浅間日記

2006年07月31日(月)

晴天。旧暦の七夕。

雨続きで土用に始めることができなかった梅を干す作業が、ようやく終了。
干しあげた梅を、甕におさめる。

皮が薄く柔らかく、よい仕上がりになって満足。
石の上にも三年、試行錯誤の賜物である。

経験豊かなおばさま方から年季入りのをもらったけれど、
やはり自作品がいちばん貴重で、ちびちび食べたい感じ。
なんと言っても、名実ともに、手塩にかけて育てたのだから。

2005年07月31日(日) ふってわいた話
2004年07月31日(土) バイオマス花咲じじい



2006年07月30日(日) 家族の森

夜に帰宅。
涼しい夜風に迎えられる。

今回は、親類縁者を訪ねる、なんとも楽しい旅。
この小さな家族に、遠くから添え木をしてもらったようで、
ありがたいなあと思いながら帰途についた。

Hが、山のことをほとんど考えずにいたのも、
めずらしいことなんである。
普通の家の普通の「お父さん」または「息子」みたいにしていた。

私は今日は、この人の意識を、山から家に引き戻す作業をしなくてよい、
これは思いのほか、極楽気分である。



核家族は、荒野に単独で立っている木みたいなものだから、
常に根を張って関係を強靭にしなければ、立ち行かない。

そしてときどき、家族関係のイニシアティブをとるものは、
そういうことに疲れてしまう。

だから、森のように血縁の集団で支えあって存在することは、
−私達にはおそらくあまり似合わないだろうけれど−
良いところもきっとあるのだろう。

なんにせよ、「小さい頃から自分を知っている目上の人」は、
自分が年を重ねるほど大切にして、その言葉に耳を傾けたほうがいい。

2004年07月30日(金) 



2006年07月28日(金)

コンボイ軍団のように荷物を積み、
HとAと3人で長距離移動。

夜なべで仕事を片付けた身には、つらい移動。

Aは、ジャンクなお菓子が食べ放題だから嬉しそうである。
何日も前から、食べる順番とかどんな味かということで頭のなかはいっぱい。

お楽しみのラムネ菓子や揚げ菓子だって、
食べてみればそう大した味ではないし、いくらも食べられるものじゃない。
だからつまり、食べる前が一番美味しい。

2005年07月28日(木) よろず医者
2004年07月28日(水) 福祉パニック



2006年07月27日(木) Yellow stupid Award

ガーナで「野口英世賞を創設する」と言ってしまった小泉首相。
同名の賞は既に世にあり、今年で50回目を数えようとしているのに。

間違えたお詫びに、本家である「野口英世賞」の授賞式には、
今後ずっと出席する、と約束したのらしい。

野口英世記念財団の方々は、
「間違えた小泉さんに今年も出席していただいています」
と、授賞式のたびに念押しをしたほうがいい。
さもないと彼は、60回目の授賞式ぐらいから、創設者然として出席するだろう。



そして、新設される「野口英世アフリカ賞」の肝入りぶり、である。

マスコミがおもねるようにこれを「野口英世賞」と略して報道するから、
これでは件の財団があまりに気の毒と思うのである。
急いで商標登録したほうがいい。



この人は、この種の引き際の余興を、国民に許してもらえるような首相ではないと思う。

それに、なんだか自分の銅像を建てるのと変わらない動機にみえる。
だから、彼は本心では、「小泉純一郎賞」としたかったのだろう。

2005年07月27日(水) 成せば成る
2004年07月27日(火) オセロ



2006年07月26日(水)

とんぼ返りで帰宅。

出席しなければよかったと、
いささか後悔するような会合。

久しぶりに会えてよかった人もいたから、
それでも、よしとしなければいけない。

何ももたない自分には、人との縁だけが財産だ。

2005年07月26日(火) 哲学者の幸せ
2004年07月26日(月) 



2006年07月25日(火) 減る国創造 その2

本日は午後から上京。



あちこちで家を建てている。

冬場は寒いから、宅地造成は夏がシーズンである。
そして、畑やぶどう棚が消えていくのも、この季節なんである。

農家をやっていたけれど後継者がいないので、
アパート経営に切りかえました、というケースも多い。

人口が減少していく時代に郊外でアパート経営とは、
ずいぶん思い切った投資だなあと、前を通るたびに思う。



国土交通省で、大都市圏制度調査専門委員会というのが、行われている。

これは、一応は首都圏、中部圏、近畿圏の三大都市圏を対象にしているけれど、
人口減少をにらんだ国土の土地利用政策に先鞭をつけるものとして興味深い。

減る国創造は、もう着手されている。
その方向性は、中央官庁でも試行錯誤のはずだから、
一般市民が知恵をしぼって、いけないということはない。



件の委員会資料を読む。

スプロール開発された土地からの、計画的な撤退というのは、
インフラ整備や維持にかかるコスト面や、環境負荷の面から説得力がある。
まとまって住めば、効率よく都市機能を維持できるのだ。
安全面でも、有効である。

ただし、それだけでは駄目だ。私はもう少し上等なものにしたい。



人間と土地との関係には、深みが必要である。
人間は−私は−、縁のある土地に対して責任をもつことで、
生きる意味や喜びを深めていくことができる。

そして、土地に住む責任とは、長い時間をかけて、
人や風土の色々な側面を、清濁併せ呑み、受け入れていくことだと思う。

だから若者は我慢できないし、年寄りは立派にみえるし、
そういうふうに年をとらならなければいけない。

親やその先代がずっと大事にしてきた懐かしい場所、という、
多くの日本人が共有する土地に対する感情を、
どうやって未来型にしていくか、政策担当者は考えてほしい。



そして、大都市圏制度という100年の計をたてるのなら、
大雑把な枠組みに留めておいた方がよい。

ゆるやかな誘導があれば、それぞれの人生の適切なタイミングで、
人は緩やかに、ふさわしい居住地を形成していくはずである。

放牧場を移動する牛や馬みたいに人間を移そうとか、
そういう無理な人為は、社会が病的になるから、やめたほうがよい。

2005年07月25日(月) 
2004年07月25日(日) 想像力の欠如



2006年07月23日(日) 担ぎ手の私怨

知事選が近い長野県なのである。

現知事は、知事としてやりたいことはもう一通りやったのではないか、
だから立候補しないのではないか、と思っていたのだけれど、
それは見当違いのようであった。

有権者からみれば、なんとも困った選挙になりそうである。
現知事は確かにユニークだし、村井氏は、その担ぎ手がいけない。
現知事への私怨にまみれすぎている。

ただ、次の選挙を、現知事と議会がやらかしている痴話喧嘩の決着、
ととるのは性急な話で−担ぐ神輿を求めてオランダ人のようにさまよった一派はもちろん滑稽に違いないけれど−、
私は、この長野県政には、もう少し本質的でシリアスな現実があると思う。



何しろ、今もまさにあるように、土砂災害の多い厳しい地形地質のなかにある。
電力会社や、水を買い占める商社の資本も桁違いに集中する。

つまり県民は、ダムに象徴される大型公共事業との因縁から、
−つまり、地方自治とは対極にある巨大な資本や中央官庁の関与から−
永遠に解き放たれることはないのだ。

知事を選ぶたびに、メリットデメリットで腹をくくらなければならず、
これは、候補者が「やすおちゃん」でなくても、最大の争点であり続けるだろう。



もう少し書くと、こんな状況のなか高齢で出馬した村井氏は、
勝っても負けても、気の毒だという気がする。

2004年07月23日(金) 災害軍師



2006年07月22日(土)

問題。
気温17度で湿度90%だったのが、いっきに気温25度になるとどうなるか。

答え。
スチームサウナ。



でもそれも、一瞬のこと。
爽やかな風が山肌から吹いてきて、
昼にはもう、大地の水気をすっかり吸い上げていった。

2004年07月22日(木) 王様の耳はロバの耳



2006年07月21日(金) 濁流

1日休んでまた本降り。
道も鉄道も通行止め。

人工構造物のもろいことよ、というメールが大阪のTから届く。
道路の復旧に追われて、大変そうである。



これだけ降れば、「崩れ」は必ず起きる。
日本は山国なんである。
樹木というペグで、急斜面かつ活断層でぶつ切りの表面を
ただおさえているだけなのだ。

川もあばれ出す。
本来、「水みち」というのは、どんなスケールのものであれ、
その地形のなかで自由に姿を変えるものなんであるが、
動かぬように堤防という拘束衣を着せられているのが
−それも一級品の治水技術で−、今の姿なんである。

人工構造物はもろい。
自然が時々おこす撹乱の力には、抗えない。

だから、残された手段は、人間が上手に避難することだ。
そのために頭と足がある。

2004年07月21日(水) 



2006年07月19日(水) あばれ天竜、檻を壊す

県内で、土砂災害の恐れが過去最大、というラジオニュース。

天竜川の堤防が決壊して、南の方はえらいことになっている。
かつてあばれ天竜とよばれたこの川が、本性をあらわしている。



ハイウォーターレベルに達した川を見る機会はそうそうないが、
あれは実に怖い。
人工構造物が、ぎりぎりのところを試されている。

土石流は、土砂と水と混合物質というにわかにはイメージしにくい現象で、
できれば一生見ないでいたいものだが、記録映像をみると本当に怖い。
一部屋もあるような岩と岩がぶつかって、粘性を持った濁流が火花を散らすんである。


今まで入ったあの山もこの山も、きっと崩れている。

今はお外のお仕事がなくてよかったが、それは自分の話。
県や国の土木担当者は、さぞ大変だろう。

2005年07月19日(火) ドキュメンタリーの光と影



2006年07月18日(火) 自立的防災のすすめ

注意報は警報に変わり、激しく降る雨。
肌寒さに、長袖に手を通す。

裏の山は、今年こそ崩れるかもしれない、
近くの川のいずれかは氾濫するだろう、と覚悟と備えをしつつ、
雨音に混じってキーボードを打つ。

本日こう主張するのは勇気が要るが、一応は、わかっている。

雨は、人間の都合のよい時に都合のよいだけ降るのではない。
自然現象に対する免疫を身につけながら、人類は生きてきたのだ。

風が吹く度に、また雨が降る度に、この世の終わりみたいなこと
−テレビリポーターみたいに−をやっていれば、それこそ身が持たぬ。

状況をよくよく観察し情報を集めて、
「未だ大丈夫」「少し危ない」「避難が必要」程度には、
安全と危険の見極めを、自分でしたほうがよい。

2005年07月18日(月) 



2006年07月16日(日) 「地上最大のショウ」風味

雨の中、ジャグリングや空中ブランコをみにゆく。
当世、サーカスは、色々とずいぶんデジタル風になっている。

でも、あの「地上最大のショウ」みたいに壮大な感じはない。
梅雨時の信州でやる興行だから、まあこんなものかと思い、帰途につく。

2005年07月16日(土) 墓穴から蛍に泣く
2004年07月16日(金) ハイエンドライフの彼方



2006年07月14日(金) ガムランと積乱雲

暑い。

高速道路で南へ。
ガムランの幻想的な響きを、道行の供に。
本日の照りつける太陽とセットで、
信州の山は、赤道直下のバリ島に早変りする。

バリ島は、多神教の風土と一神教の風土が、
小さな島の中に共存している面白い島であった。

東半分は、熱帯林があり、ライステラスがあり、水源となる山地がある。
そういうところが、ヒンドゥー教の聖地とよばれる場所になっている。
観光客も沢山来る。

島の西半分は完全な半乾燥地で、水田などはみられない。
イスラム教である。今はちょっと怖い場所かもしれない。

人間が信じるものは、人間が感じとれるものを越えることはできないのだ。

2005年07月14日(木) 一回しか死ねない
2004年07月14日(水) 見た目から入る話



2006年07月13日(木) 耳なし芳一の後悔

頭突きをして退場になったジダン選手のインタビュー。

「言葉は暴力以上に激しいことがある。私の非常に奥深いところに触れる言葉だった。」

「W杯の決勝で、自分の選手生活の終わりまであと10分しか残っていないという状況で、自分の喜びのために私があんな行為をやったと思いますか。」

「自分の行為を後悔するわけにはいかない。後悔すれば、ああいう言葉を口にするのは正しかったということを意味してしまうからだ。それはできない。」



ジダン選手のことは、知らない。
でもこうした局面で、謝罪だけの通り一遍でない、
自分の言葉をもって、堂々と話したことは、立派だなと思う。



多分、これまでにきめた全てのゴールや、得点に寄与する行為は、
彼にとって、あの頭突きと、そう変わらないものだったはずである。

スポーツという形式のなかで、怒りと上手く折り合いをつけ、
スポーツでの勝利によって、社会的存在を勝ち取ってきた。
そしてついに、マエストロと言われるまで自分の誇りを守り抜いた。

けれども、最後の1日だけ、やりかたを間違えた。

耳なし芳一みたいに、万全にガードしたはずの自尊心の、
片耳ほどの隙を、内なる亡霊にもっていかれた。

運命の神様は、意地悪である。



言葉は人を深いところで傷つける。内なる亡霊を呼びさます。
そして、この上ない人生の桧舞台をも、どんでん返しする。

あの挑発にのらず、優勝を勝ち取り、花道を飾ることができていたら、
ジダンは築き上げてきた自尊心を完全にすることができたのかもしれない。

しかし、彼は暴力をはたらいてしまった。

そして、「後悔するわけにはいかない」という彼は、
つまり、誹謗中傷との戦いを継続しなくてはならなくなったのだ。

そこのところが一番、気の毒である。

2004年07月13日(火) 



2006年07月11日(火)

春ゼミの涼やかな鳴き声が、いつの間にか
アブラゼミの、アブラっぽいのに変わっている。

思うところ多々あれども、すべて忘却。
大事な所感は、ここのところ、ことごとく流れ去っていく。

まあいいや。思い出したらまた書き留めればよいのだから。

2004年07月11日(日) 



2006年07月09日(日) 夢の花

満開のネムノキの花が、夜の道端でゆれている。
夢の中に出てくるような、淡い存在の花である。

この花は、言っている。
所詮、人生というものも、あいまいで淡い夢のようなものかもしれない、と。

そうだから、自分なりに心丈夫に生きていれば、
ともかく、生きているということは、それでよいのだ。

2005年07月09日(土) 鑑賞日
2004年07月09日(金) 落胆



2006年07月08日(土) 破綻の現実

「経済財政運営と構造改革に関する基本方針(骨太の方針)2006」が閣議決定、というニュース。

16.5兆円の財源不足解消のために、歳出削減は11.4兆〜14.3兆円、
税収増は2兆〜5兆円、なんだそうである。
今後5年間でやるそうである。

なんだか、えらく経済的に破綻した国の納税者になってしまった、
という実感。



今現在に役立てたいと国民が支払う国税を、仕方が無いとはいえ、
当然のような顔をして、国民の過失ではない借金返済に充てる、

と言うかと思えば、
議員宿舎の手配がチョンボで、空室に2億円も無駄遣いをする。



国民の健康と福祉に実績を残せなかった政治家や官僚は、
即刻退室するのが筋である。サッカーでさえ、そうである。

なのに、誰も入居していない家に家賃を払うような能力のない人達が、
図々しくもそこに居座ったまま、国民に−私に−この難局を耐えろと、注文をつけている。



さらに、そんな連中が、「新たな挑戦の10年」などと銘打って、
国民や国土資源を、わが国の−自分の−経営資源と言わんばかりに取り扱う。
経済活性化に貢献する価値観や生き方を、未来の大人たちに強いている。



私や、私の子どもは、国に雇用されているわけではない。
ましてや、何かの従属関係にあるわけではない。

なんか筋違いではありませんか、と誰かに問いたいのだけれど、
その誰かがわからない。

腹立たしい。

2005年07月08日(金) キスゲ通勤



2006年07月07日(金) 大暑への道

小暑。

口の痛みから解放された景気づけに、タイカレー。
鶏肉、大根、竹の子、生姜、おまけにキノコ。

レモングラスとナンプラーとココナツミルクを上手い具合に調合して、
汗をだくだくと流しながら、いただく。
辛ければ辛いほど美味い、という風情である。

健康であるということは、タイカレーが美味いということだ。

かくして、大暑おそるるに足らず、という程にまで、エネルギーを蓄えた。

2005年07月07日(木) 
2004年07月07日(水) カッターナイフ前夜



2006年07月05日(水) 重機

ガリガリゴリゴリと仕事。
雨はシトシト降る。

本日も、雨の中、隣家で造成作業中。
こんな大型のでしなければ駄目なのか?というような重機が入っている。
おかげでここ数日は、晴天に布団を干してフカフカにするという、楽しい作業ができない。



「特定特殊自動車排出ガスの規制等に関する法律」で、
この4月から、建設現場の重機やなんかに対しても、排ガス規制が導入される。
具体的には、車両に搭載するエンジンの型式を指定する方法で実施される。

これは法の目的である大気汚染防止よりも何よりも、
労働安全衛生にとって重要なことだと思う。
もちろん、建設現場の近隣住民にも、である。

2005年07月05日(火) 結実間近



2006年07月04日(火)

サッカーの中田英寿選手が引退。

29歳で人生に一区切りというのは、別段特別でない。
それにしても、絶妙にいいタイミングで決意したもんだと思う。

人生は短い。
そして、迷ってばかりいても、試合はロスタイムなしで終了するのだ。



2006年07月03日(月)

空梅雨。
少し計画的に仕事。

隣の家で普請をしている。
建て主のMさんは、更地になった現場にほぼ一日中いて、
我家の家主のKさんが、性分なのかそれに付き合っている。
重機の移動の誘導なんかまで、二人してやっている。

なんだか、楽しそうである。
あれは絶対に遊びでやってるね、とAがこっそり言う。

2004年07月03日(土) 主権が彼岸からやってくる



2006年07月01日(土) 人を殺せと教えしや

政府、与党が、幼稚園・保育所を通じた幼児教育の無償化について、
来週に閣議決定する「骨太の方針」に盛り込む方針を決めた、
というニュース。

骨太の方針素案の教育分野の項目には、「人材育成のため、幼稚園・保育所の教育機能を強化するとともに、就学前教育について保護者負担の軽減策を充実する」とされている。



近年にない恐ろしい記事として読んだ。

この日記を書いている人はちょっと頭がおかしい、と思われてもかまわない。
国が、ついに、子取りを画策している。

これは、少子化対策とは、まったく、何一つ関係ない政策である。
骨太の方針素案の「教育分野」の方針なのだ。

だからむしろ、教育基本法改正案の−愛国心教育の−行方とセットで
想像力を働かせるべきである。

想像力がわかなければ、手塚治虫の「アドルフに告ぐ」でも読めばよい。
無償化が義務化などになったらと、想像するだけで恐ろしい。



少しは子育てから開放されたいでしょう?
自分の仕事人生を充実させたいでしょう?

この甘言にのったら最後である。
わが子が愛しく、かけがえのない親子関係を
生涯においてずっと保ちたいと思うのなら、
絶対に、どんなに食い詰めても、こんな政策を支持してはいけない。

保護者負担など、そんなもの、当たり前だ。親なんだから。
国が考える人材育成のために、子どもを生んで差し出す人間など、一人もいるものか。

親兄弟、子孫、夫婦というものは−家族は−、国家に優先する。

2005年07月01日(金) シャコンヌ
2004年07月01日(木) 


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