浅間日記

2005年06月29日(水) 7年前の犯罪は

和歌山カレー事件から7年。二審も死刑判決。
98年の事件当時に比べて、かなり鈍い感覚で受け止めている自分に驚く。

ここ数年ですっかり「陰惨な事件」というものに慣れてしまっている。
子どもが子どもを、大人が子どもを、子どもが大人を、考えられないような方法と信じられないような動機で殺める。
そうした事件が、この和歌山カレー事件以後にも、随分起きた。

カレー事件がショッキングで陰惨な事件であることは間違いない。
ただ同等かそれ以上に陰惨な事件が多すぎるので、もう一つの事件ごとに世相を語り、何かを批判し、怒りをぶつけ、危機感を感じる余裕を、こちらが無くしてしまっている、という感じだ。

世の中の問題よりも、自己の維持にプライオリティを置くことは、決して悪いことではない。
そういう自己をキープするのは、「何故こういう閉塞的な世界観を共有しなければならないのか」を考えるために重要だ。

2004年06月29日(火) 三種の神器無用論



2005年06月27日(月) 睡眠の話

色々雑事。

蚊帳を吊ったら興奮してAがなかなか寝つかなくなってしまった。

睡眠の必要というのは実は未だ科学的に解明されていないのだ、とH。

なんとなく分かっているのは、脳が日中インプットされる情報の整理、つまり優先順位の低い雑情報は消去し、大事な情報はその関連づけをするという作業を行っているのらしい。
要するにPCのデフラグみたいなものなんだろうか。

睡眠と覚醒の間隔や長さも、十分解明されていないのらしい。
30分眠って1時間覚醒というパターンをもつ生物もいるから、人間みたいに24時間サイクル−正確にいうともう少し長い−とは限らないのだ。

まあなにしろ、人間の生態でまだ分からないことがあるというのは、私には小気味良い。

2004年06月27日(日) berry berry and berry



2005年06月26日(日) 梅雨

猛暑の日中に、突然雨。それもほんの少し。

梅の木から、甘美な香り。
熱気のなかの雨で、梅の実がスチームされたのだろう。
そういえばつゆのことを「梅雨」と書いたなあと、
しみじみ思いふけった昼下がり。

それにしても雨が降らない。
昨年の今頃は確か連日土砂降りで、Hの仕事はあがったりだったからよく覚えている。

まあ、春先になかなか暖かくならないから、多分今年はカラ梅雨だろうなとは思っていたけれど。

2004年06月26日(土) 美しい親子



2005年06月23日(木) 分水嶺

木曽谷ほど雨の似合う土地はないと思っている。
あいにく晴れていたけれど、今日はそこへ仕事ででかけた。

塩尻の広々とした桔梗ヶ原から徐々に狭い木曽谷へ入って行くシークエンスは、いつ通っても不思議な期待感を抱かせる。大好きな泉鏡花の「眉かくしの霊」の舞台と思うと、一層ミステリアスな気分になる。

分水嶺になっている鳥居峠というのは本当に不思議で、トンネルの入り口では北に向って流れている川が、トンネルを越えると南が下流方向になっている。
よいしょと峠を越えるわけでなくトンネルをただ抜けるだけなので、太平洋側と日本海側を分けているという実感が乏しい。しかし山の中の暗闇を通過していても、道路わきの分水嶺と書かれた表示を境に、まるで鏡の向こうにいる自分に移り変わったような気分になる。

世界の分かれ目とか、こちらではない向こう側というのは、いつでも私を想像の世界に駆り立てるのだ。



仕事を終わり、HとAに、朴の木の葉でくるんだ「朴葉まき」なる郷土の季節菓子を買って帰宅。複葉の状態のまま葉に餅をくるんだ、なんだか面白い和菓子なんである。

2004年06月23日(水) 疲弊



2005年06月22日(水) 表敬訪問

恩師のS先生宅を訪問。

のっけから「物語というのは、それに相応しい風土や自然の中で生まれるもんやなあ」と言う話。
話の切り出し方がいきなりなのは、指導教官時代と同じだなあと思いつつ、相槌をうつ。

何かと思えば、イングランドへ旅行してアーサー王が生まれたという地を巡ってきたのだそうだ。
不思議なもんや、と仰る。シャーウッドの森へ行けば、そこはいかにもロビンフッドが活躍したような場所であるし、そう思わせる何かがある、と。

そして、そういう英国の様を見るにつけ、日本には、そうした伝説を彷彿とさせる場所がもうほとんど失われてしまったなあ、とも。

全く情けないことに、何しろアーサー王の何たるかすら正確に知らない無教養な私は、その問いかけに十分な議論を展開する勇気がなく、実務上の話題に移ることにしたのだった。



日本でいう伝説というと、鞍馬天狗とか石川五右衛門とか曽我兄弟あたりになるんだろうか。そうだとすると、明治以降に日本に伝説は生まれていないということか。日本人はもはや伝説を必要としていないのだろうか。
などということを帰路につく道々考えた。


ただ単に金持ちになって成功するとか、有名になるとか、立派な功績を残すというのは、伝説とは呼び難い気がする。伝説というのはもっと普遍性のあるものでなければいけない。
要するに、物語を受け止める力というのが現代の日本人にはひどく欠けているのではないか、というようにも思われる。

整理もつかずとりとめもない日記になってしまったけれど、先生を久しぶりに表敬訪問できたことが記録できたので、これでよしとする。



2005年06月21日(火) 大人はわかっちゃいけない

ラジオをつけたらメンデルスゾーン特集をやっていた。

「15歳の時に作曲したんだってさ」とHが感嘆。
「今の俺達が作るものなんて、『15の夜』だぜ。比べ物にならないよな。」

「15の夜」というのは、早世したミュージシャン、尾崎豊の代表作。
彼の音楽世界で、迷える若者は盗んだバイクで走ったり、ガラスを割ったり無謀をやらかすのである。

これをきっかけに、話題は現代の15歳へ。
バイクを盗まれた人の気持ちを考えもせず何が世の中の真実だ、と辛口発言のH。

その通りだと思う。
その通りだけど、社会的に不安定な若者が無謀にはしる−実に様々なかたちで−ことは、おこり得る。

でも既に大人になった私は、そういう事実を「まあ理解できる」とか「そういう時期もある」などと言ってはいけない。言いたい気持ちをぐっと押し込めて、「笑わせるな」と言わなければいけない。

無謀の根源にある「生きていく不安」を社会から取り除く努力を押し黙って粛々とやっていくのが、もうとっくに15ではない私の務めなのだ。



番組表によると、件のメンデルスゾーンが15の時に作曲したという曲は、「鳩のように飛べたなら(“我が祈りを聞きたまえ”から)」というのらしい。
まったく、よりによって、なんというタイトルだ。
私が解釈できないだけで、これもひとつの「15の夜」なんじゃないかという気がしてきたんである。



2005年06月19日(日) 高密度な労働投下

山の家へ。

せっかくいい具合に風合いが出ているのに、という周囲の反対を押し切って、古い家の板の間にブラシをかける。

泥と油とその他諸々の物質でコーティングされた黒光りを容赦なく徹底的に擦り落とし、本来の木目に戻す。
稲葉の白兎のようになった剥き出しの床板へ、蜜蝋のワックスを、白金のマダムへ施術するエステティシャンのごとく、今度はやさしく塗布していく。

かさかさの床板は蜜蝋を吸収して、再び弾力と艶を取り戻す。
最後に乾拭きをして、おしまい。
ほどよい風合いを残しつつ、どこの新築の床かというほどピカピカに変身するので、面白い作業なんである。

ただし一日3平米もやるとイヤになるから、進捗ははかばかしくない。

2004年06月19日(土) 草刈り多国籍軍



2005年06月15日(水) 夢をかなえる人をみる

朝から雨。Hの仕事は休みである。

内館牧子の「夢をかなえる夢を見た」という本。
リスクを背負って人生の冒険をすることを、著者は「とぶ」と表現し、
とんで成功した人、とんで失敗した人、とばずに成功した人、とばずに失敗した人へインタビューを試みている。
スポーツ選手、ビジネス起業した人など、幅広く人生をチャレンジしている人に焦点をあてている。
特にボクシング選手への想いは著者にとって格別なのがわかる。
偽りやごまかしのきかない厳しい勝負の世界を、心から愛しているということも。



実によい本だが、Hにすすめたのが間違いだった。
この男に、決して読ませてはいけない本だった。

Hは半分も読み進めた段階で既に、家庭を放棄しクライマー人生を全うすることを思い描いているようである。
完全に世界タイトルを狙うボクシング選手とシンクロしてしまっている。やれやれだ。

夢を追いかける人を身内にもつということは
−その夢に半分は賛同し、応援したとしても−
時に馬鹿馬鹿しくなるような、ロマンのかけらもないような「覚悟とあきらめ」を必要とする。そういう場合がある。

この本は本当に素晴らしい本だとは思うのだけれど、そういうこともちゃんと書き添えてもらわないと困るなあと少し文句がいいたいのである。



彼に正気にもどってもらうために
「リスクを自覚しないままとんでいる人も結構いるよね」
などとふざけた漫談を持ちかけた自分だけが空しいのである。

2004年06月15日(火) 夢を見ない不安



2005年06月14日(火) 玉石NPO

国家公務員の数を減らそうという計画が、この先4年を目処に立案されるそうだ。

総論的にはよい方向だと思う。
社会経済状況をみても、巨大組織を維持する時代ではない。
議員の数も当然減らしてくれるんだろうなと、ついでにそういう気持ちになる。



ウォッチングが必要だと思うのは、どのように絞り込むかということと、
公共的なサービスを行政に代わり担うことが今後期待されている、
NPO団体やボランティア組織が、きちんと成熟し機能を果たすことができるかどうか、ということ。

NPO団体というものについて、私は未だ相当の疑わしさを拭い切れないでいる。それが何故なのかよく説明できないけれど、あえて言うならば「人は明確な存在理由がないまま集団を維持することはできない」という点で疑わしいんである。

それは利益を追求する民間企業に抱く疑わしさや警戒心とは違ったものだし、抱いては失礼な類の不信感かもしれない。
でも本当に、あらゆる集団というものに私はそう簡単に同意できないのだから仕方がない。

要するに、公共的なサービスをボランタリーにやる団体、といっても、現在のところその質はまあ玉石混淆だと思っていたほうがいい、という考えである。

2004年06月14日(月) 三菱ブランドの夏大根



2005年06月12日(日)

今頃やっと、衣がえ。

クリーニングに出す冬物を、クロゼットから出して袋に入れる。
Tシャツやら薄手のシャツやらを、普段使いのタンスへ移す。
お気に入りの一着に久々に再開し、着てみたりする。
一枚いちまい丁寧にアイロンをかける。

家中に掃除機をかけ、雑巾で拭く。窓もしっかり拭く。
冬の要素のあるものは全て、舞台裏へしまいこむ。
分厚いカーテンを外し、薄い暖簾に交換。

残り少なくなった昨年の梅酒を小さい瓶へ移して、
今年の仕込み用に広口瓶をしっかり洗う。
取り出した梅の実で、ついでにジャムを煮る。

やっと人間らしい生活が還ってきた。
あの暗黒の半年間のような仕事はもうこりごり、と心から思う。



2005年06月10日(金) 時代の相場感

Tちゃんと、夏のお楽しみの準備に奔走する。

夜、ラジオを聞いて耳を疑った。
高校生が教室に火薬の入った瓶を投げ込んだ事件。
大勢の生徒が、爆発に巻き込まれたらしい。
気に入らない奴がいるという理由で、そういう行為に及んだらしい。



「世も末」という概念は一代限りの感情にすぎず、
人心の乱れた「末の世」というのは、世界史に何度も登場する。
羅生門の世界と今の世とどちらが悲惨で末期的かなどとは比べることはできない。

だから、信じられない出来事に、やたらと騒ぎ立てる必要はない。
ないのだけれど、何が欠けいてそうなるのかは、知る必要がある。
時代を俯瞰して、現代は相当やっかいな状況にある、ということも。

2004年06月10日(木) ヨン様か寅さんか



2005年06月08日(水) 人類最高のアミューズメント

帰宅。

佐々成政のように−といっても逆方向であるが−
山を越え谷を越え、砂防ダムの堰堤をいくつも横目にし、富山県へ。
Hの山の学校に便乗した、小旅行である。



立山の山岳信仰は、大したものだったのらしい。
奈良時代から、あんな高所へ行く行為があったのが驚きである。

芦峅寺の「佐伯」性は、江戸時代から続く立山山岳ガイドの家系で、
「中語」と称するその組織は、神と人の中間に属する存在だったそうだ。


神の総べる所へ行くには、まず直径2m近くもある立山スギの森を抜ける。巨木が林立する森の中で、人は俗界に別れを告げる。

高低差200mの滝などもある。水量は毎秒3tであり、ヒューマンスケールを完全に越えている世界を通過しなければならない。
水の動きや轟音を横にし、さらに上界へ。

スギからツガ、ダケカンバの林に移行し、雪の残る白い世界が現れる。
そして植生限界が近づくと、そこはついに最果ての地、あの世という訳である。
火山泥流でできた開放的な平坦地を、白い峰がぐるりと囲んでいる。
強い紫外線とともに、異形の世界である。



火山地形は特殊であり、時間をかけた堆積・侵食作用ではありえない平坦地や崖地を作り出す。
湖ができたり、火山ガスや水蒸気などが噴出する。異臭が漂う。
花畑が人間界とは無縁の華やかな世界をつくるかと思えば、
岩石砂漠のような荒涼とした場所がある。
「ここは体温のあるものが存在する場所ではない」という演出が、あらゆる要素によってなされるのだ。



こうした特殊地形の場所を極楽浄土や地獄に見立てたというのは、全く不思議でない。

しかしそれを感じるには、ゆっくりと山頂へ至るプロセスが重要で、私たち現代人は時間をかけてあの世へ到達する贅沢を許されない。

自ら汗をかくこともなく、息があがることもなく、バスやらケーブルカーで集団輸送されるわけである。
冷静に考えるとこういうのは「一日中乗り物に乗っていた日」に該当する。



それにしても「あの世を見る」という形のアミューズメントは、
いつから日本に無くなってしまったのだろうか。
極楽往生を希求する江戸時代の人に比べ、現代人は死へのリアリズムが失せてしまったのか、形をかえて存在しているのか。

そんなことを考えながら、再び、あっという間に俗世に戻ったのであった。

2004年06月08日(火) 星の牧場



2005年06月06日(月) 旅に民謡

日本の伝統芸能シリーズは続く。

図書館で民謡のCDを借りたのである。
老後から着手する楽しみは、絶対に民謡と都々逸、と決めてある。

のびやかな声、節回し、歌詞、どれをとっても世界に誇れる音楽であると私は思うのだ。

難点は多分、都市に馴染まず、唄われている土地で聴いてこそよさが分かるという点だと思う。
家の中などで聴くと、どうしても「NHKのど自慢」の舞台が目に浮かんでしまっていけない。

それほどに、津軽で聴いたじょんがらも、島で聴いた嫁入り唄も、
光や風や匂いにとけ込んで私の中にある。

だから、これから向う旅先の民謡を入手したというわけである。

2004年06月06日(日) 



2005年06月05日(日) 噺家の話し方教室

聞けば、これまでにない落語ブームなのだそうである。
噺家の数も、「供給過剰」と言われるほどに多いのらしい。

人々は落語を、現代の「話し方教室」として消費している。そう解釈する。

熊さん八っあんがやるような細やかな会話やコミュニケーションを、
人をたしなめる時はどういったら言いか、
人を誘いたい時はどうもちかければいいか、
嫌な相手を断る時はどう言ったらいいか、
何しろ噺家先生が身振り手振りでお手本を示してくれるのだ。

そして、あたたかく共感する笑いを、人々は求めている。



コミュニケーションとよぶまでもない、ただの「声かけ」や「挨拶」ですら、
私たちはすっかりやらなくなり、「お世話になります」なんて意味のない業務用挨拶しかできなくなってしまった。

でも、掲示板やチャットでできている見知らぬ人との会話が、生身でできないわけがない。ただちょっと、そのやり方と感覚を忘れてしまっただけだ。

落語でも狂言でも歌舞伎でも、芝居でもいい。
本当に細やかな会話と、人様に対する情けを学習することができる。
下卑た笑いやいじめの場面をよしとするテレビ番組制作者には特に、
娯楽と健全は両立するということを学んでほしい。



2005年06月02日(木)

仕事の端境にある、逢魔時のような日々を過ごす。
毎年毎年ここで馬鹿みたいなロスをして、上半期を無駄にする。

だから、ものすごく乱暴な日程を組んで、休むことにした。
絶対に何とかなるはずの量しか今は仕事がないはずで、
まとわりつく「忙しいかも」という気分は、きっと何かの背後霊に違いないから、これを祓い清めるのだ。

HとAと、東京でもなく信州でもないトコロで過ごすのだ。
もちろん、平日に、である。

2004年06月02日(水) 罪


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