「ゆずり葉」という言葉をひさしぶりに聞いた。河井酔茗という人の書いた『ゆずり葉』という詩があり、そこに登場する言葉として記憶していたので、小学校の国語か道徳の時間に習って以来かもしれない。
まさにその詩をモチーフにし、『ゆずり葉』をタイトルにした映画が生まれようとしている。全日本ろうあ連盟が創立60周年を記念してつくる映画で、今夜、その「成功させる会」に参加してきた。
会場は、文京区シビックセンター最上階にあるスカイホール。会がはじまる少し前に足を踏み入れると、集まった百名を超えると思われる参加者たちが手話でおしゃべりに花を咲かせている。その、にぎやかなこと。大きな身振りと生き生きした表情から、会話の内容が楽しげであったり懐かしげであったりすることがうかがえる。
ああ、この言葉がわかったら、と思った。
今から遡ること四半世紀、中学校の必修クラブで手話を習い(松久先生というたしか理科の先生が教えてくれた)、アメリカの高校に留学したときには市民講座でAmerican Sign Languageを教わったわたしにとって、手話は言語のひとつであり、文化の一部だという認識がある。
なかなか再び手話を学ぶ機会がなかったのだけど、今夜は浴びるように生きた手話に触れられるチャンス。耳から入る情報と目から入る情報を同時に味わい、データベースに保存していった。
刀で斬りつける仕草は「斬新」、旗を振る仕草は「応援」。首を軽くつまむような「幸せ」、こめかみに人差し指を当てる「思う」、両手で時計の文字盤と針を表現する「とき」などは、記憶の底に残っている。
体で覚えた知識は記憶に定着しやすいというけれど、四半世紀のブランクを経ても五十音とアルファベットは指が勝手に動いた。
手のひらを自分のほうに向け、体の前で両手を揺らすように上下させる動きが、「映画」。これもたしか「テレビ」として習った覚えがある。テレビは小さめ、映画は大きめに手を動かすのだとか。「映画」の動きに「書く」仕草を続けると、「映画脚本」となる。
アメリカ留学時代、生徒数千人を超えるマンモス校には数十人の聾者が学んでいて、他の生徒と同じ教室で手話通訳とともに授業を受けていた。彼らが集う部屋にはタイプライターで打ったものが電送されるというメールの先駆けのような機械があった。
それが1987年のこと。
「君の唇は読みにくい」と笑いながら、わたしの拙い英語に誰よりも辛抱強くつきあってくれたのは、彼らだった。
日本に帰ってからは聾者と知り合う機会すらなく、昨年保育園の役員会で一緒になった山岸さん(パン好きで、パン教室を開くほどの腕前)が、最初の友人となった。山岸さんの幼なじみの早瀬久美さんの夫の憲太郎さんが脚本・監督を務める映画ということで、今夜の会に声をかけてもらったのだった。
ともに聾者の早瀬久美さん、憲太郎さん夫妻には、人を引きつける圧倒的な魅力があり、きびきびした手話とよく動く表情にもそれは現れている。夫婦そろってこんなにも目が輝いているカップルは、結婚式以外ではなかなか見かけない。映画という夢があるからなのか、ありあまる好奇心と行動力ゆえに映画に首を突っ込んだのか。
久美さんは聴覚障害者初の薬剤師免許取得第一号となった人だという。会の司会進行も務めていたが、彼女の手話は力強くて表現力豊かで、このバイタリティで道を切り拓いてきたんだなあと想像した。動くだけで元気と勇気の粉をふりまくような早瀬夫妻。この人たちに会えば、どんな映画を見せてくれるのか、無関心ではいられなくなる。
初監督作品で、脚本を書くのも初めてという憲太郎さんは、連盟の理事の友人である漫画家の山本おさむさんに師事を仰ぎ、脚本を練ったという。プロット段階から関わったという山本さんの「脚本づくりは宝さがしのようなもの」という言葉に共感。プロットにある宝物を見つけては肉付けする作業を繰り返し、準備稿が仕上がった。
これからオーディションを経て、今秋撮影、来年6月から全国四百か所を目標に上映をしていく予定だという。ロケ地は古い町並みが残っている本郷、谷中、根津、千駄木エリアとのことで、わたしの散歩圏。ろうあ連盟がはじめてつくる映画が地元で撮影されることにも縁を感じる。聾者親子のかけあいでロケ地を案内するビデオも楽しかった。
全日本ろうあ連盟が映画をつくる意義についても語られた。活字ではなく幅広い人たちが共有できる映像で、聾者の想いを形にし、届けたい。折しも連盟は60周年。人間で言えば還暦を迎え、映画という赤ちゃんに連盟の想いを託すことになった。
連盟理事長で製作委員会委員長でもある安藤豊喜さんは、連盟が歩んできた60年を「聾者が置かれていた谷間から引き上げるたたかい」だったと語った。今日では考えられない苦労や屈辱を跳ね返しながら、ひとつひとつの権利や約束を勝ち取ってきたのだろう。その運動の歩みそのものが、ゆずり葉になっている。
より生きやすい社会を子らにゆずり渡すことを願い、懸命に生きた親たち、そして、そのまた親たち。そんな『ゆずり葉』の生き様が映画に描かれることを期待し、一人でも多くの人に届く作品になればと思う。
ロケ地にもなる文京区の成澤区長(「文京区長」の手話が受けた)をはじめ、出席者のスピーチはそれぞれ味があり、映画についている応援団のたのもしさが伝わってきた。もちろん、想いはあっても「資金」がなくては映画の完成は難しくなる。けれど、一人一人の想いが合わさり、うねりとなったとき、映画づくりに必要なもの(お金はもちろん物や人も)を吸い寄せる力が生まれることも事実。
今夜の会には、すでに熱い波が立ちはじめていた。その滴を持ち帰り、冷めないうちに日記に記したつもりだが、読んだ方に熱が伝わり、映画『ゆずり葉』を応援する波がひろがることを願っている。
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