2004年05月06日(木) |
200年前の育児放棄 |
単身日帰り上京す。
メルシェのタブロー・ド・パリを車中で読み返しながら、 これを鞄に入れてきたのは正解だったなと満足する。
18世紀パリ生活誌という日本語タイトルの通り、 革命直前のパリに生活する人々の暮らしが 細々と書かれている貴重で面白い文献なのだ。
その中に、当時大変多かったという、捨て児についての記述がある。
当時パリで生まれる子どもの約3分の1が捨て子で、彼らの 10年後の生存率は2〜3%という壮絶な状況だったのらしい。
ヨーロッパ大陸第一の都市で、こういう退廃が起きていた。 著者のメルシェという人はこのことをひどく嘆いている。 200年前のジャーナリストの言葉を ウェブ日記に引用するのも変な感じだが、以下引用する。
「7、8千人の正嫡子あるいは私生児が毎年パリの養育院にやってくるが、そ
の数は年毎に増えている。したがって人間の心の中でもっとも尊い愛情を断念
する不幸な父親も7千人いることになる。この自然に逆行する残酷な子捨ての
存在によって、多数の困窮者のいることが数えられる。こうした世の乱れは、
おおかたいつの時代でも極貧によって引き起こされるものであるのに、それが
あまりにも一般に人間の無知や粗暴さのせいにされている。
民衆がいくらか安楽な生活を楽しんでいる国では、最下層の市民でさえ自然の
掟に忠実である。貧窮は、過去においても、将来においても絶対に悪しき市民
しかつくらない。
子ども達がこの不幸の深淵に突き落とされる原因のうち、ありふれたものだけ
を取り出して検討してみても、不幸なことにどうしてもこういう惨い仕打ちを
せざるを得なかった人々を大部分、大目に見させてくれるような、差し迫った
理由が無数にあるものだ。(−中略−) 少しでも都の政治制度について
反省してみようという気持ちがあるのならば、きわめて容易に識別することの
できる捨て児の二次的原因が無数にあるのだ」
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