浅間日記

2004年05月13日(木) 資質と備えの話

発達障害支援法案(仮称)が議員立法で今国会に提出される見通し。

毎日新聞をみると、この法律の概要や、
発達障害と定義される、自閉症やアスペルガー症候群という症状をもった
子どもの親子関係の難しさについて、丁寧にとりあげている。

法目的の一つに、「警察や司法関係者の理解の促進」とある。
別にそんなのいいよ、と思う。
それよりも警察や司法関係者の、法律で決めてもらえないと
そういうアクションが起こせない組織のシステムこそ、
改善を法律で約束してもらいたい。

こういう法目的があること自体、すでに
「私達は職業柄、人間や物事に対する想像力と思いやりが欠如しがちです」、あるいは
「想像力と思いやりが欠如しているという、その資質によって今の職務についています」
と明言しているようなものだ。

私は文句言いで皮肉屋であるその資質によって、この日記を書いている。



親というものは子どもに対して、
医師や科学者としての目を備えておくことが大切だなと思う。
愛情をもって客観的に観察する作業は、そう外注できないし、
子どもから客観的事実をつかむには、医師や科学者になりきると便利だ。

また親子の関係について「こういう状態だからこうしています」と、
自分の言葉をもっておくといい。
少親化社会では、こういうプロテクターも時に必要だ。
それに、言葉をもつことは自信がもてるし、客観的にもなれる。

こういったマネージメント的な作業は、
子どもに対して自分を冷静にさせる、極めて知的な仕事だ。

子どもは親である自分の特性に起因せず、
運命的に身体的精神的特性をもつ場合があり、
それは説明がつき、解決の方法がある。

そして自分はその全てを受け容れることができる。


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