発達障害支援法案(仮称)が議員立法で今国会に提出される見通し。
毎日新聞をみると、この法律の概要や、 発達障害と定義される、自閉症やアスペルガー症候群という症状をもった 子どもの親子関係の難しさについて、丁寧にとりあげている。
法目的の一つに、「警察や司法関係者の理解の促進」とある。 別にそんなのいいよ、と思う。 それよりも警察や司法関係者の、法律で決めてもらえないと そういうアクションが起こせない組織のシステムこそ、 改善を法律で約束してもらいたい。
こういう法目的があること自体、すでに 「私達は職業柄、人間や物事に対する想像力と思いやりが欠如しがちです」、あるいは 「想像力と思いやりが欠如しているという、その資質によって今の職務についています」 と明言しているようなものだ。
私は文句言いで皮肉屋であるその資質によって、この日記を書いている。
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親というものは子どもに対して、 医師や科学者としての目を備えておくことが大切だなと思う。 愛情をもって客観的に観察する作業は、そう外注できないし、 子どもから客観的事実をつかむには、医師や科学者になりきると便利だ。
また親子の関係について「こういう状態だからこうしています」と、 自分の言葉をもっておくといい。 少親化社会では、こういうプロテクターも時に必要だ。 それに、言葉をもつことは自信がもてるし、客観的にもなれる。
こういったマネージメント的な作業は、 子どもに対して自分を冷静にさせる、極めて知的な仕事だ。
子どもは親である自分の特性に起因せず、 運命的に身体的精神的特性をもつ場合があり、 それは説明がつき、解決の方法がある。
そして自分はその全てを受け容れることができる。
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