2004年07月31日(土) |
バイオマス花咲じじい |
鈍った身体に鞭打って、諸々の農作業。
雑草を抜いて集めたら、山のようになった。 これは確かにバイオマス(生物現存量)だ、としみじみ思う。 火をつけて野焼きする。乾燥していないのでなかなか燃えない。
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木材としての経済的価値を失って以来、 長らく放置されてきた日本の森林であるが、
最近、二酸化炭素吸収源として切り札になることや、 木質系バイオマスとして新たな利用価値が見られるや、 再び森林は「財」として注目を浴びている。
未だ少し早いのでは、とやや気がかりに思う。 せっかく森林生態学や森林社会学が成熟し、 森林を土壌、草本、樹木、土壌微生物、昆虫、動物などの 生態系の総体として大切にしようという認識に立ったところなのに。
石油資源のように、森林資源を単一目的の資源として見てはいけない。 森林から多様な価値を見出せるかどうかは、 人間の関わり方次第なのであるが、 森と関わる日常生活など、ヘンリー・D・ソローではあるまいし、 都市生活者には気が遠くなるほど縁のないものだ。
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長い時間かけて燃やした畑の雑草は、良質の灰になった。 そのまま肥料として畑に戻す。 少しとっておいて、諸々のアク抜き用にする。
細かな灰を手ですくいながら、 「花咲じじい」は、実は、 役に立たないから捨てる爺と、捨てられたものを役立てる爺の話であって、 落し所は「リサイクル(厳密にいうとリプロデュースだ)上手は得をする」、 という話だったのだなあ、と勝手に妙に納得した。
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