2008年05月26日(月)  いい広告を作るには、いいオンナになれ。

季節外れの大掃除で家の中がずいぶん片付き、洪水の濁流が退いた後に点々と遺された漂流物のごとく、あらアナタこんなところにいましたか、と思わぬものが顔を出す。その多くは紙。部屋のあちこちで何かの下敷きになっていたA4用紙の束は、昔書いたプロットだったり、売り込むタイミングを逸した『パコダテ人』の小説晩だったり、チェーンメールで届いた「いい話」のプリントアウトだったり、『ウンザリガニ』という脱力系アニメの企画を書くための大量のザリガニ資料だったり。

その中に「OJTレポート 第1回 5年4月〜7月」の表紙がついたものを発見。5年とは、わたしが広告会社マッキャンエリクソン博報堂(入社した翌年ぐらいに「博報堂」が取れた)平成5年、1993年のこと。ちょうど広告業界での実体験を膨らませた小説『ブレーン・ストーミング・ティーン』(2004年春に刊行)のケータイ配信が決まり(ケータイ読書館にて。6月25日より)、ひさしぶりに読み返して「4年前とってもひと昔だなあ」としみじみしていたのだけど、それよりさらに遡ること11年。本人が記入する自己評価とトレーナーである上司のコメントがびっしりと書き込まれたレポートを読んで、15年前、社会に出たばかりの自分はこんな風に仕事に向き合っていたのか、上司からこんな風に見られていたのか、と懐かしくなったりこそばゆくなったりした。

当時から社内でエース級の活躍をしていた上司のコメントはさすがに味があって、読ませる。たとえば、「習得(勉強)してもらいたい知識、読んでおくべき、本、資料、その理由など」という項目。

広告とは、広告主の一方的なメッセージである、ということを前提に、よりわかりやすく、より魅力的な、サービス精神あふれる広告づくりを目指すこと。そのためには、常に自分を冷静に見つめるもう一人の自分が必要であるし、かたよった(もしくは、せまい)価値観にとらわれない、いい意味でのニュートラルさを身につけなければいけない。
では何をすればそうなるのか、というものでもないと思うが、一言でいえば、魅力的ないい女になること、である。結局、人と人とのコミュニケーションが、私達の仕事のベースだから、人に好きになってもらうにはどうしたらよいか、これから考えておくといいと思う。こびを売ってもだめだし、ウソもだめ、人並の倫理観は必要、さらに自分らしい個性もアピールしたい。
いろいろ大変だけど、むずかしく考えることもないので、とりあえず、自分が好きなこと、やりたいことを徹底的に、とことんやってみる。←(あきるまで)単に仕事のために、本を読んだり映画をみたりしなくてもよい。そういうのは、あまりよくない。
で、あとは本人しだい。それと仕事を好きになることです。

これだけぐいぐい読ませるチャーミングな文章を手書きで一気に書ける昔の上司をあらためて尊敬してしまう。一方、駆け出しコピーライターのわたしのコメントは肩に力が入っていて、質問項目並みに固くて面白みに欠ける。

●担当した仕事について本人の感想、達成度など
広告というものをよくわからないままに仕事に手をつけてしまい、ひとつ終わるたびに「広告とは」を知っていく状況。ただし、こちらは修業の身でもプロとしての扱いを受けるべく、きちんとした仕事をこなしていかなくてはならない。楽しみながらもしっかり責任持ってやらなくては、いい仕事はできないと思っている。

● 全般的な本人の感想(うれしかったこと、悲しかったこと、困ったことなど)
広告とかコピーとか漠然としかわかってないゆえにひとりよがりなアイデアを量勝負で出してしまうのは困ったものだが、これに質が伴えば私も“うれしいことのひきもきらない人”になるはずだ。しばしば使い方のあやしい日本語もたたき直さねば…。

といった具合。それに対して上司は、「仕事をこなすごとに、くやしがったり、反省したり、感心したり、よろこんだり、いろいろ感じているが、それを自分のこやしにしている、次の仕事に生かしているのはいい。コピーにいいものを持っているので、それをチョイスし、なぜいいか理解できる力を早くつけること」「パワーのある広告づくりをするためには、地味なつみかさねが必要。今の努力が必ず何年後に生きてくる。正しいプロ意識を養ってほしい」などと記している。「広告」を「脚本」に置き換えても通用するアドバイスばかり。「いい脚本を書くためには、魅力的な人間になってください」なんてシナリオ講座などでえらそうに言っているけれど、それは15年前の上司の言葉の受け売りだったのだ。

この上司からは「お前のコピーは核心を突くにはほど遠い。大気圏の外をさまよっている」とダメ出しを食らい続け、自分の能力を過大評価していたわたしはあり余る若さをぶつけて全力で反発し、「今井の相手をしていると、疲れるよ」とぼやかせていた。「最初はガッツが空まわりしていたが、だんだんギアがかみ合ってきたようで、これからが楽しみです」という所属長のクリエイティブディレクターのコメントもあり、「今井にあるのは独創性と協調性ではなく、独走性と強調性」と言われた新人時代の暴走ぶりがうかがえる。

でも、苦笑しつつも面白がってわたしを引き受けてくれる上司に恵まれたおかげで、わたしは同じ会社に12年もいられた。あんまり楽しくて居心地が良くて、脚本の仕事が忙しくなってからも、辞めますとなかなか言い出せなかった。『』に、わたしは「宝物は自分の中にある。それを宝の山にするのも、宝の持ちぐされにするのも自分次第」というメッセージを込めた。わたしがいた会社は、今井雅子という石ころを磨くのに最高の場所だった。そこで出会った人たちや出来事、あの12年間はまるごとわたしの宝物。いいオンナになれたかどうか自信はないけれど、キラキラするものをたくさんもらった。

2007年05月26日(土)  マタニティオレンジ124 役員仕切りのクラス会
2004年05月26日(水)  ニヤニヤ本『言いまつがい』
1979年05月26日(土)  4年2組日記 かみなり

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