だいぶ暖かくなったので、Aと朝の散歩に出る。
いつものように漫談をしながらツラツラ歩いていたら、 見知らぬ中年の女性に、仲の良い親子ですねと話しかけられる。
彼女が話すまま耳を傾けていると、次第に話は込み入ってきて、 しまいには自分の孫2人が体外受精で授かったという、 聴くほうもドキドキするような話をはじめた。
「嫁が普通に産んだ子じゃない」、とか、「金がかかるが覚悟した」、 というような口さがないことを何度も言うので、見知らぬお嫁さんが可哀想だと思ったが、 この中年女性はとにかく、そういうことをどこかの後腐れのない誰かに言いたいのだと思い、静かにうなづいていた。
そうしたらやはり、どす黒いものを吐き出した後で、 腹の底からパズルの1ピースが飛び出した。 「まあ、授かったんだからね」と。
*
彼女は、先に散々、命に作為的であったことを口にしているが、 心の奥で、自分の可愛い孫がここにいるのは、 色々やった結果だとしても、どこかで天の計らいを受けている −無作為の結果−と思っているのである。 少なくとも、そう思いたいと願っている。
人の心は不思議だと思いながら、家に戻る。
仮初の区切りがあり、とにもかくにも疲れ切って寝坊。
布団の中で朦朧とする中、 ラジオではいつものように「楽興の時」が流れ始める。
えー今日は、ショパンの練習曲を聴いていただきます、と皆川さんが言う。 はいお願いしますと力なく答える。
連続する川の流れのようなピアノの音が、枕経のようである。 激しく情熱的なメロディだというのに、緊張した何かがほどけていく。
カチカチになった心の中にショパンがやってきて、 連続する三声でもってくまなく指圧を施している。
私は特別な集中も必要なく、フットマッサージを受けるおばさんみたいに ああ美しくて気持ちがよいなと、呆けた心をまかせるばかりである。
ちゃちなラジオで聴く音楽で気持ちが静まるとは思わなかったから驚いた。 自分の中にものすごい不調和を抱えているから、 超絶的に調和のとれたものが薬となったのかもしれぬ。
再び皆川さんが現れて、 イタリアのピアニスト、マウリツィオ・ポリーニの演奏でしたと言う。 ポリーニさんというのか。この人には大きな借りを作ってしまった感じだ。
まことに結構でしたと私は答え、布団から身体を起こす。
2008年02月23日(土) |
オリンピックか戦争か |
むのたけじさんの記事を読む。
資本主義経済は常に戦争という装置を必要とする、という始まりで、 世界は既に次の大戦の準備段階に入っている、と言う。
本当かね、と疑っていたい。
でもむのさんは、戦争はやろうと思ってすぐできるものではなく、 法整備から始まって、周到な準備が必要なものなのだ、と言う。
確かに、オリンピックだって、白紙から開催までは相当かかっている。 ああそうだ、あれはきっと、戦争の代替行事なのだ。
4年に1度、世界中で市場が大きく動く。 人はあまり死んだり悲しんだりすることもなく、 愛国心を発散するに足る、適度で健全な興奮と英雄を、民衆に与える。 メダルを渡してしまえば、後腐れなく終了する。
何しろ世界戦争の代替行事だから、興ざめする国もなく、万国が参加する。
無駄なイベントと思っていたが、 そういうことならば、大いに世界中で盛り上がってくれという気になる。
北京オリンピックでジャブジャブ金を使えば、 むのさんが言う次の戦争は、少し先に計画変更されるだろうか。
2006年02月23日(木) 2004年02月23日(月) 死ねない犬
寒さという苦難の退場と入れ替わりに、睡眠不足が入場する。
どんな多忙な仕事でも赤子の世話よりは楽だなどと その昔日記に書いたことを思い出し、撤回する。
仕事の忙しさは仕事の忙しさだ。
*
この終盤になって、色々な反省点が浮かび上がる。
人にたずねる以外方法のないノウハウというものが、 きっとどんな仕事でもある。それが専門性というものだ。
コミュニケーションにおいて自分に決定的に欠けているものは、 そういう部分を人にきけないということだ。 困った時に「わからないんですけど」と、相談できない。
若い新人でもないから聞けばよいというものでもないし、 一人で考えてこれまでずっと切り抜けてきた自負がないわけでもない。
でも、そういう自分を一度ばっさり否定しなければ自分は先がなく、 「この仕事に向かない」という判決が、私自身か他の誰かから下されるだろう。
内情は見通しがまったく立たないし、一人で立つわけもないのだが、 どこかの役人みたいに、すました顔でスマートに何もかもこなそうとする。
とんでもない自己欺瞞である。 そのことが後々になって問題を引き起こしている。
見通しが行き詰った時には熟練者に相談をしていけないことはないと、 そう思えないのは何故なのか。
少し前にHが図書館で借りてきた「嘘つき」という心理学の本は大層詳しそうだったから、 それを読めば、この自己欺瞞について、何か解決の糸口がみつかるかもしれない。
2007年02月21日(水) 奇妙な加工 2005年02月21日(月) 博覧会と私 2004年02月21日(土) TO PRAY
年度末の猛レースが、第四コーナーを回っている。
疲弊した。が、あともう少しだ。
これが終われば、仕事は長い休みに入る。
2007年02月19日(月) honey bee 2006年02月19日(日) 踊る阿呆に見る阿呆 2005年02月19日(土) 嘘笑い禁止令 2004年02月19日(木) ファンタジーと生きる その2
冬の寒さにくたびれきった身体へ、 最後の止めと言わんばかりの寒気が山の彼方から降りてくる。
でもそれは、日の出とともにあえなく退場する。 陽差しはもう、それだけの力を取り戻している。 寒さよ、だからもうあきらめて、こっちに来ないでくれという切実な思い。
*
春の歌謡曲がラジオに流れ始める。 最近の春のヒットナンバーには、桜の花がよく登場する。
桜、それもぱっと満開しぱっと散るソメイヨシノのイメージに、 何かどろどろした情念や観念をトッピングしたものが多い。 ワンパターン気味の流通歌に自分の感性を左右されるのは嫌だなと思う。
それにしても桜は、それほど国民感情を喚起させるものがあるというのだろうか。
*
日本人の感性に特別に桜、とりわけソメイヨシノを配置しようというのは、 私にはいささか作為的だと思う。国策的といってもよい。
自然の中に八百万の神を見出してきた私たちは、 もっと移ろいや多様性を内面に感じ取るセンスを備えている。
あと一月もすれば、その桜が満開する。 靖国神社やお堀端で花見に興じるのもよいが、 もうそろそろ、それが春の本質でないことに気付くべきだ。
2006年02月18日(土) 2005年02月18日(金) 模倣と社会 2004年02月18日(水) 馬鹿でもないし迷走でもない恐怖
2008年02月14日(木) |
災害と文化とヒューマニズム |
世界P.E.Nフォーラム「災害と文化」−叫ぶ、生きる、生きなおす−というイベントが、日本ペンクラブの主催で来週22日から行われる。
東京の生活が時に羨ましくなるのは、こうした興味あるイベントを見つけたとき。 この辺であれば山へふきのとうを採りにいくように、 山手線にひょいと乗って気軽に出かけられるのは、まことに羨ましい。
このフォーラムでは、大江健三郎さんの基調講演を皮切りに、 災害をモチーフにした映像や文学作品や劇、コンサートが催される。
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私達は人として被災する。
自然の脅威に晒され命を奪われることは、生物に等しい災難である。 植物も動物も、その生息環境が根底からひっくり返るのが、自然災害だ。
けれど、人として被災することは、 社会的に積み上げてきた多くのものを失い、被災した事実を深く自覚する。 何かを大きく飲み込まなくてはならない点で、他の生物と大きく違う。
このフォーラムのテーマは、防災技術や復興技術とはまったく別の方向から光をあてている。 PTSD−心的外傷後ストレス障害−のケアを訴える話とも違う。 想像するに、もっと根本的なことだと思う。
人間は自然の中でしか生きられないという、ほとんど忘れかけていた宿命を目の当たりにした時、 人は最も人間らしい創造性を発揮するのではないか。
日本ペンクラブの人達は、そう問いかけたいのだろうと勝手に思っている。
2006年02月14日(火) 春と光と私 2004年02月14日(土) 見えないナイフ
大量のゴミ袋と、疲れてはいるが満足そうな顔をしたHが山から下りてきた。
Hはこの連休、クライマーのちょっとした集まりをやることに決めて、 そのために年明けからずっと奔走していた。
小屋や道路や車を借用する手配をし、発電機をかつぎあげ、 予算を組んで必要な資金調達を行い、参加者へ諸々の案内を出す。 当日も、ガイドのごとく完全にホスト役に徹していたらしい。
生きる小乗仏教とでもいうようなこの男が、何を思ったのか、 己の自己実現を二の次にして、人が集うための骨折りをせっせとやっている。
その様子を、たいそうめずらしいものを見るようにウォッチングしていたが、 Hにこういう面倒な主催を決意させたのは、たぶん、去年の英国での経験だ。
英国の伝統的なアルピニズム。 現役トップクライマー同士の、エキサイティングな交流。 ホストによる、エレガントで有意義なミーティング進行。
異文化を肌で感じ、自分も日本の山でやってみたいと思ったのだろう。
まあ、アクシデントもなく無事に終わってよかった。
2007年02月11日(日) 根を張り枝を張るもの
2008年02月09日(土) |
寒気と消耗と自画自賛 |
本日も最高気温は0度。最低気温は、もう文字にしたくないほど。
そして寒いのは、この信州だけではない。 日本全域が冷え込んでいる。
*
夏バテという言葉があるように、冬だって身体が消耗する。 ひどい疲れとか今ひとつ元気になれないということは、 この際みな、寒さのせいにしてしまえばいい。
人柄は関係なく、宗教もまったく関与せず、職場の人間関係も影響なしで、 今年の私たちは、その土地の風土なりに等しく、寒さが身体にきている。
寒いといって仕事や生活を放り出すことはできないから、 おおかたの人は、「今年はえらく寒い」という事実に目をつぶって通常営業する。 それで、心もいささか参ってくる。
せめて休めるひとときは、ゆっくり風呂で温まるなどして、体力を回復したい。
この冷え込みの中、身体がせいいっぱい恒常性を保とうとして、 生きているだけでも、我々は大したものなのだ。
2007年02月09日(金) 自家用人生 2006年02月09日(木) 2005年02月09日(水) ゲームオーバーなのではない
餃子問題に関するニュースが連日続く。 色々な事実が判明してゆく。
被害に遇われた人には大変に申し訳ないのだけれど、 正直にいうと、どこで何が起きたのかはっきりすることが、 私にはなんだか恐ろしいことのように思えるのである。
事件性をおびてきたこの出来事は、 国民感情の中に何か不健全な怒りを芽生えさせはしないだろうか。 そういうことに、はらはらしている。
故意にしろ過失にしろ、毒物が食品に混入したという事実には変わりない。 けれどもそれ以外のことは、どこの国で誰が何をしたのか、 あるいは誰がそれをやらせたのかは、まだ何もわかっていない。
この先、何かが判明したとしても、世間をこれだけ騒がせた事件の結末である以上、 その報道される事実を、私はおそらく頭から信じたりはできないだろう。
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それにしても、食品に毒を入れるという犯罪は、 何故か、他の犯罪にはない気味の悪い悪意を想起させる。
和歌山の毒入りカレー事件のときも、そうであったように思う。
2007年02月05日(月) 図々しさのプロデュース 2006年02月05日(日) アナログ的現在 2004年02月05日(木) 粗末にされる男と粗末にされる女
冬季休業中のHは、シンデレラのようによく働く。
朝一番に起きて居間を暖め、朝食をこしらえ、後片付けをし、 Aを送り出し、必要に応じて洗濯に掃除をこなす。 こんなもの、という感じで気負うことなくやるのが私との違い。
もっとも、週末には山へ行くための涙ぐましい努力であることは明白だが、 自分以外の家事労働力をこれだけ投下できることは、 年度末の私にとって、相当にありがたいものである。
家事は家庭につきまとう労働である。 病だろうと多忙だろうと関係なく連続する。
だから、とにかく我が家族は、自分以外の誰でもその最低ラインがクリアできる、というふうになっていると、 主婦というのはかなり心穏やかに日々を暮らすことができる。
自分の労働で衣食住がまかなえる技能というのは、 誰かを幸福にしたいと思ったとき、きっと役に立つ。 身につけておいて損は無い。
2005年02月04日(金) 睡眠運用 2004年02月04日(水) 【備忘録メモの日】
二月をあらわす「如月」の語源のひとつには、絹更着、 すなわち衣服をもう一枚着るという意味があるのだそうである。
一年で最も寒い月とされているのだから、寒いのは当たり前なのだ。 コブシや梅が早々に花芽をふくらませる暖冬よりはいい。
だからといって一方的に凍えているわけにもいかない。 頭からつま先まで羽毛に身を包んだいでたちで、ほとんど一日中過ごす。 まるで俺のヒマラヤ仕様だとHに揶揄される。
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自分のことはさておき、 この土地の寒さの中で子どもを育てられることには、感謝している。
冬の寒さは、間違いなく自然の厳しい在り様のひとつだ。 でもそれは災いではない。誰かの悪意や自己実現でもない。
人間の存在などに目もくれず、ただ寒風を吹き降ろし、 コトリとも音を立てずに冷気を運ぶ。
冬の寒さは、誰のせいにもできないのである。 こういう在るべくして在る厳しさは、社会装置ではつくれない。
受け入れるしかない厳しさの中で、じっと耐えたり、 それなりの知恵をしぼって安楽を見つけるという経験は、 人間の中に、替えがたいタフな精神性を育んでいく。
手や足にものすごいしもやけやあかぎれをこしらえながら、 嬉しそうに川原へピカピカ光る氷をはがしにいったり、 白い息をはずませながら冬の歌を口ずさむ子ども達を見ていると、そう思う。
この問答無用の厳しさをこうして耐えられるのならば、 将来出会う俗世の出来事に−それがどんなに厳しくつらいものであっても−自分を損なわずにいられるだろう、 少なくとも、私よりは上手くやっていかれるだろうと思う。
2007年02月01日(木) 2006年02月01日(水) 2005年02月01日(火) 真贋の話 2004年02月01日(日) 春と氷
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