2009年06月01日(月)  子どもが消えた!パニック

今朝、保育園の連絡ノートを書いていたら、「たまがいないぞ!」とダンナが叫んだ。「そんなはずないよ」と言って見回したが、姿が見えない。「え! ほんとにいない!」「何やってんだよ!」「知らないよ、わたしはノート書いてたんだから!」と言い合いながら、決して広くない家の中を右往左往。「ベランダか!」と出てみた。最近たまはベランダに出るのが好きで、一人で出入りしている。しかし、ベランダにもいない。「まさか、落ちたか!」と悪い予感に青ざめる。室外機に乗って落ちたら危ないなと思っていたが、ほんとにそれが起きてしまったのか! 。ありえないとは思うけれど、本当にどこにもいないので、消去法で考えると、落ちたとしか考えられなくなってくる。

たくましい想像力が現実を先回りして最悪の事態を思い描き、息苦しくなってきたそのとき、「なんだ、ここかよ」と素っ頓狂なダンナの声がして、敷きっぱなしの布団から顔を出したたまをダンナがもみくちゃにしていた。くしゃっとしわの寄ったかけ布団の下に隠れていたのを見落として、そこを飛び越えて、あわて者のわたしとダンナはあたふたしていたのだった。

たまは二度寝のつもりだったか、かくれんぼのつもりだったか。ばあ、と顔を出したら両親がすごい形相で駆け寄ってきて、泣き笑いしながら痛いほど強く抱きしめるので、怖がって泣き出してしまった。しかし、親の涙も負けてない。我ながら驚き、恥ずかしくなるほどのあわてふためきようを振り返り、これほど何かに必死になったのは、いつぶりだろうと思った。生まれて間もない頃、布団の上に寝かしていたはずなのにいなくなったときも焦ったが、そのときは、キックで体が移動し、予想以上の距離を進んで家具の下に潜り込んでいた。

家の中でほんの数分迷子になっただけで、この騒ぎ。外で迷子になったりしたら、生きた心地がしないだろう。自分にとって、わが子がかけがえのない存在であることをあらためて思い知った出来事だった。

というわけで、今日の子守話は迷子の話。

76「まいごのママとたまちゃん」

ママと たまちゃんは いつも いっしょ。
ママと たま なまえも よくにて なかよしこよし。

ところが デパートにでかけた あるひのこと。
つないだ てと てが はなれて
たまちゃんと ママは はなればなれに なった。

「ママー」と たまちゃんが よぶと
たくさんの おんなのひとが いっせに ふりむいた。
そして たまちゃんを みて
「うちのこじゃないわ」と いった。たまちゃんは
「みんな わたしの ママじゃないわ」と なきべそをかいた。

とそのとき「たまちゃーん」とこえがした。
ふりかえったのは たまちゃん ひとり。
ママが なきべそかいて はしってきた。
「ママー」「たまー」「ママー」「たまー」
なんども なまえを よびあっていたら 
なみだが ぽろぽろ こぼれてきた。 

「もう はなれないでね」と 
ママが たまちゃんの てを ぎゅっと にぎった。
たまちゃんも ぎゅっと にぎりかえした。

2008年06月01日(日)  出張いまいまさこカフェ8杯目『企画という恋が終わるとき』
2007年06月01日(金)  「いしぶみ」という恋文
2005年06月01日(水)  映画『子ぎつねヘレン』撮影中
2004年06月01日(火)  歌人デビュー本『短歌があるじゃないか。』
2002年06月01日(土)  フリマ
2000年06月01日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)
1979年06月01日(金)  4年2組日記 日記のざいりょう


2009年05月31日(日)  つばさ第10週は「愛と憎しみの川越」

3月30日に朝ドラ「つばさ」がスタートして、はや2か月。明日からは第10週。タイトルは「愛と憎しみの川越」。完成台本(一週6話分で一冊)が配られるたび、表紙に印刷されたタイトルを見るのが楽しみ。元コピーライターとしては、「わたしだったら……」とネーミングを考えてみるのだけど、毎回予想は裏切られ、「毎週は、こう来たか」とうなってしまう。この後も、第11週「愛の複雑骨折」、第12週「男と女の歌合戦」、第13週「恋のバリケード」、第14週「女三代娘の初恋」、第15週「素直になれなくて」……と続く。

10週は、なんといっても甘玉堂にパートとして現れる末永紀菜子役の斉藤由貴さんに注目! キャストが決まったと聞いた瞬間「ああ卒業式で泣かないと〜」のフレーズが耳の奥でリフレイン開始したわたし、『卒業』がヒットした1985年に中学を卒業。同世代の人たちには、その懐かしさだけでうれしくなる一週間。斉藤由貴さんといえば、10年以上前に三谷幸喜作・演出の『君となら』という抱腹絶倒の舞台を観たときに、「この人、コメディもいける!」と驚かされたが、マイペースをステージに持ち込むような独特の間がおかしみを醸していた。「つばさ」の濃い面々にも負けない存在感を見せてくれるのでは、と期待。

「かのこ」と「きなこ」、和菓子繋がりな名前は偶然? 「鹿の子」は主役で「きな粉」は脇役……。そんなところから話は転がる。きな粉を使った甘玉堂の菓子「千日草」は竹雄にリストラ候補にされるほど地味な存在。けれど、その菓子に込められた思いが、傷ついた心を救うきっかけに……今週も土曜日に向けて張られた伏線を拾いながらクライマックスへ。千代のやけっぱちかと思われた浪岡とのデートにも次週以降につながるヒントがあり、二人が観た映画にも意味が隠されている。

この10週は、26週の中でもとくに好きな週。千代の活躍がたくさんあって、おばあちゃん好きなわたしはうれしい。演出は再び、1〜3週と6週を担当した西谷真一さん。

連続テレビ小説「つばさ」(月)〜(土)放送中
【放 送】総合・デジタル総合 8:15〜8:30
     デジタル衛星ハイビジョン 7:30〜7:45
     衛星第2 7:45〜8:00
【再放送】総合・デジタル総合 12:45〜13:00
     衛星第2 19:30〜19:45 /(土)9:30〜11:00(一週間分)

◆NHKオンデマンド配信(>>>こちら)でつかまえる手も。


今夜の子守話は、お風呂の後、「たま、髪切ろっか」と聞いたときの返事がヒント。「かみなりの かみきりやさんで きる」「かみきり」と聞いて「かみなり」が出てくる言葉の瞬発力に感心。たまはなぜか雷が鳴ると「えへへへ」とうれしそうに笑う。先日かなり大きな雷が轟いた日も、「えへへへ」と笑い、「ママ、こわくないよー」と得意げに言っていた。わたしは子どもの手前、怖がるふりをしていたのだけど……。

子守話75「かみなりの かみきりや」

たまちゃんの かみが ずいぶん ながくなったので
きりに いくことに しました。

ふたつ ならんだ かみきりやの かんばんを みると
ひとつは「かまきりの かみきりや」
もうひとつは「かみなりの かみきりや」とありました。
かまきりは かまで かみを きるのでしょうか。
たまちゃんは ちょっぴり むしが にがてなので
かみなりの かみきりやに きってもらうことにしました。

「いらっしゃい」
かみなりの びようしが たまちゃんを むかえてくれました。
かみをきっているのも きられているのも みんな かみなりです。
「かみなりじゃないんですけど いいですか」と
たまちゃんが きくと
「かみが あれば だいじょうぶです」
「おきゃくさまは かみさまです」と
びようしたちは いいました。
ぴかっと ひかって ごろごろと なる かみなりは
こえが おおきくて あかるい せいかくの ようです。

「きょうは どんな かみがたに しますか」ときかれたら
たまちゃんは 「みじかくして かわいくしてください」と
こたえるつもりでした。
ところが かみなりの びようしは 
なにも きかずに たまちゃんの かみを
あまみずで じゃぶじゃぶと あらって
ぼうふうで ごうごうと かわかして
いなづまで じょきじょきと きっていきます。

たまちゃんは なんだか しんぱいに なってきました。
かみなりの かみきりやの びようしも おきゃくさんも
みんな きんいろで くるくるの かみなりあたまを していました。
たまちゃんも おなじ かみがたに されてしまうのでしょうか。

その しんぱいは おおあたりでした。
しあげに かみなりショックを どかんとおとされて
たまちゃんの かみは いっしゅんで 
きんいろ くるくるに なってしまいました。

かみなりあたまの たまちゃんを みて 
パパも ママも めを ぱちくり くちを あんぐり。
もっと こまったことに たまちゃんは
かみなりらしいことを したくて たまらなくなりました。

でんきを ちかちかと つけたり けしたり
たいこを どんどん たたいたり していると
「いいかげんにしなさい!」
とうとう ママの かみなりが おちてしまいました。

たまの髪は生まれてから一度も切っていないのだけど、生まれたとき、すでにずいぶん長かったので(伸びた頭にぐるぐる巻きついて、ポンパドール夫人状態で出て来た)、背中の真ん中過ぎまで伸びてしまった。シャンプーを異様にいやがり、おまけに汗をよくかくので、ムムッというにおいを発する。七五三まで伸ばそうかと思ったけど、夏を乗り切るのは厳しいかな。

2008年05月31日(土)  全日本ろうあ連盟創立60周年記念映画『ゆずり葉』
2005年05月31日(火)  G-up presents vol.3『Deep Forest』
2002年05月31日(金)  ワールドカップ
2001年05月31日(木)  2001年5月のおきらくレシピ
1979年05月31日(木)  4年2組日記 先生ずるい


2009年05月30日(土)  『絶後の記録』映画化めざしてキンガさん再来日

原爆投下後、GHQの検閲を受けて最初に刊行された体験記であり、美しいラブレターでもある『絶後の記録―広島原子爆弾の手記』。その映画化を目指す情熱の人、Kinga Dobos(キンガ・ドボッシュ)さんが2年ぶりにアメリカから来日し、再会することができた。

彼女との出会いの経緯は2年前の日記に記した(2007年08月13日(月)『絶後の記録』映画化めざして来日)が、あたらめて会ってみて、信念に突き動かされ、それを実現するために誠意と行動力を惜しみなく注ぐエネルギーに圧倒された。財力もコネもない故人が映画を作るとき、不可能を可能にするのはこの情熱なのだ。

ルーマニアからハンガリーに逃れ、イギリスで英語を、アメリカで映画を学んだキンガさん。その恩師が彼女の作った短編映画を気に入り、「これを映画にできるのは君しかいない」と紹介したのが、『絶後の記録』を英訳した『Letters from the End of the World』だった。その運命的な出会いに導かれ、彼女の挑戦が始まった。

2年の月日が流れても、映画化へ向けて具体的なことはまだ何も進んでいない。けれど、キンガさんの情熱は衰えるどころか勢いを増し、つくづく強い人だ、と心を打たれた。

映画を作る意味のひとつに、原作を広く知ってもらえることがある。わたしの日記を読んで原作を手に取ってくれた方が少なからずいるけれど、日本の人にも世界の人にも、もっと読まれるべきこの名著を、わたしも何とかして広めたいと願っている。戦争を憎む気持ちの根っこは、人を愛する気持ちなのだと、静かだけれど熱い文章で、『絶後の記録』は語りかける。その思いを多くの人が分かち合うことが、平和の種をまくことなのだと思う。

絶後の記録』、ぜひ、手に取って、読んでみてください。

情熱で映画を実現させた人といえば、一年前の日記で紹介した(2008年05月31日(土) 全日本ろうあ連盟創立60周年記念映画『ゆずり葉』)映画『ゆずり葉』が完成したことを月刊シナリオで知る。ろう者の早瀬憲太郎監督のインタビューに、キンガさんに通じる意志の強さを感じた。映画を作るのにろう者も健聴者も関係ないと語られていたが、キンガさんもまた、原爆を憎んで平和を祈るのに日本もアメリカもない、ということを熱く語っていた。

今日の子守話は、壁を溶かすお話。平和のありがたみを子どもに伝えることに人一倍熱心な母から、子どもの頃、絵本や映画や展示会など、さまざまな形で「戦争は、あかん!」のメッセージを受け取った。それを娘にも受け継いでいきたいと思う。

子守話74「チョコレートのちきゅう」

ちきゅうの あちこちで
きょうも くにとくにが けんかして
ミサイルの あめを ふらせています。
ひとをきずつけ いえをこわし まちをもやし 
たくさんの なみだの あめも ふらせます。

ミサイルが チョコレートだったら いいのに。
ちじょうに おちてくる あいだに ねつに とけて
みんなのおやつに なればいい。
チョコレートなら だれも なにも きずつけずに
やさしい きもちに してくれるでしょう。

いっそ ちきゅうが チョコレートだったら いいのに。
けんかして あつくなったら とけて とろけて
くにと くにの さかいめが きえればいい。
チョコレートの うみに ぷかぷかうかんで
はて いったい なにを あらそって いたのでしたっけ。
ひとと ひとの あいだの コチコチも ギザギザも 
チョコレートみたいに とけてしまうでしょう。

子守唄代わりのお話といえば、今日の朝ドラ「つばさ」の放送で続きが完成した『おはなしの木』、公式サイトで全文が読めるので、どうぞ(>>>こちら)。リクエストの多い絵本『まじょのなみだ』も挿絵つきで読んでみたい。

2008年05月30日(金)  相続税も所得税もかからない財産
2007年05月30日(水)  マタニティオレンジ126 ピアスを見たり赤ちゃんを見てもらったり
2005年05月30日(月)  脱力系映画『イン・ザ・プール』
1979年05月30日(水)  4年2組日記 男子べんじょ


2009年05月29日(金)  子守話にホラー誕生

朝、たまを保育園に送ろうとしたら、「はだしのおんなのこ いるんだよ」と突然言い出した。「裸足の女の子って誰?」と聞くと、「おまつりになったらくるの」と言う。保育園児の間で流行ってる都市伝説かしらん。そういうわけで、今夜の子守話はホラー。わたしの頭に思い浮かんだのは、かすりの着物の女の子だったけど、下駄ではなく、現代風に「靴」にした。

子守話73「はだしのおんなのこ」

おまつりのよるに あらわれる はだしの おんなのこ。
おんなのこには くつがない。
おんなのこには かげもない。

あしおともたてず おんなのこは そうっと ちかづいてくる。
そして「くつを かして ちょうだい」と 
ちいさな こえで ささやく。

かわいそうに ちいさなあしが よごれて すりむいて。
くつを かしてあげると おんなのこは あるきだす。
その うしろには かげぼうしが ついてくる。

そして くつと かげぼうしを さらわれて
はだしになった おんなのこは
こんどの おまつりを じっと まつ。

おまつりのよる
「くつを かして ちょうだい」と こえを かけられたら
つぎは あなたが はだしの おんなのこ。


朝ドラ「つばさ」に登場する絵本『まじょのなみだ』を探しに来る人で、今日も今井雅子日記は繁盛。「本屋さんにない!」「どこで買えるの?」の質問もあるけど、内容は、番組オリジナル」今日の放送では、加乃子が作ったハッピーエンド版ラストが明らかになった。「そうそう、子どもって、あんなに喜んでたくせに、わたしが読み聞かせしてあげたこと、覚えてないのよ!」と先輩ママからの声。うちのたまも、子守話のこと、忘れちゃうんだろな。でも、お話のエッセンスが心の栄養になってくれますように。

2008年05月29日(木)  マタニティオレンジ295 「うちの子、ここがかわいい」保護者会
2007年05月29日(火)  マタニティオレンジ125 ちょちちょちあわわ
2005年05月29日(日)  『昭和八十年のラヂオ少年』を祝う会
2004年05月29日(土)  幸せのおすそわけ
2002年05月29日(水)  SESSION9
1979年05月29日(火)  4年2組日記 お母さんのおてつだい


2009年05月28日(木)  水瓶座は12年に一度の幸運期らしい

山田詠美さんのインタビュー記事を読んでいたら、「水瓶座は今年、12年に一度の幸運期」だとあった。24年前の幸運期に山田さんは小説家デビューしたのだという。わたしが大学生の頃、仲良かった友人が彼女の本に夢中になっていて、読ませてもらっていた。「人を好きになると、その人が死んじゃうんじゃないかって怖くて眠れなくなる」と山田さんがエッセーか何かで語るのを「すごくわかる!」と友人はいたく共感していたのだけど、まだそこまでのめりこむ恋を知らなかったわたしは、「自分より他人が大事になることなんて、あるのかしらん」と首を傾げた。そんな思い出のある作家さんが同じ星座だったという親しみと同時に、「ということは、わたしも幸運期か!」と小躍りした。

今年は朝ドラ「つばさ」の仕事に関われて、映画『ぼくとママの黄色い自転車』も公開されるので、脚本家業は幸運に恵まれているといえる。では、他はどうか? 同じく水瓶座のダンナに「今年、幸せな気がする?」とたずねたら、「家族三人仲良く暮らせる普通の毎日が幸せなんじゃないですか」と辛口の彼にしてはほのぼのとした答えが返ってきた。

昨日の夜、ダンナの帰りが遅くて、娘のたまと二人で晩ご飯を食べていたときのこと。こんな会話があった。

わたし「ごめんね。ママ、今日、たまちゃんが保育園の間に、お仕事終わらなかった」
たま「こまったねえ」
わたし「どうしよう」
たま「じゃあ はやく おわらせてよ」
わたし「待っててくれるの?」
たま「うん。えほんとか ねんどとか」
わたし「一人で遊んで待っててくれるんだ? たまちゃん どうしてそんなにいい子なの?」
たま「(照れ笑い)」

思わず紙とペンを引き寄せて書きつけていると、たまがのぞき込んで「ママ なに かいてるの?」。「たまちゃんがかわいいこと言ったから、書き留めてるの」と答えると、「じゃあ〈ママのこと おうちぐらい すき〉って かいて」と言われた。それが、「いい子にしてママを待つ理由」のようにも聞こえた。

その少し前、保育園から帰ってきたときに玄関先で「たまちゃん じぶんのこと すき。おうちぐらい すき」と言ったのを聞いて、「こんな風に自分を肯定できるってすてき!」と感激したのだけど、わたしのことまで「おうちぐらい」(わが家と同じぐらいという意味なのか、家ぐらい大きいという意味なのか?)好きと言ってくれる娘をぎゅっとだっこ。やっぱり今年は幸せな年だ!と感じた。

ちなみに12年前の1997年は広告代理店のコピーライターになって5年目。当時は日記をつけていなかったので、何をしていたかよく覚えていないのだけど、仕事も恋も充実していた覚えがある。人生を変えるような出来事があったのかどうか……と、自分のプロフィールを見てみると、「1997年10月 はじめてのテレビドラマシナリオ『月のなる木』 を日テレ登龍門に応募、2次選考まで残る」とある。3000篇を越える応募数から160篇ほどに絞られた中に入っているのを見つけて(審査結果が載っている「月刊ドラマ」を立ち読みした)、「才能があるのかも」と思い込んだことが、書き続ける自信をくれた。翌年3月に初めて賞を取った映画脚本『昭和七十三年七月三日』は、97年秋の函館旅行が活かされたから、やはり幸運の年だったのだろう。

さらに12年さかのぼる1985年は高校受験の年。第一志望の高校に合格し、新しい友だちも出来た。学校の掲示板で募集を知って翌年の米国留学に応募したのが、この年の出来事だったのか、年をまたいでからだったのか。わたしにとっては、その留学が大きな転機だった。

さすがに1973年、3才のときは運がいいも悪いもなく、幸せな子どもだったのではと想像する。さて、あと約半分残っている人生4度目の幸運年。何が起こるか、お楽しみ。

今夜の子守話は、今朝起きがけに言われた台詞がヒント。
「おにんぎょうと いっしょに ねんねしたのに さびしかったの。
 たまには そんなひも あるの」
「たまには そんなひも あるの」という何気ないつぶやきにドキッとする。「短くて刺さる台詞をください」とプロデューサーによく言われるが、子どもの言葉はまさに、短くて、鋭く刺さる。朝から詩みたいなことを言うなあと感心し、「同床異夢」という四字熟語を連想した。ダンナは「〈たまには〉は、〈たまちゃん〉と、〈ときたま〉をかけているのかな」と言った。

子守話72「さびしいよる」

だいすきな おにんぎょうと いっしょに ねむったのに 
さびしくなるのは どうしてかしら。

ねるまえに つないだ てと ては 
ねがえりを うつと はなれてしまうから。

わたしが ゆめのなかで わらっても
おにんぎょうが みている ゆめは ちがうから。

ひるまは あんなに なかよしだったのに
ねむっている あいだは はなればなれ。

さびしくて こいしくて めがさめたら 
となりで ねむっている 
おにんぎょうを ぎゅっと だっこした。

たまには そんな ひもあるの。


さて、今日も「朝ドラ つばさ 絵本 まじょのなみだ」の検索結果でこちらの日記に来られた方が多数。明日金曜日の放送で、加乃子がつばさと知秋のために作ったハッピーエンドが明らかに。子どもの笑顔が見たくて、母は作家にもなれば詩人にも(もちろん歌手にも道化にも)なるのです。

もうひとつ、金曜日の放送で千波が遺した子守話として登場するのが『おはなしの木』。「続きはまた後で」で終わっている作りかけの物語の続きは、土曜日の放送で。「つばさ」公式サイトによると、巨大絵本(>>>こちら)が登場するそうで、楽しみ。8週にも登場した「先延ばしの呪い」に、「わたしも呪いにかかっています」の嘆きやぼやきや告白の反響が続々。長く生きていると、いろいろあるある。呪いを解くおまじないは、「「起きてしまった物語は変えられな〜い。でも、物語の続きはあなたの手の中にあ〜る」。

2008年05月28日(水)  マタニティオレンジ294 たま語銀行オープン
2007年05月28日(月)  高田さんからの招待状
2005年05月28日(土)  このごろの通販ショッピング
2004年05月28日(金)  日本映画エンジェル大賞授賞式
1979年05月28日(月)  4年2組日記 がっけんのふろく


2009年05月27日(水)  プロデューサーに言われた信じられない言葉

シナリオ講座で教える友人から「プロデューサーから言われたセリフで、これは許せないとか信じられないとか、逆にうれしいことで印象に残っていたりする言葉とか、何かないですか?」と質問が来た。講座でプロデューサー対策を話すにあたって、実体験を集めていたらしい。

こんな返事を書いた。

言われてグサッという言葉、ほとんどないです。
広告時代に比べると、マイルドだなあという印象で。
脚本家にへそ曲げられたら終わりなので
気をつかってくれてるんだなあと思います。
「初稿面白かったです」とまずほめてから
「ただ、シーンのつながりがなだらかじゃないですね」とか
「テーマがぼけてますね」とか
「こころもとない場面がいくつか」のような言われ方。

ひどい言葉ではないけど
「だらだらと長い」「いらない台詞が多い」などと言われると
うちのかわいい子になんてことを!と思います。

あと、本直しした後で「前のほうがよかった」「悪くなった」と言われると、
直しのあの労力はなんだったの〜となります。
プロットから脚本になって「こんな話でしたっけ?」と言われるのも悲しい。

「今井さんの脚本にはいいところもありますが
 悪いところも同じぐらいあります」
これは最近言われた言葉。
楽天的な性格で、おみくじもいいとこだけ信じるので、
こういうときも「ほめられた」ほうを覚えておきます。

『子ぎつねヘレン』のプロデューサーに
「きみ、ト書きがへたくそだね。どこで勉強したの?」と言われたとき、
「じゃあ台詞はうまいってことですね」と喜んであきれられましたが
そのプロデューサーは、わたしの打たれ強さを面白がってくれてました。

きついこと言われるときは「別れ言葉」ですね。
友人の脚本家が、放送後の作品の感想を求められたときのこと。
「あの女優さんの演技が痛かったですねえ」と軽く言ったら
「痛いのはあなたの脚本です」とプロデューサー。
わたしの知る限り、これが破壊力最強です。


友人は講座のつかみでいくつか紹介して、無事生徒さんの爆笑を取ったそう。

質問に答えて、あらためて思ったのだけど、広告代理店のコピーライターを経て脚本家になってよかったのは、「ボツを食らう」ことに慣れていること。自分が書いたものを否定されるのは、自分を否定されるようで、すごくへこむけれど、コピーライター時代にずいぶん鍛えられたおかげで、ダメージは最小限に抑えられている気がする。書き続ける(直し続ける)気力と体力、それが脚本家には何より求められる。

今日の子守話は、娘のたまが「にじのぼる!」と一生懸命訴えるのを聴き、「虹にのぼるなんて、子どもらしい発想だなあ」と『オズの魔法使い』のOver the Rainbowを連想して、生まれた話。後になって、壁に立てかけたマットレスを前に「にじのぼる」と言ったことから、「よじのぼる」を言い間違えていたことが判明。まさか「にじりよる」と混同? それとも「4時」のぼるが「2時」のぼるに化けたのか? 

子守話71「クレヨンのにじ」

そらに おおきな にじが かかった あるひのこと。
たまちゃんが にじを ゆびさして いいました。
「あの にじに のぼりたいよう。
 にじに よじのぼって すべりおりたいよう」

ところが にじは はしっこが きえてしまって
じめんから とおく はなれた 
そらの とちゅうから はじまっていました。
「どうしよう。はしっこがないと にじに よじのぼれない」
こまった たまちゃんは にじの はしっこを かくことにしました。

なないろの クレヨンを つかって 
たまちゃんは そらに にじを かいていきました。
ところが にじを かいている あいだに
ほんものの にじが どんどん きえていきました。
クレヨンの にじを かいても かいても
ほんものの にじが にげていきました。

とうとう クレヨンの にじだけが のこりました。
まだまだ にじは みじかいけれど
たまちゃんの なないろの クレヨンは すっかりみじかくなって
つづきを かけなく なくなってしまいました。

そこに、
「わあ クレヨンの にじだ」
「ぼくにも かかせて」
クレヨンをもった おともだちが あつまってきました。
なないろの クレヨンを もった おともだち。
あかい クレヨンだけを もった おともだち。
あおい クレヨンだけを もった おともだち。

みんな かきかけの クレヨンの にじに のって 
なないろの にじの つづきを かきました。
みんなの クレヨンが どんどん みじかくなって
クレヨンの にじは どんどん ながくなりました。

クレヨンの にじが そらいっぱいに ひろがりました。
ほんものの にじよりも くっきりした いろあいの
にぎやかで たのしい にじです。
たまちゃんと おともだちは にじに よじのぼって すべりおりると
こんどは はんたいがわから よじのぼって すべりおりました。

なんども よじのぼったり すべったりしているうちに
みんなの ふくに クレヨンが くっついて
クレヨンの にじは どんどん やせほそっていきました。

そして いつのまにか クレヨンの にじも きえました。 

2008年05月27日(火)  マタニティオレンジ293 聴診器ごっことマススクリーニング
2007年05月27日(日)  大人計画『ドブの輝き』
2005年05月27日(金)  『シンデレラストーリー』@ル テアトル銀座
1979年05月27日(日)  4年2組日記 みんないっしょに


2009年05月26日(火)  2歳児のネーミングセンス

コピーライターになりたての頃、読売新聞に載っている「こどもの詩」を切り抜いてスクラップしていた。毎朝会社の自席で紙面を開き、作業をしていたのだが、だんだん畑を「ぞうさんのかいだん」と名づける子どものネーミングセンスに感心していた。台紙にした黒い表紙の大判のスケジュール帳は、みるみる膨らんでアコーディオンのようになった。会社の先輩たちが「今井、あれ見せてくれよ」とノートをのぞきにきては、あははと笑って立ち去って行った。一見すかして見えるクリエイター風情の先輩たちが無邪気に子どもの詩を面白がるのが、新鮮だった。

それから15年あまり。新聞ではなく娘のたまの実況で、子どもの言葉の面白さに毎日目を見張っている。

散歩中に「ママ こてなにかな」と立ち止まったのは、邸宅の玄関先。細い竹のようなものが植わっている。「なんだろね。竹かな」と言ったら、「まつげだよ」とたま。

また、別の日のこと。「みどり ことり」と韻を踏むのが聴こえて、絵本を読んでいるのかと思ったら、卓上カレンダーの表紙を見て、言葉をつけていた。クローバーのイラストの隣にカモメが並んでる。その隣のティーポットとカップを指差して、「これは何かな?」と聞いたら、「おちゃのじかん」と答えが返ってきた。

ところで、昨日の日記(「一週間は月曜日からか火曜日からか」の不一致)を読まれたご近所仲間で鉄道ファンのT氏より「世界の時刻表は月曜日から始まる」というタイトルのメールが届いた。

世界の航空会社のタイムテーブルを網羅しているOAG(Official Airline Guide)という歴史ある時刻表があるのですが、運航日の表示が月曜日:1、火曜日:2〜日曜日:7という表示方法を採用しています。また世界の鉄道の時刻表を網羅するThomasCook社の時刻表も運行日の表示は月曜日が「1」、日曜日が「7」です。

とのこと。時刻表も月曜日派だった!

2008年05月26日(月)  いい広告を作るには、いいオンナになれ。
2007年05月26日(土)  マタニティオレンジ124 役員仕切りのクラス会
2004年05月26日(水)  ニヤニヤ本『言いまつがい』
1979年05月26日(土)  4年2組日記 かみなり


2009年05月25日(月)  「一週間は日曜日からか月曜日からか」の不一致

昨日の夜のこと。「来週の予定どうなってる?」と何気なくダンナに聞いたことが喧嘩の発端だった。一週間は月曜から始まると考えるわたしは「来週=明日からの一週間」のつもりで言ったのだが、「日曜から始まる派」のダンナの新しい一週間は昨日の時点ですでに始まっており、「来週=次の日曜日以降」というズレが生じた。日付を確認して、互いの一週間のとらえ方がずれていることに気づいたのだが、「来週空いてる?」と聞いて予定を入れたら子守の都合がつかない、といったすれ違いにもなりかねない事態。

「危ない、危ない」「よく今までミスが起きなかったものだね」などと話しているうちに、「気をつけなよ。日曜から一週間が始まるのは常識だよ」とダンナがいばったので、「ちょっと待ってよ。月曜からじゃないの?」とわたしが反論し、「日曜派」と「月曜派」の戦いになった。月曜から土曜まで学校があって日曜が休みという学校生活を経て、社会人になっても月曜から金曜まで働いて土日が休みというのが一週間のリズムだった。フリーになってリズムはだいぶ崩れたけど、やっぱり月曜から金曜のあとに土日がくっつくという感覚がある。

「日曜日は市場にでかけ〜」の『一週間の歌』も「Sunday Monday Tuesday」の歌も日曜から始まるし、教会へ行く安息日を週の始まりととらえるのは欧米的な考えなのかもしれない。だけどダンナはクリスチャンでもないのに「日曜から始まるって決まっているんだよ」の一点張りで「月曜から始まるなんて言ってるのは君ぐらいだ」とまで言い張る。

「じゃあ『週末』って言葉はどうなるの?」とわたしは反論。「日曜が週の始まりなら、土日は週末じゃないんじゃないの?」と言うと、「日曜が土曜にくっついてるんだよ」と強引な答え。じゃあ辞書を引いてみましょうよと新明解国語辞典を開くと、

しゅうまつ【週末】 その週の終り。[日曜から週が始まると考えた場合も、月曜から週が始まると考えた場合も、土曜の午後もしくは金曜の夕方から日曜にかけての仕事休みを指す]ウィークエンド

とある。「見なさい。辞書には月曜から始まる考えもあるって書いてある!」と鬼の首を取ったように言うと、「君はときどきわけのわからないことを言う!」とダンナは逆上し、「そんなに月曜から始めたいのか! 一週間は8日欲しいとか一年は500日欲しいとか言うのか!」とダンナのほうが支離滅裂になった。

言い争ううちに、なんで日曜か月曜かでこんなに険悪になっちゃうんだろう、どうしてただ「なんでだろね。おかしいね」と面白がれないんだろと悲しくなったり、淋しくなったりして、娘のたまを道連れに玄関先へ家庭内家出して、さめざめと泣いた。こういうとき、子どもは、いつもならお友だちにつられて泣くくせに、へらへらにこにこ笑っていてくれる。「ママねえ、日曜日と月曜日とどっちがえらいかでパパと喧嘩したんだよ」と言ってもわからないだろな。でも、
子守話にしてみよう。

子守話70「日ようびと月ようび どっちがいちばん?」

日ようびと 月ようびが けんかした。
「いっしゅうかんのはじまりは 日ようびだ」
「いやいや 月ようびだ」
「月ようびは 日ようびのあとだ」

「いやいや 月ようびではじまり 日ようびでおわるのだ」 どちらも いじっぱりで ゆずらない。

「お日さまは お月さまより えらいから 日ようびがさきだ」
「日ようびは かいしゃも がっこうも おやすみで
 なまけているから えらくない」
「お日さまがなかったら お月さまはまっくらだから 日ようびのほうがえらい」
「なん月なん日というときは 月のほうがさきだ」
どちらも いっぽも ゆずらない。

けんかをみていた ほかのようびたちも くちをはさんで
「火がないと こまるから 火ようびが いちばんえらい」
「それをいうなら 水だって」
「いいえ 木がなかったら もっとこまる」
「水がなければ 木はそだたないよ」
「それなら 土もひつようだ」
「お日さまを わすれちゃ こまるね」
「お金があれば なんだって かえるさ」

「われこそは いっしゅうかんで いちばんえらい!」と
ぜんいんが いいはって おおげんか。
  それをみていた たまちゃんが
「だったら 玉ようびを つくる!」といいだした。
「た、玉ようび?」
7つのようびが びっくりしてききかえすと、
「いっしゅうかんは 玉ようびから はじまる!
 だって このカレンダーは たまちゃんのものだから
 玉ようびが いちばんえらい!」と
たまちゃんは じしんたっぷりに せんげん。

いっしゅうかんが 8にちになったら
7にちに1かいだった でばんが 8にちに1かいに なってしまう。
ラッキーセブンの7 にじいろの7 7が8になるのはイヤだ!
ひじょうじたいを まえにして
いっしゅうかんの ようびたちは たちまち なかなおり。
「玉ようびだけは やめてくれ!」と いっちだんけんけつして
8つめのようびが くわわるのを くいとめた。

日ようびがさきか 月ようびがさきか そんなことは どうでもよくなった。


学生時代、応援団にいたときにわたしの代の団長を誰にするかでもめた体験が、「玉ようび」のヒント。「そんなにもめるならわたしが団長をやる!」と言った途端、「それだけはやめてくれ!」と団長候補が団結した。

2008年05月25日(日)  カレーパーティ当日
2007年05月25日(金)  車椅子専用クッションのすわり心地
2005年05月25日(水)  オペラに恋して〜愛ラブ3テノール
2003年05月25日(日)  レトルトカレーの底なし沼
2002年05月25日(土)  イージーオーダー
1979年05月25日(金)  4年2組日記 おかあさんが帰ってこれるか


2009年05月24日(日)  「つばさ」第9週は「魔法の木の下で」

昨日、じいじばあばの家にお泊まりした娘のたまは、珍しくぐずったらしい。ダンナからも聞いていたのだが、朝電話すると、本人が「たまちゃん きのう ママがいいって ないたのよ」と教えてくれた。さらに「たまちゃん まだ かえれないの。ママ こないから」と言う。今日はわたしが仕事ですぐには家に帰れないことをわかっている。このところ、たまは自分の気持ちをだいぶ言葉で言い表せるようになった。パパと留守番していて、夜遅くになってもわたしが帰って来なかったとき、泣きやまないので、「じゃあママを見に行こうか」とパパに言われて表通りまで見に行ったら、気が済んで泣き止んだことがあったが、そのときも翌日になって「たまちゃん ママ まだかなって みにいったの。ママ いなかったの」と報告してくれた。

2才9か月でも淋しさと我慢の葛藤があって、それを言葉にできるんだなと感心すると同時に、言葉にできるようになる前から、感じていたのだなと思い、いじらしくなったり、胸がしめつけられたりする。

明日からの「つばさ」第9週「魔法の木の下で」には、真瀬の亡き妻・千波が娘の優花に遺した作りかけの子守話『おはなしの木』が登場する。優花が2才になった日に千波は亡くなったのだけど、きっと、そのときの優花には、すでにいろんなことがわかっていたのだろう。だからこそ、悲しみの傷は深いのだろうと思う。「優しい花」と綴る名前を持ちながら、花に優しくなれない優花。そこにも母親を喪ったことが影を落としている。彼女が優しい気持ちで花に向き合えるようになるために、つばさに何ができるのか……という週。8週に登場した『まじょのなみだ』が、9週ではつばさにヒントを与えることに。今後もちょくちょく登場するかぶりものの「あまたま君」「ぽてと君」が初登場。メルマガ「いまいまさこカフェ通信」20杯目の記事もあわせてどうぞ。

NHK連続テレビ小説「つばさ」(月)〜(土)放送中
【放 送】総合・デジタル総合 8:15〜8:30
     デジタル衛星ハイビジョン 7:30〜7:45
     衛星第2 7:45〜8:00
【再放送】総合・デジタル総合 12:45〜13:00
     衛星第2 19:30〜19:45/(土)9:30〜11:00(一週間分)

2008年05月24日(土)  カレーパーティ前日
2007年05月24日(木)  マタニティオレンジ123 モンスター親とアリガター親
2002年05月24日(金)  清川虹子さん
1979年05月24日(木)  4年2組日記 しゅうじで「ビル」


2009年05月23日(土)  広告業界200人!船上結婚パーティ

「サラリーマン転覆隊」というカヌー愛好会をやっている電通の本田亮さんと知り合ったのが昨年のこと。『サラリーマン転覆隊が来た!』『サラリーマン転覆隊 悪ガキオヤジが川に行く! 』『ママチャリお遍路1200km』などの著書があり、いい年した悪ガキ集団の珍道中を面白く読ませてもらったのだが、「転覆隊のジャニーズ村田が今井さんとお仕事していたそうで」と本田さんに言われて、驚いた。わたしがマッキャンエリクソンという広告会社でコピーライターをやっていた頃、東京ディズニーランドの広告を作っていたのだが、そのCM制作を担当していた葵プロモーションのプロデューサーだったのが、村田淳一さん。本に載っている写真に目を凝らせば、確かに村田さん。甘い顔立ちから、ついたあだ名が「ジャニーズ村田」。

本を読み終えてから「登場人物の一人が知っている人だった!」と知って驚いていたら、今度は東京ディズニーランドの広告を作っていたときのCMプランナーだった元同僚の宇野実樹嬢から「村田さんと結婚します」と知らされ、二度びっくり。おつきあいしていたことも初耳だったけれど、立て続けに村田さんがつながって、世の中狭いなあとつくづく思った。今はマッキャンから電通に移った宇野嬢が本田さんと同じフロアで働いているというのも、これまた偶然。

そんなわけで今日の船上結婚パーティには、新郎の職場の葵プロモーション、新婦の元の職場のマッキャンエリクソン、今の職場の電通、さらに転覆隊仲間の広告関係者が大集合となった。会社は違っても狭い業界なので、あちこちで「おひさしぶり〜」「ごぶさたしてます」が交わされる。

「あの二人がつきあっていたとは!」と驚いた次の瞬間には頭の中で二人を並べて、「うん、たしかにお似合いだ」と納得したのだけど、長身で華やかなルックスの新郎新婦が並ぶ図は、「ジャニーズ×タカラジェンヌ」といったところ。終始笑顔を交わして、とってもいい雰囲気。

「社内キョウサイ組合(共催ではなく恐妻)」の話で受けを取り、次第に自分の話に持ち込む電通の関西人上司氏のおとぼけスピーチで船内大爆笑。後に続くマッキャンの手島さんがすべったら……と危ぶんだら、新郎新婦をよく知っている手島さんは「俺は認めない! これはドッキリに違いない!」を連呼し、しっかり受けを取ってくれた。手島さんはわたしが会社を辞めたときの上司でもあり、「君が辞めるということは、それだけ脚本の仕事が軌道に乗ったということだから喜ばしい。でも、うまくいかなくなったら戻っておいで」と送り出してくれた。

転覆隊隊長の本田さんは「川下りの瀬に沈する前に妻の瀬に沈する悲哀」をぜひ味わってと激励し、家庭の瀬を乗り越えるオールを贈呈。隊員が結婚するときには贈るのがならわしなのだとか。

同じく転覆隊の「雄叫びの西橋」さんは、自ら作詞作曲した「弾丸ジャニー」を自らのギター演奏で熱唱。「M・U・R・A・T・A MURATA!」コールの大合唱で船が揺れた。

本田さんに紹介していただいて、転覆隊の皆さんともご挨拶できたが、西橋さんと「トライアスロンあらためジャグジー宍倉」さんとはとくにたくさん話せた。気さくで楽しい人たちで、本の登場人物に後から出会う楽しみも味わえた。

甲板でのブーケトスの後、新郎から新婦にサプライズプレゼント。東京の街を走り回り、「実樹、幸せになろうぜ」と書いたボードを100人の人に持ってもらった写真を撮り集め、コラージュする過程をビデオで上映した後、愛であふれたそのボードを贈呈。感激屋の新婦が涙で目をうるませながら読み上げた新郎への手紙は、「堂々とのろけたり素直にお礼を言えたりするのも今日ぐらいだから」とまっすぐ、まっしぐらな新郎への気持ちを披露。「今日の日をイメトレしていました」というのが、かわいい。幸せになろう、という目標を秘めておくのではなく、みんなの前で宣言するのが、爽やかな二人らしくて、微笑ましかった。

新郎の最後のスピーチにも、しみじみ。「これまで、人の結婚パーティには、あまり出なかった。自分がいてもいなくても関係ないと思っていた。でも、結婚を発表してからの数か月、すごく幸せだった。会う人ごとに、おめでとう、と声をかけられて、どんどん幸せになった。幸せは増幅するんだなと感じた。そして、自分たちを祝おうという人たちが集まった今日の会は、とんでもない幸せだった……」そんな感じの内容で、それを聞いたわたしも、たぶん同じ船に乗り合わせたみなさんも、幸せのおすそわけを受け取った。

おみやげは、「甘い」ときも「辛い」ときも一緒にいたいという二人の気持ちを込めて、オリジナルの刻印が入ったどら焼きと七味。こんなところも、わたし好み。村田さん、宇野、お幸せに!

2008年05月23日(金)  春の大掃除週間と娘の運動能力
2007年05月23日(水)  マタニティオレンジ122 おはなしたまちゃん
2005年05月23日(月)  ミヤケマイ/ミヤマケイ展『花よりだんご』
1979年05月23日(水)  4年2組日記 とみさわくん

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