ある合意形成にまつわる段取りをしなければいけない。
かかえている問題は、夫婦間協議より少し大きく−あくまで社会的広がりにおいてだけれど−、六カ国協議よりはだいぶ小さい。
色々調べてみた。 アメリカでは合意形成プログラムなるものがあるのらしい。 確かに、色々なメソッドを組み合わせていて、なんだかすごそうに見える。
でもなあ、と思う。
もし自分が合意形成を必要とする当事者だとして、 誰かが「このプログラムで合意形成しよう!」と息巻いたとして、 いったい本当に、その人へ自分の利害関係を委ねていいものだろうか。
何でもかんでも明文化するのは、どうも品のある行為と思えない。 日本でいう世話役という役割の方がなんだか洗練されている。
物事はすべてが上手くいくとは限らない。 それに、時間がかかるものは時間をかけなければいけないし、 それは誰にも計れないのだ。
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