浅間日記

2006年12月19日(火) 絶望アピール

辻井喬氏の記事。
「世界のその先が見えてしまう人だとしても、人は絶望してよいというものではないのです」と書いてある。

辺見庸氏の記事。
「自分の言葉に身体をかけて責任を持つ単独者であり続けなさい。にせ金の言葉と対極にある自分の言葉を、へどもどしながらでも話す存在。その人が放つ光はかすかな微光のようなものかもしれないが、それが単独者の崇高さだ。私も固い結晶体のような本物の言葉を、残りの生で命の限り紡いでいきたい」という。

高村薫氏の記事。
「これからは地方の時代」なるタイトルで書かれているが、弱弱しい。
天下国家を論じることへのあきらめのように感じられる。



私の好きな人たちは皆、これほどまでに絶望している。

教育基本法改正案が可決されたことを象徴として、
この国の地軸がぐらっと傾きを変えたことを感じている。

同時に、彼らは自分の抱える無力感と絶望を、
どうやって次の希望へつなげようかと考えている。

人の尊厳をこれ以上目減りさせないために何が必要か、
気力をふりしぼって思考を止めずにいることが、切ないほど伝わってくる。



しかしながら−彼らに敬意を表しつつ−
無芸無才の私は、いっそもう、声を大にして絶望を唱えようと思う。
この国に絶望していますと、家の前に張紙でもしたらいいとさえ思う。

不満や反対の声は、残念ながらもう為政者の誰の心も動かさないし、
理詰めの反論も、過ちを質し、正す力をもたない。

どれも、意図的に見過ごされるか、
筋違いの無駄な動きを喚起するだけである。

だから、そんなことはもうやめて、
良心ある国民は−私は−ここで一旦、絶望を唱えようではないか。

どうせなら世界中のクリスマス騒ぎに便乗して、
先進国日本では、国民が国の未来に絶望していることを、
この際大々的に、国際社会へむかってアピールしたい。
はっきり言ってもうお先真っ暗ですと、何の要求もなく、ただ主張したい。



年の瀬に捨て鉢な悪ふざけはおやめなさいと叱られそうである。

言訳をするならば、もう駄目だと思っている本心を偽り、変に頑張るのは、
それは美徳ではなく、今そこにある病を悪化させるだけだと思うのである。

何よりも、もう嫌だこんな国、と声を大にして言えなくなったら、
−今と同じ状況でそう思うことすらなくなったら−
それは本当に終わりなのだ。

2005年12月19日(月) 
2004年12月19日(日) 


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