無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2007年04月19日(木) 森田雄三withイッセー尾形の『イッセー尾形のつくり方2007in博多』ワークショップ5

うわあ、もう明後日本番じゃん! 間に合うのか、間に合うのか!?
と焦っているのはもちろんワークショップ参加者一同なのだが、外見では私はしょっちゅう「堂々としてますね」とか言われてしまうのである。「わたしたち、こんなに大変なのにあの人だけ平気な顔しててさ」とか思われてないか。単に動きが鈍重なだけなのになー。

今日はフツーに夜の部から参加。遅刻もせずに6時5分前にイムズに到着。
ホールのロビーは夕ご飯の休憩タイムで、ワークショッパーズの仲間たちが談笑しながら会食しているのはいつもの風景なのだが、テーブルを見てみると、いつもは山のようにある弁当類が殆どない。どうやら、ほぼ食いつくされている模様だ。本番近くになって、参加者が増えてきたせいであるようだ。
おなかがすいていたので、一つだけ残っていたカレーライスを手に取る。スプーンが見つからないのでモタモタ探していたら、森田先生から「さっさと食べる!」と叱られた。すぐに「時間ないよ、練習始めます」とホールに入って行かれたので、全員が急きたてられる。私もカレーを5分で食べ終わる。演技は下手でも早食いは得意。全く威張れない特技だけれど(苦笑)。

昼の部はどんな感じだったのか気になったが、参加者の一人が「山で言えば一合登ったか登らないかくらいかな」と例える。進捗状況、そろそろ深刻になってきたということか。

「そろそろ組を決めて行こう……いや、もうちょっと二人組で練習かな」
森田先生の指示も何となく急いているような抑えているような微妙な感じになる。
初めてならともかく、何度も練習に参加しているのに声を作れない人がいると、「どうして声を作れないの?」「出る気ないの?」「叱られて明日から来なくなるなら大歓迎だからね」と猛毒の言葉が飛ぶ。しかしこれでも一昨年よりは「丸くなった」のを古手の参加者は感じているから、もう泣き出して飛び出して行く人はいない。
我々は少しは「強くなった」のだろうか。
うまくできた人がいると、「みんなこのレベルに行こうね!」と言う。けれどもそのすぐあとで「うまく出来るとか出来ないとか関係ないの。ただ喋ればいいだけなの。なのにみなさんは何が大事なのか、自分を守ろうとばかりするからね」なんてことを仰るから、さて、どうしたらいいものかとみな未だに混乱するのである。

私も自分の演じるキャラクターが全然つかめず、いろいろやってみるのだが、うまく行かない。見かねた森田先生が、「××××をやってよ」。
それはまあ、三日目だったかに、「稽古の間なら」と適当にやった役だったのだが、森田先生の評によれば「突然変異」だったらしい。「それで行くから」と役と出演がいきなり決まってしまった。それでも別に誉められたわけではなく、「稽古では、自分がこのキャラクターをやらないつもりになってるから、うまくできるのね。けれどもいざこの役をやろうというすると、必ず落ちてっちゃうの。それをどうするかってのが演出の仕事で、この方法論が分かったら簡単なんだけど、分からないんだなあ」と頼りになるんだか頼りならないんだか分からない不安なことを仰る。
演出家にそう言われてしまったら「私はどうしたらいいんですか」と言いたくなるが、そう口にすれば「しらねえよ」と返ってくるのはこれまでの流れで自明である。いやでも自分で悩むしかない。悩んでも何も出ないと分かっていながら。

組をいよいよ決めて行く、ということになって、森田先生、「イケてる人とイケてない人を組み合わせよう」ととんでもないことを言い出す。
「この人がイケてるかイケてないか、みんな挙手して」
魔女裁判ですがな、それ(涙)。
で、二組に分けられて、コンビを作っていく。そのときにもなかなか相方をきめられないと、森田先生の怒声が飛ぶ。前に出て演じてみて、うまく行きそうなら決定、そうでないならボツとなる。3、4組ほどが決定したところで「また明日」。けれども今までの通例から言って、こうやっていったん決まった組も、翌日に組み変えられることはよくあることなのである。
「みんな、結構喋れるようになってきたから、すぐに照明を落とすというわけにいかなくなったしね。全員をどうやって舞台に立たせるか考えないと」とちょっと悩んだようなことを仰る森田先生。でもそのすぐあとで「ま、何か考えます」と飄々と言い放って、解散。明日は予定を早めて10時から。いよいよ「追い込み」なのである。

2004年04月19日(月) 謎の柴田と、『漫画アクション』の復刊
2003年04月19日(土) メモ日記/腐れた夜。
2001年04月19日(木) 今日は眠いので短いよん/『クレヨンしんちゃん』29巻(臼井儀人)


2007年04月18日(水) 森田雄三withイッセー尾形の『イッセー尾形のつくり方2007in博多』ワークショップ4

 イムズ休館日のため、一日、間を置いてのワークショップ四日目。
 この間に世間では大層な事件がやたらと起きていたわけだが、自分がいっぱいいっぱいだと、身近で大地震でも起きない限り、大統領が暗殺されようがエイリアンが戸来村に飛来しようが飯島愛が引退しようが全ては対岸の火事である。

 でも、ちょこっとだけ例のアメリカバージニア工科大学で起きた銃乱射事件について触れておくと、日本のマスコミがいくら「アメリカは銃社会であることをやめるべきだ」とわめこうと、改まるはずのないことについてやいのやいの主張すること自体が能天気である。
 武器があるからこんな事件が起きる、銃規制を厳しくすべきだ、これは一見正論である。しかし現実論ではない。アメリカはいったん銃を持ってしまった。一度持ってしまったものはもう捨てることはできない。捨てれば、「自分が被害者になる」からである。
 今回の事件に関しても、校内に武装したガードマンが誰かいたなら、あるいはせめて教師が銃を持ってさえいれば、犯人を早々に射殺して、被害者の数を減らすことだってできたはずだ、とも言えるのである。
 少なくとも、日本人で、「自衛隊を認める人」が、アメリカさんに「自己防衛なんて考えなくていいからともかく武器を捨てろ」なんてことは言っちゃダメだよね。

 笑っちゃうのは、犯人が韓国人だったせいで、在米韓国人の間に「自分たちに対する差別が始まるのではないか」と動揺が走っているということ。
 あるに決まってるじゃん。そういうクニなんだから。「外国人は基本的に侵略者」、それがそもそも侵略によってアメリカ大陸をわがものにしたアメリカ人の常識なんだから、こんな事件が起きなくても、きっかけさえ与えられれば、東洋人は簡単に差別されるんである。
 旅行相談所は韓国人の観光のための渡米を控えるように忠告してるってことだけど、観光だろうと留学だろうと、最初からあなたは「危険と隣り合わせです」ってことは言っておくべきだと思うけどね。


 仕事をちょっと早引けして、昼の部の後半から参加。
 ホールに入って、おおっと驚く。もうステージが張り出し舞台の上に出来ているのだ。その分、いつもの練習部分は半分ほどに狭くなっている。
 森田先生から「こんなに早く来ていいの?」と聞かれたので、「サボってきました」と答えたが、もちろんちゃんと休みをもらってきたのである。ちょうど会議もなかったしさ。

 平日の昼の部は、なるほど、人数が少ない。夜の部の半分ほどで、15、6人ほど、女性が殆どで、男性は若い学生さん風の人がちらほらというところである。サラリーマン姿のやつなんて私だけだ(笑)。
 イッセーさんの「歩き方講座」から参加するが、新人さんが多いせいか、なかなかスムーズに流れない。イメージを作って歩いているか、ただ「ヘンな歩き方」をしているか、その差が歴然としている。「お父さんかお母さんのイメージを持ってみて」とイッセーさんも「一から」説明することになる。
 「歩いた後で『ご焼香』してみて」と一段階上の指示を出すが、みんな、お辞儀をしようとした瞬間にイメージが消えて、小手先の芝居に戻ってしまう。見るに見かねて、森田先生が「もう一度と円陣に戻して」とやや言葉を荒げ始める。
 昨日までまだ優しげだったのが、ようやく「森田節」の復活、という印象で、例の「頼むよ、あと三日だからね」も飛び出す。森田先生は私たちには「お父さんやお母さんの口癖を真似してみて」と指示されるが、このご自分の「頼むよ」が癖になっていることにはお気づきだろうか。

 円陣を組み、一通り、もう一度身近な人のイメージを繰り返させる。前に二人ずつ出されて、ともかく演じてみる。新人さんに「違う」「ダメです」「もう少し他の人の見てようね」と声が飛ぶのは当然だが、経験者に対してもダメ出し率が高い。「声作ってないよ」「余計な動きしない!」「そんなセリフがあるか! 高校演劇かテレビドラマだよ!」と怒声が飛ぶ。
 一番、キツイなーと感じたのは、「お父さんはそんなこと言う? 親はあなたたちにとても大事なことを残してくれたんだよ。それはね、口調を変えることで『これは話を聞かなくていい』と教えてくれたってことなの。いったい誰から教えられたのかしらないけど、『人の話を聞かなきゃならない』と思い込んでるでしょ? そうじゃないの。人の話を聞かないことが『身内』だってこと、『家族』だってことなの。そんなふうに大人を舐めたことを言ったり、親を貶めるようなまねはやめなさい」

 テレビドラマ風のセリフを森田先生がなぜ嫌うか。このあたりが一番の理由なのだろうか。

 書く時間がなくなったので、後半戦は省略。明日また書く時間があれば付けたすかもです(苦笑)。

2004年04月18日(日) 『カスカベボーイズ』余燼とPTSDな人々
2003年04月18日(金) メモ日記/危険な女の夜。
2001年04月18日(水) 中華思想の尻の穴/『名探偵コナン』32巻(青山剛昌)


2007年04月16日(月) 森田雄三withイッセー尾形の『イッセー尾形のつくり方2007in博多』ワークショップ3

深夜アニメはとても起きて見てらんないので、どうしても翌朝の鑑賞になる。

『大江戸ロケット』 第2話 「男は待っていた」
サブタイトルが『待っていた男』(名作時代劇ですよ)のパロになっている。こんなことに気付くオタクもイマドキはあまりいないだろうが、かと言って0でもないのが確実なのもオタク界の恐ろしいところではある。ほんなこつ、オタクはピンからキリまでやけんね(私は時代劇ファンなので知ってただけよ)。

 1話目のノリがムチャクチャよかったので、2話目で失速しやしないかと心配してたのだが、全くの杞憂。今週も面白い!
ついに月ロケット製作に乗り出す清吉とユカイな仲間たち! 謎の美少女ソラの正体はバレバレだけど、そんなことは気にしない! 権威も束縛も禁制も常識もみんなふっとばして、庶民の心意気を見せてやれ! ってノリがとってもよくって、これから物語がどう転がって行くかワクワクさせられる。

 しかも、ストーリーがしっかりしてるだけじゃなくて、ちょっとしたギャグとか作画のアソビとか、そういうのがまた小気味よいのだ。
 銀さんのキャラデザは多分、内藤泰宏さんだと思うが、崩した顔も内藤さんなんだろうかとか。
 今回の私的ヒットは、銀さんの指ほじりの先にいた虫(笑)。

 今回は遠山の金さんもちらっと出てきたんで、どうやら金さん対鳥居耀蔵って関係もサブストーリーとして展開される予感がする。
 これも時代劇ファンとしては大いにタノシミなんである。いちいち説明はしないが、これ時代劇においてはルーク・スカイウォーカー対ダース・ベイダーかハリー・ポッター対ヴォルデモートかってくらい有名な対決なんだからね。
今回の声優で言えば、山寺宏一対若本規夫! 渋すぎる!(笑)


と、気分よく、朝はるんたるんたと出勤、列車に乗ったのだが。


> 線路に飛び降り?特急にはねられ女性死亡…JR枝光駅
> http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/ne_07041655.htm
> 16日午前7時20分ごろ、北九州市八幡東区枝光2、JR鹿児島線枝光駅構内で、門司港発新八代行き特急「リレーつばめ3号」(11両編成)に中年の女性がはねられて死亡した。乗客約110人にけがはなく、同特急は午前8時過ぎに運転を再開。事故の影響で別の特急2本を含む14本が運休(部分運休を含む)、51本が78〜9分遅れ、約2万7000人に影響が出た。
> 福岡県警八幡東署は、ホームにいた女性が線路上に飛び降りたとみている。


 この事故のせいで、職場に遅刻ですがな(笑)。
 まあ、遅刻と言っても、いつも早めの列車に乗ってるんで、15分ほど定時に間に合わなかっただけで、支障は来さなかったんだけど。

 こういうときは、車内の様子を観察すると面白い。明らかにイラついて顔を顰めている人、しゃあないなあと諦めムードの人、落ち着かなくてホームに出たり車内に入ったりを繰り返している人。電車が停まっている間の30分、私の目は私の体を離れて、アンバランスゾーンへと入って行ったのです(笑)。

それにしてもこのおばさん、理由は分からないけれども、多分、自殺だったんだろうね。こんな些細な事故では続報もなかろうから、確認する手段はないけれども、職場ではみんな「自殺」と決めつけていた。ごく客観的に判断するなら、この記事だけでは果たして事故なのかはたまた殺人なのか、何とも断定のしようがない、と見るのがだとうであるにもかかわらず、である。
ところが誰一人の例外もなく、「自殺だろう」と自信満々で言ってのけるのである。“あたかもこれが自殺であってほしい”かのようにである。
そのへんの人間心理を分析すると面白いのだが、日記が長くなるので省略(笑)。
ま、実際、人間、そういうものなのよ。


仕事帰りの列車もやや遅れて、イムズに到着したのが6時1分。
ワークショップ夜の部は既に始まっていた。

森田先生がいつもどおりにこやかに話されている。現代人の何が不幸か。
「目的を持たなきゃならないとか思いこまされてることね。何かこれをやらなきゃならないとみんな思わせられていて、したいことがないことが悪いことだと自分を責めるようになるのね。これは専門学校がそう思わせてるわけよ。なんとかコースとかいろいろ作ってさ。でもしたいことがない方が普通なの。若いころを思い出してご覧よ。何も考えてなかったでしょ?」

 何となく、小林よしのりが「今の若者は『夢を持て』『個性を持て』と思わされているが、平凡の素晴らしさを知らない」とか言ってたのと似ていると感じる。
フタコト目には「夢を持て」を口にする人間は腐るほど見てきて、私も実際そういう人間たちを鬱陶しいと常々感じていたので、大いに共感する。

練習は今日も特に支持はなし。今日からの新人さんもまた何人かいらっしゃるが、「身近な人を演じているのだな」とすぐに察しが付いて、結構、うまくマネをする。
しげ。が昨日、「新人さんは得だよね。前の人を参考にできるから」と呟いていたのを思い出す。私らが最初に参加した時には、殆どみんなが初めてだから、参考にしようがなかったもんな。
それどころか今は、身近な人間をやりつくして、あとが残っていない出がらしみたいなものである。ついに私は昔の彼女(未満の一人)を思い出してやってみたが、そんなのを演じてみたおかげで、自分がこいつのことを今でもかなり嫌ってるってことに気付かされて、かえって落ち込んだ。
全く、どんな効果が現れるか、このワークショップ。少しも油断がならない。


締めのお話はちょっとお下品。こんなことを書いて、ワークショップがあやしい人間の集うところだと誤解されても困るんだけれど、今日、一番印象深かった話だから仕方がない。
いや、最初のきっかけの話はフツーだった。「案外、現実でもかなり変わった出来事は起きているもので、それを舞台にかけらけないか」とかいう話だったのだ。
それが、いつのまにやら「チ×ケイレンってあるでしょ」という話になってしまって(笑)。

「医者から聞いたんだけどね、チ×ケイレンってあるでしょ、あれって結構起きてるって話でね、それであるワークショップで、『チ×ケイレンしたことある人』って聞いたらさ、本当に手を挙げた女の人がいてね。何でも彼んちに行ったらさ、そこで彼が急にしたくなったらしくて、始めたらそれが起こっちゃってね。最初は冗談かと思ったんだって。だって、女の方は何ともないんだけど、あれ、男の方は痛くてたまんないらしいんだ。何とか離れようといろいろやるんだけれども、全然どうにもならないわけ。で、夕飯時だから、料理ができてくるわけよ。彼んちだから親もいるわけで、でも遠慮して部屋には入ってこないの。もうどうしようもなくなってさ、切羽詰ってお互いをくすぐってみたらようやく離れたって。だからさ、チツケイ×ンはくすぐるといいみたいよ」

これが一番勉強になった気になったのはいいことなのか悪いことなのか(苦笑)。

イッセーさんも倉敷公演を終えて、今日から歩き方の練習。
個人的にはここで初めて「母親」を演じてみたおかげで、自分がどれだけ母を愛していたかに気付かされて、今度はまた別の意味で落ち込んだ。
 全く、今回が四度目だってのに、「初体験」ばかりなことである。

2004年04月16日(金) 横山光輝の死。いったいいつまでこの訃報ラッシュは続くのか。
2003年04月16日(水) メモ日記/冤罪の夜。
2002年04月16日(火) タコを求めて三千里/ドラマ『盤嶽の一生』第3回/アニメ『あずまんが大王』第2話
2001年04月16日(月) オー・ド・トワレ/『夜刀の神つかい』3巻(奥瀬サキ・志水サキ)


2007年04月15日(日) 森田雄三withイッセー尾形の『イッセー尾形のつくり方2007in博多』ワークショップ2

 いつもは日曜の朝は爆睡のしげ。が珍しく8時に起きている。
 それで『仮面ライダー電王』を見たのだが、設定をいろいろと説明すると、ちょっと興味を惹かれたよう。「『響鬼』以来、見たくなるかも」と。史上最弱のライダー、というのが効いたか(笑)。
 今日のゲストは池田成志君。ご存知の方も多かろうが、高校で同じ部活だった友人である。舞台では派手な役が多いが、一応イマジンに乗っ取られる役とは言え、基本的にはフツーのオヤジの役。なんだか老けたな。同い年だから当然と言えば当然なのだが。


 『天元突破グレンラガン』第3話「顔が2つたぁナマイキな!!」

> シモンとの共同作戦(?)で見事ガンメンを奪取し、敵を撃破したカミナ。
> 奪ったガンメンを「グレン」と名づけて得意げなカミナはヨーコに誘われ、狩りに出かける。その狩場でヴィラルと名乗る獣人と交戦。
> ヴィラルのガンメン「エンキ」の強さにラガンとグレンは敗退。
> なんとか命からがら逃げ出したものの、翌日にはリットナー村が襲われるのは明白だった。
> 逃げようと提案するシモン。
> 提案を一蹴し、ヴィラルとの再戦を挑むカミナだったが、やはり歯が立たない。
> ボロボロになっていくグレンの姿に、思わず顔を伏せるシモンに対し、ヨーコはカミナがシモンが必ず来ることを信じて戦っているのだと話す。
> 「で、あんたはどうなの?」

> 脚本:中島かずき/絵コンテ:大塚雅彦/演出:孫 承希/作画監督:近岡 直・石原 満

 今、気が付いたけれども「グレンラガン」って漢字で書いたら「紅蓮裸顔」になるんとちゃうかな(笑)。

 今石監督がメインになるようになって、ガイナックス作品のエンタテインメント性は上がりはしたが、その分、他社の作品との差別化は今ひとつ、という印象である。
 やっと登場した悪役ヴィラル、オープニングではキレた渚カヲル、という感じで期待していたのだが、セリフを喋るとこれが平凡というよりもただのバカで魅力がない。ただのチンピラか噛ませ犬である。
 頼むからさー、もう、「終わりだ!」「ばかな!」「なぜだ!」なんてこれまで何十何百のアニメや特撮で使われきたのか見当がつかないくらいどうしようもないセリフをさー、臆面もなく喋らせないでちょうだいよ(涙)。
 こんな萎えるセリフの間に「男の魂完全燃焼」とか「ムダムダムダ!」とか、島本和彦や荒木比呂彦のセリフを混ぜたって、かえって白けるだけなのである。
 脚本の中島かずきを信頼できないのはこういうところだ。王道と陳腐の区別が付いていない。
 作画はもう、テレビアニメとしては最高と言ってよく、アクションシーンと言うか殺陣のシーン、なぎ払われた草むらがパラパラと落ちていくようなカットなど、シビレろくらいの演出なのに、それがドラマにまるで絡まない。あと何話か見つづけたら、少しは面白くなるのか? 結局はエヴァ人気に頼らなければガイナックスは生き残れないのか?


 ワークショップ二日目。
 博多はほかの土地に比べてスケジュールがゆっくりの場合が多いが、古株が揃っているせいか、今回はテンポが速い。いつもなら二日目はまだ円座で練習、というところだが、今日は午前中にもう椅子を四つ並べた擬似舞台、そこで二人芝居を組まされる。
 もっとも森田先生、「今日はNHKの取材があるから適当にやろう」と仰っておられたが(笑)。

 昨日と違って、具体的に何をしろと言う指示が殆ど飛ばない。「ともかくやって」。
 これでもうこちらは混乱する。伸び伸びと演技される参加者もいるが、私はそこでどうしても悩む。「考えちゃダメ。準備しちゃダメ、舞台に立ったそこで考える、あなたがやってるのはシチュエーションで、そっちに行っちゃダメなの」と言われても、ある一定のシチュエーションがないと、セリフがまるで出てこないのである。
 ましてや、「思い出すことはいいけど、思い出そうとしちゃいけない」とまで言われてしまうと、これはもう観念論にしか聞こえない。いや、言葉の意味は決して抽象的ではなく具体的に理解はできるのだが、理解できたからできるというものではないのだ。

 「あなたみたいに『考える人生』を送ってきちゃうとね、これはすごく不幸なの」という言葉がズンと心に重くのしかかる。私はどれだけつまんない人生を送ってきたんだろう、と落ち込みかけていると、「俺の言う通りにしちゃダメだよ。言ってることコロコロ変わるんだから」と言って森田先生は笑われるのである。どうせえっちゅうねん。
 これはまあ、マジメな人ならたいていは怒るセリフだ。実際、これまでにも「これはどうすればいいのか」と質問した参加者に対して「知らねえよ」とぶっきらぼうに答える森田先生にムッとした参加者も少なくはない。乳母日傘の普通のワークショップとは性質が全く違うのだ。
 だから参加者が減るかと言うと、何度も繰り返し参加して行く人がちゃんと何十人といるのだから、人間というものは「懲りない」存在であると実感することである。

 「どうして演劇をやるかなんてことを言葉にしたらさ、もうこれはくだらないことにしかならないんだから」
 とこれは前回も森田先生がおっしゃっていたこと。けれども前回は「ともかくここに来たということはなんか意味があると」と仰っていたのが、今度は「何の意味もないんだろうね」と韜晦されるようになった。
 それでも先生の次の言葉は私の心にしっかりと突き刺さった。

 「人から見て欠点だと思われてること、ダメな人間ほど魅力的なのね。いや、俺は本当にそう思っているの。そういう人を舞台に上げたいのね」

 後半は殆ど「声」を作る練習。鼻声であったりおすもうさんであったり。
 「変わった声でも、その声がその人にとっての自然だってことだからね」
 歩き方の練習もまた同じ理論。全員が歩かされるが、一人として同じ歩き方の人間はいない。
 つまり、全員の歩き方が「変」だということだ。何人かの歩き方を真似させられる。私の歩き方も。みんなが私の真似をしているのを見て驚いた。そこには何十人もの「父」がいた。男性も女性も、みんな「父」だった。

 父のDNAは確実に私に受け継がれていたのである。


 ほとんど座っているだけでも、昼の部夜の部とぶっ続けだと(研ぐ今日は時間を間違えて昼の部が6時近くまで長引いたので)思い切りくたびれた。
 帰宅すると殆どそのままぶっ倒れて爆睡。
 そのおかげで、この程度のものしか書けないが、ご容赦願いたい。

2004年04月15日(木) 鷺沢萠の自殺と、人質解放
2003年04月15日(火) メモ日記/探偵映画の夜。
2002年04月15日(月) 興奮する電話。でもアッチ方面ではナイ/DVD『エイリアン9』4巻(完結)/『楽園まであともうちょっと』1巻(今市子)ほか
2001年04月15日(日) My guest is my Lord/『まかせてイルか!』1巻(大地丙太郎・たかしたたかし)


2007年04月14日(土) 森田雄三withイッセー尾形の『イッセー尾形のつくり方2007in博多』ワークショップ1

 復活しちゃ休みを繰り返しているもので、もう常連さんからも忘れられてるんじゃないかと思っている流浪の日記ですが(苦笑)。
 でもなぜか毎日いらっしゃる方が引きも切らずで、いつの間にやら25万ヒットですよ。どうなっちゃってるんですか、これは。
 この一ヶ月ちょっとの間に読んだ本やマンガ、見た映画だって、かなりの数に上るので、これを挙げてったらもう日記が追いつかないことは明白なので、それはもうやめます。
 本当は植木等さんの死去についても触れたかったんですが、またマスコミの扱い方のおかしさを追求し出したら、キリがなくなりますので、これも諦め。ただ、小林信彦さんが週刊文春の連載エッセイ『本音を申せば』の中で、「植木等を『昭和の無責任男』と呼ぶのはいかがなものか」と書いていたことは引用しておきましょう。


 さて、こうして日記がまたまた何度目かの復活を遂げたのは、ひとえにまたまた 「演出家 森田雄三withイッセー尾形の『イッセー尾形のつくり方2007in博多』ワークショップ」に参加しているためである。どうもmi×iとかVA×RYとかに書いてるウスイ日記じゃ、読んだ気になれんと仰る向きが結構いるらしいぞ(笑)。
 でもこっちにだってたいしたことが書けるわけではないので、あまり期待しないでもらいたいものである。ただ、好き勝手書ける分、こっちの方が気が楽じゃあるけどね。

 もっとも最初はアニメの話題から(笑)。
 土曜と日曜の朝は、やっぱりアニメツアーになりますがな。
 先週から始まった『風の少女エミリー』精霊の守り人』『彩雲国物語 第2シリーズ』に加えて、今日から『BLUE DRAGON』が始まったが、一番の売りが鳥山明キャラデザイン、と言うか、それ以外にないというのが正直な印象である。はっきり言って、別に誰の絵柄だって構わないじゃないか、いや、むしろ鳥山キャラじゃない方がドラマ的な効果は上がるんじゃないかという気すらしてしまう。つまり、ドラマが結構シリアスで、あまりマンガチックな絵柄が似合うとは思えないのだ。『ドラゴンボール』の後半だって、大人になった孫悟空を「持て余している」様子がアリアリだったもんね。アニメの方じゃついに悟空を「子供に戻す」ことまでやっちゃったからね。
 「キャラデザイン」全般の問題については、もう少しアニメファンの間で論議されてもいいと思う。本当にそのドラマの世界観にふさわしいのかどうか。


 ワークショップは午後2時からなのだが、昨日、ワークショップ仲間のSさんから、私ら夫婦に会いたいという連絡が妻の携帯に入ったということである。だもんで、12時に「天神テルラ」で待ち合わせ。2Fの「カフェ・デリス」で昼食を摂る。
相談の内容というのはプライバシーに関するので書けないが(イニシャルにしといても分かる人には分かるかもしれないので)、マジメだけど必ずしも暗い話ではないので、Sさんが誰なのか見当がつく人も、心配はなさらぬように。
そんなことより何が凄かったかって、そこの店はバイキング形式だったんだけれども、Sさんのおかわり速度と量がハンパではなかったことである。あの細い体のどこにパスタやらカレーやらヨーグルトやらサラダやらかぼちゃやらサラダやらが山盛り入っていくものなのか。
 ……って、こんなこと書く方がプライバシー侵害かな(笑)。いや、大食もかわいいお嬢さんなら許せるんである。


 ワークショップ会場はいきなり9Fのイムズホールで。前回はもう一階上の会議室みたいなところだったので、広々とした空間でやれるのはちょっとだけ安心である。
 どうせすぐに森田先生の眼に射すくめられることになるのだが。どんなに優しい笑顔でいらっしゃっても、森田先生の眼は怖い。心の底を見抜かれてしまう気になる。別に心のヒミツなんてものはない(と思う)のだが、前回まで、散々「みんないい人ぶるよね」と言われ続けてきているのだ。疚しくなくても疚しい気分にさせられているのである。
 ロビーに入った途端に森田先生に手を挙げて挨拶されたので、不安は早速的中してしまった(笑)。途端に腹が張ってくるが、これは必ずしもさっき喰い過ぎたせいだけではなかろう。

 先般、博多・小倉ワークショッパーズ有志によって行われた「夜市」のDVD、草莽の志士さんのお話によれば、「森田先生は『面白くないだろうから見ない』と言ってるよ」ということだったが、しっかりご覧になったそうである。
「打ち上げをやるところは多いんだけど、芝居をやったってのは初めてだね」とにこやかに仰るのだが、決して出来のいいものではないので、恐縮するしかない。
「照明を落とす演出がいませんので、途方に暮れました」としどろもどろの弁明をする。余談だが、「夜市」の発音、森田先生は「やいち」と言われていたが、実は正確な読み方は決まっていない。まあ、「よいち」でも「よるいち」でも構わないのだろうが、発案者の志士さんは「よいち」に拘っておられたようだ。熱い魂の男は細かい点も揺るがせにはできないのである(笑)。


 昼の部。
 お馴染みの「円陣」が組まれる。30基ほど椅子が丸く並べられて、中央にはもちろん森田先生。去年からの継続参加者はぱっと見で十数人。半分ほどは新しい人たちである。懐かしい顔に出会えるのも嬉しいが、新人さんが増えていくのも楽しい。人は本当に一人一人が違う。新しい人の演技にはやはり新しい発見があるのだ。
 「『古手』が新しい人にどんなことやってたか、教えてあげてよ」
何人かが指名され、私も「日常を舞台の上に乗せるのが目的で……」とか何とか喋るが、「つまんない喋り方でしょ? ここで聞く人と聞かない人に分かれるのね」とダメ出しを食らう。てか、演技を始める前からダメを出されちゃう私って、何なんでしょ(涙)。

 最初の指示は、「『何でも人のせいにする人』をやってみて」。
とまどいが円陣のみんなに流れる。「同じことばかりはやらないからね」と笑う森田先生。
 どんな人が「責任転嫁」しているか? ある人にとっては会社の上司。あるいは同僚。親兄弟を挙げる人も。早速、その人物を真似させられる。最初なので、なかなかうまく流れない。みんな、「演技の準備」をしてしまう。
「考えちゃダメね。考えるとどうしても『内容』を語ろうとしちゃうから。そうすると必ず詰まるのね」
 何人か、親兄弟を演じた人がうまく行った。母親を演じた人が、愚痴を言いながら、涙ぐんでしまった。つい最近、母親を亡くされていたのである。
「面白いね。こないだも泣いた人がいたけれども、これが博多独特なのね。家族の絆が強いのね。ほかの地方じゃね、親を演じても泣かないのよ。俺なんか冷酷だから親が死んだらせいせいしたけどね。やっぱり博多は南国だね」
そこからまた、「他人のせいにする人のまま、それを家族の誰かにして演じてみて」と指示が変わる。初めて来た人の何人かが、びっくりするほど特徴ある人を演じたりする。けれどもやはりまだ語る「内容」に拘って、突っかかってしまう人が大半である。
「……今はいいけどね、本番が近くなると、俺、怒るからね」
 それって、既に怒ってませんか。顔はにこやかですが。
 「声を変えてみようか。鼻声を出してみて」
途端に、それまで今ひとつの印象だった人が生き生きとし始める。
女の人が鼻声で、訥々と「どうして八時の約束なのに十時に来るの」などと怒ってるんだか怒ってないんだかよく分からないことを喋る。森田先生が指差して、「こういう人には怒れないでしょ? ケンカができないでしょ? これが大事なのね」
何が大事なのか分からずに、一同がきょとんとする。
 「大事なのはお客さんにイメージしてもらうことだから。この声の人はね、変な声だけれども、本人にとってはこれが自然なの。ああ、そういう人だなって思うと、この人のことが許せちゃうのね。ただ聞いてるだけだとイヤな声だけれども、脳の中で修正して、いい声にしちゃうの」
 それを聞いて、去年まではなかなか役を作れなかった人も、うまく声を作れるようになって行く。私も何となくコツがつかめたような気がして、声を出してみたが、「はい、そこで誰かが入ってきた」と別の指示が出た途端に対応できずにボロを出した。まだまだアタマで「考えて」いるのだろう。

 ここで休憩、さっきからの腹痛が我慢ができなくなっていたので、慌ててトイレに走る。けれども予測どおりと言うか、便意はあるのに便が出ない。初手からもうストレスに負けている。
 諦めてロビーに戻ると、これも恒例の弁当が配布されている。しばし、ロビーで仲間たちと談笑。
 新人さんの何人かにも声をかけてみる。別に先輩ヅラをしたいわけではない、というか、あんなにボロボロでは、とても威張れたものではない。それでも「厳しいし胃が痛くなるけれど、また絶対に来たくなりますから。一緒に舞台に立ちましょう」なんてことを言っているのである。もう完全に布教活動である(笑)。

 しげ。は、昼間たらふく食っているので、弁当を一口か二口くらいしか食べられない。
 残りは私が平らげるしかないが、私だって腹は満タンである。水で流し込むしかないかと、しげ。に「お茶を持ってきて」と頼む。
ところがこれがペットボトルを置いてあるカウンターに行ったら行ったきりで、そこにいた人たちとお喋りを始めてなかなか戻ってこない。ようやく戻ってきたかと思ったら、紙コップを差し出して「コーラ注いで来たよ」と言う。人の話、聞いてない。ぶっきらぼうに紙コップを受け取ると、それを見た森田先生が「夫婦だねえ」と仰る。
 「黙ってコーラを受け取って、奥さんを見もしなかったでしょ。これがドラマだと、夫に何かセリフを喋らせちゃうのね。そうじゃなくて、今のが『リアリティ』なのね」
 結局、休憩時間も講義である(笑)。


 夜の部。
 帰られた方あり、新しく来られた方あり。
やはり最初はワークショップの説明から。
 「次は『怒ってるけど怒ってるように見えない人』をやって。そういう人って、いるでしょ?」
 確かに。そういう人は私の周りにもたくさんいる。
 「『怒られてるけどとぼけている人』をやってみて」
そういう人はもっとたくさんいる(笑)。なるほど、これが「リアリティ」である。
この両者を組み合わせてみると、見事にドラマが生まれる。何気ない、フツーの風景なのに、それが妙におかしい。
 日常を舞台に上げることを、森田先生は「ポップアート」と呼んだ。「日常のことって、人は気付かないのね。見てるけれども見えてない。それを見ようというのが『イッセー尾形のつくり方』なの。赤瀬川原平さんの『路上観察』なんかもそれで、日常の何でもないものをこう(目の前に物を置く仕草)取り上げてここに置くと、それがアートになるのね。何かを作るんじゃなくて、既にあるもの、フツーのものの価値を見つけましょう」
 何を取り上げてよいか分からなくてとまどう人が増える。
 「動いちゃダメよ。動いたら途端にそれは芝居になるからね。」
 森田先生の説明が長くなる。佳境に入った感じで、円陣の流れが滞るようになる。
 けれども、私たちの演技は着実に「濃く」なりつつあるのだ。 


帰りがけに、妻が質問する。
「責任転嫁する人で××を演じたやん? そしたら森田さんが『その人は悪い人ね』っ言ったやん。××って悪い人?」
「間違いなく悪いひとやね。だって、××××、××××、××××××××××やん」
「ああそうか」
悪口を言うのもストレスの発散である。

2004年04月14日(水) シロウオ料理とタランティーノの暴走
2003年04月14日(月) メモ日記/一人ぼっちの夜。
2002年04月14日(日) にほんじんにえーごはむりれす。/『ウラグラ!』(唐沢俊一)/『探偵学園Q』4巻(さとうふみや)ほか
2001年04月14日(土) 土曜ワイド「女三人露天風呂殺人事件・湯煙の向こうに殺意が見えた」……ってウソだからね。



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藤原敬之(ふじわら・けいし)