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本の感想を読んで下さっている皆さま、
感想を下さる皆さま、
いつもありがとうございます。
夢の図書館は、これからしばらく夏休みとなります。
再開は、8月9日(月)です。
皆さま、お元気で夏をお過ごし下さい。
それでは、お休みの国へ行って来ます。
マーズ、ナルシア、シィアル拝
2003年07月31日(木) 『カスピアン王子のつのぶえ』
2001年07月31日(火) 『魔女学校の一年生』
『家蠅とカナリア』『ひとりで歩く女』などの 名作長編ミステリで知られるマクロイは、 短編の名手でもあった。 ということが、よくよく納得できる短編集。
タイトルの「歌うダイアモンド」、 「Q通り十番地」、「ところかわれば」など、SFも配した 8編の短編に、中編ミステリ「人生はいつも残酷」を加えた9編。 1940年代から1960年代にわたって書かれた作品の それぞれがマクロイの顔であり、作家としての スタンスを、しっかりと発信している。
SFがこんなに多いのにも驚いたが、エキゾティシズムあふれる 「東洋趣味(シノワズリ)」が、短編としては 最も知られているというのも興味深い。 この自選短編集のなかでは、本作は明らかに異質だから。
個人的には、ミステリ作品よりも、 近未来の食管理社会の恐怖を描いた『Q通り十番地』や 滅びてゆく世界への愛を歌った『風のない場所』などの SF作品に、強い引力を感じた。
とりわけ、「風のない場所」は、女性作家ならではの 澄みわたった洞察と、生命への無償の愛に裏打ちされ、美しい波紋を残す。 タイトルからは、よどんだ空間を想像していたが、 まったく逆の意味であった。 解説によれば、「風のない場所」は、後にヘレン・クラークスン名義で 『The Last Day』として長編化されているという。
それにつけても、 入手しながら読みかけとなっている『家蠅とカナリア』を 早く読みたいのだが、先にこの短編集を読んだことで、 マクロイという作家の多彩さに触れてしまった。 1992年に世を去った作家の、今日いまなお世界に問いかける まなざしへの敬意を新たにしている。 (マーズ)
『歌うダイアモンド』著者:ヘレン・マクロイ / 訳:好野理恵 他 / 出版社:晶文社2003
2003年07月29日(火) 『魔術師のおい』
2002年07月29日(月) 『グリーン・ノウの魔女』(グリーン・ノウ物語5)
最近、健康法が何となく気になるようになってきました。 デスクワークと肉体労働がほどよくミックスしたような仕事ですが、 まあ、日々、ストレスによる「毒」がたまり続けています。
タイトルに引きつけられて、何となく図書館で手に取った一冊。 表紙の見返しの「あなたの毒素体質度チェック!」で、ガッツーン。 私の場合、身体の隅々まで、毒が充ち満ちているという感じ。
で、この本ですが、いろいろな健康法やセラピーなどを自ら体験した はにわきみこさんの体験リポートで、実践できるかどうかは別としても、 なかなか興味深かったです。 絶対に自分が足を踏み入れることのないはずの、意外と深い「淵」を安全地帯から覗きこむのは、気楽で面白い。たとえばかつて読んだナンシー関さんのルポ 『信仰の現場 すっとこどっこいにヨロシク』(角川文庫)とか、 さくらももこさんの『ももこのおもしろ健康手帖』(幻冬舎)などのように。 ちょっと敷居の高いディープな健康法もありますが、それぞれ興味があれば、 本やらサイトやらグッズやらがきちんと紹介されているので、便利です。
はにわさんのリポートを読みながら、ほんとにいろんな健康法や気分転換法に 感心しつつも、「こんな馬鹿なことを考えるのは自分だけ」と思っていた、 私自身の破れかぶれな気分転換法と全く同じことが、はにわさんによって 紹介されていて驚いたり、興味深い本でした。
しかし、残念ながら、健康でありたいと願う気持ちに
ものぐさが勝っているので、
結局は面倒くさくて、できないことの方が多いのですが。
それでも、気になったことがいくつか。
・『13の月の暦』のダイアリーの秘密。
・おたまでつくるイオン導入の謎。
・腰痛持ちには、魅惑の骨盤バンド。
・万能コンビニで、ガン検査まで。
なんか、その気になれば、あるいは、お金さえ掛ければ、
スランプを脱出する色んな方法があるなと、しみじみ感心。
しかも、アイデア商品も満載で、変な雑貨好きの心をくすぐる。
中でも、今は、『13の月の暦』のダイアリーに興味津々。 早速ネットで調べて、『13の月の暦』というのが、 マヤ暦を基にした新しいカレンダーで、 何だかよくはわかっていないけれど、心と体のリズムを整え、 自然のリズムを感じることができるらしい。 しかも、7月26日から1年が始まるということで、なんか、 チャレンジするにはちょうどのタイミングかなあと。 1週は金曜に始まり、木曜に終わるということで、不便なような新鮮なような、 試してみないとその本当のところはわからないし。 つまらないことで、いろいろと思案しています。
それはともかく。 本当は、この本を読んで一番のインパクトは、 ところどころで語られている、はにわさんの離婚の顛末。 点在するエピソードをつなげながら、読み進んでいるうちに、 人生ってほんとに色々だなあと、しみじみしてしまいました。 人によって、それぞれ苦難を乗り越えていく方法は違うだろうけれど、 つまりは、前向きな生き方を忘れず、突き進むことが大事で、 要は、それができなくなったときでも、一人で行き詰まらずに、 いろんな助けを借りることができますよ、と。 そのためのHow Toが身近でささやかな方法から、 結構お金のかかるディープな方法まで たくさん(70くらい)、列挙されています。
さて、その効能やいかに? (シィアル)
『解毒生活 こころとからだの「つまり」がとれる!』著者:はにわ きみこ / 出版社:情報センター出版局2003
小人たちのシリーズ第二作。 「借り暮らし」のポッド、ホミリー、 アリエッティの三人家族は、 人間に見つかり、住みなれた家から、 野原へと隠れ住む。
そこには、床下の世界しか知らなかったアリエッティが 夢に見た自然があり、空は高く、 太陽は輝き、鳥は歌い、風はここちよく…でも、 それだけではない。 ここには守ってくれる壁はない。 仲間にだって、まだ出会えていない。 敵だっているし、冬が来れば凍えてしまう。
とつぜんの穴暮らしが一番こたえたのは、 当然ながら、アドリブに弱い母親のホミリーである。 しかし、それでも、ホミリーですら順応せざるを得ない 状況というものがあるのだ。 そんななかで、アリエッティは、普段はガミガミ小言や愚痴の多い 母親を、これまでになく身近に感じ、 一緒に花を摘んだりすると、まるで姉のようだと思ったりする。 そればかりか、
つかれてはいたでしょうが、 おかあさんのもちはじめた、 そういう冒険心を育てようと、 心にさだめたのです。 (引用)
アリエッティのこの気持ち、とてもリアルに 感じられてしまった。
野に出たポッドたちが期待をこめていたのは、 いずれ、近所に住んでいるはずの身内たちに 出会えるということ。
やがてポッドたちは、独り暮らしの小人の少年、 スピラーと出会い、 やっとのことで仲間と再会し、仮の家を得る。 そこでもまた、トムという人間の少年が 彼らの生活に大きく関わっていたのだった。
新しい家での暮らしで面白かったのは、 今でいう食玩のようなサイズの、人形用のおもちゃの食べ物を、 食事のテーブルのにぎわいに並べていること。 確かに、ケーキなんか、1種類しか焼いてなくても、 2種類置いてあるだけでうれしいかもしれない。 私もあれこれ集めた食玩を並べてみて、 お皿やトレーなども、小人たちの使えるものが たくさんあるのに改めておどろく。 熱いお茶が好きな彼らに使えるカップは 食玩にはないけれど、 もしかすると、いまの日本のコンビニには、 「借り暮らし」にとって最高の環境がそろっているのかも しれない。 (マーズ)
『野に出た小人たち』著者:メアリー・ノートン / 訳:林容吉 / 絵:ポーリン・ベインズ、ダイアナ・スタンレー / 出版社:岩波少年文庫2004新版
ホラーと幻想のなかに形を現す、 意志と力をもつ猫たちのアンソロジー。
選ばれた猫作家は、総勢17人。スティーブン・キング、スーザン・ウェイド、 ダグラス・クレッグ、ニコラス・ロイル、 ウィリアム・バロウズといった面々の短編を、 タニス・リーが中世の魔女狩りを描いた 『顔には花、足には棘』で締める。 キングとバロウズは再録だが、他の作品はすべて書き下ろし。
ジェイン・ヨーレンの詩、『ぺちゃんこの動物相 第37:猫』が 挿入されたことは、アンソロジー作家たちの猫への思いを 象徴するかのようだ。ホラーでダークで、猫への愛情と人間への 憤りに満ちた詩である。
一、 痕跡: 検死官が見たものは、 舗装道路に残された 猫ちゃんの失敗の跡、 命の汚れ、 ただの染み。 (引用)
それにつけても、猫とは古来よりミステリアスな生きもの。 バステト信仰を生み出した古代エジプトでは、 猫は安産の神であり、 殺せば死罪に問われたという。 現代も猫にとってはじゅうぶん受難の時代だが、 中世までのヨーロッパ各地でも、相当残酷な猫いじめが 横行していたのだと、ダトロウの前書きで知る。
ときどき、背筋が凍るような方法で猫を虐待する 男(偏見があるかもしれないが、ほとんどは男である)の ニュースが報道されている。 しかし、神とあがめたエジプトでも 悪魔の手先とおとしめたヨーロッパでも、 猫への恐れと不安、その根源にある感情は、 いつの時代、いつの場所においても、 人間についてまわっているのかもしれない。
このアンソロジーには、ポーの『黒猫』以来の伝統となった 壁のなかの猫も登場するし、絵のなかの猫、 限られた人だけに見える猫など、 ほとんどすべてが、幻想の世界から 現実の世界に現れ出た猫たちである。
最後のタニス・リー作品の劇中劇ではないけれど、 かつての古典的な猫話では、猫たちは 王族に属していた。
しかし、現代のホラーでは、猫たちは、 どうやら、しいたげられた者、つまり 「子どもたち」に属しているようなのだ。 このアンソロジーのなかにも、追いつめられた 孤独な子どもと猫の関係を描いた作品が何点かあり、 興味深かった。
そしてどんな幻想的なホラーよりも、 生きた猫が虐げられる現実が、 猫好きにとっては一番おそろしい。 (マーズ)
『魔猫』編者:エレン・ダトロウ / 訳:佐々木信雄 他 / 出版社:早川書房1999
2002年07月26日(金) 『オペラ座の怪人』(その3)
2001年07月26日(木) 『九つの殺人メルヘン』
このごろTVドラマでも子育てパパが頻繁に登場していますね。 子育てママもすごくかっこいいのですが、こっちは数が多いので 今回はパパの話。
先日のTVドラマで、子供のために毎日定時に職場を出るバツイチ子育てパパを 職場の同僚が『たそがれ清兵衛』みたい、と評する場面がありましたが、 この言い方いいですね。 クリーニングを受け取って、スーパーで安売りの野菜を嬉しそうに買って、 明るいうちに家に帰って子供にご飯作って、洗濯物をたたんで渡す、 普通の家事を何気なくこなして子供を大切にするパパって 親の代は嘆くかもしれませんが、今や相当かっこいい。 男手一つの場合は本当はそこに至るまでの経過の方が大変で、 そっちがドラマになった草分けがダスティン・ホフマン主演の 1979年の映画『クレイマー、クレイマー』、 四半世紀たって、日本でも一人で子育てするパパのモデルが出来たという所 でしょうか。 あ、『子連れ狼』があったか(笑)。
と、言う訳で、今秋公開の山田洋二監督の新作映画が期待されている中で、 今さらのようですが「たそがれ清兵衛」です。 アカデミー賞ノミネートで話題になった、チャンバラ少な目の時代劇 『たそがれ清兵衛』は名手藤沢周平の珠玉の短編『たそがれ清兵衛』 『竹光始末』『祝い人助八』のエピソードを組み合わせて登場人物を造形 しています。 映画を見た後、一部原作を立ち読み(三冊も買えない)してみました。 物語の原型となる短編「たそがれ清兵衛」は病の妻の看護のために 定時に仕事を終えて帰って家事をする武士ですが、 映画の「たそがれ清兵衛」では妻は病死していて、清兵衛@真田広之は 幼い娘二人と老母の世話の為にいそいそと帰宅します。 暗くなる前に家に帰るから「たそがれ殿」。 これは誰もがそうすべきだという訳ではなくて、本人も言う通り こういった事が「向いている」んですね。 仕方がないからではなく、本当に家族が好きだから世話をして、 それが実際に一番の楽しみとなっているのが主人公清兵衛の個性。 その人柄ゆえに原作でも上司達は親身になるし、 映画では『祝い人助八』のエピソードを取り入れて、 美しい出戻り娘@宮沢りえに思いを寄せられます。
もっとも、ただの家庭人というだけでは物語が盛り上がらないので、 主人公は藤沢作品らしく例によって物凄く腕が立つのですが、 その能力を生かして藩のお役に立つ事は乗り気ではありません。 だって、そんな仕事を引き受けてたら家族と一緒にいられる時間が減るもの。 下手をすると二度と家族に会えないもの。 そうはいっても今も昔もサラリーマンの辛い所は同じで、 喰っていくためには嫌でも組織の仕事を断る事は出来ない。
映画の中の見せ場である、果たし合いの場面に少し違和感を感じた 流れがあったので、 もとになった短編『竹光始末』を読んでみました。 主人公が仕事で斬りに行った男と話し込んでいるうちに、 身につまされて意気投合してしまう。 しかしながら、気安くなってふと洩した言葉から事態が急変する。 ああやっぱり、原作の短編の流れのほうは無理がない。 もともとの登場人物が異なっているのですから、 長い話の中に嵌め込むとほんの僅かですが、調整した跡が見えます。 なんて事を、映画に没頭している間気にする人はあんまりいないか。 いえね、別々の人が書いたバラバラの短編をつなげて 一つの長い話にするという遊びをやっていたりするものですから、つい。
実は私はTVの連続ドラマはちゃんと見ていなくて新聞のTV欄の紹介などで だいたいどういった話かを知るだけの事が多いのですが (ドラマの世界に入り込むのは下手だけれど物語の設定の流行に興味が ある?)、 最近のTVドラマで活躍する子育てパパはこんな感じでしょうか。 やむを得ず子供と接しているうちに人間的成長を遂げるパパ@草薙君、 失業して嫌々主夫に挑戦するうち仕事人間から家庭人に変わるパパ@阿部ちゃん 始まったばかりの夏ドラでは子育てパパが主役ではないものの、 キャリア指向な妻に逃げられた後、今やすっかりたそがれ清兵衛なパパ@蔵之介さん 子供最優先なので縁遠いけれど、それだけに善い人だとわかるパパ@高嶋弟君 生活面に関しては、だんだんパパの設定も子供と馴染んできたような。 あ、でも今の所TVドラマではみんな子供が一人っ子 だからなんとかなってるんだなあ。 清兵衛パパの時代のように、地域の人みんなが子供と老人を見守っていく生活は いまや遠い世界なのでしょうか。 それでも負けるな、子育てパパ(ママもね)。(ナルシア)
短編集『たそがれ清兵衛』『竹光始末』『祝い人助八』著者:藤沢周平 / 出版社:
いずれも 新潮文庫
映画『たそがれ清兵衛』監督:山田洋二 / 出演:真田広之・宮沢りえ
2003年07月23日(水) 『とてもかわったひげのねこ』
2002年07月23日(火) 『耳部長』
2001年07月23日(月) ☆ヤンソンさんが教えてくれたもの。
世界で一番美しい女性、トロイのヘレン。 彼女一人をめぐってトロイア戦争がおこったと言われる伝説の美女ですが、 今回、映画『トロイ』を見て私は目からウロコが落ちました。 小説やマンガを実写化する際、読者がイメージするものとは どうしても異なるので不満は必ず出るものですが、 『イリアス』の場合、世界一の美女ヘレンはどうする?
ああ、そうかっ! ヘレンは実際に必ずしも絶世の美女である必要はないんだ。 三人の女神の美しさを競う「パリスの審判」も、 アフロディテのご褒美も現実の戦争には関係ないんだ。 絶世の美女相手ではなくとも若い王子は恋に落ちる事もあるでしょう。 絶世の美女ではなくとも顔に泥を塗られた夫は彼女を追うだろうし、 もともと王子の国を狙っていた者達はこれ幸いと攻撃をしかけるでしょう。 絶世の美女でなくても、戦争を引き起こす事はできるんだ。 いや、映画の女優さんが美人でなかった、と言う訳ではないのですが。
絶世の美女かどうかはおいておいて、どちらにしても豊かで美しい トロイ一国を滅ぼし大勢の勇者の命を失わせる原因となってしまった ヘレンですが、戦争後彼女はどうなったか。 『オデュッセイア』にその後のヘレンが登場します。 すごいですよ。『イリアス』のヘレンとはまるで別人です(笑)。 トロイ陥落後、ヘレンは元の夫のメネラオス王(映画では悪役っぽくて、 あっさり殺されてしまいましたが)とスパルタの国で再び仲睦まじく 暮らしていました。 しかもトロイの戦争の最中にはもう心変わりがして、アカイア軍に味方 していたという。
『アプロディテのせいで起こったわたくしの心の迷い(中略) 自分の心の迷いが口惜しくてならなかったのです』
な‥‥なんて女だ。 でも、実は私はぬけぬけとしたこのヘレンの言い方が気に入っています。 パリスなんかと逃げて夫を裏切ったりしたのは、自分が悪いんじゃない、 女神アプロディテのせい──人間の理性ではコントロールできない 恋という神の力のせいだ、と言うのです。 夫メネラオスも、逃げた妻の様々の行状にも神のせいだから仕方ないよね、と 寛大です。 正常な精神状態下になかったので情状酌量、といった感じですね。 お‥‥面白い。 まあ、美人だから、居てくれればなんでもいい、許す!という 感じもありますか。
『イリアス』はアガメムノン王とアキレスが愛人の奪い合いで いがみ合う場面から始まっていて、初めて読んだときは 「たかが女の事」くらいで戦況を危うくするとはなんと愚かな連中だ、と 思ったものでしたが、それを言うならこのトロイア戦争そのものが 「たかが女の事」で始まったものだったのでした。 情念(パトス)の物語と言われるパッショネイトな『イリアス』、 たかが、などと思ってしまった私なんかよりも、3000年前の英雄達は 人を深く想っていたのでしょうね。家族や友人を想う強さも圧倒的です。 その想いの深さこそが悲劇を増幅する。(ナルシア)
『イリアス』著者:ホメロス / 訳:松平千秋 / 出版社:岩波文庫
『オデュッセイア』著者:ホメロス / 訳:松平千秋 / 出版社:岩波文庫
映画『トロイ』監督:ウォルフガング・ペーターゼン /
出演:ブラッド・ピット(アキレス)、エリック・バナ(ヘクトル)、
オーランド・ブルーム(パリス)、ピーター・オトゥール(プリアモス)
2003年07月22日(火) 『子どもたちの日本』
2002年07月22日(月) 『紙人形のぼうけん』
イリアスはギリシャ神話の一部のように言われる事もありますが、 神話というよりは、人間を語った英雄叙事詩です。 確かに全編通してギリシャの神々が登場して、華麗な背景を作り、 それぞれひいきの人間に加勢して事態を操っているように見えますが、 読み進むうちに神の存在はあくまでも修辞的なものであって、 物事を動かすのは結局人間なのだという事が実感されます。 実際に超常的な描写は意外に少なくて、神のみわざも 文章の飾りや自然現象を文学的に表現したと思えるものがほとんど。 ホメロスは合理的な人ですね。 映画では出番のなかった王妃ヘカベが哀しみのあまり鳥になった、とか アキレスの私兵ミュルミドンは蟻が変身した者達だ、といった幻想的な それこそ「神話」は、イリアスの中には登場しません。
特にイリアスの中の神の扱いで私が好きなのが、 肉体と違ってコントロールできない精神面心理面を、神に託している点です。 イリアスでは闘いで傷つけられる人体の描写がことに細かで、 戦士一人一人について解剖学的にどうやって殺されたのかが語られる程です。 これほど人体の構造に精通しているギリシャ人が、 どうしてもメカニズムが解明できない人間の行動、 勇敢なはずの者達が、怖れで動けなくなる、 疲れ果てた戦士達に、勇気が湧いて身体が動き始める、 理性では考えられない恋に落ちて、家族を裏切る、 などといった、これらどこから来たのかわからないけれど、現実にある 人間の心の動きと連動した行動の不思議を神の影響下にある、 と呼んでいます。 なるほどねえ。
映画『トロイ』で、監督はイリアスの中の神の存在を無くしましたが、 私も映像で見る上ではこの手法は賛成です。 懐かしい映画『アルゴー探検隊』のように、神々が英雄達を駒にした ゲームで楽しむような描写をいちいち入れると緊迫感が薄れるでしょう。 神の血を引く者達も多く参戦していますが、いくら神々に特別扱いされていても 結局死ぬので人間と違いはありません。 だったら、分け隔て無くみんな人間の話にしてしまっても大丈夫。 普通の人より美しくて普通の人より強い、というのが神の子の条件なら、 映画の登場人物というのはそれだけで充分神の子を現しているとも言えます。 もっとも、そのせいで印象が大きく変わってしまった部分もあって、 イリアスでは、女神テティスの子アキレスやアポロンの守護のあるヘクトル達が 神々達の様々な思惑が交差する中で闘っている訳ですが、 その背景がなくなった映画では、アキレスは逆に自ら以外を頼まぬ 傲慢で孤独な勇者、 神々を崇める信心厚いトロイの王はその信仰故に滅びたようにも見えます。 誰もが知っている有名な「アキレスの踵」についてすら、 映画『トロイ』内では特に言及されません。 実際、神の子だから身体の他の部分は傷つけられない、という設定は映画では 不要。 だって、映画の途中でスーパーヒーローが死んじゃう展開はありませんから、 ハリウッドヒーロー並の強さ(笑)で充分な訳ですね。 イリアスファンには神々が登場しないので映画に不満がある人 もいるでしょうし、 映画を見てから原作を読もうと思ったら、逆に神の描写が多くて読みにくい かもしれません。
一方、トロイア戦争後日談の 『オデュッセイア』は『イリアス』とはがらっと変わって 神と妖怪変化が目白押し、超自然的な冒険満載のファンタジックな物語 になっています。 『イリアス』の作者ホメロスと『オデュッセイア』の作者ホメロスは別人か、 同一人物の若い頃と老年、などと推測されるほど文章のタッチも主題も 異なっています。 どちらもそれぞれに優れて面白いので、 誰の作品でもかまわないようなのですが、 確かに気力体力に満ちた若い頃は神も御覧あれ、しかしながら手出しは無用、 老いては楽しい不思議と戯れてみよう、という傾向に なったのかもしれませんね。 『イリアス』後の登場人物達のその後が、『オデュッセイア』の中で 所々噂話として出て来ますが、「それでいいのか」という展開もあります。 それについてはまた明日。(ナルシア)
『イリアス』 著者:ホメロス / 訳:松平千秋 / 出版社:岩波文庫 『オデュッセイア』著者:ホメロス / 訳:松平千秋 / 出版社:岩波文庫 映画『トロイ』監督:ウォルフガング・ペーターゼン / 出演:ブラッド・ピット(アキレス)、エリック・バナ(ヘクトル) オーランド・ブルーム(パリス)、ピーター・オトゥール(プリアモス)
昨今のCG技術の進歩と古典作品の人気で、 歴史大スペクタクルドラマの映像化がブームになっていますね。 去年、映画館で『トロイ』の予告を見て、 「あ、ついに『イリアス』を映像化するんだ」とちょっと嬉しくなりました。 しかし‥‥ブラピがアキレス?大丈夫??? 愛のための戦争?‥‥大丈夫???
で、見てみました。 思ったより良く出来ていましたよ。 長大な『イリアス』の中の神様が介入する部分は思い切り良く全て切り捨て、 3000年前も現代も変わらない人間同士の愛憎を分かりやすくまとめ、 美しい舞台と肉体を駆使した戦闘で見せる、娯楽大作になっていました。 アキレスは歪んだ部分もあるダークなヒーローなのでブラピで良かったし、 気高き勇者ヘクトルも悲劇の王プリアモスもとても良い感じでした。 まだこの後有名な物語のある人達を、こんな所であっさり 片付けちゃっていいのか、という脚色場面も多々ありましたが、 もとの物語を知らない人のためにも映画の枠内で全部の決着を 付けておくというのは大切なきまりなのでしょう。
文字ではなく、言葉で語られる事によって伝えられる古代ギリシャの叙事詩は、 当時の人々にとって耳で聞く壮大な映画のようなものだったでしょう。 『イリアス』とはトロイの町のあった地『イリオン』の詩という意味 だそうです。 10年続いたトロイア戦争の末期、豊かで堅固なトロイの城塞を、 大艦隊を組んで押し寄せて来たアカイア連合軍(ギリシャ軍)が攻め、 王族達、英雄達、一人一人が何を思いいかに闘ったかを語り上げた大作です。 史実にどの程度則しているかは、不明。 当時の闘いはほとんどが戦士同士の肉弾戦、 天才詩人ホメロスの描写は壮絶を極めます。 テレビやコミックスのヒーローが登場する以前は、 イリアスのリアルな英雄達は欧米の子供達の憧れのヒーローだった事でしょう。
「愛のための戦争」という映画のコピーは一見、戦争の発端となった スパルタの王妃ヘレンとトロイの王子パリスの不倫の事にように思えましたが、 言われてみれば、イリアスは最初から最後まで、 愛する者を奪われた怒りを奪った者に向ける、という個人の怒りが 戦争の方向性を決める物語なんですね。 復讐が復讐を呼び、とどまる事を知らぬ凄惨な殺戮が続く。 今で言う「憎しみの連鎖」を地で行ってます。 しかもこの憎しみ、敵に向けてだけでなく一部は味方に対しても向いている。 叙事詩は聞く者が陶酔できるように、華やかに神々を飾り付け、 登場人物の外見をとても美しく、履歴を豪華に、闘いは力強く、 舞台や装備を壮麗に語りますが、 人間の心は今と全く同じで、卑しく狡く弱く小さく、 かつ気高く寛く強く大きく現されています。
ちなみに、『イリアス』はトロイの王子ヘクトルが殺され、 トロイの命運も尽きたか、というところで終わっていて、 トロイと言えば木馬でしょ、の伝説の木馬作戦は語られていません。 続編と言われる 『オデュッセイア』の中で、生き残った主要人物が ほんの少し木馬について語る場面がありますが、 ホメロスの詞でトロイ陥落の決定的瞬間は語られていないのです。 それがとても残念。(ナルシア)
『イリアス』 著者:ホメロス / 訳:松平千秋 / 出版社:岩波文庫
『オデュッセイア』著者:ホメロス / 訳:松平千秋 / 出版社:岩波文庫
映画『トロイ』監督:ウォルフガング・ペーターゼン /
出演:ブラッド・ピット(アキレス)、エリック・バナ(ヘクトル)、
オーランド・ブルーム(パリス)、ピーター・オトゥール(プリアモス)
小人たちのシリーズ第一作。 原題は『The Borrowers』。 英国で発表されたのは、1952年である。 メアリー・ノートン(1903-92)は、作家であると同時に 女優でもあった。 児童書を書くようになったのは40代になってからで、 借り暮らしの小人たちを描いた このシリーズによって、児童文学史に名を残している。 表紙絵は『ナルニア』シリーズでもおなじみの ポーリン・ベインズ、挿絵はダイアナ・スタンレー。
英国の古い田舎の屋敷に、 「借り暮らし」と呼ばれる小さな人たちが 住んでいた。 主人公である借り暮らしの一家には、 ポッドとホミリーの夫婦に、 アリエッティという好奇心いっぱいの女の子がいる。 ずっと前に読んだときには、 親子というより、おじ夫婦と姪のように感じられたが、 今はちゃんと親子に見えるから不思議。 彼らにとって、人間は、借り暮らしを養うために存在する 生き物で、人間に一度でも『見られ』たら、 もうその家にはいられないのだという。
しかし、アリエッティは、人間の男の子に『見られ』、 あろうことか、友達になってしまうのだ。 そして、アリエッティたちの一家は、 安穏と過ごした時を背後に置いて、 新しい冒険に飛び込むことになる。
彼らの生活のこまごまとした描写は、 ストーリーの運びとは別の楽しみに満ちている。 人間がドールハウスのなかで暮らすかのように ままごと遊びの想像力をかきたて、 知恵と実用の織りなす部屋の様子は、 大人をあっけなく子どもに戻してしまう。
彼らは、「借りる」ことを仕事にしている。 働いてお金を稼ぐ必要などない。 なぜかというに、社会がないからだ。 彼らの家族は孤立していて、他とのつながりがない。 そもそも、彼らの種族は、そんなに団結していない。 貨幣経済とは関係のない生き方。 しかし、人間はそんな彼らを泥棒と呼ぶけれど、 人間だって、世界から借り物をして生きているのでは ないのか?生まれたときにも、死にゆくときにも 身一つの人間は、借り暮らしの小人たちより 身体が大きいというだけで、それすらも地球にとっては 資源が減って迷惑なことではないか・・・ メアリー・ノートンのシニカルなつぶやきが 聞こえてきそうだ。
グウィンの『ゲド戦記』ではないけれど、 シリーズの第五作『小人たちの新しい家』は、 四作目が出てから ほぼ20年後に書かれている。 10代に読んだときは、四巻目で止まってしまって いたので、今度は最後の締めくくりまで、 小人たちとともに旅をしてみようと思う。 (マーズ)
『床下の小人たち』著者:メアリー・ノートン / 訳:林容吉 / 絵:ポーリン・ベインズ、ダイアナ・スタンレー / 出版社:岩波少年文庫2000新版
2003年07月16日(水) 『いまを生きる言葉「森のイスキア」より』
2001年07月16日(月) 『100文字レシピ』
ペンギンたちの住む孤島、カリン島での まか不思議な異邦人体験を描いた第二弾。
上巻とは少し趣を変えた本書の主役は、 悪名高いイノズマ博士。 「ヒデヨシ」からかわいらしさを除いて、 頭脳を足した感じのペンギンだ。 ペンギンをマグロに変えて食べたり、 姿変えの術に長けた悪いやつなのだが、 幼いころのトラウマを抱えていたり、 どこか哲学的でもあり、憎めない。
巻き込まれ型の語り部は、白鷺有馬(しらさぎあるま)君。 彼だけが人間で、最初は名前もないのだが、 ますむらひろしの「島」への特別な想いとともに、 白鷺有馬という不思議な名前の由来も、 巻末の回想記で語られている。
何度か書いたけれど、ますむらひろしの回想記は ぜひ読んでおくべきだと思う。
前半で記者をしているアルマ君が遭遇した『選挙取材』、 その強引きわまる暴力選挙のようすは、 「選挙は男が公然と許されたケンカ」という 声も聞こえてきそうである。 (少なくても女が公然と許されたケンカではないだろう。 戦った女たちの負けぶりを見れば)
『光食解放時間』でイノズマ博士が最後に叫んだように、 私たちもそんな瞬間が訪れるだろうか。 「ゲゼルベルゲゼムベル!」 (オレは、オレ自身から解放された!)
「心の根元に宿る深い衝動」、 その体験に、われとわが身を置き戻したときに。 (マーズ)
『カリン島見聞記(下)』著者・絵:ますむら・ひろし / 出版社:ポプラ社2003
2003年07月15日(火) 『夜を忘れたい』
2002年07月15日(月) 『聖なる予言』
先日、細々とした雑貨を100円ショップに買い物に行ってびっくり。 ふと見た棚に、夏目漱石・芥川龍之介・太宰治・宮沢賢治・森鴎外…と、ずらり近代日本文学が並んでいます。
100円ショップの本には、なかなか見応え、読み応えのある本があるのですが、今度は文学?漱石(『坊ちゃん』)、賢治(『銀河鉄道の夜』)あたりが売れていました。小説だけではなくて、萩原朔太郎・島崎藤村・北原白秋など詩集あり、俳句・短歌まで30巻もあります。
「読みやすさを重視した大きめの文字」というのが、曲者で、大きな字はちょっと読みにくい。でも、これが詩集とか俳句になると、確かに行間まで読めるような気がして、いい感じでした。 結局、一度はきちんと読んでみようと朔太郎の『青猫』と、大好きな種田山頭火の『草木塔』を携帯用(?)に買いました。
おみやげに新美南吉ファンのMにも一冊。童話も、大きめの字はおすすめですね。おなじみの『ごんぎつね』やMのおすすめの『最後の胡弓弾き』『おじいさんのランプ』など8編が収録されています。欄外には注釈付き。
そうそう、以前買って、そのDEEPさに驚いたのは実用本シリーズで『猫の飼い方』や『リトリバーの飼い方』についての本。その薄さに反して、意外に情報が濃い。必要な基本から、この本を読まなければ絶対に知らなかったマニアックな知識まで、充実の内容でした。 でもまあ、それを読んだからといって、うちのマオやロッキーたちの生活が変わったわけではないですが。
私はまだ、買ったことがありませんが、漫画の復刻や推理小説、ロマンス小説まで、なんだか、100円の可能性について(笑)再認識させられる空間が広がっています。
ところで、この『近代日本文学選』シリーズ、WEBの電子図書館『青空文庫』からのダウンロードとのこと。これが、安さの秘密?それならぜひ、黒岩涙香の『幽霊塔』も出版してほしいと。できれば、もっと小さな字で。 無理な願い? (シィアル)
絵本も出ていますが、今回は、映画編です。
季節をはずしてしまいましたが、いつか見たいなあと思っていた 『ミトン』をやっと見ることができました。
『チェブラーシカ』、『ムーミンパペットアニメーション』、 テイストは全然違うけれど『ウォレスとグルミット』など いつのまにかパペット・アニメーションの大ファンになっているようです。
『チェブラーシカ』も『ムーミン』もかわいらしいパペットの魅力は もちろん、空気に漂う何ともいいようのないもの悲しさが見る人を 惹きつけます。 わずか10分の物語ですが、『ミトン』も期待を裏切らない アニメーションでした。キャラクターのかわいらしさと 胸に染みいってくるような、かつて経験したことのあるせつなさ。
小さな女の子アーニャは子犬を貰ってくるけれど、お母さんは 許してくれません。どうしようもなく子犬を返してきたアーニャは、 赤いミトンを子犬に見立てて、ひとり遊びを始めます。 やがて、赤いミトンはかわいい子犬に姿を変えて、 嬉しそうに、アーニャに寄り添います。
制作が始まったのが1967年ということですが、40年近く前という、 古さは全く感じません。台詞のないアニメだからこそ、伝わって くるものがたくさんあります。 犬と戯れる近所の子どもをうらやましそうに見ているアーニャ。 友達から子犬を貰ってきたアーニャ。 その子犬を返しに行かなければならないアーニャ。 アーニャの喜び。 アーニャの悲しみ。 せつなさは、言葉が無くても、ひしひしと伝わってきます。
誰もが経験したことのある子ども時代の日常の一コマ。 捨て猫や捨て犬を連れて帰って怒られた夕方。 友達から貰った子犬や子猫を返しに行く重い足どり。 家に帰ると思いもよらず、子猫が待っていた驚き。 大人から見れば、どうということのない小さな心のさざめき。 そんなさざなみに揺れ惑う、子どもだけの悲しみ。
アニメは淡々とアーニャの寂しさ、せつなさを描いています。 赤い子犬がかわいければかわいいほど、 ハッピーエンドの向こうにも、透明な悲しさがうっすらと 残っています。(シィアル)
『ミトン』 監督:ロマン・カチャーノフ / ソ連映画(1967年)
・『ミトン』DVD(7/23発売予定)
・『ミトン』著者:ジャンナ・ジー ヴィッテンゾン
原著:レオニード・シュワルツマン
訳 : はっとりみすず
出版社:河出書房新社
※本来は映画のための脚本がえほんになりました。
・『ミトンフィルムブック』編集:ミトン制作委員会
出版社:河出書房新社
・『ミトン』公式サイト http://www.mitten.jp/
かわいい壁紙やスクリーンセーバー、アイコンのダウンロードもできます。
米の人気テレビドラマ『大西部の女医 ドクター・クイン』を 好きな人には、ぜひ読んでほしい。 この時代は、リンダ・ハワードのホームグラウンドでもある。 それでも、南北戦争から数年後の米西部・南部・東部にまで至る 主人公たちの長い旅は、リンダ作品のなかでも異色といえるし、 登場する歴史上の人物たちも、興味深く描かれている。
賞金稼ぎに撃たれたレイフは、 行きがかり上、新興の町シルバー・メサの女医、 アニーを誘拐して、荒野に潜む。
悪夢の南北戦争が終わり、南軍に従軍していたレイフは、 ある陰謀事件をきっかけに、数年前から逃亡生活を送っていた。 殺戮と失望に満ちた生活のおかげで、冷血漢と化した レイフだったが、純粋なアニーと関わることで、 守るべきものと将来に希望をもつ男に変わってゆく。
そして、男の力を借りず独りで生きることに人生を 費やしてきたアニーも、レイフによって 本来の自分らしさを取り戻していった。
愛とか恋とか、そんな感情を、 自由を奪う枷のように感じ、遠ざけてきた二人の人間。 そんな二人が、リンダのはからいで「関係」を築いてゆく課程は、 ラブロマンスという要素だけにとどまらず、 人が自分自身を発見する課程でもあるのだと、 思い知らされる展開だ。
後半の逃亡シーンでは、二人と重要な関わりをもつことになる アパッチ族も登場し、そこから運命が好転し始める。 アニーには手で人を癒すという天性のヒーラーとしての 力が備わっているという設定は、 レイキをやっている人にも喜んでもらえそうである。
もっとも、リンダ自身、どこにいても ペンで女性たちを癒してくれるヒーラーであるのだけれど。 (マーズ)
『ふたりだけの荒野』著者:リンダ・ハワード / 訳:林啓恵 / 出版社:ヴィレッジブックス2002
2002年07月12日(金) 『ねじれた夏』
2001年07月12日(木) 『だれも欲しがらなかったテディベア』
「あるべきようにあることを。」by ガラドリエル
第4巻は、なかなかに波乱である。 これが第1部の完結編でもあり、最後には旅の一行が フロドと別れ、バラバラになる。
モリアの坑道で悪鬼バルログとともに奈落に消えた 魔法使いガンダルフ。
支えを失い消沈した一行は何とか坑道を脱出、 ロスロリアンのエルフ王、ケレボルンと 女王ガラドリエルのもとに庇護される。 またしてもエルフが、フロドたちを守ってくれたのだ。 フロドの前で自らに「指輪」のテストを課し、 クリアするガラドリエル。
「わらわは試練に耐えましたね。」と、奥方はいいました。 「わらわは小さくなることにしましょう。そして西へ去って、 いつまでもガラドリエルのままでいましょう。」 (引用)
エルフらしい、奥深い言葉である。 王と女王は、出立する一行を見送りに出て、 船をはじめとする贈り物をそれぞれに与える。 ギムリだけが、奥方の髪という特別な贈り物をもらう。
大河アンドゥインを下る旅の途中、 指輪を取り戻そうとたくらむゴクリがあらわれるが、 また姿を見失う。どうやらモリアの坑道から後を つけられていたらしい。『ホビットの冒険』よりも ずっと不気味に感じる登場だ。
敵の影におびえながら、船旅が終わったとき、 ついに、「旅の仲間」たちは、別々の道を選ぶことになる。
決意しかねているフロドを、指輪のとりことなった ボロミアが襲うという悲劇のあと、逃げ出したフロドは 導かれるように、世界の惨憺たる状況を見てしまった。 あの、すべてを見透かし、支配しようとする邪悪な「目」の存在も。
もう逃げられない。 覚悟したフロドは、指輪を葬る孤独な旅を選び取る。
アラゴルン、ボロミア、レゴラス、 ギムリ、フロドにサム、ピピン、メリー。 ここから、仲間達の旅は別れてゆく。 河の流れが、一度別れてのち、合流するかのように。 しかしそれもまた、壮大な物語の不可欠な流れなのだ。 忠実な従者のサムだけが、 フロドと指輪の道連れとなって、旅は続く。 (マーズ)
『新版 指輪物語4旅の仲間(下2)』 著者:J・R・R・トールキン / 訳:瀬田貞二・田中明子 / 出版社:評論社1992
オランダの作家と画家が贈る、おもちゃ文学。
テディベアというと、一般的には男の子。 だけど、この主人公、ローラはちがう。 人間の女の子顔負けで、大人しくもない。 人間の女の子、ノールのもとに マーヤンおばさん(この名前もなかなかすてき)が もってきてくれたローラは、 本当はパンダが好きだというノールの気持ちを ちゃんと知っていて、最初すねてみせる。 そして、ノールの心をがっちり、つかんでしまうのだ。 もちろん、読者の気持ちも。
お母さんがいなくなってお父さんと二人暮らしのノールに とって、ローラは友達であり、タオル(涙をふく)であり、 なんとなくいろんなことを教わる人生の先輩でもある。
生クリームやチョコレートをどっさり入れた 「ローラ・スープ」を作ったりするローラは、 ぬいぐるみだけど、何でも食べるし、 もちろんケンカっぱやいし、 自称「べりべり」という病気にもなったりする。 男の子のクマと、恋だってするのだ!
ローラはまるで、この家にきたもう一人の女の子。 どう見てもクマだし、 ローラの言葉はノールにしか聞こえないが、 それ以外は、女の子と同じ。
訳がこなれていて、セリフも絵にぴったり。 あちこちに出てくるオランダらしい風物も、 英米の児童書とはちがった面白さがある。
ときどき、ノールが心配になってしまうけど、 ローラはマイペースで、自分の人生を生きてゆく。 そして最後に、ノールにプレゼントがとどく。 まだクマが必要なノールに、ローラから愛をこめて。 (マーズ)
『くまのローラ』著者:トルード・デ・ヨング / 絵:ジョージーン・オーバーワーター / 訳:横山和子 / 出版社:福音館書店1994
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管理者:お天気猫や
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