無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年04月16日(火) タコを求めて三千里/ドラマ『盤嶽の一生』第3回/アニメ『あずまんが大王』第2話

 唐沢俊一さん、眠田直さんたちは、試写会でいち早く『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ! 戦国大合戦』をご覧になった模様。
 いいなあ、ギョーカイの人はツテがあって。
 Niftyの「オタアミ会議室」にもネタバレしない程度の感想が述べられてるけれど、どうも『オトナ帝国』以上にショッキングな内容の作品であることは間違いないらしい。
 唐沢さんは日記にもそのあたり、チラチラと書かれているようなのだが、映画を見る時にはできるだけ先入観を入れずに見ることにしているので、読みたいのをひたすらガマンする。公開まで感想書くの待っててくれてもいいのになあ。でも、まず真っ先に会議室に感想書きたくなる気持ちもわかるしなあ(『ゴジラ』と『しんちゃん』に関しては、私は毎年劇場に一番乗りしたい衝動を抑えきれないし)。
 ふうふう、あと三日の辛抱だ。なんか胸がドキドキしちゃって、これじゃ遠足前の日の小学生か、デートの前の童貞男のようじゃないか(^_^;)。
 ……心臓に悪いなあ。


 昨日の某新聞で、石原慎太郎都知事が「学校五日制」についていつもの石原節で「このままでは公立が潰れるぞ」と吼えている。
 確かに客が来なくなれば官営といえども縮小化は避けられまいからなあ。全国の公立小・中・高が統廃合を繰り返して行くことは必然だろう。
 ただ、それはそれとして、石原知事の言説、殆ど支離滅裂である。
 「社会の常識や知識は公教育の責任」と語った直後に「学校よりも親の責任」と全く逆のことを言う。「ゆとり教育がかえって生徒の個性を奪う」と文句つけたと思ったら、「学校行かなくったって個性は伸ばせる」と言う。
 だからアンタは「五日制」に反対なのか賛成なのか、どっちなんだよ(-_-;)。
 こと教育の問題に関する限り、政治と違って自分の子供とか、ごく身近なところで関わってくることなので、誰でも好き勝手ものが言える、と錯覚してるところがあるように思えてならんなあ。
 石原さんなんて、ち○ち○で障子破って、霧隠才蔵になって、憂国して、NOと言って、引退したかと思ったらカムバックしてたことしか記憶にないから、「教育」なんて問題からは最も縁遠いところにいる人にしか見えなかったんだけど、何を考えてインタビューなんかしたんだろうね、朝○新聞。イロモノのつもりか?
 少なくとも、この人と黒柳徹子の教育論を聞くくらいなら、「私がなおす!」のオッサンの方がよっぽど説得力があるってもんだ。なおせないときゃ自然淘汰されるから(^o^)。


 今日もまた雨。
 仕事はそうキツクないんだけど、どうも関節に負担が来てる気がするなあ。
 迎えに来てくれたしげの車に乗りこもうとすると、なんと穂稀嬢ともう一人、新顔の男の子が。
 今度の芝居で、いきなり主役を務めることになったつぶらやきざし君である。一応、名義上は私が劇団の代表ってことになってるのに、彼と会うのは今日が初めてなんだよな(^_^;)。
 しげの話によると、よしひと嬢とのラブシーン(ってほどでもなかろうが)で、つぶらや君、テレまくって芝居にならないらしい。おかげでよしひと嬢はキレまくってるそうだが、「テレまくり」と「キレまくり」、この勝負、どっちが勝つだろうか(勝負じゃないって)。
 確かに、見た目、気弱そうだしなあ。印象はややハキハキした「つぶやきシロー」って感じだし。もっとも劇団内では「野口五郎に似ている」ということで「ゴロー」と仇名がついてしまってるようである。

 今日はしげの仕事がない日なので、昼間ずっと、ウチのマンションのエントランスで、芝居の練習をしてたのだそうな。
 エントランスって……玄関じゃん(・・;)。
 昼間はたいていマンションのガキどもの遊び場と化してるとこである。
 「よく、練習できたなあ」と言ったら、つぶらや君、「痴話ゲンカのシーンなんか、子供は避けて行きますから」。
 それって、子供追い出してるのと変わんないんじゃ……(-_-;)。
 お子さんはともかく、大人も通りにくかろう。以前はドレス着てた変人もなんかやってたしな(^o^)。
 ……苦情が来なきゃいいがなあ。

 時間に余裕があるというので、雨の中を箱崎の「楽市街道」に向かう。
 「いったい何しに行くんだよ?」と聞くと、しげ、「『銀だこ』って店でタコ焼き買うの」と言う。
 「わざわざ箱崎までタコ焼き買いに?」
 「うん、行くって言っといたでしょ?」
 確かに、先週、「火曜日、仕事が休みになったから、タコ焼き買いに行かん?」とか聞かれたような気がする。けどいちいちそんなこと覚えてないもんなあ。わしゃ、あの店のタコ焼きと、この店のとでは、どっちが美味いかとか、比べたりしないし。
 しげのこの「タコ焼き」にかける執念はなんなのだ。
 で、店に着いてみると、確かにスタンダードなタコ焼きのほかに、「梅マヨネーズ味」とか「ごまマヨネーズ味」とか、ちょっと変わった味のタコ焼きがメニューにある。変わりものに手が出るのは私のクセなので、とりあえず、「梅」を頼んでみる。
 青ノリとカツブシがトッピングに付いてくるが、カツブシは断る。
 あれって、風味を出すことよりも、焼き加減の失敗をカツブシの舌触りで誤魔化してるようにしか思えないんで好みじゃないのだ。そこの店のタコ焼きの腕を純粋に確かめようと思ったら、カツブシを乗せるのを断るのが妥当なのだ。
 で、食べてみたけど。
 ……梅とマヨネーズの味。当然か。
 まあねー、コロモも適度に焼けててパリっとした触感もあって、美味しいことは美味しいんだけどねー、ベースは普通のタコ焼きじゃん。
 しげがここまでハマる理由はちょっと見当がつかなかったなあ。

 車中で、穂稀嬢をさんざんみんなでいたぶる。
 私的なことではあるけれど、ちょっとマジで腹立つことを穂稀嬢が言ってのけたので、しげ以外に怒ることは滅多にない私が、ちょっとばかしキツイ言葉を穂稀嬢に投げかけたのだ。
 途端に、しげもつぶらや君も、あれやこれやと穂稀嬢をいたぶりだした。
 口火を切ったのが自分だとは言え、誰も穂稀嬢の弁護に回らなかったのには、正直、私も驚いた。……日頃、何やってるんだ、穂稀。
 しげが「オレが男だったら、マジでハカセ(穂稀嬢のこと)と付き合うの、めんどくさいよ」と言ったあと、私に、「アンタはハカセと付き合いたいって思う?」と聞いてくる。
 亭主にそう聞かれてもなあ、とちょっと口ごもったが、「浮気とかそういうの考えないで、純粋に男としてハカセと付き合いたいかってことだね?」と確認した上で、答える。
 「まあ、男から見たら、いくら弄んで、ぼろキレのように捨てたって、罪悪感、感じないでいられるタイプだね。なんでかわかる?」
 穂稀嬢、そこまで言われるとは思ってなかったのか、気弱げに「さあ……」としか答えない。
 「自立してないからだよ。結婚願望あるみたいだけど、それって『男に養ってもらう』ことを前提としてるでしょ?」
 「だって、一人じゃ淋しいし……」
 「だから、男はそういう甘えた女は、遊んで捨ててもいいって判断するの」
 穂希嬢、不満げな様子だったが、なんつ〜かね、彼女はここにはちょっと書けないよーな言動をこれまでに繰り返してきてるんである。
 私のこの言い方でもまだ、ヤワラカク、優しく言ってるんで、多分それほどこたえちゃいまい。そんな甘いタマではないのである。
 そのうちキレた誰かさんにもっとキツイ一発カマされなきゃいいがな。

 二人を家まで送って帰宅。ホントにタコ焼き買って帰ってきただけなので、7時にウチに着いてしまった。


 ドラマ『火曜時代劇 盤嶽の一生』第3回「津軽の男」。
 巨人戦が雨で中止のため、急遽放映。
 う〜くそっ、おかげで気がつかずに録画し損ねちまった。
 でもこれって、絶対DVDになるよな。
 ……ってまた買う気かい。でも全部で11話だそうだから、そんなに高額にはならないだろう。なるなよお(-_-;)。
 監督は前話までの市川崑に代わって、三村晴彦。なるほど、市川演出独特のコマ切れのカット割りなんかはなくなっていて、よりしっとりとした撮り方に変化してる(とは言っても、私、三村さんの映画って、松本清張原作の『天城越え』くらいしか見てないんだけどね。あれは田中裕子の好演は光るけれど、ちょっと演出がクドイなという印象があったな)。

 ああっ! いきなり宿屋の親爺役で江戸家猫八が!
 黄泉の国から化けて出たか!(←ベタなギャグ)
 うーん、となるとこのシリーズ、結構、昔に撮影されてたのかな。確かに、一週間に一本のペースで撮影したとは思えないハイレベルだ。恐らくは長期間に渡って撮りだめしてたと思しい。なるほど、ドラマの密度が濃くなるはずだ(調べてみたら2年前に撮影終了していたらしい)。
 録画してないので細かい役名については書けないが、タイトルの「津軽の男」に扮するのは宇崎竜童。役の幅は余り広くない人だけれど、田舎から出てきた出稼ぎ浪人(つーかただのムサイおっさん)みたいな役は結構似合ってる。いつもは役所広司の盤嶽だけが騙されるのだけれど、今回は宇崎竜童と二人揃って、津村鷹志扮する豪商に騙される。騙され者同士の友情、というのも面白い。
 ひょんなことから愛刀・日置光平(へきみつひら)を賭けて鶏小屋の番人をすることになった盤嶽。ところが、ほんのちょっと目を離したスキに、98羽の鶏は全て盗まれてしまう。借金のカタに愛刀を手放すことになった盤嶽。ところがそれは全て、商人たちの陰謀だった。
 愛刀を取り返した盤嶽は、事情を知らないまま商人たちの用心棒に雇われた津軽の男と対峙することになるが……。

 善人そうに見えた旅篭屋の主人の笹野高史が、盤嶽たちに渡るはずだった金子の上前をハネて、ちゃっかり最後にオイシイところを攫っていったり、それを見ていた今回のヒロインの渡辺典子が、これも「仕方ないわね」みたいな顔で見逃すあたり、毎回よくもこれだけ「盤嶽以外はみな悪人」パターンを徹底して繰り返してくれるものだ。こうなると、初めからこのシリーズに「盤嶽以外の善人は出て来ない」と判断して見ていったほうがいいんじゃないだろうか。
 盤嶽も、こう毎回騙されっぱなしなら、そろそろ「世間知」ってものを「学習」したってよさそうなものだ。なのに、やっぱり盤嶽は今度もまた騙される。
 「そうそう騙されてばかりはおらん!」という彼のセリフくらい虚しく聞こえるものはない。
 視聴者によっては、余りに騙されやすい彼の実直さを見ていると、かえって腹立たしいようなじれったいような気持ちになる人もいるだろう。「いい加減に気づけよ」と突っ込み入れたくなったり、「結局、騙されるほうが悪いんだよな」と溜息ついてみたり。
 それは確かにそうだろう。けれど、仮に騙されない盤嶽が描かれたとして、その姿が我々の胸を打つことができるだろうか。
 「こいつは俺を騙そうとしているのではないか」、そう疑っても盤嶽はやっぱり相手を信用してしまう。こんなふうに愚直なまでに騙されやすい素直さ、我々はそこにどこか「羨ましいもの」を感じてはいないだろうか。騙されて、盤嶽は怒る。そして吼える。しかし、彼は決して誰も恨もうとはしないのだ。
 だから明るい。盤嶽も、そしてこのドラマ自体も。
 日本映画が描いてきた理想の人物像は、まさに盤嶽をそのルーツとし、「寅さん」に至るものだったと言えるのではないだろうか。
 監督が代わっても、最後のテロップ、「騙されて、騙されて、盤嶽よどこへ行く」、これは変わらない。しかし、その道は多分、空に続いているのだ。


 アニメ『あずまんが大王』第2話「今日も大坂」ほか。
 たまたま深夜2時過ぎまで起きていたので、やっと見ることができた。東京より1日遅れでしかも更に1時間繰り下がり。普通は起きてられねえって。
 映画版は演出のテンポが外れまくってて、笑うに笑えないつまんない出来だったけど、テレビ版はごっつええわあ♪
 おーさかが主役の回だったせいもあるかもしれないけど、ゆったりとした間が心地よくってねえ。横になって見てたらついついウツラウツラしちゃいそうな。アレだね、このマヌケな間は、『究極超人あ〜る』再びって感じだね。止め絵が多から、一見手抜きにも見えるんだけど、それはちゃんとした演出なんだよね。動かすところは動かしてるし。制服なんかなあ、素直に立ってるとそんなにムネは強調されてないんだけど、背筋伸ばしたり歩くと裾が後ろになびいてムネのラインが出るように作画してるんだね。えっちだけどリアルだ(^_^;)。もっとも厳密な意味での「リアル」じゃない。現実の制服はもっと厚ぼったくて、ムネのラインが殆ど出ないものが多いと思う。あくまで「アニメ」としてのリアルさをスタッフがちゃんとわかってんだね。さすが『少女革命ウテナ』や『エクセル・サーガ』のJ.C.STAFF。
 ……そう言えば「春日歩」って名前だったな、おーさかは。本人がそんな仇名つけられても平然としてるもんだから(教師にまで言われてるものなあ)、すっかり忘れてたよ。
 ああ、でも『アベノ橋』と『あずまんが』と、またDVDでほしいアニメが増えちまったぞ。この春はほしいDVDが増えないようにと余り新番アニメに拘らなかったのにぃ。

2001年04月16日(月) オー・ド・トワレ/『夜刀の神つかい』3巻(奥瀬サキ・志水サキ)



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