2004年02月18日(水) |
馬鹿でもないし迷走でもない恐怖 |
イラクを書いている人の日記を俯瞰す。
小泉首相の発言に、法的なあるいは理論上の妥当性がないとお怒りの人は多い。明らかに憲法第9条に違反している、とか。
丁寧にその矛盾点を解きほぐす作業は重要だ。 そういう作業を毎日、コツコツとしている人はすごいと思う。 拠所は、そこにあるのだから。
そういう積み重ねを前提に思うのだけれど、 問題とするものは最早そうした理論や意志決定の過程にはないと思われる。
それは彼が確信犯だからだ。
彼が最近多用する、「私は○○だと思う」 という言い切り型のフレーズは 権力をもった確信犯の発言であって、 「私がそいういう判断をしているのだからいいのだ」という強い意志が感じられる。
言下に何を背負った上での発言か知らないが、 家長が一家を取り仕切る時代ではない。 戦争をやりたがっている、と言われても仕方がないと思う。 私は、この人のこの強い意志をひたすら気味悪く思う。
心を失った弱い市民が強い(発言力の)リーダーを必要とした結果、 こういうことになってしまったのかなと思う。 強い意志を強い意志で返さなければと思う。 私も「私は○○だと思う」といおうと思う。
こういう、人が心を失ったときにこそ、 芸術文化の果たす力はあるのだと思うが、 やんぬるかな、第一線とよばれるアーティスト達の底の浅さよ。
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