昨日は打ち合わせがあり、ダンナの実家に預けていた娘のたまを迎えに行くのが9時頃になった。そのせいか、夜中に起きだし、「バーニー み!」とビデオを観たいとせがんだり、「の!」と絵本『わたしの』を読めとせがんだり、「じじ かく」とペンを握りしめたり、元気スイッチが入ってしまった。わたしがトイレに行くとついてきて、トイレットペーパーを引っ張ったり、水を何度も流したり、花瓶をひっくり返したり。わが家のトイレには、たまの大好きな花とハートとにぎやかな色があふれ、押せば応じてくれるウォッシュレットのボタンまであり、たまにとってはワンダーランド。
壁に貼ってある自分の写真を見るのも好きで、写真と自分をかわるがわる指差しては「ここ」(わたしの写真ね!)と主張するのだが、昨夜は「あま」と言った。「タッチ」も「ママ」も言えるのに、いつまで経っても「たま」と言わないのが不思議だったのだけど、はじめて自分の名前の発音を試みた。ずいぶん言葉の再現能力が発達してきたようで、「パパこわいって逃げたらパパ悲しむから、パパ好きって言おうね」と教えたら、だっこの仕草とともに「パパ きー」。ひと晩で二つも新しい言葉が口から出て来た。
新しく言葉を獲得するとき、ためこんだ言葉が突然堰を切ってあふれだす瞬間がある。わたしがアメリカ留学したとき、一か月後ぐらいにそれが訪れた。端から埋まっていったパズルが、空白が少なくなるにつれて加速度的につながるようなことが、頭の中の言語回路にも起こるのだろうか。今のたまも、そんな時期を迎えているように思う。わたしにとって、言葉は、この世で最も興味があるもの。とれたての娘語録を書き留めておかない手はない。これから一気にふえると思われるたま語を、それを初めて口にした状況も含めて記録することにし、いまいまさこカフェ内にたま語銀行を開設。利息が利息を呼んで言葉貯蓄がふえていくさまを観察したい。
もうひとつ、まとめようとしているのが、今日で19話目になる「子守話」。もっと未完成なものや中途半端なものを含めると倍ほどの話が生まれているけれど、ようやく20話に手が届くところまで来た。19話目は、おつきさまに手が届く話。たまは「おつきさま」は言えないけれど、『はらぺこあおむし』の絵本を見て、「おつきさまどこ?」と聞くと指差す。文京区から贈られた『おつきさまこんばんは』も大好き。大人から見ると絵が暗い気がするのだけど、何度でも読んでとせがむ。
子守話19 おつきさま つかまえた
つきあかりのしたに あつまった どうぶつたちが よぞらをみあげて いいました もっと おつきさまのちかくに いきたいね そしたら おつきさまを つかまえられるかな
でも おつきさまは はるかとおい そらのうえ ぞうがはなをのばしても まだまだとおい ぞうのはなのうえに きりんがのって くびをのばしても まだまだとおい きりんのあたまのうえに わにがさかだちしても まだまだとおい わにのしっぽのうえに さるがのって てをのばしても まだまだとおい さるのてのうえに うさぎがのって みみをのばしても まだまだとおい うさぎのみみのうえに ねずみがのって てをのばしても まだとどかない
さーかすみたいに そらへそらへのびた どうぶつたち よかぜにゆれて ゆらりゆらり やじろべえ いちばんうえの ねずみが はるかかなたの じめんをゆびさした あっ あんなところにおつきさま いけのなかに まんまるきれいなおつきさま ねずみにうさぎがひっぱられて うさぎにさるがひっぱられて さるにわにがひっぱられて わににきりんがひっぱられて きりんにぞうがひっぱられて いちれつにつながった どうぶつたち ざぶんと いけにとびこんだ
ほら こんなにちかくに おつきさま ぞうときりんとわにとさるとうさぎとねずみは ぐるりとわになって てをつないで おつきさまをつかまえた |
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