日付が8月6日から7日に変わった瞬間を携帯電話の待ち受け画面で見届けたダンナが、パソコンに向かっているわたしの背中に、「地震は起きませんでしたねえ」とイヤミったらしく言った。ここ数日、せっせと棚の上のものを床に下ろしたりワイングラスを牛乳パックでガードしたりしているわたしを見て、普段まるで掃除をしないくせにこういうときだけ張り切るそのエネルギーの使い方は間違っていないか、と首を傾げていたダンナは、ほらみろ取り越し苦労だ、と勝ち誇ったのだった。
来なければ来ないでよし、部屋が片付くいい口実だと思えばいい。そう開き直っていたのだけど、地震は来なかったのに、若干の被害が生じた。ベッドの下にワレモノなどを避難させたものの、そのベッドの上で娘のたまがはねることは想定外で、グシャリとつぶされるようにグラスが割れてしまった。また、妙にたまがおとなしいなあと思ったら、テレビの上からじゅうたんに避難させた観葉植物の土を素手でほじくり返し、じゅうたんが砂場と化していた。備えあれば憂いなし、のはずが、備えたせいで憂いあり。やれやれ、子どものいたずらは天災のようなもの。
2006年08月06日(日) アシナガバチの巣
2005年08月06日(土) 下垣真希 平和のリサイタル『命かがやいて』
2004年08月06日(金) シナリオ『父と暮らせば』
2002年08月06日(火) 『絶後の記録〜広島原子爆弾の手記』