日本看護協会なる団体主催の、日本看護学会を、 一般参加者としてのぞきにいく。 あたり一面、全国から集まった看護関係と思われる女性だらけである。
資料によると、 この日本看護協会というのは、戦後まもなく設立された 保健師・助産師・看護師・准看護師の有資格者による職能団体で、 この業界ではかなりのオーソリティなのである。
その中で、多胎児の母親グループの代表による、 周囲の無理解を問題とした発表。
ああ、またか、と思ってしまう。 ここわずか数日の間に、 障害者、高齢者、不妊の女性、そして多胎児の母親から、 差別や無理解、ケアの不足についてのコメントを得た。
差別や無理解があるのではない。 想像力と共感がないのである。
自分と異なるものへの想像力と共感がなければ、 差別や無理解など至る所で発生するにきまっている。 今の世の中、むしろそういうものがない場面のほうが珍しいぐらいだ。
その結果、「自分をわかって欲しい」と思う人ばかり氾濫して、 今の社会は、実は、ちょっとしたパニック状態なのではないかと 思ってしまう。
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私の勉強不足なのかもしれないけれど、 福祉という言葉に、行政側の都合で 「高齢者」とか「障害者」とかいう冠をつけることは その冠から外れる人達の関心をそらせ、 また当事者の方々を社会から遠ざけてしまうような、 むしろ弊害なのではないかとさえ、思っている。
色々な属性や生き方の人が助け合って共存してこそ、 楽しく豊かな社会なのである。 だから、何も特別なことではなく一緒にやっていって、 困った時には知恵を絞ればよい。 そういう、ちょっとのんびりした ノーマリゼーションの全体感を創ることこそ、 福祉の役割としてほしいものだ。
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