無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2007年08月13日(月) まだ懐かしむには早い作品/『フルーツバスケット』一挙放送

 キッズステーションで今日から『フルーツバスケット』の一挙放送が開始。
 もう6年も前の作品なんだねえ。当時、アイドル声優人気の最先端にいた堀江由衣も、今や三十路の大台。月日が経つのは、もう、ねえ。
 本放送中は飛び飛びでしか見ていなかったから、まとめてじっくり見ることにする。連載後半はヒロインの本田透もファンの間でちゃんと「認知」されていったようだけれども、連載当初は「何、あのウザいヒロインは」と非難も高かったのは分からないでもない。
 いかにも「作られた」って印象が強いんだよね。「天涯孤独だけれども常に前向き」なんて、定番過ぎて昭和40年代のマンガかって感じで、「テント暮らしをしていた」なんて設定は、正直、出来のよくないギャグにしか見えなかったのだ。
 多分作者も初めはそんなに深いことは考えてはいなかったと思うのだけれども、それが、連載が長期化するにつれ、新たな設定が加わっていくことになる。十二支の面々と関わっていく中で、ギャグだった設定がかなりシリアスなものに「転置」され、草摩家の物語は「血の因縁」の物語のような陰惨さすら漂わせ、しかし少女マンガの枠を越えるようなドロドロとした展開になる愚は犯さず、十二支たちの呪いは解かれていき、長期化し過ぎてダラダラとなる寸前で、ハッピーエンドを向かえた。
 長期連載のマンガは、大風呂敷を広げて収拾が付かなくなることも多く、「最終的にどう着地させるか」はかなり困難な場合が多いのだけれども、これはそれがかなりうまくいった部類だと思う。人気が下降したわけでもないのに、ケリをきちんとつけさせた編集部の英断にも敬意を表したいと思う。少年マンガは(特に『ジャンプ』は)この姿勢を見習ってほしいものだ。マンガは長くても30巻までにしようよ。

 アニメ版は大地丙太郎監督の資質にもマッチしたと思う。
 自分の「思い入れ」を情緒的に語ることの多いこの監督さんを、私は世評ほどには評価してはいないのだけれども、彼の中にある「人間観察の甘さ」が、逆に原作によってコントロールされて好演出につながったと見ている。その年の「アニメージュグランプリ」を受賞しているが、そこまでの作品だろうかという意見もあろうが、去年の『コードギアス』受賞に比べればなんぼかマトモだろう。腐女子の組織票があったことは当時も同様であったであろうが。
 完結を機に、未アニメ化部分をもう一度アニメ化してほしいものだけれども、ウワサはよく流れているものの、まだ実現には至っていないようである。早くしないと、その前に原作に何の思い入れもない連中の手で「実写ドラマ化」されちゃうぞ。
 亡くなった岡崎律子さんの歌声を聞くと、今でも切ない。けれども、仮に再アニメ化されることがあったとしても、この主題歌は変えてほしくない。そういうファンの声はきっと強いと思うが、スポンサーとプロデューサーはたいてい真摯なファンの声を「大人の事情」で無視してくれるんだよね。長い目でみれば、ファンの声に答えた作品の方が必ず残るってことを分かってほしいものなんだけれども。


 セブン・アンド・ワイがアニメDVD最大30%オフフェアを行なっている。
 この「30%」というのが微妙なので、「半額」と言われたらこれはもう「安い!」ということになるんですが、30%となると、さて、購入すべきかどうか躊躇してしまう。
 『ガンバの冒険 DVD-BOX』24990円が、25%引きで18743円。6000円以上の値引きで、DVD2本分くらいは安い、ということになるのだけれど、それでも簡単に出せる金額ではない。それに欲しい作品はこれ一作ではない。買い出したらキリがないだけではなくて、ブルーレイに切り替えるかどうかも悩みどころなのである。
 LDが百枚以上、棚の中で死蔵されてしまっている状況を考えると、DVDも控えた方がいいと分かっちゃいるんだけれど……。人生の残りが少なくなってくると、執着心も自然と衰えてくるしねえ。


 父のマンションで迎え火。
 そのあと、来福した大叔父を伴って天神の「てら岡」で食事。
 大叔父から「もうかっとるやろう」と言われて、著しく気分を害す。

2005年08月13日(土) 石井輝男監督、死去/『月館の殺人』上巻(綾辻行人・佐々木倫子)
2004年08月13日(金) 博多人のワルクチ
2003年08月13日(水) でもちょっとだけ長く書きました。/『雨天順延 テレビ消灯時間5』(ナンシー関)
2002年08月13日(火) オタクの血/『アンダンテ』2・3巻(小花美穂)/『魔王ダンテ 神略編』1巻(永井豪)
2001年08月13日(月) 代打日記
2000年08月13日(日) 盆がはよ来りゃはよ戻る/『明治快女伝』(森まゆみ)


2007年08月12日(日) 妖怪マンガ家のもう一つの真実/『鬼太郎が見た玉砕 〜水木しげるの戦争〜』

 NHKスペシャル・ドラマ『鬼太郎が見た玉砕 〜水木しげるの戦争〜』を見る。
 原作は数ある水木しげる戦記マンガの中でも、最も自伝的要素が強い『総員玉砕せよ!』。
 昔、『ゲゲゲの鬼太郎』に比べて、水木さんの戦記マンガは「ちっとも売れない」ということで、作者ご自身もボヤいておられたように記憶する。
 しかし、『鬼太郎』ほかの妖怪ものにもまた水木サンの戦争体験は深く影を落としているのであって、水木しげるという特異なマンガ家の全貌を知ろうと思えば、これらの作品群に目を通さないわけにはいかない。そこに描かれている真実は、「銃後」には想像の付かない、現実に戦闘が行なわれている場での狂気である。映画『硫黄島からの手紙』に違和感を感じたのは、リアルだと言われたあの映画ですら、水木さんの体験に比べれば、どこか「きれいごと」に見えてしまったからでもあった。

 水木さんの伝記ドラマが映像化されるのは、少年時代を描いた『のんのんばあとオレ』を除けばこれが初めてだろう。『鬼太郎』のアニメに水木さんが登場する時にはしばしば水木さんの失われた「左手」が描かれており、なんだこの差別的な「改悪」は、と憤ったものだったが、今回、水木さんは戦後、片腕を失った姿で登場する。そして「片手をなくしたからって、不自由なことがあるもんですか。両手があったころの方が地獄でしたよ」と述懐する。演じているのは香川照之だが、これは水木さん本人の本音だろう。その点、今回のドラマ化は原作の精神に対して実に真摯に取り組んでいると言える。

 しかし、水木さんご本人が強烈なキャラクターだけに、いかに香川さんが熱演しようとも、どこかモノマネっぽくなってしまっている印象がするのは否めない。これが舞台公演などなら回数を重ねるうちに「ひなれて」いくのだろうが、一発勝負のテレビドラマでは、もう一息足りない。

 それに、何と言っても放送時間が1時間半というのは、どうにも短い。
現代編(昭和47年)の部分もかなりあるだけに、原作の『総員玉砕せよ!』に当たる部分が、事実を追っていくだけのダイジェスト版に見えてしまうのである。この「ラバウル編」、現地ロケもかなりしたのだろうが、現実にジャングルの川を下り、泥にまみれ、役者のみなさんが熱演を見せているだけに、もう少しのところで「迫真」にまでは至らなかったことが残念でならない。
もっと長尺を取って、兵士たちの疲労、絶望、無念、恨みが匂ってくるくらいに一つ一つのシーンの密度を高めて行くことができなかったものだろうか。

 水木さんは、「『総員玉砕せよ!』は90%事実。戦記ものを書くと、わけのわからない怒りが込み上げてきて仕方ない。戦死者の霊がそうさせるのではないか」と語っている。そして自分のことを示す一人称に「水木さん」という表現を使う。
そのことを踏まえてか、「現代編」では実際に「戦友たちの霊」が現れ、水木さんに変身して料亭に出没したりして、水木さんに迷惑をかけるのである。それは「水木さんに自分たちの無念をマンガにして描いてほしかったから」と言うのだが、わざわざこんなファンタジーな設定にする必要があったのかどうか。「死者は語ることが出来ない」からこそ、水木さんは戦記マンガを描いていったのではないか。
こういうのを「過剰演出」と言うのである。
 さらには、鬼太郎や目玉親父、ねずみ男がマンガから飛び出してきて、解説をするのも『のんのんばあとオレ』でもやっていた演出ではあるが、いささかやりすぎである。細かいことを言えば、映像では水木さんはこの時に『鬼太郎の世界おばけ旅行』を描いていることになっているが、これは昭和51年の作品であるから、昭和47年では時代が合わない。マニアはこういう細かいところも見てるからね。
声優がアニメ第一・第二シリーズの野沢雅子(鬼太郎)と大塚周夫(ねずみ男)に戻っていたのは嬉しかったが、野沢さんの声が明らかに「老いて」いて、哀しくも感じた。

 しかし、イデオロギーでネジ曲げられた『はだしのゲン』に比べたら、こちらの方が何倍も出来がいいのは確かなのである。香川さんも『キネ旬』連載の『日本魅録』で二回に渡って宣伝していたが、それでもさして世評に上らなかったようなのは哀しい。



 『大江戸ロケット』拾九撥目 「とち狂って候」。
 隅のご隠居さんの正体が明かされる……って、もうバレてましたね。
銀さんが鳥居耀蔵の配下だったというのも清吉たちに露見するのだけれども、まあキャラクター設定からしても別にこのまま悪役で終わるはずはないので、そんなに切迫感があるわけでもない。
 放送開始当初はかなり型破りというイメージがあったのだけれども、ラストが近いにもかかわらずなんだかおとなしい感じなっちゃってる気が。
 原作がそもそもアレな出来なんだから、演出でもっと見せてくれないとね。

2005年08月12日(金) これだから腐女子はなあ/DVD『地球攻撃命令ゴジラ対ガイガン』ほか
2004年08月12日(木) またまた詐欺メール……しつこいってば。
2003年08月12日(火) もうあまり長く書けません/映画『地球へ二千万マイル』
2002年08月12日(月) ほしのローカス(笑)/『トライガン・マキシマム』7巻(内藤泰弘)/『コータローまかりとおる!L』4巻(蛭田達也)ほか
2001年08月12日(日) 代打日記
2000年08月12日(土) 地雷炸裂/『スヌーピー26 ぼくはどこへも行かない夜』(チャールズ・シュルツ)ほか


2007年08月11日(土) キューティーハニーがドラマ化ってねえ/コンドルズ公演『SUMMER TIME BLUES〜沈黙の夏』

 キューティーハニー:原幹恵主演でドラマ化 テレビ東京系で10月放送
 http://mantanweb.mainichi.co.jp/web/2007/08/10_15.html

 > 永井豪さん原作のマンガ「キューティーハニー」がグラビアアイドルの原幹恵さん(20)主演で初のドラマ化されることが1日、明らかになった。テレビ東京系で10月2日から毎週火曜日深夜1時、「キューティーハニー THE LIVE」として放送される。(中略)
 > 総監督は映画「スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ」やテレビドラマ「牙狼<GARO>」などのアクション監督を務めてきた横山誠さん、シリーズ構成は「仮面ライダーアギト」やアニメ「デスノート」などの井上敏樹さん、キャラクターデザインは「機動警察パトレイバー」や「ラーゼフォン」の出渕裕さんがそれぞれ手がける。

 映画版が公開されたときに、庵野秀明監督がキャンペーンでキャナルシティのHMVに来て、「いかにスポンサーからの『しばり』が多かったか」ということをこぼしていたのだけれど、要するにオタクな企画や作品であろうと、製作者の全員がオタクというわけではなく、オタクを利用して商売しようとしている連中が主導権を握っているのであるという至極当たり前な現実がそこにあるだけの話である。
 逆に言えば、そういうしばりの中であれだけの完成度を見せた劇場版は、もっと評価されたっていいと思うんだけれども、一般人とオタクの見識との間に大して差がなくなってしまった現在(まあ、昔もあったのかどうかは今や怪しいのだけれども)、多くを期待できるものでもないのである。

 でまあ、今回のテレビ実写版にしても、誰がどういう層をターゲットにしてドラマ化を企画したのか見当が付かないのだが、『re:キューティーハニー』からたいして間も経っていなくて、しかもその結末も未完のまま、という状態でのリセットリメイクというのは、スタッフは旧作なんてどうでもいいと考えているとしか思いようがない。
 ファンならご承知の通り、『ハニー』はアニメが2クールで打ち切られたために、タイアップで描かれていた原作マンガも未完のまま、宿敵パンサークローとの決着もつかないままで終わっている。その後、アニメ版の『新・キューティーハニー』や『キューティーハニーF』で一応の決着を見せたものの、旧作の正統な続編と言える出来ではなく、ファンを満足させるものにはならなかった。
 庵野監督による劇場実写版と『re:』版は、物語を一からリセットしてはいるものの、旧作企画時にボツになった原案からパンサークロー四天王などの設定を拾い出し、オリジナルの精神を生かしてハニーを新生させようという意気込みが多分にあったのである。だからこそ更なる続編を期待することができたのだが、「サトエリ嫌い」なんて浅薄なファンによってそっぽを向かれてしまったために、計画は頓挫してしまった。

 今回のドラマ版が劇場版の都筑を描くのならば、キャストやスタッフの交代も仕方ないかと思うが、またぞろ「一からリセット」なら、何のためのリメイクか、という気がまたしてしまうのである。
 ハニーはもういいから、どうせなら『ドロロンえん魔くん』をリメイクしたらどうかって思うね。


 しばらくぶりに亀の水槽を洗う。
 何年も飼っていると、亀もすっかり巨大化して、排泄物の量も尋常ではない。実際、小さな浄水器ではものの役にも立たず、一日で水は白濁、一週間でドブ水に変わるのである。カメ臭さも堪らなくなるので、やらないわけにはいかないが、時間の余裕がある日中でないとなかなかできない。休日も出歩くことが多いので、結局は一週間どころか一ヶ月も放置するということになりかねない。
 盆休みがいい機会なので、なんとか洗えたが、さて、次の洗槽はいつになることやら。


 天神・イムズホールで、コンドルズ公演『SUMMER TIME BLUES〜沈黙の夏』を見る。
 劇団四季や東宝ミュージカルを見るたびに、その演出の工夫のなさに閉口してしまうのだが、これはつまり、それらは所詮、外国のモノマネに過ぎず、日本人の感性との齟齬や貧弱な体躯が露になってしまっているからであろう。
 映画でもそうだが、「不自然でないミュージカルシーン」というのは、日本の場合、「宴会」か「お祭り」のシーンでしか描けないのである。それ以外の場面で歌や踊りを披露しようと思えば、その「感性」や「体躯」の違いを逆手に取るしかない。
近藤良平氏がそこをどう自覚しているのか、コンドルズのにわかファンである私はよく知らないのだが、立派に「日本人にしか出来ないパフォーマンス」になっていると思う。

 コンドルズと言えば「学生服」である。珍妙な思いつき程度に思っている人もいるかもしれないが、こんな「日本オリジナル」な衣装はない。しかもこのインパクトはかなり強烈で、多少、トシの行った男が着ていてもお客さんには「学生」に見てもらえる。このアイデアだけでも充分に非凡だと思う。このスタイルで、短い手足を振り回して、揃ってないダンスを懸命に披露するから、ユーモアも感動も生まれるのだ。
 もちろん、スタイルだけに依拠しているわけではなく、2時間の公演中、これでもかとギャグが盛り込まれる。ダンス部分は言葉で説明できるものではないから、パフォーマン部分だけを紹介することにする。

 「今日のテーマを四字熟語にしよう」。
 ステージの四人が、それぞれ一字ずつ、勝手に思いついた字を揮毫する。
四文字続けて現れたのは、「弱」「転」「乱」「肉」。
 「本日の舞台は、何が起きても『弱転乱肉』」とナレーション。
ステージごとにテーマが変わる仕掛け。

 本舞台は「沈黙の夏」のタイトル通り、全て無言劇。
 聞こえるものは蝉の声だけ。仰向けになってもがいている男がいて、その周囲に一人、また二人と男たちが集まってくる。
肩を組み、隊列となり、みんなで野球を始める。バッターの売った見えない球が虚空に消えて――。
 最後に現れた男が、切腹をする。
全員が正座して、その様子をただ黙って見ていて――長い長い、沈黙と静止の時間が流れ、ようやく足が痺れて立てなくなった男たちがヨタヨタと退場して、オープニングは終わり。

 「底辺×高さ÷2」
 「底辺」両手を広げて、「底辺」のポーズ。
 「×」両手を交差させて、ペケのポーズ。
 「高さ」背伸びして右手を高く挙げ、「高さ」のポーズ。
 「÷」水割りを飲む(笑)。
 「2」右手でVサイン。
 学芸会的なネタだけれども絶妙に可笑しい。

 「マッチ棒で遊ぼう」。
 床に横たわる数人の男。それをモニターで真上から見た様子がスクリーンに映し出される。
 テロップが出て、「マッチ棒を2本動かして、ゴミをチリトリから出そう」。
 てっきり、マッチ棒役の二人が移動して、図形が変わるのかと思って見ていたら――。
 二人がゴミ役の一人を殴る蹴るして外に追い出す。
次のテロップは「福岡で一番と言えば?」
男たちの作った図形がひっくり返って出来た文字は「IMS」。
 また、横たわって、「豚の形」を作っている男たち。
 「マッチ棒を一本動かして、豚の向きを変えよう」
 現れたもう一人の男、豚の顔に当たるマッチ棒役の男を動かすかと思いきや――。
 一番太った男を転がして終わり。

 原始人同士が無言でやりとり。 
 お互いの腰巻を交換すると「等価交換」とテロップが出る。
 木を擦り合わせて火を熾すと、「地球温暖化」。
 棍棒に骨を継ぎ合わせて長くしようとするけれども失敗。「耐震偽造建築」。
 原始と現代は繋がっているという落ち。

 座禅を組む男。
 そのままの姿勢でスライドし、スクリーンの陰に消える。
 スクリーンに映るのは男のシルエット。
 その影が「空中浮遊」する。
 地上に降りて、再びスライドしてスクリーンの外へ。にっこり笑う男。
もう一度スクリーンの陰に隠れると、今度のシルエットは分裂して曼荼羅になる。

 マラソンランナーが四人、スタートラインに。
 スターターがピストルを構えて――。ランナーの一人を撃ち殺す。
 またランナーが四人、スタートラインに。
 スターターがピストルを構えて――。ランナー一人を残して、全員を射殺。慌てて逃げる最後のランナー。追いかけるスターター。動きがスローモーションになって、ランナーは撃たれた弾を映画『マトリックス』のように避け、あるいは弾を掴み――。
 逃走は延々と続く。
 またまたまたランナーが今度は6人、スタートラインに。
 スターターは――。自分のこめかみにピストルの銃口を当ててパン! 自殺してしまう。
 ランナーたちはスターターの死体の周りに集まって、一斉に写メを撮り始める。
 
 最後のパフォーマンスでは、初めて全員が声を出す。
 夏休みの日記を付けている学生という設定で、一人一人がその日の日記を読み上げる。
 「夏休み、太陽、俺。虫取り網」
 「夏休み、太陽、俺。プールに行った。あの子がいた。スクール水着じゃない水着。スクール水着じゃない水着!」
 「夏休み、太陽、俺。友達が『ハワイに行く』と言った。本当かどうか分からない。そいつの家に行ってみた。窓のカーテンが揺れていた」
 「夏休み、太陽、俺。8月31日。宿題の山。宿題の山!」

 ……舞台はやはり「アイデア勝負」である。


 テレビドラマ『はだしのゲン』後編、二日連続で映像化したのは、やはり原作の第一部のみ。
 視聴率が取れれば第二部の映像化も考えているのだろうか。出来合いの感動押し付けドラマで、語るほどの内容ではないが、それでも「現代編」部分での、年老いたゲンを演じる山本学の「じゃんじゃんじゃがいも、さつまいも……」という呟きには、脚本や演出の意図を越えたと思しき寂寥感が漂う。
 ヒロシマの大地に芽生えた麦を見て明るい未来を確信したはずのゲンが、現在、本当に平和を謳歌しているとは思えない、寂しさである。


 NHKBS2『アニメギガ押井守特集』。
 『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』『アヴァロン』『イノセンス』。
 作品よりも、ダイエットした岡田斗司夫氏の痩せ具合に驚き。痩せたと言うより、やつれているようにしか見えないのだけれども、声にも張りがなくなってしゃがれているし、本当に病気なんじゃなかろうか。もっともその真相は、今月発売の『いつまでもデブと思うなよ』(新潮新書 8月17日 税込価格:735円 ISBN:9784106102271)で明かされるのかもしれない。

2005年08月11日(木) 夢の中の人/『ムーミンのふたつの顔』(冨原眞弓)
2004年08月11日(水) ウソツキは恋の始まり
2003年08月11日(月) 水がまた来る/『さちことねこさま』1巻(唐沢なをき)
2002年08月11日(日) 島田賢志君、元気?(読んでねえって)/DVD『∀ガンダム供〃邯蝶』/『キカイダー大全』(岩佐陽一編)ほか
2001年08月11日(土) 代打日記
2000年08月11日(金) 小心者は女房に内緒で寿司が食えるか?/『冥王と獣のダンス』(上遠野浩平)ほか


2007年08月10日(金) したいようにすりゃいいってもんでもない/映画『呪怨 パンデミック』/ドラマ『はだしのゲン』前編

 コスプレサミット:ハルヒダンスで仏代表が世界一 中川翔子「世界はギザ一つ!」
http://mantanweb.mainichi.co.jp/web/2007/08/post_1237.html
> アニメやゲームのキャラに成りきる「コスプレ」の世界一を決める「世界コスプレサミット2007」(主催・テレビ愛知)のチャンピオンシップが5日、名古屋市東区のオアシス21で開かれた。仏代表のラット・ダミアンさん(22)とジュディ・イザベルさん(20)が優勝。「親善大使」として出席したタレントの中川翔子さん(22)が「コスプレは、言葉の壁を超えます。世界はギザ一つ!」と大興奮だった。
> 「チャンピオンシップ」には、世界各国のコンテストを勝ち抜いた12カ国14チームが参加、3分の持ち時間で、コスプレの完成度、パフォーマンスのエンターテインメント性を競った。
> ダミアンさんとイザベルさんは、珠黎こうゆさんのマンガ「アリキーノ」のキャラクターで登場。「ガンダム」「ドラゴンボール」「デスノート」「サクラ大戦」などさまざまな作品のパロディーを日本語のセリフで披露し、最後に人気アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」のエンディング「ハレ晴レユカイ」のダンスで締めくくった。二人は「優勝は期待していなかったので本当にびっくりした。観客が楽しんでいたことがうれしい」と喜びを語った。日本代表の時雨直輝さんとキキワンさんは「デスノート」で、中川さんらを巻き込んだパフォーマンスで、会場を沸かせ、準優勝に輝いた。「次こそは優勝を」と“リベンジ”を宣言した。


 コスプレもしたい人がすればいいとはいうものの、どうも外人さんがやるとキャラが濃過ぎて怖く感じるのは私だけでしょうか(苦笑)。
 自分の好きなキャラクターになりきりたいという気持ちは分からないではないのだけれど、「アリキーノ」のコスプレのままで「ガンダム」や「ハレ晴れユカイ」を踊るというのは、なんか違うんじゃないかと思ってしまう。連邦の制服着て「ジーク・ジオン」って叫ぶようなものじゃないのか。ちょっと違うけど。なんだか「コスプレ道」に反しませんかね。そんなもんがあるかどうかは知らないが。

 レイヤーたちに対してどうしても辛口な見方をしてしまいたくなるのは、自分を客観的に見る視点に欠けているように思えるからである。だいたい6割から7割は「自分の顔と体型と相談したとは思えない」コスプレするからね。どう脳内変換しているかは分からないけれど、本人はそんな自分がまるで「見えていない」んだろうね。
 そういうのは自己陶酔の中でも一番みっともない部類に入るので、誰か周りの者が止めなかったのか、と疑問に感じるところなんだが、つまりは止めても止まらないやつがやってるんだろうなあという周辺環境までがまざまざと見えて、気分が萎えてしまうのである。こういう形で「ショー」にするのならなおのこと「鏡をまず見よう」と誰かが言ってあげようよね。

 「世界」と銘打ってはいても、代表は10人だけだし、オマツリとしてはかなり小規模だと思う。せめて100人は集めないと、盛り上がらないんじゃないかな。エンタテインメントとして見せられるものになっているのなら、ぜひテレビ放送してほしいものだけれど、主催が「テレビ愛知」なら、名古屋方面でしか放送しないんだろうなあ。
 ……ってこれって、名古屋の「町興し」なのかな? 「コスプレ」で「世界」でって、どこまで本気なんだか分からないけれども、こういう罪のない(と思う)イベントならぜひ来年以降も続けてほしいものである。

 
 午前中はしげ。の付き添いで、総合病院に。
 しげ。もついに糖尿病であるが、教育入院まではしなくてもよいとのこと。うちにいてもただの寄生虫なので、しばらくぶち込んでおいてほしいのだが。
 眼科、栄養指導、内科と回って、さらに精神科へ。こちらも部屋の空きがまだ見つからないので、入院はまだ先。「閉鎖病棟はやだなあ」としげ。は乗り気ではないが、もうこいつをうちに置いておく余裕はないので、病院がいやならどこか住み込み先を探して出て行ってもらうしかないのである。「生まれつき家事ができない病」って診断なんだから、もう誰かと共同生活が出来るなんて甘い夢は捨ててもらいたいのである。

 午後は、帰省して来たS嬢と博多駅のマクドナルドでおしゃべり。
 渋滞に巻き込まれて、すっかり遅刻。ヒロシマ土産のお菓子までもらったのに申し訳ない。
 S嬢もすっかり立派(かどうかは知らないが)な自衛官である。自衛隊の裏話もいろいろ聞かせてもらうが、「自衛官に国防意識はないし、みんなオタクですよ」と言われて、日本の未来はやっぱりないなと苦笑する。
 しかし、私の知り合いの自衛官って、みんな×××だったり×××だったりするのだが、本当に試験は公正に行なわれているのだろうかね。


 中洲の明治安田生命ホールで、映画試写会『呪怨 パンデミック』。

 シリーズもビデオから数えるならもう6作目。けれどもハリウッド版はこれが二作目で、まだジャパンホラーに慣れていないあちらのお客さんには絶叫と爆笑を引き起こして大ヒットしたことはまだ耳新しいニュースだろう。
 もっともこちらは伽耶子と俊雄の見せ方にもすっかり慣れてしまっているので、怖がりもしなければ笑いもしない。あとは物語をどう面白く見せるかというアイデア頼みで見に行ったのだが、三つのエピソードを、「時系列を崩して」見せて行くやり方は、必ずしも新味はないけれども悪くはない。多少、ストーリー進行にもたつきを感じはするが、これはまあ成功している方だろう。

 主演は前作のサラ・ミシェル・ゲラーに代わって、アンバー・タンブリン(サラの妹という設定)。名前で気付いた方もいらっしゃるだろうが、この子、『ウエストサイド物語』『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』のラス・タンブリンの娘さんである。顔がお父さんによく似ているので、ヒロインとしてはどうかという気もするが(失礼)、ラストで×××……なので、これはそれを計算してのキャスティングかもしれない。ちょっと失礼かな。

 ただ上映が日本語吹き替え版だったのだが、ハリセンボン、森三中、まちゃまちゃの吹き替えが学芸会以下のレベルで最悪。特にジェニファー・ビールスにまちゃまちゃというのは笑えないジョークでしかない。声優以外のキャスティングはよく「客寄せパンダ」と揶揄されるが、これはその典型だろう。


 帰宅して、ドラマ『千の風にのって はだしのゲン』前編。
 全く期待していなかったので、予想通りの惨憺たる出来栄えだったけれどもショックはなかった。

 基本的にゲンの家族は、あの当時としては全く浮世離れした非現実的な存在なんである。たとえ町内で非国民扱いされていたとしても、あんなに明確な反戦意識を持って声高に叫べるような庶民がいるわけがない。共産主義者を主人公にして反戦を訴えるという手法のつもりなんだろうけれども、ゲンの父をあまりに美化し過ぎているのである。当時の「アカ」は、潜伏するか転向するしかなかったのが現実だろう。

 さらにひどいのは肝心の原爆の描写。
 以前の実写版もそうだったが、セット撮影なのがバレバレ。
 被爆者についても、顔面がえぐれてたり手足がもげたりケロイドで皮膚がただれたり、もちろん「川が死体で埋め尽くされていた」描写くらいはやらないと「ヒロシマ」は描けまい。
 ゲンの家族が焼け死ぬシーンでも、原作にあったゲンの母が狂って「父ちゃんが燃える、英子が燃える、信二が燃える」とつぶやくセリフがカットされた。狂気を描いたらダメってことなんだろうが、そんなコトナカレのふざけた姿勢で戦争を描いていいものなのか、という疑問はスタッフには生まれなかったのか。
 代わりに、父親と信二の別れの会話が付け加えられて、いかにも叙情的な音楽が流れるが、もう根本的に、ドラマを作ることを放棄しているとしか思えない。

 こういう出来合いのドラマであっても、お手軽に泣けてしまう平和なお客さんはいっぱいいて、それで戦争について思いをいたしたような気になれる。だからもうそれ以上は何も考えようとしなくなる「思考停止人間」を営々と作り出しているのである。

 イッセー尾形小倉ワークショッパーズのKさんがエキストラ出演しているということで、見たのだけれど、2時間がかなり辛かった。
 出演している広島駅のシーン(ホントは門司港レトロで撮ってます)を目を皿のようにして見て、それらしい人を発見。一人だけ旗の振り方がズレてたので、多分そうだろう(笑)。

2005年08月10日(水) 14万ヒット御礼/DVD『英国戀物語 エマ』1、2巻
2004年08月10日(火) 本名、また変わりました(T∇T)。
2003年08月10日(日) 二元論の陥穽/『魔法先生ネギま!』1巻(赤松健)/『金田一耕助ファイル6 人面瘡』(横溝正史)ほか
2002年08月10日(土) 映画ファンってどこにいるの?/DVD『∀ガンダム機|狼絽』/『アフター0 著者再編集版』1・2巻(岡崎二郎)ほか
2001年08月10日(金) 代打日記
2000年08月10日(木) トマトの罠/『太陽がいっぱい(リプリー)』(パトリシア・ハイスミス)ほか


2007年08月09日(木) 藤岡真氏に晒されちゃったことについて

 長いことこちらの日記を放置していたので、気がつかなかったのだが、またこの日記がリンクされて晒されていた。
 更新もしてないのにカウンターがえらく回ってると思った(苦笑)。
 てっきり、2ちゃんねるかどこかかと思っていたら、ミステリ作家の藤岡真氏のブログである。
 以下、引用。

「坊主憎けりゃ(2007/07/14)

 曝してやるぜ。
 九州でオタクアミーゴというイベントを仕切っている藤原敬之という男が、己のHPで書評を書いているのだが、これが惨憺たる代物で、頭と性格の悪さが如実に出ている。

 これは、そいつが書いた、『ゲッベルスの贈り物』の書評だが、後にも先にも、これほど無礼千万なものは見たことがない。
 千野帽子さんがブログの、5月29日のエントリでも言っているように、素人だからといって何を書いても許されるわけではないのだ。
 前々から苦々しく思っていたが、いい機会なので貼っておく。

 馬鹿が書いた文章の見本のようなものだ。」

 『ゲッペルスの贈り物』の書評を書いて、ずいぶん時間が経っているのに、またどうして今更、という気もするのだが、タイトルを見て納得した。ああ、藤岡氏は私がまだオタクアミーゴスの関連者だと思っているのだなと。藤岡氏はと学会のメンバーでもあったので、唐沢俊一氏への怒りがこちらにも飛び火した、ということらしい。私が唐沢氏の腰巾着の一人か何かだと思っておられるのだろう。
 そこんとこは完全な誤解なので、記しておかなきゃならないだろうけれど、もう何年も前にAIQとは縁が切れている。今頃になっていきなり「袈裟」扱いされても困るのである。第一、AIQにいた頃だって、ただ所属してただけであって「仕切ってた」なんてことは全くない。
 私は今も昔も、唐沢俊一氏の「著書」のファンではあるが、それにしたところで別に「唐沢信者」というほどではない。AIQにいた頃だって、いや、その以前から、唐沢氏の著書に間違いが多いことは日記で結構指摘しているのである。
 AIQに入ったのだって誘われたからであって、自分から進んでではないのである。というか、よく入れる気になったと今でも思うが、恐らく私の日記をよく読んでいなかったのだろう(苦笑)。

 それはそれとして、私の書評に対する藤岡氏の怒りは感情論としては理解できるものである。誰だって、自分が精魂込めて書きあげた作品を頭ごなしにつまらんと言われたら、腹が立つだろう。
 かと言って、読者だって、作者に阿って誉めた文章だけを書くしかないなんてリクツがあるわけでもないので、つまらないと感じたものはそう書くしかない。腹を立てるなら立ててください、としか言いようがないのである。

 更に言えば、藤岡氏は、千野帽子さんのブログを引用して(ここの部分だろう→「素人はなにを言ってもよくて、作家は素人に反論できないと考えている人がいるようですが、ウェブだろうが商業媒体だろうが、原稿料が発生しようがしまいが、著名人だろうが無名人だろうが、人に見えるところで発言する以上は批判されることは折込み済みのはず。作家に弄られるのが嫌なら感想などネットに公開するな。」)いるが、私は別に自分の文章に対して反論がないなんて考えているわけではない。
 逆に、千野さんと全く同じことを、これまで何度も日記に書いてきている(もう一つ、付け加えるなら、作家さんに喧嘩を売るために書いているわけでもない)。

 だから、こうして藤岡氏に私の文章を晒されても全然構わないし、それどころかまさしくこんなドシロウトの馬鹿な文章に「馬鹿」とマットウな評価を下してくれたことについて、逆に驚きと言うか、読んでくれていたのかとありがたくさえ思うのだが、私ごときにありがたがられたところで藤岡氏には迷惑なことであろう。
 こちらが素直に喜んでいるのを今度は阿ってくるのかとまた誤解されても何なので、このまま怒っておいていただくしかあるまい。
 従って、『ゲッベルスの贈り物』についての再反論もするつもりはない。

 藤子・F・不二雄氏が、『エスパー魔美』の一エピソードで描いていたと思うが、「作家が作品を描く。批評家がそれを貶す。作家がその批評を見て怒る。それでおしまい」なのである。

2005年08月09日(火) おしまいはおしまい/DVD『ベルヴィル・ランデブー/老婦人とハト』
2004年08月09日(月) 「さびしんぼう」は詐欺師のエサ
2003年08月09日(土) 一足遅れの祝4周年/『なんだかコワレ丸』4巻(矢也晶久)/『プリティフェイス』5巻(叶恭弘)
2002年08月09日(金) 文学を教養で語るな/劇場版『機動戦士ガンダム』四部作/『まんがサイエンス次.蹈椒奪箸陵茲親察戞覆△気蠅茲靴箸)ほか
2001年08月09日(木) 代打日記
2000年08月09日(水) 姓は愚奈印、名は南公/映画『ジュブナイル』ほか


2007年08月08日(水) 『新・UFO入門』(唐沢俊一)の盗作疑惑について

 日記再開の内容が、また不穏な感じのものになってしまい、いささか恐縮ではあるのだが、どうしても気になって仕方がないことを綴っておこうと思う。

 「事件」をよくご存知ない方には、まずこちらのまとめサイトを見ていただきたい。
 
 「ネット上の文章の盗用問題:『新・UFO入門 日本人は、なぜUFOを見なくなったのか』(唐沢俊一著)を巡って」
 http://www.jarchive.org/temp/copyright2.html

 このサイトも「グーグル八分」とやらにあっているらしく、「唐沢俊一 盗作」で検索をかけてもヒットしない。どういう仕組みかはよく分からないが、既にあちこちの有名サイトでリンクされてもいるし、このサイトだけを検索できなくしたところで、いくらでも周辺事情は検索することができるので、誰がどうしてそんな措置を取っているのかも疑問ではあるのだが、それはさておき。

 「漫棚通信ブログ版」の日記に「これは盗作とちゃうんかい」と題して、唐沢氏の盗作疑惑が書かれたのが6月7日のことである。
 これが、事件発覚当初の唐沢氏の主張するように「大いに参考にさせていただいた」性質のものでないことは、後に唐沢氏自身が交渉の経緯を記した文章の中で、「ほぼそのままの形のものをペーストしてしまい」と書いていることでも明白である。
 これを「参考」と言い張るのは詭弁でしかない。もしも他の作家がそのような執筆方法を取っていたとしたら、唐沢氏はやはり「それ、盗作だよ」と明言するに違いないからだ。

 唐沢氏が、誰もが指摘するように、どうして事件発覚当初に素直に謝れなかったのか、という疑問については、唐沢氏に本作の続編執筆の予定があったため、それが頓挫することを恐れ、「盗作作家」のレッテルを張られることを嫌ったのではないか、という推測がネットでは流れている。
 『新・UFO入門』が絶版になることだけは避けたかった、ということなのだろう。

 しかし、唐沢氏が本気で漫棚通信氏に謝罪する意志があるのなら、本自体を完全に絶版、封印するくらいの潔さは見せてもよかったのではないかと思う。
 『新・UFO入門』を子細に読んで行けば分かることだが、「ペースト」は「漫棚通信ブログ」からだけではないのだ。
 『新・UFO入門』の第5章「UFO群、ピラミッドに舞う!」ではCBA事件が取り上げられているが、これが、新戸雅章氏が『歴史を変えた偽書』(ジャパン・ミックス社)に掲載した文章をコピーペーストしたと思しき部分がいくつか「残って」いるのである。

 新戸氏の元の文章はネットにも掲載してあるので、そちらを参照していただきたい。

「六〇年代のハルマゲドン −UFO教団CBAの興亡―」
 http://www.asahi-net.or.jp/~ve3m-snd/shindo/essay/cba.html

 全文の引用はこの日記にはとても入りきれないので、いくつかの要所だけを「引用」させていただく。
 例えばこの新戸氏の文章の「地軸は傾く」の項に、このような文章がある。

 「八月になって、Cは選ばれたメンバーにだけ伝えられることになった。会合に集まった数十人のメンバーに対して、幹部がレイ・スタンフォードの訳書を示しながら、Cが間近に迫っていること、われわれはその準備をしなければならないことなどを説いて、団結と協力を促した。この頃、期日は一九六〇年から六二年の 間に設定されていた。」

 比較して、『新・UFO入門』の108ページには以下のような文章が見られる。

 「会合に集まった数十人のメンバーに対し、幹部がレイ・スタンフォードの訳書を示しながら、カタストロフ(CBAはこれを、頭文字の“C”で表現した)が間近に迫っていること、その準備が急務であることなどを説き、団結と協力を促した。そのCの期日は、1960年から62年の 間であると説明された。」

 漢字を数字に変更したりの改変はあるが、ほぼ同じ文章であることはお分かりいただけるだろう。
 また、次のような箇所の変更もある。
 元の新戸氏の文章(「りんご送れ」の項目)はこうだ。

 「それによると、Cは地軸の急激な傾斜により起こる全地球的規模の大洪水である。これによって多くの生物が死滅し、陸と海は入れ代わり、新しい陸地では三年間は作物が育たない。しかし会員とその家族は、その前にUFOで飛来した宇宙の兄弟たちによって救出される。
 Cの期日は十日前に『「リンゴ送れ」シー』という電文等によって知らされる。その時は登山の用意をし、一週間分の食糧を持って、家族とともに指定の集合場所に行け。一週間前にはラジオ、テレビを初め、あらゆる報道機関を通じて、Cの到来が告げられる。その後、否定の報道がなされるが、最初の報道を信じて行動すれば一般人であっても救済される可能性が高い。救出された者は他の遊星で再教育を受け、地球に輝かしい黄金時代を築く……。」

 これが、唐沢氏の著書の111ページから112ページにかけて、以下のような文章に若干の「書き換え」が施されてペーストされている。

 「ともかくも、CBAメンバーたちには、そのCは全地球的規模の大洪水であり、これによって陸と海が入れ代わるほどの大変動が地球にもたらされるが、会員とその家族は、その前にUFOで飛来した宇宙の兄弟たちによって救出される、と告げられた。
 そして、救出の具体的な手順も説明された。Cの期日10日前に『「リンゴ送れ」シー』という電文が会員の元に届けられる。その時は登山の用意をし、1週間分の食糧を持って、家族とともに指定の集合場所に行くこと。1週間前にはラジオ、テレビをはじめ、あらゆる報道機関を通じて、Cの到来が告げられる。その後、否定の報道がなされるが、最初の報道を信じて行動すれば一般人であっても救済される可能性が高い。救出された者は他の遊星で再教育を受け、地球に輝かしい黄金時代を築く……。」

 ほかにも類似の部分は多々あるが、唐沢氏が『新・UFO入門』を、資料を自分自身の文章と考察でもって捉えなおすことを怠り、安易なコピーペーストとその改竄で作り上げた部分も多い(決して一部ではない)ということは、これだけでも充分証明できると思う。
 新戸氏も唐沢氏も、同じ『CBAの歩み』から原稿を起こしているから類似の文章になったのではないか、ということは考えられない。原資料の要約が、文脈まで(3点リーダーまで!)一致するはずはない。第一、唐沢氏は『歴史を変えた偽書』の新戸氏の文章を読んでいることを『新・UF入門』の前章「日本UFO史の暗黒面」90ページで、ちゃんと明記している。「偶然の一致」ではないのだ。
 「引用元」ならぬ「盗用元」をうっかり書いてしまっていることになるが、つまり唐沢氏は、「ある事実や作品の紹介であるならば、誰かが要約した文章をそのまま使っても盗用には当たらない」と考えて執筆を続けてきたと考えざるを得ないのである。

 そりゃ、シロウトが自分のブログなどで本や映画の紹介をするときに、amazonなどの「あらすじ」をコピペするようなことはいくらでもあるだろうが(それも厳密にはよくない)、それはあくまでシロウトのレベルの話である。プロの作家がやっていいことではない。
 いつごろからなのか、最初からなのかは分からないが、唐沢氏の中にある「プロ意識」が麻痺していたことは残念ながら疑いようのないことのようである。

 新戸氏自身は、唐沢氏の『新・UFO入門』を読まれていて、自身のブログでは「本書は、UFOという古いテーマに新しい切り口をつけ、そこを通して日本の戦後文化や戦後社会のありようにまで照明を当てた好著である。一読をおすすめしたい。」とまで絶賛している。
 http://blog.goo.ne.jp/tesla1856/m/200706
 どうやら、自身の文章が殆どそのまま使われていたことにはお気づきでなかったようであるが、この一連の盗作騒ぎにはどのようなご意見をお持ちであろうか。


 8月3日、漫棚通信氏と交渉決裂はしたものの、唐沢氏の一応の謝罪文がホームページに掲載された。
 事件が起きて以来、私は、閲覧度の低いと思われる個人ブログのコメント欄で意見を書き込みしたことはあるが、特に表立っての発言は控えていた。唐沢氏と今でもお会いする仲ならばともかく、あまり思い出したくもないトラブルで縁が切れている以上、ちょっとでも批判めいたことを書けば、ここを先途と意趣返しでもしているように取られかねない、という危惧の念が働いたからである。

 実際、かつて唐沢氏と親しかったが今は疎遠になっている人たちは、概ね唐沢氏に対して批判的な意見が多く、なにやら「いじめ」的な様相すら呈していて、あまり気持ちのいいものではなかった。
 逆に、唐沢氏に近いはずの人々が、ほとんど沈黙を守っていたのもどうして立場を明確にしないのか疑問に思った。批判するにしろ擁護するにしろ、こういう時に何も言わないでいるというのは、人としてどうなのだろう、という疑問である。なんだかキリストの逮捕の時に「私は彼を知らない」と三度言ったペテロのようではないか。自分にもとばっちりがふりかかってくるのを恐れているだけなのではないか、という疑問をどうしても拭い去れないのである。
 唯一、ブログで「友情から」唐沢氏を批判したのが、「鬼畜」であるはずの村崎百郎氏だけだったというのは皮肉だとしか言いようがない。

 私自身は、この問題そのものは、最終的には『新・UFO入門』の回収、絶版で終わると思っていたのである。このような日記も、当初は書く予定はなかった。
 ところが、唐沢氏の以下のような「謝罪文」の内容を読んで、気が変わったのである。

 http://www.tobunken.com/news/news20070803110042.html
 謝罪文
 幻冬舎新書で刊行した唐沢俊一の著作『新・UFO入門』初版の中で、
 一部(同書134ページ〜139ページ)にサイト『漫棚通信ブログ版』
 (http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/)の
 内容とほぼ同一の文章を無断で掲載してしまった箇所
 がありました。この件に関し、漫棚通信様に大きなご迷惑
 をおかけしてしまったことを認め、謝罪いたします。
 なお、初版印刷分に関しては出版社在庫を裁断し、当該部分を
 差し替えた版を至急製作して、当該箇所にはその事情を説明した
 文章を付記させていただきます。今回の件に関し深く反省し、
 今後このようなことのないよう、出版活動に対し身を引き締めて
 あたる所存です。重ねて深くお詫び申上げます。
                  平成19年8月3日
                      唐沢俊一
                  幻冬舎新書編集部

 「当該部分を差し替えた版を至急製作して」って、絶版にする気はない、ということなのだなと。
 「今回の件に関し深く反省し、今後このようなことのないよう」と言うのであれば、当然、ほかの「盗用」部分についても反省していなければおかしいではないか、ということである。
 唐沢氏の「反省」とやらは決して充分なものではない。どこかにこの出来事を「甘く」見ている面が残っているのではないか。

 『新・UFO入門』が、単にUFO事件を取り上げているだけでなく、近代という科学的合理主義によって支配されているかのように見える我々の「意識」が、案外、前近代的なものに強い影響を受けていること、そして恐らく今はUFOを見なくなっている我々が、近い将来には「別の何か」を見ることになるのではないかと予見させる内容になっていること、これは本書を後世に残したいと思わせるに足るだけの充分な価値がある。だからこそ、盗用部分がかなりあることが残念でならない。
 だとしたら、いっそのこと、「一部訂正」などという姑息な手段を取らずに、「完全全面改稿版」を出版することにしたらどうか。朝日新聞の書評委員を自粛するというのなら、時間もおできになるだろう。当座の生活に困るということはないと思う。「盗作」という汚名を返上しようと思うのなら、それくらいの「禊」は必要だろうと切に思う。

2005年08月08日(月) 「思想」がらみで映画を見るな/映画『亡国のイージス』
2004年08月08日(日) 悪魔と狂人の間に…
2003年08月08日(金) 新車の名前はまだない。/DVD『諫山節考』/『低俗霊DAYDREAM』5巻(奥瀬サキ・目黒三吉)ほか
2002年08月08日(木) モラリストは読まないように(^_^;)/『軽井沢シンドロームSPROUT』1巻(たがみよしひさ)ほか
2001年08月08日(水) 代打日記
2000年08月08日(火) ボケ老人の夕べ/『カランコロン漂流記』(水木しげる)ほか



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