浅間日記

2011年12月27日(火)

厳しい寒さが続いている。
身体がみしみしと消耗しているのがわかる。

内臓を冷やし、筋肉や筋を縮み上げ、血液から熱を奪っていく。
こんな寒さでは、風邪すら引くことができない。

だのに、最低気温は容赦なく更新され、冷え込みの蓄積に加算される。



こんな寒さの中で、臨月を迎えようとしている。
果たして無事にお産ができるのだろうか。
死んでしまうのではないだろうか。

命を迎えるという尊い行為を前にして、不吉な気分がどうも払拭できない。

2007年12月27日(木) 
2006年12月27日(水) 
2005年12月27日(火) 



2011年12月21日(水) 節目とならない年末

クリスマスが近づいて、クリスマスがやってきて、
程なく、年末年始となる。

今年の年末は、3月11日とそれ以降の日々を振り返り、
来年に向けて元気を出そうと、世間がプロデュースしようとしている。

けれども私は、それ程には、国民は心ひとつで年末年始とならないだろうと思っている。

例年通りの年越しができる人と、そうでない東北の被災者の方々の境遇は、
残酷なまでに違いすぎる。



国民が同じ感情を共有するのは、むしろ来年の3月11日になるだろう。

誰もが皆、それぞれの状況で、東日本大震災のインパクトを受けている。
西日本の人々でも、きっとそれは同じだろうと思う。

3月11日には、一年前に感じた、日本という国はもう駄目になってしまうかもしれないという恐ろしい気持ちを、全国民が一斉にフラッシュバックさせるのではないだろうか。

実は最近、その日が来るのを少し怖く感じている。

そして、そうだから、年末年始ぐらいの節目には、あまり気持ちを向けられないでもいる。

2006年12月21日(木) 
2005年12月21日(水) composer
2004年12月21日(火) 船を出そう



2011年12月19日(月) 駅前総理の与党的役割

11月11日の予算委員会TPP集中審議でのやりとりから漠然と感じ、
今はっきりと思う。

早く解散総選挙をしてほしい。もう野田政権はうんざりだ。

社会人として人の親として、国や政治のことを思うようになってから、
心の底から「この人ではダメだ」と思った総理大臣は、安倍晋三とこの人ぐらいである。

この人のコミュニケーションに共通するのは、慇懃無礼であるということだ。
およそ国民に相対するような場面では、誰の顔も見ていないし、誰の声も聞いていない。
長いこと駅前で演説をしてきたそうであるが、その頃に身に着けた習慣なのだろうか。

不特定多数の、それも通勤通学で足早に通り過ぎる人間に漠然と持論をぶつのは、商店街のBGMと変わらない。
人間と面と向かって対話をしなければ、異論反論を受け止めなければ、
真の意味で政治家ではないのである。彼にはそうした訓練が足りない。

あるいは、白々しいほど現実と異なることを口にして憚らない神経は、
何者かの傀儡(くぐつ)であることを認めていて、自己の尊厳を放棄しているからだろうか。



この男の一刻も早い退場を願うが、かといって誰を次に望むのか、政党はどこに託せばよいのか、まったく希望がない。

結局のところ、この国には「与党」と「野党」という政党しかないのだ。

与党は与党の慣わしに従った政治理念を展開し、役割を果たす。
米国の言うことを聞き、曖昧な答弁で国民をいらだたせる。

野党は野党の伝統どおりの政治理念を身にまとい、役割を果たす。
国民の味方のような正論をぶって与党を糾弾し、民衆のガス抜きをする。


そのように思うと政治家も官僚とあまり変わらない。
そして実に日本的である。


2010年12月19日(日) 
2007年12月19日(水) 憤慨を禁じえない定義
2006年12月19日(火) 絶望アピール
2005年12月19日(月) 
2004年12月19日(日) 



2011年12月18日(日)

新たに家族を迎えるにあたって、家の中の大掃除。
ネスティングの本能がそうさせるのである。だから少々、狂気がかっている。

Hを励まし、時には尻をたたきながら、
あれをこちらへ運べ、この中の山岳関係の不用品を選別整理せよ、と指示をする。

Hの良い所は、割合文句も言わずに私の狂気に付き合ってくれるところかもしれない。

かくして部屋は一掃され、部屋に散乱していた本やおもちゃやなんかの収納先は確保され、清々した生活空間ができあがる。

2010年12月18日(土) 絵の語る言葉を語る人
2009年12月18日(金) マニフェストの賞味期限
2008年12月18日(木) 人という光明と限界
2007年12月18日(火) 裁判三話
2006年12月18日(月) 協力か介入か



2011年12月15日(木)

鮭の産卵の絵本を見た小さいYは、
お母さんもお産をしたら死んでしまうのか?と聞く。


いや死なないと思いますよ、と答える。

「と思います」が余計なのだが、絶対に命を落とさないとは言えない。
そうは思っていないからだ。

別段、ここで死んでもいいと思っているわけではないが、
出産というのは命がけで命を産むという本質があるから尊いので、
それが判らなくなるほど「安全・確実」の彼岸へ行く気はない。



身篭る母をもつ三歳児は、喜びと不安が入り混じっていじらしい。
ナーバスな気持ちは、今週の頭から、ついに発熱となって現れた。

真っ赤な顔をして、身体を熱で火照らせて、お母さんがいいお母さんがいい!と、うわごとのように叫んでいる。

その身体に寄り添って、はいはい大丈夫、と答える。

命を迎えることと見送ることは、同じぐらいのインパクトがある。
とりわけ、森羅万象をありのままに受け止める小さい子どもにあってはなおさらだ。

2010年12月15日(水) 大所高所大将
2008年12月15日(月) 藪と泉 その2
2007年12月15日(土) クリスマスの真実
2006年12月15日(金) 失敗
2005年12月15日(木) 南へ北へ
2004年12月15日(水) 追って狂気の沙汰を待て



2011年12月01日(木) 狂わされた人生の物語

映画「ひまわり」。

前に観たのは20才の頃だったと思う。
なにかそうした名作を見なければという意気込みだけで観たから、
あまり印象に残っていなかった。



二十歳やそこらで観ても、この映画は味わうことができないなあと今しみじみ思う。

戦争によって人生を狂わされることの、本当の意味がわからないと思うのだ。

「この沢山のひまわりの下にも戦争で死んだ多くの人が埋まっている」という台詞も、素通りしてしまっていた。

戦地へ向かう兵隊が、家族や恋人へ「絶対帰ってくる」という心情を包み隠さずあらわすところや、
終戦後、遺族が国に対して怒りの感情をむき出しにするところなどは、
日本人のそれとずいぶん違うな、ということも今回強く感じた。

それから、ジョバンナを演じるソフィア・ローレンの毅然とした美しさも、今回しみじみと鑑賞した。



ミラノでジョバンナと再会したアントニオが、二人でどこかへ行こう、と逃避行をもちかける。
ジョバンナを押しとどめたのは、隣の部屋から聞こえてくる、今の夫との間に誕生した赤ん坊の泣き声だった。

さっきまでアントニオと抱擁し、接吻を交わし、長年の寂しさ、悲しみ、弱さをさらけ出していた女のジョバンナが、
一瞬にして母親の顔つきになって、二人の邂逅を白々とした、何かどうでもよいようなものに変化させている。

親となった大人としての矜持が、この時代はまだ健全だったのだ。

母親としての本能、というよりも、社会的な倫理観としてそうしたものがあったのだと思う。

そして、その潔さと、狂わされた人生へのあきらめがあるからこそ、この物語は悲しい。


2010年12月01日(水) リアルドラえもんの偽物の未来
2009年12月01日(火) 価値が変動するものに依存する
2008年12月01日(月) 自分を支える特別な儀式
2006年12月01日(金) 勘亭流の並木道
2005年12月01日(木) 


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