『ラジオな日々』の書評を新聞で見つけたとき、これは読まなきゃ、と思った。著者の藤井青銅さんは、わたしにとっては、NHK-FMで毎年恒例の「年忘れ青春アドベンチャー」の作者としておなじみの人。一年の出来事を笑いにまぶして振り返るこの企画のノリと勢いに舌を巻いていたのだが、いつデビューしてどんなものを書いてこられたかという作家としてのルーツは存じ上げなかった。
70年代の終わりに放送作家になった藤井氏が、80年代のラジオでどんな仕事をしていたかが活き活きと描かれた自伝的クロニクル。千本ノックを受けるがごとく書きまくり、少しずつ認められ、採用率がぐんぐん上昇し、80年代のラジオを書きまくる。デビューしたときからずっと書きまくっているのだが、ペンで道を切り拓いていくがごとく、書くことで出会いを呼び寄せ、新たな仕事を獲得し、活躍の場を広げていく過程には冒険活劇のようなスリルと躍動感がある。実名がバンバン登場し、エピソードは具体的で、目の前で「あの頃はね」よ語りかけられているような臨場感もある。
精魂こめて書いた脚本が、収録が終わったスタジオの床に散乱しているさまを、祭の後を眺めるように見ている若き日の藤井さんが目に浮かぶ。拾い上げら脚本の断片を見て、「そのゴミ捨てときましょうか」とアルバイトの女の子に声をかけられ、「ゴミ?」と引っかかる気持ちに深い共感を覚える。一瞬一瞬が刺激的だったに違いない「ラジオな日々」は藤井氏の記憶に新鮮なまま保存され、四半世紀の時を経て、熟練の筆に乗って見事に再現されている。ラジオに今よりもっと引力があった80年代を懐かしんだり、自分がラジオでデビューした頃を振り返ったりしながら読み、やっぱりラジオっていいなあと何度も思い、ラジオが聴きたくなったり、書きたくなったりした。
放送作家ならではのサービス精神なのか、ラジオドラマをどのように着想していたか、どんな直しを受けたか、といった手の内も気前よく明かされ、シナリオを勉強する人、とくにラジオを書いてみようという人には実用書になる。デビューするよりも作家として仕事し続けることのほうが大変、とはよく言われるけれど、書いたものが採用されるために藤井氏が実践したあの手この手の創意工夫は実に参考になるし、その意欲と情熱には大いに励まされる。
この本をこれから読もうかというときに、広告会社時代に机を並べていたアートディレクターで、今は独立してイラストや装丁を手がけている名久井直子さんとひさしぶりにメールをやりとりしたら、「最近やった仕事は『ラジオの日々』の装丁」と書いてあって、手元にその本がある偶然にうれしくなった。ぐいぐいと一気に読んでしまった読みやすさは、もちろん藤井氏の文章のなせる業なのだろうけれど、活字ひと文字ひと文字にこだわる名久井嬢のいい仕事も貢献していると思う。そういうわけで、今、すすめたくてたまらない一冊。
2006年08月03日(木) 子どもの城+ネルケプランニング『南国プールの熱い砂』
2005年08月03日(水) 『三枝成彰2005 2つの幻』@サントリーホール
2002年08月03日(土) 青森映画祭から木造(きづくり)メロン