局地的集中豪雨にみまわれた中越地方は、 明日からまた雨になるらしい。 ヘリコプターに吊り下げられて避難したという幼稚園児は、 さぞや恐ろしかったことだろう。 学校から出られなくなった子ども達も、怖かったことだろう。 早期復旧を願うばかりである。
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景観法について。
今回制定された景観法を読み解いていて、 中学校時代の校則を、ついつい思い出してしまう。
スカートの丈は何センチまで、靴下の色は白、 カバンはどう、髪型はどう、という、 微に入り細に入り定められたアレだ。
景観法で指定された区域では、この校則とおなじように、 建物の色、形態、意匠などについて細かく規制がかかり、 建築にあたっては、スカートの長さを物差しで計るがごとく、 役所のチェックが入る。違反者には罰則のおまけつきだ。
景観のコントロールは、今まで法整備がなかったために、 色々物議をかもしてきたことは確かである。 マンションの建設に関する訴訟、 商店街などに乱立する看板やサイン、 農地に山積みになった廃車。
こういうものに業を煮やした挙句の法制度なのだとは思う。
が、しかし、条文を読んでいるうちに、やはり変だなあと思うのである。
景観工学の専門家が尽くしてきた長年の研究成果や議論は、 このような強化された規制をゴールとしてきたわけではないと思う。
樋口忠彦氏の「景観の構造」や、 オギュスタン・ベルクの「日本の風景・西洋の景観」、 和辻哲郎の「風土」などの著書を読む限り、 日本の景観の取り扱いについては、もう少し深く、丁寧であったのだ。
景観とは、人々の生活実態や歴史や自然などの息遣いが 視覚的に反映されている、最も総合的な社会現象の一つなのである。
それが乱れているのならば、まず実態を現実として受け止め、 背後の社会経済的状況を見直すことが、本当の景観コントロールである。
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規制された景観のなかで人々が生活するということは、 大げさな話ではなく、民主主義に反することなのである。
蛇足としてさらに穿った見方をすれば、 この法律の応用次第では、 土地利用や土地の管理を含めて色々な国家統制が可能になるとも言えるので、 ここでつい語気を強めてしまうのである。
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