無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年04月16日(金) 横山光輝の死。いったいいつまでこの訃報ラッシュは続くのか。

 昨15日、日記を書いてアップした直後に、マンガ家、横山光輝氏の訃報を知る。まただ。こないだうちに遊びに来た知り合いが、本棚の『バビル2世』を取って熱心に読み耽ってるのを見て、ふと「横山さんも長くないかも」とか思ってたんだが、まただ。もうなんだか人生なんてどうでもいい気がしてきた。人はどうせ死ぬのだ。
 闘病生活が長く続いていたが、寝タバコが原因で起きた火災のために全身をやけどして亡くなったという。なんでそんな下らん死に方を。なんでそんな苦しい死に方をしなければならない。やりきれない。どうにもやりきれない。享年69。遺作は未完に終わった『殷周伝説』か。
 『殷周伝説』の「絵」は無残だった。闘病明けとは言え、全くと言ってよいほど閉塞線が描けず、目も鼻も口も線が震えていて、笑ってるんだか泣いてるんだか分らないような顔まであった。ストーリーテリングも、『三国志』以降は単調で、お世辞にも面白いとは言えなくなっていた。悲しいことだがマンガ家としては既に終わってしまっていた。
 横山さんはある意味手塚治虫以上にマンガの「記号」に忠実だった人である。普通、「表現者」は定型を嫌う。複雑な人間心理を描こうとすれば、自然、表現は定型の中には収まりきれない。抑制されればその中で蠢き、それを破壊し、新たな表現を生み出そうとする。しかし、そんなことには全く無頓着だった。全く別のキャラクターなのに、喜怒哀楽の表情は全て同じ。あるのはせいぜい男と女、善玉と悪玉の区別くらいのものである。その意味では横山さんは全く「表現者」ではなかった。
 にもかかわらず、横山さんのマンガに我々が熱中したのはなぜか。まさに横山さんのマンガが「定型」で、揺るぎがなかったからだ。
 横山さんがストーリーやキャラクターを既存の作品から数多く拝借していたことは周知の事実である。それは模倣、というよりモロに剽窃と言ってよいものも多かった。けれど昔はマンガに対する目が今ほどには厳しくなかったから、特に問題になったことはない。だいたい剽窃と非難するなら、石森章太郎も赤塚不二夫も藤子不二雄も少なからずやっている。横山さんが非難されやすかったのは、そのやり口が余りにロコツだったからだろう。この20年ほど、横山さんは殆どオリジナルを描かずに歴史原作ものばかり描くようになっていたが、それは恐らく、世間のマンガに対する目が厳しくなって、安易な剽窃ができなくなったからだろう。
 多分、横山さんに盗作の意識はなかったと思う。元ネタは小説が多かったから、マンガにした段階で「換骨奪胎になっている」と自己評価していたのではないかと思う。そしてそれはあながち間違いではなかった。横山さんの「定型の絵」に元のキャラクターが嵌め込まれることによって、小説の複雑なキャラクターは単純化され、陰影を失ったが、それがかえって「マンガ」としてはよかったのである。アーティストぶったマンガ家が陥りやすい「思想」とも「芸術性」とも無縁でありえたために、ただひたすら「面白い」マンガを量産することができた。超能力SFあり、破滅SFあり、ロボットものあり、忍者ものあり、歴史ものあり、中国もの、馬賊もの、青春学園もの、少女もの……。たとえ元ネタがあったとしても、これだけ傾向の違うマンガを描き続けた人もそうはいない。横山さんのマンガはどれも「堂々と」していた。盗作者の後ろめたさなど微塵もなかった。だからまあ、正直な話、山田風太郎には横山さんのことをあまり非難してほしくはなかった。薬師寺典膳と阿魔野邪鬼は、決して同一人物ではない。
 私と同世代のファンなら、みな『鉄人28号』の絵をソラで描けるだろう。ハッキリ言ってしまえば、ライバル手塚治虫に我々男の子は、実は『鉄腕アトム』一本の恩恵しか受けてはいない。他の作品は『ビッグX』も『ジャングル大帝』も『W3』も『どろろ』も、好きではあったがその時々の「ナンバー1」ではなかった。しかし横山さんの『鉄人28号』は、『伊賀の影丸』は、『仮面の忍者赤影』は、『バビル2世』は、いつも「ナンバー1」であった。
 『バビル2世』の出来の悪い続編、『その名は101』だって好きだった。尻すぼみに終わった『時の行者』や『狼の星座』だって好きだった。私にとっての横山光輝ベスト1は『マーズ』である。この作品では少年向けでありながら、横山さんはあえて「定型」をはずし、救いようのない終末を描いた。その意味では横山さんらしくないマンガである。けれどこれくらい横山さんらしい作品もない。横山さんにもやはり、「戦争」の影が色濃く残っていたからである。
 
 何が腹が立つって、どの新聞もあのイラクの三馬鹿が解放されたなんて別にめでたくもないニュースを一面から三面まで大見出しで載せていて、そのせいで横山氏の訃報が本当に囲み記事程度の、新聞の隅に追いやられていることである。人間の格が違うだろうが。\(`0´)/。これがあいつら三馬鹿の犯した最大の罪だということには、ご賛同頂ける人は多いと思う。


 で、そのイラクの三馬鹿、性懲りもなく当地に居残って活動の継続を希望しているとか。
 小泉首相は「いかに善意の気持ちであっても、これだけの目に遭っても、これだけ多くの政府の人たちが寝食忘れて努力して、なおかつそういうことを言うのか。自覚をもってもらいたい」と強い不快感を示したというが、当たり前だろう。
 これであいつらが使命感とかそんなもんで行動してるわけじゃなくて、ただのヒロイズムに酔ってるだけだってこともハッキリした。戻って来なくてもういっぺん向こうでとっつかまって今度こそ、とも思うが、まあ、帰国して非難の嵐にあってみて、その時またどんな糞馬鹿な口を利くか、聞いてみたくはあるな。


 職場で同僚に「鷺沢萠、自殺だったんですね」と話したら、「でしょう? 普通、35歳で心不全で死にます? まあ、死ぬこともあるでしょうけど。でも自殺なら理由はなんだったんでしょうね。きっといろいろ悩みがあったんでしょう」と早口でまくしたてられて、しかも自己完結されてしまった。こっちが口を差し挟む余地なんてありゃしない。
 まあ、自殺について陰陰滅滅とした会話をしなくてすんだから結果的にはよかったのだけれど、「残念ですよねえ」「そうですよねえ、これからの人だったのに」くらいのやりとりはして、ごく普通に悼みたかった、


 晩飯はまたまたまたコロッケうどん。よく飽きないなと思われるだろうが、もうそれは言いっこナシである。
 しげ、今朝方から落ち込みが激しく、「病院に行きたくない。行っても治らんもん」なんてこぼしていた。そういう心理状態の時こそ診てもらった方がいいように思うんだけれど、本人にその意志がないんじゃ仕方がない。
 「行きたくないのなら無理して行かなくてもいいよ」と言ったら、口をへの字に曲げて「だって行かんやったらアンタが悲しむやろ」とまたふてくされた。どう声をかけても今のしげには無駄なようだ。こっちも疲れてばかりはいられないので、それでもう口を効くのをやめた。こうして夫婦の会話は少なくなっていくのである。どないしたらええものやら。


 映画監督の今関あきよしが、携帯電話の出会い系サイトに「芸能人を紹介する」などと書き込んで知り合った中1の女子生徒を買春、逮捕された。
 小粒な大林宣彦ってな感じで(つか、助監督やってるし)、作ってる映画はそう嫌いではなかったんだけれど、まあ確かに少女に拘りすぎてはいたな(^o^)。なんだかいかにもな人がいかにもな犯罪を犯したわけだけれど、これまでの主演女優さんたちの中にも毒牙にかかってた人とかいやしないだろうか。三留まゆみとか富田靖子のコメントを聞いてみたいものである。

2003年04月16日(水) メモ日記/冤罪の夜。
2002年04月16日(火) タコを求めて三千里/ドラマ『盤嶽の一生』第3回/アニメ『あずまんが大王』第2話
2001年04月16日(月) オー・ド・トワレ/『夜刀の神つかい』3巻(奥瀬サキ・志水サキ)



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