無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年04月15日(木) 鷺沢萠の自殺と、人質解放

 しげ、なんとか体調はもとに戻ったよう。けど、気分まではまだなようで、まるいちんちイライラのし通し。朝方、職場まで車で送ってくれたところまではよかったのだが、別れ際に「ウチに帰ったら少しは家事をしとけよ」と言ったら、「そんなヒマはない」と言い切って帰ってった。自分でただの寄生虫であることを認めるような発言をしてどうする。かなりアタマがイカレているのである。
 でもあとで聞いてみたら、しげの仕事、いつもと違って今日は昼間だったのであった。だったらそう言えばいいのに、いつも表現が舌足らずだから何が言いたいのかわからないのである。

 仕事を終えて帰宅したあと、買い物に「レッドキャベツ」まで行く。買い物ったって、また「うどん」なんだが。実はここしばらく麺つゆが切れていて、仕方なくサラダドレッシングを薄めて代わりに使っていたのだが、「酸っぱい」と評判が悪かった。だもんでちゃんとした麺つゆを買う。これでまたしばらくは「うどん職人」生活が続くことになる。まう好きだからいいけど。
 帰宅して「うどんはどれくらいるか?」と聞いたら「少し」と答える。しげの「少し」はだいたい普通の人の一人前半である。うどんで言えば1.5玉か。私が0.5玉で、2玉作って分けるとちょうどいい。
 台所でうどんを作りながら、「コロッケ何個入れる?」と聞いたら、しげ、即座に「2個!」と答える。でもそのあと急にモジモジしだしたので、どうしたのか聞くと、「少ししか食べんって言ったのに、『2個』って言ったから馬鹿にされるかと思って」
 「だからそれがお前の被害妄想なんだよ。お前が『馬鹿』なのは今更だろうが」
 ともかくしげは、こっちが思ってもいないことを勝手に思いこんで拗ねたり落ちこんだりヒス起こしたりするので厄介なのである。でもこのくらいはまだ序の口であった。きょうはいったいどうしたものか、しげのヒスは更に鬱陶しいくらいにエスカレートしてくのである。

 しげがパソコンしている側で私がテレビを見ていると、しげ、突然立ち上がってツカツカとテレビの側まで歩いてくると、いきなりスイッチを切ろうとした。
 私が、「何すんだよ!」と怒ると、「テレビがうるさい!」とキンキン声で言い返す。聞いた瞬間、何を言ってるんだこいつは、としげの頭を疑ったのは、うるさいと言われるほどたいして音を上げているわけでもなかったからだ。「別にうるさくないじゃん!」と言うと、「テレビから日本語の声が聞こえてきたらどうしても耳に入るやん。オレ、『1ヶ月で1万円生活』なんて聞きたくないんだよ!」と悲鳴をあげた。いくらアホなしげでも、普段はこんなことは言わないので、今日は明らかに常軌を逸しているのである。
 「俺はお前がパソコン終わるのをテレビ見ながら待ってるだけじゃんか。何ヒス起こしてんだよ!」
 「ヒスなんて起こしてないよ! そうやって待ってるから威圧感感じてヤなんだよ!」
 それをヒステリーと言うのである。これはもう話しても無駄だと思ったので、「たいがいにしとけ!」と一喝して黙らせた。
 こんなこともしげは今までに何百回も(誇張ではない)繰り返している。しげの記憶喪失は(比喩ではない)ここんとこかなりひどくなってきているので、自分が何をどう謝らなきゃいけないかもわからなくなってしまっているのである。こういうときにセルフコントロールをしてほしいからこそ神経科にも通って薬も飲んでるんだろうに、まるで効いていないのだ。
 しげ自身、自分を持て余して「劇的に変わりたい」としょっちゅう口にしているのだが、変わりたいならどうしたらいいか、自分で考えなきゃいけないはずだ。けれど、しげの場合、そうして考えたことを片っ端から忘れてるから変化のしようがないのである。どうせ忘れるならヒステリーも一緒に忘れてくれたらいのに、なんでそれだけ覚えているのだ。全く都合のいい記憶喪失である。これじゃしょっちゅう既知外に絡まれてるのと何も変わらん。私は家の外でも中でも既知外に絡まれてなんぞいたくはないのだよ。


 作家、鷺沢萠(さぎさわ・めぐむ)さんが、11日、心不全のため、東京都内の自宅で死去していたのを、知人が12日になって発見。享年35。父は作家の鷺澤祥二郎(公木龍太郎)である。
 ホームページの日記を見ていると、ここのところずっと風邪に悩まされていたようである。体力が衰えていたところにもってきて、急激な発作に襲われたものか。やりきれない。ここのところの連続する訃報にかなりうちのめされてきていたけれど、とどめをさされた気分である。
 若死にだけれど、もう35か、という印象が強い。デビューが18歳、高校3年生のときで、第一短編集『帰れぬ人びと』の巻頭に付せられている写真は化粧っ気もないのに瑞々しい美しさに輝いていて、小説を読む前からちょっと惚れてしまっていた。結婚前の話だから、女房に文句言われても困るが。その頃のイメージが定着していて、最近の『週間ブックレビュー』に出演している時の急激に老け込んだ表情などを見ていると、仕事、無理しすぎてるんじゃないかなあ、と勝手に心配していた。また私の不安が当たったようなものである。誰かを心配すること自体が不幸を呼ぶのかという迷妄にとらわれてしまいそうで苦しい。
 若くしてデビューした作家には、常に「若い感性が」とか「透明感のある」とかいう形容が付いて回る。けれど処女作の『川べりの道』を私が一読して感じたのは、「なんて老成した文章だろう」というものであった。
 女を作って家を出て行った父と、23歳の姉と15歳の弟との確執。少年は月に一度、姉に命じられて父の家まで養育費を受け取りに行くが、それは父に対する姉のささやかな復讐であった。父と愛人の家庭はそのために諍いが絶えない。少年は父に会いたいという気持ちと、自分が火宅を誘導している思いとの間で葛藤する。姉が引っ越しのどさくさになくしたと思いこんでいるガラスの器――それを父の家で見つけた少年は、こっそりと盗み出し、川べりに捨てる。
 設定もそうだが、文章も乾いたハードボイルドを読んでいるような印象だった。最近の綿矢りさの『蹴りたい背中』の「軽さ」に比べたら、同じ十代の少女の文でも、鷺沢さんのそれは「切なさ」よりも「やりきれなさ」が漂う。主人公は十五歳の少年でありながら、こんなことを思う。
 「あり余るほどの幸福のもとでしか生きていたくない。そう思うことはそれほど傲慢なことだろうか。そう思うことはいけないことだろうか。(中略)たくさんの人たちの顔が浮かぶ。何千人、何万人という「生きている大人たち」を思う。奴等は、今俺が思っていることなど超越してしまったというのだろうか。それぞれに何かしら意味や理由を見つけて――。そんなはずはない。そんなことがあるわけはない。奴等は『超越』したのではない、あきらめてしまったのだ。生きているのではなく生きながらえているのだ」
 一昔前の十五歳なら、これくらいのことを考える力は充分あっただろう。大人への呪詛を真剣に語ることもできただろう。けれど、今時の若者の大半はこの程度のエネルギーすら持ってはいない。自分をそのように追いつめることから逃げるずるさは身につけているが。だから鷺沢さんの文章は私には「古臭く」感じられたのだ。今どき、こんな子供はいない、と思われた。けれど、それが決して非現実的に感じられないのは、その呪詛が作り事ではなく、鷺沢さん自身の叫びであったからだろう。
 うまいな、この人、と思ったのは、少年がなぜガラスの器を捨てたのか、心理描写を殆どしなかったことだ。少年はただ、「これから夏が始まるのだ」と思うだけである。この結びの一文で私はまた鷺沢さんに惚れた。
 鷺沢さんには、そういうほどよく「抑制された」作品が多い。ご本人はインタビューなどに答えて「マシーンのように書いていただけ」「全然オトナじゃない」と謙遜されていたが、人が時として行う衝動的な行動。それは本質的に描写それ自体を拒否する。そこでムリに描写を試みる者が失敗に陥るのだが、その愚から鷺沢さんは美しく回避していた。「機械的」と仰ってはいるが、それが鷺沢さんの自然体であったのだと思う。
 実は鷺沢作品は、中学・高校の国語の教科書への掲載数が現時点で最も多いのだが、それはその「書かれざる心理」を読み取らせようとする教科書編集者の意図の表れなのだろうと思う。けれど書かれぬものは書かれぬだけの理由があるのだ。それをあえて表現させようというのは野暮の極みであると思う。日本の国語教育の下らなさを感じるが、思春期に鷺沢作品に出会えること自体は、現代の高校生にとっては幸せなことであると思う。時間があればコンテンツの方で鷺沢作品のレビューを書いておきたい。映画化された作品にも『大統領のクリスマスツリー』、『F』がある。
 数年前『キネマ旬報』で連載していた映画エッセイ『スターはアタシの手の上で』も楽しみだった。ただひたすら哀しい。

 ここまで書いたところで、新たなニュースが入った。警視庁の調べで、鷺沢さんの死因が首つり自殺と発表された。
 なんでだ。
 鷺沢さんを愛していた人は、たくさん、本当にたくさんいたはずだ。なぜそんな人たちの思いを踏みにじった。そんなに疲れていたのか。魔がさしたのか。
 今更言っても仕方がないが、結婚に失敗して以来、どうしてずっと、一人でいたのだ。誰かと一緒に生きる道を見つけられないはずはなかったろうに。
 このやり場のない憤りをどこに持って行ったらいい。


 今日8時40分、イラクの放送局アルジャジーラが、武装テロリストに拉致されていた日本人の人質3人、今井紀明さん、高遠菜穂子さん、郡山総一郎さんが、ついにバグダッドで解放された、と報道。でも私ゃ善人なんかじゃないから、もちろん「おめでとう」は言いません。世間には喜びの声が上がってるらしいけど、何を「喜んで」るのか自覚してるんかね。状況は「いろいろと」かえって悪化してんだけど。
 ここ数日、家族は世間の非難を浴びてすっかり「自衛隊撤退」を口にしなくなっていたが、これでまた喉元過ぎればなんとやらで同様のことを言い出すようなら、またぞろ馬鹿を繰り返すことになろう。マスコミが手薬煉引いて取材してくるだろうが、全部断ってノーコメントで通した方がリコウである。
 なんたって、三馬鹿を拘束していた反米テロ組織は、「今回の解放は、日本人が自国内で自衛隊撤退をデモしたためで、日本政府が何かをしたためではない」と明言しているのだ。これでなおも「自衛隊は撤退すべき」と言い出そうものなら、テロリストの主張に同調することになる。まあ、そう表明したい人はすりゃいいけど。もちろんこんなのはテロリストたちのただの牽制で、これであの3人を解放しなかったら、自分たちの立場が不利になるからそうしただけのことだ。「自衛隊は撤退しない」と小泉首相が言い切ったからこそ、テロリストたちは途方に暮れ、彼らを解放するしかなくなったのである。でもそれが読めない馬鹿も世間にはゴマンといるんだろうなあ。ああ、やだやだ。
 これから家族がやるべきことは、帰国したあの三馬鹿に謝罪をさせた上で、絶対「自衛隊撤退」を口にさせないことだろう。さんざん叩かれたんだから、さすがにそれくらいの知恵はついていると思う。ついてろよ、頼むから。
 ……ああ、くそ、これでもう完全に「自衛隊、イラクからさっさと帰ろうよ」と言えなくなっちまったじゃないか。何が腹立つって、あの三馬鹿のせいでイラク派兵を肯定する意見に鞍替えしなきゃならなくなったことである。頼むからNGO、もう馬鹿をイラクに送らないでくれ。これで「拉致されても助かるんだ」なんて勘違いしたヤツラが続々乗り込んでいったら、また標的にされるぞ。自衛隊撤退とか直接的な要求が通らないと分かった以上、今後テロリストたちは「ただの報復」のためだけに誘拐、殺人を行うだろうから。
 既に新たに、バグダッド郊外のアブガリブ付近で、フリージャーナリストの安田純平さんと、市民団体メンバーの渡辺修孝さんの二人が武装集団に誘拐されている。三馬鹿よりも、彼ら二人の身の方がはるかに危険なのである。そういう状況を作った原因はあの三馬鹿にある。両手を上げて喜んでていいのか。

2003年04月15日(火) メモ日記/探偵映画の夜。
2002年04月15日(月) 興奮する電話。でもアッチ方面ではナイ/DVD『エイリアン9』4巻(完結)/『楽園まであともうちょっと』1巻(今市子)ほか
2001年04月15日(日) My guest is my Lord/『まかせてイルか!』1巻(大地丙太郎・たかしたたかし)



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