HOME*お天気猫や > 夢の図書館本館 > 夢の図書館新館
『異人たちとの夏』を映画で見たのも、 もうずいぶんと前になります。 邦画を見て、あんなにも強く心を揺さぶられたのは はじめてでした。大好きだった祖母との死別を体験し、 死に別れるという、「絶対的な」別れを いつまでも消化しきれない私にとって、 死者たちとの、再会を描くこの映画は哀しくも、 つかのまとはいえ甘い夢を見せてくれた映画でした。 そしてすぐに、小説を読みました。 映画を見て、話は全部知っているのに、 それでも、深く感動しました。 ずっと、原作も映画も山田太一監督だと思っていたのですが、 映画は大林宣彦監督でした。
私の中には、祖母の死に対する悔いがあるので、 この本の主人公のように、 幽霊でもいいから、もう一度死別した祖母に会いたいと、 今でもそう思っています。 あるいは、それは、単に祖母を恋しがる気持ちだけではなく、 子ども時代の幸せな時間への憧憬だと、 言い換えることもできます。 生き生きとした冒険の毎日で、 一日の密度が濃く、充足した子どもの時間。
男は、幼い頃死に別れた父母と そっくりな二人と出逢います。 いつの間にか、両親の年齢を追い越しているけれど、 そこには、幼い頃のような満ち足りて健やかな時間と、 親のあたたかなまなざしがありました。 懐かしさに何度も足を運ぶ男。 しかし、そのうちに男に異変がおきているのでした。
「牡丹灯籠」じゃないけれど、 私なら、死者と時間を共にすることで たとえ、自分の命を削ることになったとしても、 死別した大切な人に会えるのなら、 それでもいいんじゃないかと、そんなことを考えます。
映画に出来については、 『映画のラストはB級ホラーになってしまっていて、 原作小説の方がずっといい』という感想をいくつか見かけましたが、 私の中では、どちらも不可分で、渾然一体となっています。 映画には、映画ならではの、印象深いシーンがたくさんあったし、 小説の方では、映画の印象が強かったので、 そのイメージのままで、読んでしまったのですが、 それでも何一つ違和感を感じることはありませんでした。
映画はそれほどよくなかった、という批評に対して、 そんなに映画と小説の間に、描き方の違いではなく、 優劣の差があったのだろうかと、不思議に感じています。
さて、この物語が、いつまでも私の中であせないのには、 大きな理由があります。 それは、映画にだけできることです。 音楽と絵。 両者が非常にうまく使われていました。 プッチーニの「私のお父さん」が 効果的に使われていて、今でもこの曲を耳にすると、 『異人たちとの夏』を思い出し、せつない気持ちが瞬時に甦ります。
また、絵については、前田青邨の「腑分け」が 映画の中の、重要なモチーフとなっています。 やはり、「腑分け」を見ると、 条件反射のように(笑)、凄惨な悲しみに胸を締め付けられます。 だから、この音楽と絵のおかげで、 これらに触れるたびに、 この『異人たちとの夏』を思い出してしまい、 初めて映画を見、そして小説を読んだ時のままの、 せつなくもこの上もないあたたかな気持ちと、 あきらめるしかない喪失感を同時に感じるのです。
『異人たちとの夏』は、 大切な人・大切な人とのかけがえのない時間を 慈しむ物語です。 大切な人を失ってしまった−喪失感を知ってしまった人ほど、 深く、強く心を揺さぶられるでしょう。 大人のためのやさしく、そして悲しいおとぎ話だと思います。
やさしいまなざしと、 胸をかきむしられるほどのせつなさ。 長い歳月を経ているのに、 いつまでも褪せずに、心に残っています。 これからも、きっと、ずっと。 (シィアル)
『異人たちとの夏』 著者:山田太一 / 出版社:新潮文庫 ※ 映画『異人たちとの夏』(1988年制作) 監督:大林宣彦 / 原作:山田太一 / 脚本:市川森一 / 出演:風間杜夫・片岡鶴太郎・秋吉久美子 ※ プッチーニ歌劇「ジャンニ・スキッキ」−私のお父さん ジョークと音楽の部屋 ♪ 「私のお父さん」を聴く http://www.interq.or.jp/sun/solaris/ プッチーニ「私のお父さん」をDLさてていただきました。 ※ 前田青邨「腑分け」 http://www2u.biglobe.ne.jp/~fisheye/artist/nihonga/seison.html 【近・現代絵画】 魚眼レンズ 前田青邨「腑分け」の切手が紹介されています。
>> 前の本 | 蔵書一覧 (TOP Page) | 次の本 <<
管理者:お天気猫や
夢図書[ブックトーク] メルマガ[Tea Rose Cafe] 季節[ハロウィーン] [クリスマス]