ブロードウェイ・ミュージカル『ヘアスプレー』来日公演を観る。会場の渋谷東急bunkamuraオーチャードホールは、わたしの二本目の脚本映画『風の絨毯』を東京国際映画祭でワールドプレミア上映した思い出の場所。満席の客席には、お母さんと女の子という組み合わせが目立つ。夏休みの絵日記に今日のことを書くんだろうな。この物語の主人公は、元気いっぱいの高校生の女の子・トレイシー。彼女のパワーを受け止める肝っ玉母さんも登場する。
新聞で紹介記事を読んだときから、わたし好みのにおいがプンプンしていた。まず、「おチビでおデブでポジティブ」なヒロインが、自分の高校時代と重なった。一年のアメリカ留学で20キロの増量に成功し、150センチ足らずで60キロ余りというチビデブ体型を手に入れて帰国したとき、わたしは人生最高体重(妊娠しても記録は破られなかった!)にして、自己肯定度も人生最大に達していた。髪や肌の色の違いに比べれば体型の長い短い太い細いは誤差のようなものだったし、「あなたの肉付きって、とってもチャーミング」などと褒め上手なアメリカンのおだてにも乗り、おデブはおチビをキュートに見せるアクセサリーのようなものだと信じていた。身に余る体重と体脂肪が、過剰な自信のエネルギー源になっていた。
留学時代の実感が、「しっぽが生えたって自分は自分、しっぽは欠点じゃなくてチャームポイント」という映画『パコダテ人』につながったのだが、その発想は「人は見た目じゃない」という『ヘアスプレー』のメッセージにも通じる。ヒロインはジャックリーン・ケネディ顔負けの個性的なヘアスタイルが自慢で、誰が何と言おうと、これがいい、と信じて疑わない。そして、体型や髪型と同じように、肌の色が違ったって、みんなそれぞれいいじゃない、その違いで区別するのはおかしいじゃない、と訴える。彼女の主張の象徴のような存在感たっぷりなヘアスタイルを固めるための小道具が、タイトルにもなっている「ヘアスプレー」。身近なモチーフと人種差別というテーマの組み合わせの妙が興味深い。
わが道を行くヘアスタイルも、わたしの思い出と重なる部分があった。大学生の頃、何を思ったか「アフリカの赤ちゃんみたいにしてください」と美容院でオーダーしたら、パンチパーマとしか形容しようのない髪形にされてしまったが、「あなたらしい」「似合っている」という苦笑交じりの反応の言葉だけを鵜呑みにして、「こんな難しいヘアスタイルをモノにできるのは、わたしぐらい」だと妙な自信までつけてしまった。あの頃のわたしは今よりもずっと「自分は自分、好きなものは好き」がはっきりしていた。恥ずかしくもあり、眩しくもある。
そんなこんなで気になっていたら、招待券が2枚手に入った。観劇の友に誘ったのは、会社時代の後輩営業・ユカ。ニューヨークで歌とバレエを本格的にやっていた彼女なら喜んでくれるだろうという読みは当たり、「こないだニューヨーク行ったとき見逃しちゃって!」と飛びついてくれた。二人して体でリズムを取り、よく笑った。客席と舞台がひとつになった総立ちのカーテンコールは、もちろんノリノリで踊った。人種差別をテーマにしながらも決して重く暗くはなく、ネガティブを吹き飛ばすヒロインのポジティブパワーが強烈に伝わってくる。理不尽をひっくり返すのは理屈じゃなくて勢いなんだ、と歌とダンスの力強さに説得される。ハッピーがハッピーを呼ぶそのドライブ感が気持ちよくて、ビタミンカラーの水しぶき(スプレー)を吹き付けられたような元気と爽快感をもらった。
2002年08月02日(金) 「山の上ホテル」サプライズと「実録・福田和子」