仕事で行った先で入手した「奥多摩飴」。発売元奥多摩工業(株)とある。土産物にそぐわないこの発売元は、この地で石灰石採掘をしている企業なのだ。奥多摩の道や鉄道なんかのインフラは、この石灰石を運び出すために整備されたものが多い。
だからこの奥多摩飴にも石灰が入っている。「手造り炭酸カルシウム入り」と表示されたパッケージはそっけなく「別に造りたくてつくってる訳じゃないんだけどね」とでもいいたさそうだ。
青い透明な飴を口から入れたり出して眺めるAに、こんな按配で法螺話。
「…奥多摩という処には飴でできた青い大きな岩山があり、「梵天岩」とよばれている。(注:梵天岩は実在)日原集落の屈強な男達は−ここで取材撮影したKさんの写真を見せる−一攫千金を狙い「飴取り」をする飴ハンター達である。ハンマーのような道具でガーンガーンと削りとった飴塊を背負子に入れ急峻な山を下りる。それを小さくして売っているのが奥多摩飴。」
Hがジェスチャーで、嘘嘘とやっている。 しかしAは神妙な顔つきで、ふーん、とうなづく。
からかうつもりの自分さえ、蒼い飴のエルドラドが浮かんできて、さらに 「お母さん見てきたんだけどね、雨が降ると飴の山が溶けて、傍の川が飴の味になるんだよ」とまでふかす。
Aは、その川の水は一体どんな味だろう、ということで頭の中がいっぱいの様子。 私も、緑濃く深い森を流れる「炭酸カルシウム入りの蒼い川」は、一体どんなだろうと想像する。
2004年05月31日(月) 自給自足
末期がんの患者で心臓や呼吸が停止した際の蘇生措置を、 家族や本人の同意があれば必ずしも行う必要がない、 とする報告書を、厚生労働省の研究班がまとめた。
*
助からない命にいたずらな処置をすることは、残された家族の心を傷つけ生きていく力を奪う。 だから終末期の医療の関わり方というのは、このようにあるべき方向になるものだと、すっかりこれを「よいニュース」と位置づけていた。
しかし、これは似て非なる方向であることを、ある情報ソースから知った。
どうやらそのねらいは、臓器移植なんだそうである。 もう生きられないならパーツを早く外して使おう、というものらしい。
げんなり、である。
*
男と女も曖昧、他人の命も自分の命も区別がつかない。 何故、だらしなく、醜くその垣根を埋めようとするのだろう。
細胞が減数分裂をして有性生殖をはじめた時から、 「個体」という存在と「寿命」という概念が生まれた。
肉体は有限と認識するからこそ、自分は自分でいられる。 人間は、単細胞生物に退行したいのだろうか。
2004年05月30日(日) 言葉のない世界
新生姜の季節。 昨年手に入れながら、ついに作ることができなかった加工品に着手。
薄くスライスして蜂蜜に漬ける。 ただこれだけのことが何故昨年できなかったのかは、 もうタイミングとしか言いようがない。
今年の冬に入手した市販品をHが大層気に入っていた、ということが、 本日のモチベーションにつながっていることは確かである。 やらねばならぬことに「人のため」という言い訳をつけると、 人間腰が軽くなるものだとつくづく思う。
だけど、余った生姜で作るとっておきの甘酢漬けは、 絶対に自分専用にして、こっそり食べようと思う。
2004年05月28日(金) 子殺しという生態
曇天で蒸し暑い昼下がり。
仕事の手を休め、冷たいものを求めに階下へ。
うす暗い台所を物色しているうちに、昨年作った梅サワーなる飲み物を思い出した。 甘いジュースでもっぱらAが飲んでいるのだが、自分が飲んでいけないということもないなと思い、調合する。
大き目のグラスに氷を沢山。原液を4倍希釈ぐらいにして、できあがり。 さわやかな酸味が、蒸された身体をクールダウンする。
この間まで花の香りを楽しませてくれた周囲のウメの木は、もう中梅サイズの実をつけている。 今年は梅で何をつくろうか、やはり梅干は欠かせないないな、と思案しつつ、再び仕事に戻るのだった。
2004年05月27日(木) 適正表示
家のドアが壊れて鍵の施錠ができなくなった。正確にはしばらくの間ずっとその状態だったのだけど、そのままにしていた。今日ようやく家主のKさんに相談することができたというわけである。
さっそくKさんがやって来て、今日は一日修繕をしてくださった。 普通に考えれば、どうみても交換必須の古いドアなのだけれど、そんな気は毛頭ないらしい。リタイアしても、エンジニア魂が健在なのである。
昼下がり、近所のおじいさん達が次第に集まってきて、外したドアを押さえてKさんの作業を手伝ったり、「ネジがかんでないね」などと所見を述べていく。
春ゼミが鳴いて、気持ちのよい風が通り抜ける。
そのへんで牛が草でも食んでいれば、スペインの田舎のようなのどかな一日だなあと、Kさんの作業をただ見るだけの私は思ったのである。
2004年05月26日(水) 学校の話
最近の新聞記事の、文章が乱雑なのが気になって仕方ない。そういう時がある。
乱雑というより、記者が饒舌にすぎるというのが正確なところ。 新聞記事というのは、論説でもない限り事実を正確に書くだけでよいと思う。つまり記者の個性は必要ない。
自分を勝負したいのなら「現場から採取してきた事実の質」でやるべきと思うのだが、おそらくはそういうことに汗をかかなくなっている。 だから、何を間違ったのか読者に何かを喚起させるような煽り文句や描写なんかを書くことが記者としての腕前と勘違いしている向きがある。 大きな間違いである。
行政機関がやたらと馴れ馴れしい表現を使うことも、私の好みではない。組織自体がお硬くあらねばならぬ宿命なのだから、内容がわかりやすければ、硬い表現で一定の距離を保つことは、別によいではないかと思うのである。そういう文章が、この国の中に一つぐらい存在している必要があるのだ。
新聞社や行政機関のありかたというよりも、私はそれを書いた一人の人間の心の在りようが、気になる先である。 しっかり自分の働き場所に立ってくれ、と思うのである。
*
それにしても、何かにおもねるような文章は、一発で化けの皮がはがれる。こういうところが、文章の面白さであり怖さである。
2004年05月25日(火) 謝意
国発注の橋梁工事の入札に関する談合組織に東京高検が強制捜査。 なんと40年以上も、一定の企業だけの談合が行われていた。
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朝食をとりながら、Hと談義。 「四十年だってさ」と彼は大層驚くが、私には普通に思われる。良いか悪いかは別として、特別驚くことではない。
大規模構造物の建設工事という業界は男社会の牙城のような場所で、勇気を出して言い切ってしまえば、男社会というのはこういう「囲い込み」で安心感を得るのが好きなんである。
婦女子を排除するということについて良心的に検証すれば、山国日本でトンネルや橋を建設するというのは、大変に危険を伴うものであり、男衆が脇目もふらずに取り組まねばならない事実がある。
だから−縁起が悪いという理由になっているが−女人禁制の慣行があり、今でも多分現場に女が入ることは嫌がられるはずである。
特定業者だけしか入れないというのは、品質を確かにしたかったという面があるのではないかと推察する。 傾斜の多い日本で橋やトンネルを作るのは、相当に専門的で高度な技術を必要とするから「安くできる業者は誰でもいらっしゃい」とは言えない事情があったことも、多少は情状酌量できる。エンジニア達はプライドと使命感をもって業界を守ってきたというのは、少し言いすぎか。
*
男にしかできない「使命」「責任」「連帯」。 こういうシチュエーションは、男社会に何とも言えないロマンを掻き立てるのではないだろうか。 映画監督の大島渚が新撰組をテーマにした「御法度」という映画を撮ったとき、「男の連帯感というのは、何かエロティックな関係が潜在的にある。そういう世界を撮りたかった」と発言していて、その昔妙に賛同した。
そういう世界を否定するつもりはない。 そのようなロマンティシズムをもって、よい仕事をしてくれるのならば何よりである。 ただし金目が目的になった瞬間、それは異常発酵し、異臭を放ちはじめる。
だから私は僭越ながら申し上げたい。 往々にしてそのような集団は客観性を見失い暴走しがちであるということを、その典型的なケースが戦争である、と付け加えつつ。 特にマスコミは、入念なセルフチェックをしていただきたい。
* Hとの議論は最後に「女は談合ができるかね」という方向にむかったが、 あっさりと「駄目だろうね」という結論になった。 造反者は多いわ調整に時間がかかるわで、効率的な慣習となり得ず3日ぐらいで破綻するだろう、 という理由である。これには私も同意した。
2004年05月24日(月) 絶滅の前に起きること
折からの雨。
アキグミの花の香りは、エキゾチックだ。 科もまったく違うけれど、ジャスミンとよく似ている気がする。 全て山の中という深い谷にいて、その甘い匂いに包まれたのだった。
2004年05月23日(日)
休日の日は、兼業農家の農作業ラッシュなのである。
このあたりもやはり、食害、獣害とよばれる農作物被害が著しい。 シカやサル、イノシシ、ハクビシン、の類である。 山の家では畑はもちろん家の周囲にまで現れる。そういう形跡がある。 どうも奴さん達は、自分の庭ぐらいに考えているようだ。
そんな昔話みたいなことをのんびり言っていられるのは隠居がやる農業の世界で、 家計に直結する生産農家の方々にとっては、これはもう闘いなのである。 だから、たいていの畑の周囲には、沖縄の「象の檻」のごとく鉄柵がぐるりと張り巡らされて、さらに微弱電流まで流してある。群馬県の吾妻町などでは、ついに集落全体を鉄柵で囲ってしまったとこの間何かで読んだ。さらに、夜には脅かしの空砲が30分おきぐらいに空に響き渡る。
*
獣害の原因は山に食べ物が無くなったから獣が里へ下りてくるのだ、という説が主流だけれど、もはやそれだけじゃない気もする。
柔らかな植林苗や野菜苗の味を知ってしまった獣達は、山の樹皮や木の実などが豊富にあったとしても、もはや食べなくなっているのではないだろうか。
2004年05月22日(土) 個人主義
死の恐怖感を味わう気味の悪い夢で深夜目が覚めてしまい、 これはもうあの蛇を放してやれということに違いないと勝手に思う。
少し可哀想だが、流域が3つも4つも異なる離れた山へ放すことで、「始末派」との合意に達した。 林道脇で蓋を外すと、暖かくなって元気づいたのかあっという間に繁みの方へ向っていった。林内に姿を消す最後に、少しだけ振り返ってこちらを見た。 体長1mはあり、あんなものを布団部屋で見つけてしまった母はさぞ驚いただろうと思う。
その後少し山仕事。 カラマツ林の下にヤマツツジかミツバツツジでも入れたらきっときれいに咲くから、植えてみようと算段。
2004年05月21日(金) 抽選12万名様に裁判体験 その2
山の家へ。
先に到着していた母が、家の中にヤマカガシをみつけた。 布団の間で暖をとっていたのを、偶然みつけてしまったらしい。 捕獲した後、始末するべきか放すかで意見が分かれた。
「始末する派」の考えは、近くに放すとまた家に戻ってくるからというもの。
結論は翌日に持ち越された。 冷え込む夜半に外へ出されたあの変温動物は、さぞつらかったことだろう。
2004年05月20日(木) 油断スイッチで幕があがるとき
「死ぬまでにしたい10のこと」という映画は、仕事が暇になったら観たいビデオにノミネートされている。
どちらかというと自分は「死ぬまでにしたい10のこと」というより「生きている間にしたい10のこと」の方が好きだ。
何故ならば、10のことが実現したら、もう10ほど「おかわり」ができる気がするから。
2004年05月19日(水) 国語の時間に教わったことの話
「進化論否定の公教育」という記事。アメリカ国内でのこと。進化論は「神が万物を創生した」と説く聖書の教えに反するため、20世紀前半から米国で論争になっており、法廷問題にまで発展している。
ここ最近では、1980年代頃に提唱されはじめたインテリジェント・デザイン(ID)なる説をめぐって、米国内で議論が高まっているらしい。 記事によると、IDとは「人間の複雑な細胞の構造は進化論だけでは説明できず、高度な理知の手が入ることにより初めて完成する」というものだそうである。
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聖書に「高度な理知の手によって天球が動かされている」とか「高度な理知の手によってパンケーキはつくられる」と書かれていなかったことについて、アメリカ国民は神に感謝するべきだろう。
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どの国にも多分、程度の差はあれ、内なる病理というのが存在する。米国にも中国にも、日本にも。そして内部の人間はその異常さに気付かないものである。 だからこのアメリカでの聖書と進化論をめぐる馬鹿げた話について彼是言うつもりはないのだけれど、ただグローバリズムというのは、−知らない強みで言ってしまうと−そうした内なる病理を外国に押し付けるという側面があって、昨今米国が批判を浴びるのはそうした理由なのではないかと思うのである。
2004年05月18日(火) 資質かシステムか
終日仕事。移動がないのは楽でいい。
もう何ヶ月も自分に大したインプットがないから、ここに吐き出すアウトプットも大したことはない。備忘録備忘録と自分に言い聞かせても、やはりそんな何も思わなかった一日を記すのは私にはつらい。
鉛筆を肥後の守で丁寧に一本一本削り、自分の手によって美しい曲面やソリッドな芯先を顕にするような作業で、言葉を綴りたいのだ、私は。
しかしそのための素材がない。もともと薄っぺらなので、仕入れていないとすぐにこのように在庫切れする。駄目である。
2004年05月17日(月) サマワに降る雨
やりたくもないフリーランスをやっているのだから、少しはその旨みを楽しもうとたくらんでいたのだけれど、暇もなく次の仕事の段取り。
仕事はなければないで不安になる、あればあったで忙しさに嫌になる。このバランスはどうやってとればよいのだろう。
おぼろげながら判ってきたが、会社員と違ってフリーランスの働き方というのは、休む時は休む、働く時は働くと、自己管理に気をつけなければ破綻する。 会社員に自己管理が必要ないということはもちろん全くないのだけれど、度合いがちょっと違う感じがする。金目を抜きにして休まねばならないところが特に。 これがまったく自分には不向きである。
そういえばバブルの頃はしきりに「時短」などという言葉が流行っていたが、「企業メセナ」なんかと一緒に、すっかりどこかへ消えうせてしまった。つくづく「自分の主張していることに普遍性などない」と心しておかないと、うっかり世に物事は主張できないものである。
ようやく帰宅。山の緑はボリュームを増していた。 春ゼミもいつしか鳴きはじめている。
季節はもう春を抜けたようだ。
人形町の軍鶏屋で、Sさんと会う。 恩知らずで人への義理を尽くすことが面倒で仕方がない私が唯一慕情を寄せ義理を欠かせないSさんの誕生日を祝う。
「人間如何に生きるかだよ」という決まり文句の背景にある、戦後で何もかも失い、そして再生した人生とともに、誕生日の祝杯をあげる。今でこそ一流企業である会社を無名時代から支え、監査役まで勤めた人ながら、「娘ほど年齢が違うけど、僕はアナタを尊敬してんだよ」などと軽く言ってのける自由人と出会えたことを、本当に私は幸福に思うのだ。縁は奇なりである。
2004年05月14日(金) 三倍速の一日
本日も奥多摩通い。谷深い森へ。
一週間の滞在とはいえ、長野の「地方都市」から東京の「奥山」へ出勤する不思議を、ここ数日経験している。
東京にも信州に劣らない深い森がある、という斬新さは行政区分上の話。道すがら、もうここは「東京」ではないのだと確信する。聞くと、住んでいる人達にも東京都民という意識はないようだ。
地形や風土というのは、行政区分より上位に存在するものだ。そう簡単に合併も分離独立もしない。しないというより、人は風土という引力をそう簡単に変えたり逃れたりできないんである。適応できない者は出て行くしかない。
2004年05月13日(木) 資質と備えの話
曇天。本日も、やんごとなき理由で奥多摩通い。 下りにもかかわらず、立川まで電車が満員なのに驚いた。 東京は人が増え続けている?
所用のため、東京と長野を日帰り往復。 用足しにかかった時間は40分ほどで、とんぼ帰り。 気晴らしに帰りは新幹線に乗ってみたが、 とにかく一日中電車に乗っていたので、自分が何処にいるのかわからなくなった日。
2004年05月11日(火) もう春ではない日
確か去年の今頃も、走馬灯みたいな夢を見た。 現実を取り戻すまでにかなり時間がかかるような。
生きていたら夢で会えるとは、どこかの演歌の歌詞ではないが本当だなと思う。しかし悲しいばかりであまり嬉しくない。現実で幸せなのが一番だ。
2004年05月10日(月) 命の著作権
本日上京。あっちはもう汗ばむ暑さだろうなと覚悟する。
テレビを見ていないので皆目わからないのだけれど、福知山線の車両脱線事故に関して、マスコミによるバッシングが止まないのらしい。
つい半月前に中国で起きた反日デモと全く同じ、群集に紛れ客観性を失った人間の醜さが露呈している。中国人の民度が低いと言い放っていたようだけれど、それは一体どの口か。
かように、醜い振る舞いは誰にでもおこり得る。今の私の流行からいくと、悪の分析が足らないからこういう落とし穴に落ちるのだ、ということになる。法にふれるようなことはしていないし、これからもしないだろうという自分への信頼は、善なる自分でいたいということに多少の安心を与えたとしても、それは勘違いか幻にすぎないと思う。
法に抵触することはもちろん悪いことに違いないけれど、それだけが悪なのではない。そもそも悪というのはそんなに社会に馴染んで存在するものではない気もする。
法律というのは確かに社会に不可欠なルールだ。働くようになってからの私には「世の中は法律と金」というゆるぎない認識もある。しかしどうやら世間というのは、法律という補助具に頼りすぎて、思いやりとか道徳という筋力を失い、それなしには立つことも歩くこともできなくなってしまっている気がする。だから「そんなの当たり前」と言いたくなる馬鹿みたいな法律が、ばんばかばんばか生産されるのだ。
2004年05月09日(日) さらば黒ヒョウ
少しの暇をみつけてHの用事に便乗し、二人でドライブ。 雪がすっかり解けたアルプスを眺めながら新緑の安曇野を走る。
ハンドルをとるHと、200年続いた江戸時代というのは途方もないねという話。 100年前も江戸時代、あと100年も江戸時代、という瞬間に生を受けた人は、一体どんな歴史観や世界観をもっていたんだろうか。鎖国だってしているし。 そう思うと、明治維新というのは本当に大層な出来事だったのだろう。
毒気が失せてきた今朝には、早くも人間のネガティブな部分を考える難しさを思い知った訳である。
名著の向こうを張った題名をつけたところで、まったく効果なしである。 それほどに、あまりにも、その本質を表すことができない。確かにそこにあるのだが、それは、ほがらかで陽気な善意に比べて、なんとつかみ所のないことか。
私はその存在について教育も受けていない。だから対処の方法も知らない。闇の中からそれが現れた時には、もうお手上げなのである。犯罪調書は「むしゃくしゃしたから」「気に入らないから」と薄っぺらく書くだろう。それだけの理由でと世論は言うだろう。本当にそれは「それだけのことなのか」については、考察をすっとばして。
自分にふりかかる闇が恐ろしいから、例え偽善の光でもその灯を絶やすことができない。社会では一点の影も存在させないように、ハレーションを起こすほどの光が放ち続けられ、人間全てに、サーチライトがあてられている。
2004年05月07日(金) 不機嫌スパイラル
とんでもない悪意や醜い考えというのは、別世界や自分と縁のない世界の人に属するものではない。いじわる爺さんは、よい爺さんのすぐ隣に住んでいるし、すずめの舌を抜く婆は、よい爺さんのかみさんである。
人の身に起こることは、いずれ自分にある。しかも、変化はドラスティックに生じるものもあれば、そうでないものもある。
しつこいようだが、気がつけばいつしか膝の上に這い上がる毒虫のように、それはある。
2004年05月06日(木) 200年前の育児放棄
そろそろ「あれ」が発生するシーズンとは思っていた。 そして、一人日記を書いている深夜に、いきなり現れた。 しかも、あろうことか、わたしの膝の上に這い上がってきた。
ムカデである。
悪しき物は存在する。このムカデのように。生きもの全てがトモダチではない。
そして悪しき心も存在する。 怒りやねたみ、人を見下す気持ち、人を傷つけようという気持ち。 その証に、「怒り」ひとつとっても、沢山の語彙が存在する。人が言語を身につけて以来、精錬に精錬を重ねた言葉が。
存在するものに見えないふりをするから、世界が歪むのではないかと考える。 悪しき心は存在する。「最近キレやすい若者が多い」のではなく「人はキレることがある」。
*
忌まわしいこと極まりないクリーチャーの、この毒が残っているしばらくの間、自分はとにかく悪しき心をつきとめてやろうと決意したのだった。
という訳で明日に続く。
2004年05月05日(水) 少親化社会
いろいろな山仕事。今回はかなり本格的だった。
途中、入るべき沢筋を見失って、あっちの谷こっちの谷と彷徨った。 いずれ抜けられることはわかっているし、全体の地形を見失ったわけではないのだけれど、 深い山の中で迷うのは、本当に気味が悪い。
なのにHときたら、つかまえたイワナが途中で死んでしまわないかということで頭がいっぱいで、私は大いにあきれたのだった。
2004年05月04日(火)
HとAは早々に山の家に行ってしまった。所在無い夜を過ごす。
大型連休中であるが、世の中これ以上事故などないとよいなと思う。
八十八夜。言うまでもないが立春から数えて88日目ということである。 二十四節気のほかにいくつかある、雑節というものらしい。
「八十八夜の忘れ霜」というのについて、ラジオで解説していた。 この時期は、ともすると急な冷え込みがあり霜が下りることがあるので、農作業では注意が必要、ということらしい。
もう何年前になるか忘れたが、確かにそういう冷え込みがあった。 二つの日本アルプスに挟まれた伊那谷というところへ出かけていたときで、 冷害対策なのか、夜になるとあちこちのりんご果樹園で、火をたいていた。 広々とした谷というか正確には盆地なのだけど、その全域が、見わたす限り夜の空を赤々と染め上げていて、それは幻想的だったのを覚えている。
国が正式に謝罪した。といっても第二次世界大戦の話ではない。 熊本で開かれた、水俣病の被害者を慰霊する追悼式でのことだ。 昨年10月の最高裁判決で国の責任が認定されて初の慰霊式で、 環境相が改めて謝罪したというもの。
公害問題といえば明治時代の足尾銅山鉱毒事件が有名である。 しかし日本で「環境」という概念を定着させたのは、やはり水俣病など高度成長期の公害問題だ。 環境汚染は明確な加害者と被害者が存在し、被害者は補償されなければならない、 という観点が盛り込まれた、水質汚濁防止法や大気汚染防止法、悪臭防止法などの法律が制定された。
公害問題が一段落した後、環境問題は少しの間、少なくとも直接的な健康問題から離れ、自然環境に焦点があてられた。 自然環境や自然景観は国民の健康と福祉に寄与する必要なものとして位置づけられ、 また絶滅危惧種に対する保護保全に関する法整備がすすんだ。
しかしそれもつかの間で、環境問題は再び人間の健康に焦点をあてなければならなくなった。 それもかなりシリアスに。グローバルに。
地球環境問題は、本当は健康という生易しいものではなくて、 人類の存続という重たい課題を背負っているのだが、 この問題で人類が決定的な最期を迎えるまでには、まだ時間がある。
それまでに化学物質の暴露や電磁波による影響などでじわりじわりと心身を侵され、 頻繁な生命の危険にさらされるだろうから、そういう点では健康といってもよいのかもしれない。
だから、公害問題に謝罪する環境相に私が目をこらしてみなければならないのは、 国の過ちのプロセスやその行方もさることながら、 環境汚染の被害というのはどういうことか、ヒトに何を及ぼすのか、 汚染物質に暴露した環境の復元にはどれほど時間がかかるか、 という事実なんだと思う。 水俣の人達は、国の責任が認定された安堵とともに、事件の風化を大変危惧している。
2004年05月01日(土)
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