北安曇郡小谷村の大網集落に関する特集が、地元紙で続いている。
小谷村大網集落というのは、白馬村のさらに先にある集落で、 日本海側の糸魚川へぬける途中にある。 交通の便は悪く、傾斜地が多く、豪雪地であり、土石流などの災害の危険もある。
取材を受けているのは、その諸々の事情を飲み込んで、 だけど住み続けるのだという残された人達なのである。 「限界集落」という呼称を使わない、という条件で地元の人々が取材に応じているのらしい。
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祭りの継承のために、年寄り6人が準備をすすめる。 ハンディキャップのある人は、新聞配達という仕事の中で、 雨の日も雪の日も休まず配達をすることで、自分を支えている。
集落を維持するためにやらなければならない仕事は山ほどある。 誰もが集落のために、自分の能力の範囲で何かの役割を期待され、 あなたがいてくれてよかったと、お互いに思っている。
ここで生きていくための苦しみも喜びもすべて自分達で引き受け、 人と人は、苦楽を共にして生きる実感をもっている。 どこよりも人間らしく暮らすことのできる場所だと集落の代表者は言う。
そんな魅力に惹かれて、外から移り住む若者や、 力になりたいと都市に住みながら関わり続けるひとも紹介されている。
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大企業では大規模なレイオフを実施し、人を簡単にお払い箱にする一方で、 人を大切にする重みの、これほど違う場所がある。
小谷村は、確かに大層な山間地である。雑踏がない。ビルもない。 かつての山村文化やコミュニティも、現実を見れば風前の灯火であることも確かだ。
けれども、人間性という切り口で言うのなら、 大企業の打ち出すグローバリズムの方がとっくに限界に達している。 この大きなロットは、個人という単位にまで精度がしぼれない。
それでもまだ、私達はこの幻想にしがみついて夢を見続けるのだろうか。
今は、何かを手放し、何かを手に入れる「入れ替え作業」について、私達が考える時なのだと思う。
2007年12月18日(火) 裁判三話 2006年12月18日(月) 協力か介入か
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