無責任賛歌
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
まずは貴重な読者のみなさんへのお知らせから。 トシをとると朝が早くなるって言うけど、女房もよしひと嬢も、寝たのは私より早いのに、なかなか起きてこない。 と言っても私も起きたのは9時。なんとか『コメットさん』第3話に間にあった。 おい、これ、本気で面白いぞ♪ キャラクターが地に足がついているのがなにより説得力があるのだ。 「お手伝いさん」という旧作の設定、さて、現代では浮いてしまうのではないかと思っていたが、「ホームステイ」ということで上手く処理。 藤吉家の子供たちにとってはよきお姉さんであり、父さん母さんからは地球の人々の愛と勇気を教えてもらう(展開になるはず)。 なんてったって、お父さんは「海の男」だ。これから先、本格的に職業としてのライフガードを描くようなら、宮崎アニメに匹敵するほどの傑作になるかも。クサクしないと言う条件がつくけど(^^)。 ……そうだよなあ、日本の魔女っ子ものって、もともと「教育もの」だったんだよなあ。なんで今ごろ『コメットさん』か、というのは疑問だったんだけど、やっぱり原点返りなんだね。今風の絵柄だと言うのに、肌触りが懐かしいのだ。CGも多用しすぎず、魔法の部分のみというように効果的な使い方をしている。 まだ3話やそこらで結論を出すのは早いかもしれないが、もしかしたら日本の魔女ものアニメ中、屈指の傑作になるかもしれない。 11時半、よしひと嬢起床。 昼には帰って部屋を片付けねば、というのを引き止める感じで『仮面ライダーアギト』と『パワーパフガールズ』を見せる。 ようやくアギトとギルスが接触、アンノウンが超古代文明と関係があるかも、というところでまた引き。 ……なんだかますます『仮面ライダー』から離れて『009・神々との戦い編』に近くなってきたなあ。 よしひと嬢も、話はともかく、やはり「役者の演技がどうも……」というご意見。確かに主役の翔一くんが特にアレだしなあ。 「でも、ヤンママに『癒し系』ってことでウケてるらしいよ」と言うと、よしひと嬢、思わずコケる。『クウガ』は結構ハマってたらしいが、今回はあまりご贔屓のキャラがいないらしい。 「……北条さんは好きなんですけどね、いかにもなキャラクターで」 まあねー、主役に嫉妬するエリート意識剥き出しのライバルって、確かにいかにもだけどねー、現実にもたまにそういうのがいたりするんだよねー、だもんで私はあいつが好きじゃない。 『パワーパフ』は例の『ダイナモ』の回。 「ほらほら、この辺のスローモーションがクロサワ」と後ろから要らぬ解説をする。でも向こうのスタッフって、よく日本のアニメや特撮や映画、見てるよなあ。中国やタイやベトナムもいっしょくたって感じはするけど、あるいはそれもワザとかもしれない。 日本人だって、アメリカを舞台にギャグ作ろうとしたらワザとステロタイプにするものなあ。このあたり、筒井康隆の『色眼鏡の狂詩曲』を読めば解る。 結局、よしひと嬢のお帰りは1時。どうもお疲れさまでした。 女房は未だに寝たままで起きてこない。 昼から出かけようと話をしていたのに、これだから女房と約束をするのがいやになるのだ。 仕方なく、昨日の日記を書き続けるが、どうした弾みか、書いたものがやたらと消える。登録しようとした途端にエラーが出るのだ。 夕方までかかってまるで登録できないので、ついに癇癪を起こして不貞寝する。 マンガ、大地丙太郎原作、たかしたたかし作画『まかせてイルか!』1巻。 1話完結のアニメシリーズのマンガ化、というか、何となく石立鉄男主演の『水もれ甲介』っぽいドラマの雰囲気。いや、印象だけだけど。 親のいない三人娘が湘南海岸で「便利屋」を開いてるって話なんだけど、名前が「海」、「空」と来て、三女が「碧」ってのが作者のこだわりを感じさせてよいのだ。 アホな作り手は三女を「陸」ってしちゃうところだけど、親が「あの海や空のように青々と」と願って子供に名前をつけていたとしたら、「陸」には絶対しないよな。最初から三人生まれると解ってるはずもないし、こういう細かい設定がキャラクターを生かしているのである。 『episode9・10/碧バイバイ』なんてドラマで見たいぞ。 娘を亡くした両親が、瓜二つの女の子を見つけて、養子に来てくれないかと頼む、という展開はよくあるが、こういう結末のつけ方をするとはねえ。 やるな大地丙太郎。 夜になって、ようやく日記がエラーを起こさずに登録できる。なんだか1日を殆ど無駄に過ごしてしまった。 さあこれでようやく眠れるなあ、と思ってテレビをつけたら三波春夫死去のニュース。 思わず「三波春夫が死んだよ!」と女房に向かって叫ぶが、女房は「ふ〜ん」の一言。……確かに女房のトシだとトヨカズの方がまだ近しいんだろうが「ふ〜ん」はねえよなあ、と思う。 ニュースはやたらと三波さんのことを「国民歌手」と強調していたが、私には全くそんな印象はない。 確かに一時期、紅白のトリはずっと三波さんが勤めてはいたが、お袋などは生前、三波さんをイロモノとしか見ていなかった。少しトシの行った世代なら、印象はこんなものである。しかし実はその「イロモノ」的なところが、三波さんの真骨頂であったと言えるのだが。 三波春夫は歌手と言うより一流のエンタテイナーであって、その芸域はとてつもなく広いのだ。広すぎて、偶像にすらなり得なかった。テレビはそんな三波さんを扱いかねたのだと思う。結局はあの「お客様は神様です」を、レッツゴー三匹にもの真似させる程度のものとしてしか認識させなかった。 昔はドリフのコントなどにも出ていた三波さんだが、普通、喜劇役者以外のゲストはどこか「浮く」ところがあって、それをレギュラーの面々が上手くイジることで笑いにつなげるものなのだが、三波さんは見事に場をさらってしまっていた。間の取り方が絶妙に自然なのだ。 まるで「舞台荒し」の北島マヤのようであった……って、たとえがムリヤリだがホントだから仕方がない。こういうヒトがしょっちゅうテレビに出ていては、芸ナシの連中はたまるまい。 幸いなことに、アニメオタクはあの『ルパン三世(ルパンVS複製人間)』で三波春夫の至芸に触れている。絶頂期の納谷悟朗とタメをはれたということが何を意味しているか、ちょっと考えてみればその凄さが解る。 そして極めつけの『ルパン音頭』である。 旧ルパンのハードな雰囲気を期待していた当時は、アレを聞いてメゲてたものだったが、何年か経って聞いたときに、エンタテインメントとしての『ルパン』を見事に表現しているという点で、新シリーズ以降では一頭地を抜いていることに気付いて、驚いたものだった。 コーラスを除いて、「ルパン」って歌詞に出てくるの、アレだけなんだよね。 ……『知ってるつもり』あたりがまた浅薄な取り上げ方するんだろうなあ、シベリア抑留のときのことを美談に仕立てたりしてさ。生前の三波さんはそのことについては黙して語らずを通してたんだけどねえ。 ついでに数多い三波春夫パロの中で、マンガに関して印象に残ってるものを二つ。 一つはコンタロウ『1、2のアッホ/ああ!国民放送の巻』。 国民歌手、南春生が某国営放送で『おまんた音頭』を歌うことになる。クリーンなイメージを大事にする国営放送のプロデューサーは、南春生が「おまんた」を「おまん○」と言い間違えないか心配して(←間違えるかい)、予め「おまんたってのは新潟県の方言で『あなたたち』の意味ですよ」というタテカンを映すことにする。 もちろん、主役のカントクたちが大暴れして、「おまんた」はめでたく「おまん○」となって全国放送されるのだが、何が笑えたって、パニックに陥ったプロデューサーが、事態を収拾しようとして、かえって「おまん○」を連呼しまくるところであった(^^)。 多分、当時少年マンガで「おまん○」という言葉を最も表記したマンガであったことは想像に固くない。私もこれでこの言葉を覚えました(博多ではもちろんアレのことは「ぼ○」っていうから。これも有名かな)。ついでに「国営放送」という言葉も。 もう一つはいしかわじゅんの『約束の地』。村田春夫という名で、村田英雄と合体させてるが、より三波さん側に近い。「素顔が地味」という意味も含めて。『ブルース・ブラザース』にインスパイアされたとおぼしいこのマンガを読めば、三波春夫が日本のジェームス・ブラウンであったのだなあ、ということがよく解る。 と言うかJBがアメリカの三波春夫なのだな。
☆劇団メンバー日記リンク☆ 藤原敬之(ふじわら・けいし) |