浅間日記

2004年07月27日(火) オセロ

時事社会から遥か彼方にいて、数日過ごす。

10代の子どもとその親に対する、
心と身体のケアに関する講演を主催。

聴講者は、もともとこんな機会がなくとも、
既に認識と理解がある人が主のようであった。

講演会とかシンポジウムというしつらえは、
同種を呼び集めることはできても、
異種を集めることは難しいことを実感。

賛同や期待どおりの反応は、
それはそれで主催者としては喜ばしいけれど、
しかしこういうことは、それでは意味がないのだ。

オセロの駒が黒から白になるように、
昨日までの認識を変え、新しい考えや生き方を導き出せる、
「改変率」とでも言うべきものが、
効果として欲しかったのだ。

一人でも二人でもいい。
少しずつでも、確実に黒が白になれば、
ある時点でダイナミックな反転を見せる。
そういうことを期待している。

次に何かするときは、
どうやって、どこに駒を置くかに、知恵を絞らねばならない。



千葉県で「障害者差別禁止条例」なるものが検討されている。
堂本知事の福祉に対する基本的な考えや政策上の決意は
知っているし理解もできるのだけれど、
この条例はどうも違和感を感じずにいられない。

差別や偏見や無茶な振る舞いというのは、
個人の意識が変わらなければどうにもならない。
法律や制度で、しばりをかけて良くなるものではないのだ。

「障害のある人もない人も、一緒に助け合って暮らすことは
とても豊かで楽しいことですよ」と、
どうして働きかけないのだろうか。
そう思える人が一人でも二人でも増える努力を、しているのだろうか。

当の障害者やその家族の方々は、
「私は条例で規制されているので差別はしません」、
と言われて喜ぶのだろうか。

オセロの駒は、強制的に全て白にした時点で、
白が白であることの意味を失うのである。


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