島原子爆弾の手記』


2009年08月05日(水)  ビデオを忘れるほどカメラに夢中

一昨日、七大戦の応援団パレード目当てに東大へ行ったとき、応援団にカメラを向けるわたしに、「たまちゃんが とる!」と娘のたまが手を伸ばしてきて、初めてデジカメで撮らせてみた。シャッターボタンを押す指にうまく力を込められず、「できないよー」とぼやいていたが、そのうちコツを覚えたと見えて、わたしとじいじにカメラを向け、パシャパシャとシャッター音を響かせた。ほとんどがピンぼけで、指が写っていて、人物は顔が切れているが、シャッターを切る手応えがたまらないらしく、メモリーの容量が尽きるまで撮り続ける。昔だったら「フィルムがもったいない」と心配になるところだけど、撮っては消せるデジカメ時代は、おおらかに見ていられる。

デジカメ熱は冷めることなく、うちの中でもパシャパシャ。飽きることを知らず、おかげで、「なんかみる〜」とビデオをせがむことを忘れている。人が撮ったものを見てるより、本人が動いて撮ったほうがよろしい気がする。カメラが上下逆さまだったり、レンズが逆を向いてボケボケ、どアップのセルフポートレートになったり、真っ黒い画面が何枚も続いたり。そんななか、何十枚かに一枚、うまく撮れるものがあり、コカコーラの丸看板の接写はピンぼけながら面白い構図。

壁のオフホワイトと布団の白が画面を二分割し、手前に人形のぽぽちゃんが寝転がり、背後に色鮮やかなカラーボックスという写真も、真横から見たような平面的な感じがあって、なんだか不思議。

そのぽぽちゃん、よく見ると、ソフトクリームのヘアゴムをヘアーバンド代わりにしている(以下の写真はわたしが撮影)。スキンヘッドにソフトクリームとは、ポップというよりパンクだ。こういう使い方は、思いつかなかった。


ぽぽちゃんといえば、少し前のこと、「これ、ぽぽちゃんの まくらね」と言いながら、たまが寝かしつけているのを見ると、枕の上にバインダーを置き、ベッドにしていた。留め具部分のスマイリーを「まくら」に見立てるセンスは、大人には斬新。

今朝は、カーテンレールに吊るした洗濯物に向かって床掃除ローラーの棒を伸ばし、「クリーング」(クリーニングのこと)。クリーニング屋さんが高いところに吊るしたハンガーを取るのに棒を使うのを真似していた。今週から一部が入れ替わった朝ドラ「つばさ」のタイトルバック写真を一枚一枚「これはおんなじ、これはちがう」と言い当てたことにも驚いたが、カメラで撮るように目にしたものを心に焼きつける機能は、大人よりはるかに優れているらしい。

今日の子守話は、カメラの話が作れれば良かったのだけど、以前作ってあった傘のお話。雨降りの日の3点セット、傘とレインコートと長靴がたまは大好きで、晴れていても使いたがる。まほうつかいシリーズは一段落して、次は小人か猫のお話に取りかかる予定。

子守話91「まほうつかいたまちゃん かさのまき」

あめふりの ひの できごとです。
まほうつかいの たまごの たまちゃんは
かさを さして レインコートをきて ながぐつを はいて
みずたまりだらけの みちを あるいていました。

あめが やんで そらに にじの はしが かかりました。
あの にじまで とんでいきたいな。
たまちゃんは そうおもったので そらとぶ まほうを
つかうことに しました。
「ちちんぷいぷい。たまちゃんの かさ たまちゃんを
 おそらへ つれていけ」
まほうは だいせいこう。
かさは ねっききゅうみたいに ふわりと うきあがり
たまちゃんの からだを もちあげて ぐんぐん そらへ
むかっていきました。
たまちゃんが にじの うえで すべりだいあそびを
していると はるかかなたの じめんから おともだちが みあげて
「たまちゃん いいな いいな」
「ぼくも やりたい」「わたしにも やらせて」とおおさわぎ。
「あとで そらとぶ かさを かしてあげるね」
にじの うえから たまちゃんは いいました。
たまちゃんの まほうの ききめは 3かかんも あるので
みんなで かわるがわる そらを とぶことが できるのです。

ところが きゅうに そらとぶ かさの ききめが なくなって
たまちゃんは したへ したへと おちていきました。
そらを とぶのは とても ちからが いることなので
まほうが おもいのほか はやく とけてしまったのです。
「たいへん たいへん。たまちゃんが おっこちてくる」と
ちじょうでは おともだちが おおさわぎ。
「どうしよう。じめんに ぶつかったら いたいよう」と 
たまちゃんも なきべそです。

そのときです。ほうきに のった まじょが ちかづいてきました。
いじわるな まじょですが たまちゃんを たすけに きてくれるとは
やさしいでは ありませんか。ところが まじょは
「そらを とぶのなんて 100ねん はやいよ。
 まほうつかいの たまごの くせに」と いじわるを いうだけで
おっこちていく たまちゃんを みているだけです。
「おねがいです。そらとぶ ほうきに のせてください」と
たまちゃんは ひっしに さけびましたが
「これも しれんだよ。じぶんの まほうで かいけつしな」
まじょは そういって とびさって しまいました。

たまちゃんは もういちど かさに まほうをかけましたが
かさは いうことを きいてくれません。
どうしよう。どうしよう。
そのとき たまちゃんは いいことを おもいつきました。
かさに まほうが かからないなら
ほかの ものに まほうを かければ いいのです。
「ちちんぷいぷい たまちゃんの レインコート、パラシュートになあれ」
ききいっぱつで まほうが きいて
レインコートは パラシュートに へんしんしました。
たまちゃんは ゆっくりと じめんに むかって おちていきます。

じめんが ちかづくと ねんのために ながぐつにも まほうをかけました。
「ちちんぷいぷい ながぐつ トランポリンに なあれ」
すると ながぐつは トランポリンに へんしんしました。
たまちゃんが あしから じめんに おっこちると
ながぐつのトランポリンが ぽーん ぽーんと はずんで
しょうげきを うけとめてくれたので
たまちゃんは けがひとつ しませんでした。
たいそうせんしゅみたいに ポーズを きめて
たまちゃんは みごとに ちゃくちしました。

はらはらして みていた おともだちは ほっとして
おおきな はくしゅを してくれました。
「つぎに そらを とびたい ひと だあれ」と
たまちゃんは ききましたが だれも へんじを しませんでした。
たまちゃんも そらを とぶのは もうこりごりです。

2008年08月05日(火)  マタニティオレンジ317 ビクス母三人と娘三人
2007年08月05日(日)  マタニティオレンジ155 シルバーパスの効用
2002年08月05日(月)  風邪には足浴


2009年08月04日(火)  「役目を終えた」と思えば捨てられる

わが家が片付かないのは、捨てられないわたしの性格のせいだ。掃除術の本や記事を読むと、「片付けることは捨てること!」ときっぱり書かれているが、この「きっぱり!」がわたしには欠けていて、「まだ使える」「また使える」とゴミ箱行き宣告をためらってしまう。「使い切った」と納得することが大事」と掃除のプロは口をそろえて言う。天命を全うした人を見送るときの安らかで穏やかな心持ちと同じく、その物が役割を果たしたと思えば、未練なく旅立たせることができるのだと。

写真を撮って残すのは、ひとつの手だという。プリントが散乱するという新たな問題もデジカメのデータ保存なら問題ない。まずは、冷蔵庫に貼り付けたまま色あせ、水気でしわしわになった雑誌広告の切り抜きを写真に納めることに。"Thank you for being so sweet"(とってもやさしくしてくれて、ありがとう)というカードを読んで涙ぐむm&mイエロー君。チョコの甘さと性格の優しさのsweetをかけたコピーをカードの文面にしてしまい、あとはmms.comとアドレスを小さく表示するだけの潔さ。m&mグッズのひとつとして手元に置いておきたかったけど、台所に立つわたしを数年間励ましてくれたので、ご苦労様と冷蔵庫から外した。m&mといえば、パティシエのはちみつ亜紀子ちゃんの特製ウェディングケーキを取り囲んだクッキーのm&m応援団も、なかなか捨てられず、半年余り取っておいたが、夏が来て、泣く泣く手放すことになった。

「物を捨てられないときは、その物が占めるスペースの家賃を考えなさい」というアドバイスもある。雑誌広告一枚では省スペースにならないが、たった一ページのために雑誌一冊を取り置いているものが、わが家にはゴロゴロしている。それをまとめるとみかん箱数箱分ぐらいにはなりそうだ。まずは、『風の絨毯』の映画紹介が載った2003年の関西ウォーカー。風じゅーの脚本は「モハマド・ソレイマン/今井雅子」と表記されることが多かったが、これは「今井雅子ほか」となった珍しいケースで、大阪に住むダンナの弟がわざわざ取っておいてくれた。


場所をうんと取っているものといえば、ダンボールハウス。一時はかくれんぼしたり隠れ家にしたりと娘のたまの遊び場になっていたが、今は洗濯物干しと化している。大量のタオルや靴下をかけられるので重宝しているが、これをどかせば、一平米以上のスペースが浮く。「壊していい?」と家主(?)のたまに聞くと、「ダメ」の返事。「でも、これがないと、おうち、広くなるよ」と言うと、「そうだね」と納得してくれ、最後の姿を撮影して、解体開始。

手でダンボールを小さく割き、せめてリサイクルにとびっしり貼りつけたシールを剥がし、かなりの重労働となった。たまが喜んで引っ張っていた紐は、取り外してリボン瓶へ。これはプレゼント包装に再利用。

家のあちこちに散らばっている爪楊枝アートもまとめて撮影。保育園の調理士さんが熱心で、四季折々の花や行事をモチーフにした爪楊枝を給食に立ててくださる。糸や針金を使ったり、相当手が込んでいるが、これを月に何度か50余名の園児分用意する手間ひまに頭が下がる。愛だなあ。写真は撮ったものの捨てられず、棚に飾った。

今日の子守話は、掃除機の話。ダンボールハウスの跡地に掃除機が立ち往生しない広さの床が現れ、ひさしぶりに掃除機をかけられた。

子守話90「まほうつかいたまちゃん そうじきのまき」

まほうつかいの たまごの たまちゃんが
いちばん にがてな おてつだいは そうじきを かけること。
たまちゃんには そうじきは おおきすぎて おもすぎて
おもいどおりに うごいてくれません。
そうじきが かってに おそうじしてくれたら どんなに らくかしら。
たまちゃんは そうおもったので まほうを かけることにしました。
「ちちんぷいぷい そうじきさん かってに おそうじして まわれ」
まほうは だいせいこう。
そうじきは たまちゃんの てを かりずに
へやのなかを ひとりでに あっちへいったり こっちへいったりして 
つぎつぎと ゴミを のみこみはじめました。

「いいぞ いいぞ そのちょうし」
たまちゃんは ゆかいになって はたらきものの そうじきを みていましたが
「あ! それは ダメ!」と あわてて そうじきに かけよりました。
なんと そうじきは たまちゃんの だいじな おもちゃまで
てあたりしだい のみこんでいるのです。
どうやら「かってに おそうじして まわれ」と 
まほうを かけてしまったのが いけなかったようでした。
そうじきは とても じぶんかってな あばれものに なってしまい
たまちゃんの おにんぎょうを ふんづけたり
たまちゃんに たいあたりしたり やりたいほうだいです。
そして とうとう たまちゃんと パパと ママまで のみこんでしまいました。

ほこりまみれの そうじきの なかで
たまちゃんたちは げほげほと せきこみながら
まほうが きれるのを じっとまちました。
ところが こんなときに かぎって たまちゃんの まほうは 
いつもより ききめが ながくなってしまうのです。
4かめに ようやく まほうが きれて かってきままな そうじきは
のみこんだ ありとあらゆるものを はきだしました。
もちろん たまちゃんと パパと ママも ぶじに
そとに でてこられました。
3にんは そうじきが すいこんだ おかしを たべて
うえを しのいでいたのです。
そのあと とっちらかった いえのなかを そうじするのに
いっかげつも かかってしまいました。
「そうじきを みるのも いやだろ。これを つかいな」と
まじょが そらを とばなくなった おふるの ほうきを 
もってきて くれました。
「わかったかい? へたくそな まほうは しごとを ふやすんだよ」と
おとくいの いやみを いうのも わすれませんでした。
やれやれ。いちにんまえの まほうつかいには なかなか なれそうに ありません。 

2008年08月04日(月)  宙返りできなかったことが心残り
2007年08月04日(土)  マタニティオレンジ154 タマーズブートキャンプ
2006年08月04日(金)  プレタポルテ#1『ドアをあけると……』
2002年08月04日(日)  キンダー・フィルム・フェスティバルで『パコダテ人』


2009年08月03日(月)  応援団と朝日歌壇と子守話はエールつながり

応援団の演舞について綴った昨日の日記に多方面から反響が届き、わたしだけでなく、多くの人が応援団なるものに関心や共感を寄せていることに驚いた。わたしの気力と忍耐力は応援団仕込みだけれど、応援団を見るだけで元気になれることがわかったので、今日の夕方もパレード目当てに七大戦会場の東大へ。到着したときにはパレードも各校の演舞も終わり、エール交換の最後の一校が「フレーフレー七大」とエールを送っていた。工学部の広場の大木を七大学の応援団が囲む姿は壮観で、それだけでも見る価値があった。

今日は月曜日で、毎週楽しみにしている朝日歌壇の掲載日。2009年04月01日(水)の日記に「(ホームレス)公田耕一氏と(アメリカ)郷隼人氏」を、2009年06月15日(月)の日記に「(ホームレス)公田耕一氏と(アメリカ)郷隼人氏」のその後」を綴ったが、その後も両氏の歌には注目している。紙面を開くと、お目当ての二人の歌がそろった上に、公田氏を詠んだ歌まであり、辺りを見つけたようなほくほくした気持ちになった。

事件より二十四年が経過して今日、命日に両掌を合わす (アメリカ)郷隼人

野毛山を下れば汗の吹き出してドン・キホーテへ涼みに入る (ホームレス)公田耕一

生きていれば詠める ペンあれば書けること教えてくれるホームレス公田氏 (飯塚市)甲斐みどり


歌の交流はエール交換にも似たものがあり、それゆえわたしは惹かれるのかもしれない。他に、最近の掲載作を書き留めたものを以下に記してみる。

6月22日掲載
雨匂ふ五十六年駆け抜けて「グイン・サーガ」は未完のままに (ホームレス)公田耕一

6月29日掲載
KATIEとう仔猫が仔猫(ベビー)を生んだという情報(ニュース)が忽ち所内に伝わる (アメリカ)郷隼人

7月6日掲載
五月晴れとは梅雨の晴れ間 歩くこと休み一日洗濯をする (ホームレス)公田耕一
梅雨に入り「泣くの歩くの死んぢやふの」 この三択を諾ふ朝(あした) (ホームレス)公田耕一

7月13日掲載
湯に沈む熱き抵抗懐かしく久方振りにひかり湯へ行く (ホームレス)公田耕一

7月27日掲載
福島の桃に花咲きまろき実を結ぶ半年われにも半年 (ホームレス)公田耕一

詠まれた歌から見知らぬ人物の輪郭を思い描く興味深さは、週一回配信の連載ミステリーを読むようだが、三十一文字に奥行きと広がりが込められているから、超短編ながら非常に面白いのだろう。広告会社時代に組んだことのあるデザイナーが俳句の世界では大先生の中原道夫さんで、冗談半分に俳句の手ほどきを受けたときに「五七五に400字の情景を込めるイメージで作りなさい」と教えられたが、五七五七七ではそれ以上か。読むは易し、詠むは難しで、6月15日の日記を読み返すと、「身近な題材であるわが子を詠んだ吾子短歌を初投稿してみることに」と書いてあるが、いまだに投稿できていない。

わたしには凝縮するより拡散するほうが合っているかもしれない、と娘のたまの言葉をヒントに膨らませる子守話をまとめることに。ずいぶんおしゃべりになったたまが毎日のように刺激的なネタを投げかけてくれるので(「ねこしんぶん」などと突然口走る)、新作は日々生まれているのだけど、文章にまとめる作業をさぼっていた。「まほうつかいたまちゃん」シリーズの新作3つのうち、まずひとつ。たまは「魔女」というだけで「こわいよー」と逃げてしまう。子守話が母から娘へのエールだってことには気づいていない。

子守話89 「まほうつかいたまちゃん おふろのまき」

まほうつかいの たまごの たまちゃんは プールあそびが だいすき。
でも ほいくえんの プールの じかんは あっというまに
おわってしまうので いつも もっとあそびたいなと おもっています。
そこで たまちゃんは おうちの おふろに まほうを かけることにしました。
「ちちんぷいぷい たまちゃんちの おふろ うんと おおきくなあれ」
おふろは ほいくえんの プールよりも おおきくなりました。
これで たまちゃんは すきなだけ プールあそびが できます。

ところが こまったことが おきました。
ちいさな おうちの めいっぱいまで おおきくなった おふろは
たまちゃんちの ほかのへやを のみこんでしまったのです。
だいどころも ベッドも トイレも ようふくだんすも 
みんな みずのそこに しずんでしまいました。
しまったと おもったときには ておくれでした。

まほうがとけるまでの 3かかん たまちゃんと パパと ママは
じいじばあばの おうちに ひなんしました。
そして 3かごに おそるおそる うちに もどってみると
おふろは もとの おおきさに もどっていましたが
あとの ものは もとどおりにならないぐらい
びしょびしょの みずびたしに なっていました。

たまちゃんに まほうを おしえた まじょが あらわれて
「とんだ しっぱいを やらかしたものだねえ」と 
ゆかいそうに いいました。
まじょは いじわるなので しっぱいを みるのが だいすきなのです。
「おねがいです。おうちを もとどおりにしてください」と
たまちゃんは おねがいしました。
「テーブルに いすに ベッドに ふとんに
 たんすに テレビに カメラに ぬいぐるみに アルバム。
 これじゃあ まほうが いくつあっても たりないねえ」
まじょは おおげさに ためいきを ついて
「この あめだまを なめて もとどおりにしたい ものの なまえを
 となえなさい。ただし ひとつだけだよ」と
ふしぎな いろの あめだまを さしだして きえてしまいました。
「どうしよう。たった ひとつだけなんて」
たまちゃんは こまってしまいましたが
「いい かんがえが あるわ」と ママが いいました。
なるほどと たまちゃんは うなずき あめだまを なめて
ママの おもいついた なまえを となえました。

すると どうでしょう。うちの なかは なにもかも 
たまちゃんが おふろに まほうを かける まえに もどりました。
でも あめだまの まほうで もとどおりに できるのは
たったひとつ だったはず。
そうです。たまちゃんは 「じかん」を もとどおりにしたのでした。
まほうを じょうずに つかうには ちえも ひつようだなと 
ひとつ かしこくなった たまちゃんでした。

2008年08月03日(日)  葉山の別荘2日目 田舎でのんびり
2007年08月03日(金)  ラジオが聴きたくなる、書きたくなる『ラジオな日々』
2006年08月03日(木)  子どもの城+ネルケプランニング『南国プールの熱い砂』
2005年08月03日(水)  『三枝成彰2005 2つの幻』@サントリーホール
2002年08月03日(土)  青森映画祭から木造(きづくり)メロン


2009年08月02日(日)  七大戦演舞も朝ドラ「つばさ」第19週も「太陽がいっぱいだ」

全国七大学総合体育大会、通称「七大戦」。北大、東北大、東大、名古屋大、京大、阪大、九大の7つの旧帝国大学の体育会(運動部)が年に一度、持ち回りで集い、優勝を競う大会で、「七帝(しちてい)」とも呼ばれる。各大学の応援団も応援に駆けつける一方、演舞会やパレードで日頃磨いた技と気力を競い合う。第48回を数える今年の開催地は東大で、今日は本郷キャンパスで演舞会が開かれるというので、後輩たちの活躍を見に出かけた。大会キャラクターは、ハチ公ならぬナナ公。

自分の大学や他大学の先輩後輩とすれ違ったり鉢合わせたり。顔は覚えているけど名前が出てこない人もいるが、応援団ではとにかく挨拶しておくに越したことはない。その昔、鬼と怖れられた先輩がいい大人になり、子どもを連れていたりする。

応援団出身者をおおまかに3つに分類すると、応援団的生き方が抜けず、応援団のつきあいや行事を最優先させる「根っから型」(リーダー部出身者、とくにリーダー部長経験者に多い)、応援団をネタに宴会芸や飲み会の話題に活用する「ミーハー型」(わたしはここに属する)、応援団にいたことを何かの間違い、消したい過去であると位置づけ、カミングアウトを避ける「なかったこと派」となる。「根っから型」は七大戦がどこで開催されようと駆けつけ、「ミーハー型」は近くで開催すると顔を出すのだが、今日も「この日のためにわざわざ!」な方々が多数。演舞が始まると、「気合入れろ!」「声出てねえぞ!」「聞こえないぞ!」と喝を入れる野次が飛ぶが、その声は現役団員のそれより力強く、よく響いたりする。団旗(ご覧のように身長の何倍もある見事なもの)の上げ下ろしにも、自分たちもやっていただけに厳しい声が飛ぶ。途中の旗手紹介で、団旗を床と平行になるまで下ろした姿勢で耐えるという場面があり、わたしがかつて見たことないほどの忍耐を披露してくれたが、「まだまだ!」「気合入れい!」と野次を飛ばすOB軍団は、後半のしんどいときに「上げ方忘れたんか?」と突っ込むなど情け容赦ない。

応援歌3曲、逍遥歌、旗手・鼓手・司会の紹介、マーチメドレー、締めは学歌斉唱という一時間近いステージ(これを7大学分やるので、朝から晩まで一日がかり)。わたしがいた頃はチアだけで20人を超える大所帯だったけど、現在はリーダー部、ブラスバンド部、チアリーダー部あわせて30名。しかし、発せられるパワーや演舞の完成度には目を見張るものがあり、よくやってる、と頼もしさと誇らしさを味わった。チアの振付けはずいぶんシャープになり、衣装もメイクも垢抜けて、部員もスタイルのいい華やかな子ぞろい。今の子はかっこいいなあ、と眩しくなったり、わたしもあんなことやってたなんて若かったんだなあと懐かしくなったり。

応援団の演舞を見ると涙が出そうになるのは、そんな感傷のせいだけではなく、現役時代からそうだった。声を出すのもジャンプするのも力を出し惜しまず、終わったら倒れてやるぐらいの気迫が数十人分集まると、迸るエネルギーに圧倒されて、言葉を失い、ただ痺れる。わたしの結婚パーティでお祝いの演舞を観た同僚の広告関係者らは、「あんなに一生懸命に何かをやってる人って初めて見た」と驚き、「カルチャーショックを受けた」とさえ語っていたが、がむしゃらが敬遠されつつある昨今、どうしてそこまでやるのかというひたむきな姿には希少価値があり、敬意をかき立てられる。

NHK「おかあさんといっしょ」の歌「ドンスカバンバンおうえんだん」が大好きな娘のたまは、「ドンスカバンバンおうえんだん、見に行こっか」とわたしに誘われ、喜んでついてきたのだが、大音量の太鼓と気合の入った大声に恐れをなし、泣き出してしまった。終わった後で「ドンスカバンバンおうえんだん、やらなかったね」と愚痴っていたので、期待していたものと大違いだったよう。他の大学の演舞を見るのはあきらめ、三四郎池を散歩し(大学の中にこんな絶景が!)、前から気になっていた本郷通りにあるレストラン「山猫軒」(カレーが思いのほか美味!)でひと息ついて帰った。

チアに限らず、応援団って、ありあまる若さと時間がなければできないことだと思う。中にいるときは、そんなことには気づかず、無我夢中だったけど、あの4年間が今の自分の大きな栄養源になっているのは間違いない。理不尽でも全力を出し切れば何か得るものがあるとか、気合があれば何とかなるものだとか。後輩たちのエールに力をもらいつつ、昔の自分にも元気づけられた気がした。

折しも明日からの朝ドラ「つばさ」第19週は、誰かを力づけるということが大きなテーマ。長瀞で傷心を癒して、ぽてとに復帰したつばさは、この週の出来事をきっかけに人と人をつなげるチカラを取り戻し、ラジオの仕事を自分の夢にしたいと決意する。物語はここから大きくうねるので、引き続き、ますますご注目を。

劇中も世間もお騒がせのあのサンバと斎藤(西城秀樹)との結びつきが明らかに。ただのにぎやかしではなく、サンバには深い意味と愛があったのだ。ところで、サンバのお膝元、ブラジルでは「つばさ」をどう見ているのだろう。高校時代、体操部で一緒だったカンちゃんはブラジルにて「つばさ」をチェック中。「サンバが出て来てうれしかった」とメールをくれたけど、カンちゃん自身が高校時代からサンバな人だった。ちなみに「ブラジルでは朝ドラは、夜8時15分か夜中なんですよ」とのこと。夜だけど「8時15分」スタートというところに、おなじみ朝ドラへのリスペクトを感じます。

話がちょっとそれたけど、第19週を観ると、サンバが愛しくなること、うけあい。すでに多くの方が指摘されているように、人物や事象への光の当て方を変え、物語の印象をプリズムのように変えていくのが「つばさ」のユニークなところ。第11週の千代(吉行和子)と浪岡(ROLLY)のデート、第14週の千代と葛城(山本學)の再会の伏線もこの週で生かされる展開。最終週の第26週にかけて、どんどん伏線を回収していくので、どうぞお楽しみに。つばさと翔太の劇的な再会も、もちろんインパクト狙いではなく、意図があってのこと。

タイトルの「太陽がいっぱいだ」の通り、まぶしいパワーときらめきにあふれた一週間。演出は1〜3週、6週、10週、14週、16週の西谷真一チーフ・ディレクター。続く第20週「かなしい秘密」は「脚本協力 今井雅子」のクレジットが毎日出る増量週間。第19週から続けてお楽しみください。 写真は、うちにある太陽たちを集めて、台本を囲むの図。左上からロス土産の刺繍ワンピース、絵本『おひさまあかちゃん』(高林麻里)『はらぺこあおむし』(エリック・カール)『わたしのワンピース』(にしまきかやこ)。絵本はいずれも娘のたまのお気に入り。

自分が関わった作品や人を応援せずにはいられないのは、応援団気質ゆえ? ミーハー型応援団と自認していたけど、わたしがコピーライターになったのも、脚本家になったのも、自分の書くもので誰かを力づけたり元気づけたりしたいという気持ちからだから、根っからの応援団といえるのかもしれない。

2008年08月02日(土)  葉山の別荘1日目 海水浴と海の幸づくし
2007年08月02日(木)  ブロードウェイ・ミュージカル『ヘアスプレー』
2002年08月02日(金)  「山の上ホテル」サプライズと「実録・福田和子」


2009年08月01日(土)  朝ドラ「つばさ」ファンミーティングin川越

脚本協力で関わった朝ドラ「つばさ」のファンミーティングを目当てに3度目の川越へ。昨日のうちに日記を書くつもりが、川越でおいしいお酒を飲んで、電車に揺られて家路につくうちに酔いが回り、帰宅したときにはヘロヘロに。これを書いているのは翌朝2日の9時。夢の中にも川越が出てきて、一日中川越で遊ばせてもらった。

川越詣でのお楽しみは、「つばさ」探し。まずは東武線の車内に2連の中吊りを発見。電車の中でパシャリがはばかられ、写真は撮れず。川越駅から商店街「クレアモール」を歩く。ユニクロとGAPがすぐ近くにあり、便利〜。豚料理専門の飲み屋の名前は「とことん」。川越は歩いて楽しい街。「夢のつばさ」という名前のお菓子を売り出している和菓子屋さんの店頭は、つばさ尽くし。第18週の長瀞で傷心を癒し、心あらたに川越に帰って来たヒロインつばさは、今後「自分の夢」を追いかけていく展開。

今回のお目当てのひとつ、鏡山酒造跡地にある昭和館で開催中の「つばさ」展へ。昭和館、大正館、明治館と名づけられた(建てられた年代にちなむ?)3つの蔵が、それぞれ多目的スペースとして活用されている。入口で、ファンミーティング参加者限定のスタンプラリー用紙をいただき、ひとつめのスタンプ(酒瓶の形。お銚子にも見える)を押す。

入口を入るとすぐ、衣装の展示。わたしがいただいたもののもったいなくて袖を通していないTシャツには「非売品」と書いてある。デザインがいいので、売り出したら人気出そうだけど。「つばさ」は美術や小物のセンスが良くて、わたしの古巣の広告業界のアートディレクターたちも注目。

キネマの外観のセット(ちょっと小さめ)の写真を撮る人、多し。これ、中に入ってブースの中にいる姿を記念撮影できるようにしたら、もっと人気が出たと思う。そのためには中も作らないといけないので、構造的に難しかったのかも。今後川越の名所として残していくなら、フォトロケーションにするのも一案。コピーライター時代、東京ディズニーランドや東京ディズニーシーの広告を作っていたときも、フォトロケーションは集客の強力アイテムだった。

甘玉堂の店舗セットにも同意見。ショーケースの中に入って、なりきり女将写真を撮りたい、というニーズはかなりあると思う。三角巾も貸し出されると、なお気分が盛り上がるかも。

小学生ぐらいの女の子が「お母さーん、すごいよ。本物みたい」と興奮していて、その気持ち、すごくわかると思った。子どもの頃、おひな様の雛壇に乗った精巧な食べものや楽器に見入ったものだけど、甘玉堂のショーケースを見ていると、その興奮が蘇る。

明治館に移動すると、木桶のいい香りが満ちて、「酒蔵〜」とうれしくなる。一角にある川越市観光案内所は「つばさ」尽くし。他に鏡山酒造のお酒を扱うコーナー(「時の鐘」というお酒が素敵)、埼玉県の名産を扱うコーナー、地元の野菜を扱うコーナー(新鮮で力強くて、味が濃そうな野菜や果物たち。すぐに帰るのであれば買って帰りたかった)も。ところで、川越はブルーベリーが名産なのだろうか。あちこちに大粒のブルーベリーを見かける。果物といえば、明治館の前に出ているテントで買った果汁を搾っただけのまぜものなしのグレープフルーツジュースがおいしく、よく出ていた。

クレアモールからそのまま続いている石畳の大正浪漫夢通りは、川越のお気に入りの道。そこを通ってスタンプラリーの2つめのポイント、「時の鐘」へ。3つめの「まつり会館」を経て、最後は「菓子屋横町」。前回気に入った楽楽ベーカリーに立ち寄り、メロンパンとさつまいもあんのあんパンを買う。蔵造り通りに引き返し、前回試食で満足しまって買い物しそびれた「まめ屋」さんできなこ豆(一番人気だそう)、こがし豆、あまなっとうを買う。蔵造り通りを渡ったところの亀屋さんで「亀どらのつばさ」を買う。この白あんのファン。

ファンミーティングの会場に着いたのが、開演一時間前。ロビーで展示に見入る人々を見て、胸が熱くなる。こんなにたくさんの「つばさ」ファンが集まっている場面に遭遇したことがなかったし、一人一人が発する好意的な熱気が、なんともあったかくてワクワクする空気を作っていた。とくに「つばさ」に寄せられた応援メッセージが貼り出されたコーナーでは、いちだんとそれが感じられた。細かい文字を子どもや年配の方に読み上げる人の姿が目立ち、感想を共有する瞬間に立ち会えたような感激を味わった。小道具が並ぶショーケースの前では「2週目に出てたあずさ2号だ!」「ベッカム一郎のパンフ、中身まで作ってある!」「ヒロリンのブーメランだ!」などと楽しそうに語り合う姿が見られ、これまた幸せな光景だった。映画公開の劇場でも展示をやったりするし、公開中のイベントには熱心なファンの方が集まるが、それを濃縮したような高揚がロビーを満たしていた。半年も公開が続く映画はなかなかないが、半年も放送が続き、その間に幾度もお祭りを楽しめる朝ドラに関われたことを幸せに思う。

展示の衣装、いちばん右は翔太のいた宮崎ポロナティーヴォのユニフォーム。その左はラジオの男のスーツ。そして、左の二つは? こんな衣装あったっけ、と首を傾げて説明の札に目をやると、「のど自慢のときに竹雄と加乃子が着ていた衣装」とのこと。あまたまのような巨大アフロに目を奪われ、その下の衣装の印象が負けていた。マネキンにもアフロをかぶせていて欲しかったけど、あのアフロはいずこへ?

甘玉堂の看板(これは立派!)の向こうから顔を出して写真を撮る人多し。こういう美術や小道具は撮影が終わると、どこへ行くのだろう。

6時半少し前からNHK埼玉局長、川越市長が挨拶。今回は定員の6倍の応募があったそう。川越市民会館の客席数は1261だそうで、その6倍となるとすごい数。続いて、幕の向こうで準備が整うまでの間を後藤高久チーフプロデューサーがトークでつなぐ。石を投げないで」「席を立つ時はトイレですとわかるように」などとお得意の関西ノリ。「今日の皆さんのテーマは、つまらなくても笑うこと」「笑いは人間だけに与えられた救済」などと説く。客席がほどよくほぐれ、主題歌のインストが歌版に変わり、盛り上がったところで幕が開くと、真瀬社長(宅間孝行さん)、ロナウ二郎(脇知弘さん)、玉木つばさ(多部未華子)が舞台に板つきで現れ、場内にどよめきのような歓声と拍手が沸き起こった。

渋谷のファンミーティング同様、幕が開くと同時にラジオぽてとを舞台にした寸劇が始まる。「アイラブ川越」というスペシャル番組を放送中という設定で、ブースのつばさと二郎が川越のいいところを紹介。「川越にはおいしいお菓子がたくさんある」と言うつばさに、「僕も食べ過ぎて太っちゃいました」と二郎が言い、突っ込みの視線を受けて「元々でした」。ブースの外では甘玉堂の加乃子から「川越名物あまたま」のちゃっかり売り込み電話を受ける真瀬。一方、「ラジオぽてとがあるから川越が好き」というお便りを紹介するブース。身内が書いたんじゃないかと疑う真瀬は、優花が書いたお便りだと知ってメロメロに。すると客席から「つばさちゃーん」と声がして、リポーターの伸子が登場。アドリブで客席の3名に「川越のいいところ」を聞いたが、一人目の外人さんとは片言英語でのやりとりがあったり、「郊外の雑木林もすばらしい」「ラジオぽてとの名前にもなっているが、これだけさつまいもの食べものがあるのは世界でも川越だけ」などと味のあるコメントが飛び出し、微笑ましい笑いを誘っていた。寸劇の脚本にも関わっているので、客席の反応を確かめられた(なかなか受けた!)のはうれしかった。

伸子もステージに上がって寸劇が終わると、埼玉放送局の結城さとみアナウンサーと後藤高久チーフプロデューサーが加わり、トーク開始。川越でロケした場面をダイジェストで振り返った後、それぞれの好きな場面紹介のトップバッター脇さんは、第17週のキネマ屋上でビール片手につばさと語る場面(実はアルコールがまったくダメでノンアルコールビールの微量なアルコールで酔ってろれつが怪しくなったそう)を選んだ。ベッカム一郎(麒麟の川島明さん)との漫才が良かった、と他の出演者から褒められると、「ベッカムと比べて、ロナウ二郎が売れなかった理由がわかった」と脇さん。

松本さんは第12週ののど自慢で「あなた」を歌う場面を選んだ。第12週でのど自慢をやりたい、しかも「あなた」を松本さんに歌って欲しいという演出の大杉太郎さんの具体的な所信表明から本作りは始まったが、事前のインタビューで松本さんからも「ぜひ歌を」と言われていたそう。つばさ班は折りに触れて役者さんの意見を聞き、物語に取り入れており、伸子がいつも算盤を弾いているのも「算盤が得意」というヒアリングがあったから。でも、松本さんがファンクラブに入っていた田川陽介さんを夫の良男役に決めたのは偶然だったそう。田川さんがクランクアップの花束受け取りを「まだ出たい」と拒否したため、その後にも出番を用意することになったエピソードも披露された。この後、田川さん演じる良男がラストに向けてボディブローのように登場するところも、いかにも「つばさ」らしい遊び心があるのでご注目を。

続いて真瀬さんが選んだ場面ものど自慢だが、歌っているのは千代と浪岡。流すVTRを間違えたのかと思いきや、客席にエキストラで出演している宅間さんの姿が。真瀬とは別人の観客に扮しているので、帽子を目深にかぶり、シャツはワイシャツの下の肌着の腕をまくっているという怪しい姿。真瀬として登場している場面では、同じく第12週で優花を叱り、優花に「お父さんなんか大嫌い」と言われ、「お父さんて呼ばれた」と感激するところを選んだ。

このあたりにサプライズゲストで優花ちゃん役の畠山彩奈(はたけやまりな)ちゃんが登場。緊張しつつも一生懸命おしゃべりする姿が、なんともけなげで愛らしい。のど自慢で歌った「やきいもグーチーパー」を宅間さんと振りつきで披露してくれ、客席は「かわい〜」ととろける寸前。優花ちゃんはうちの2歳児娘のたまが最も心を寄せる登場人物なので、たまを連れて来れば喜んだだろうなと思った。

今日は参加できなかった浪岡(ROLLYさん)が選んだのは、渋谷ファンミーティングで爆笑を買った第15週の「眼鏡吹っ飛び」場面。今回も大いに受け、何度も再生されることになった。他のドラマならNGとなるハプニングカットを歓迎していただいてしまうのは、「つばさ」らしいところ。多部ちゃんが選んだ場面は、第10週の優花ちゃんがキネマにやってくるにあたっての引っ越し騒動。優花ちゃんが退場し、続いて登場したサプライズゲストは、なんと竹雄(中村梅雀さん)と加乃子(高畑淳子さん)。わたしも人一倍興奮してしまう。

高畑さんが選んだお気に入りは、第3週の工事現場近くでつばさと語り合う場面、そして橋の上で知秋を抱きしめる場面。梅雀さんが選んだ場面は、第一週の川越祭りの曳っかわせと重ねての千代と加乃子の母娘喧嘩。このシーンの最後に「行かないで〜」と涙まみれの竹雄が加乃子にすがる。つばさが選んだ玉木家を象徴するシーンは、第17週で翔太がいなくなって落ち込むつばさの前に家族が入れ替わり立ち代わり現れ、優しさを差し出すところ。多部ちゃんはリプレイを観るたびに涙ぐみ、スタッフがハンカチを差し入れたり引っ込めたり。撮影中の中締めに偶然立ち会ったときも感極まって涙していたし、とても感激屋さんのよう。「あと少しで家族じゃなくなっちゃうじゃないですか」と言う多部ちゃんに、「何言ってるの。ずっと家族よ。結婚式行くわよ」と高畑さん。「そのときは夫婦として行きましょ。どうせあたし一人だし、いいじゃない」と梅雀さんに言う口調は、まさに加乃子。高畑さんは「子どもを捨てる母」という突拍子もないキャラクターを作るのにずいぶん苦労されたそうだけど、繊細さの裏返しの大胆さは素顔の高畑さんにも通じるものを感じる。

高畑さんと梅雀さんが桐朋学園の先輩後輩(一年違い)だったとか初めて聞く話も多く、楽屋のおしゃべりをのぞかせてもらっているような楽しさがあった。19週から23週までの5週分の予告を上映したり、あらかじめ受け付けておいた出演者への質問に答えたり(「川越で食べておいしかったものは?」「川越の好きな場所はどこですか」など)があった後、最後に一人一言で締めくくり、あっという間に2時間弱が過ぎた。個人的には、梅雀さんのコメントがどれもあったかく、本当にいい人だなあとますますファンになった。

入場の際に配られた「つばさ袋」(帰り道は、しっかり歩く広告塔に)の中には「つばさ」やNHK関連のチラシやリーフレットと埼玉放送局のノベルティのボールペン。さらにアンケート用紙に記入した人には、特製のぽてとステッカーが配られた。スタンプラリーの景品は一筆箋、携帯ストラップ、もう一点(これもストラップだったような)から選択。

このまま東京に戻ってしまうのももったいなくて、川越で晩ご飯を食べて帰ることに。夕方の散策で気分はすっかりうなぎ(川越にはなぜか鰻屋が多く、どこもとてもそそられる店構え)だったのだけど、帰り道にうなぎ屋はなく、看板に惹かれて「ごくらく屋 鶴と亀」というクレアモール途中のお店に入ったら、大正解。突き出しの温泉卵に始まり、「ゴーヤの梅サラダ」「ごぼうの唐揚げ」「牛すじシチュー」と食べるものがどれもおいしく、ボリュームもあって大満足。締めの「たまごかけご飯」に至っては、メニューに「炊きたてご飯」と書かれていたものの、ほんとに釜で炊くとは驚いた。これに卵をぶっかけ、塩昆布を混ぜて食べる。「十四代」を置いていることも入店の動機のひとつだったけど、酔っぱらって東京に帰り着けないと困るので、サングリアと焼酎のグレープフルーツ割をいただく。このお店、また行きたいほど気に入った。入口脇に「つばさ」のポスターを貼ってあったのも好感。

ファンミーティング目当ての川越訪問で、ますますアイラブ川越に。わが家からはちょうど一時間で行けて、近場の旅に打ってつけ。また行きます。

2008年08月01日(金)  地震の噂のたびに部屋が片づく
2007年08月01日(水)  バランスがいいこと バランスを取ること
2002年08月01日(木)  日傘


2009年07月31日(金)  赤ずきんのアクセサリーとノックごっこ

ひとたび足を踏み入れると、心奪われるアクセサリーの迷宮から抜け出せなくなる雑貨セレクトショップ「マリッツァ(Marizza)」で、赤ずきんのネックレスとピアスに恋をし、連れて帰ることに。パリのN2というブランドのもので、バスケットに入ったフランスパンとワインがとてもキュート。カラットを競うダイヤモンドより、わたしは食べものアクセサリーによろめいてしまう。

同じブランドの赤ずきんシリーズには「おおかみと赤ずきん」のアクセサリーもあり、おばあさんに扮したおおかみがお茶目。最近、娘のたまがノックごっこをやるようになり、「トントン」とノックの音を受けて、「誰ですか?」とこちらが問いかけると、「おおかみ〜!」とうれしそうに飛びかかってくる。「おばけ〜」「たまちゃ〜ん」などのバリエーションもあり、正体がわかったときのこちらの大げさな反応が楽しい様子。「トントン、だれですかー」と台詞を続けて一人二役をやってしまうこともあり、おかしい。

2008年07月31日(木)  ファミレスで働く
2007年07月31日(火)  マタニティオレンジ153 クッキーハウス解体イベント
2000年07月31日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2009年07月30日(木)  美しすぎる運命の映画『スラムドッグ$ミリオネア』

なかなか観るタイミングがなかったが、先日会った友人が「洗面器いっぱい分泣いた」と言うのを聞いて、ついに『スラムドッグ$ミリオネア』を観た。「クイズミリオネア」で勝ち進んだ青年がイカサマを疑われ、最終問題を前にして警察で取り調べを受ける。そこで彼の人生が語られ、彼が答えを知っていた理由が明らかになる。クイズ番組、取り調べ、回想の切り替わるタイミングといいその構成といいお見事で、編集のリズムすら音楽を刻んでいるよう。ともすれば3時間を超えそうな物語を2時間に納め、観客をハラハラさせ続けるダニー・ボイル監督は、さすがあの『トレインスポッティング』を撮った人。

あの作品も走る(逃げる)場面が印象的だったが、今回の作品も主人公はひたすら走る。そのときに流れる景色の中で、彼の目に焼き付いたものが一瞬カメラのシャッターを切るように切り取られたりするのだが、いつの間にか観客は主人公の目になり、彼と同じ景色を共有する。台詞ではなくカメラワークで感情移入させるのだな、と勉強になった。

スラム育ちで教育を受けていない青年が知り得た答えは、彼がたどってきた過酷な人生で出会った出来事の中にあった。それは運命としかいいようがない……という筋書き。わたしは不幸や不運もネタにして元を取れる脚本家という職業柄、「人生に無駄なことなんてない」とよく言うけれど、それはネタにして笑えるぐらいの不幸や不運しか背負ってない人間だから言えるお気楽な人生観なのかもしれない。自分で人生を選べない者が、くぐり抜けて来た辛い過去を「運命」として受け止める重みはケタ違いで、だからこそやっとたどり着いたハッピーエンドに喝采と涙を飛ばしてしまうのだ。インド映画のお約束の踊る大団円を観ながら、幸せになって良かった、と心から祝福したい気持ちになった。観終わった後の充足感は、これまでに観た映画のベスト5に入ると思う。

幼い頃の2年間、隣人がインド人一家だったこともあり、インドにはことのほか親しみを覚えている。幼なじみだったポピーちゃんの結婚式でデリーを訪ねたのが最初で最後のインド旅行だが、そのとき、至る所で目にする物乞いの子どもたちに驚き、戸惑い、怖れすら感じた。生きることに必死な彼らの姿が劇中のスラムの子どもたちと重なった。「クイズミリオネア」はアメリカにもイギリスにも日本にもあるけれど、この番組を題材にした物語の舞台がインドでなければ、運命を引き寄せた青年の強さをここまで感動的に描けなかっただろう。

原作『ぼくと1ルピーの神様』を書いたヴィカス・スワラップのインタビューを新聞で読んだが、彼は外交官でもあり、ひらめきを得て仕事の合間に一気に書き上げたのだという。原作から映画化にあたっては大幅に変更がされているそうで、こちらも読み比べてみたい。

2008年07月30日(水)  マッシュルームにすると美味
2007年07月30日(月)  劇団ダンダンブエノ公演『砂利』
2004年07月30日(金)  虹色のピースバンド
2003年07月30日(水)  脚本家ってもうかりますか?
2002年07月30日(火)  ペットの死〜その悲しみを超えて
2001年07月30日(月)  2001年7月のおきらくレシピ

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