無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年04月16日(月) オー・ド・トワレ/『夜刀の神つかい』3巻(奥瀬サキ・志水サキ)

 昨日、三波春夫と田久保英夫が死んだと思ったら、今日は河島英五と勅使河原宏が死去。何だか21世紀まで生きたからもういいやって感じで死んでいくなあ。
 かと思ったら、雅子妃ご解任のニュース。なんとか2001年中には生まれそうな気配で、もしかして皇太子夫婦ですら「21世紀の初めにはなんとかね」と考えながらがんばったのかもしれないと思うと親近感も湧くんだがなあ。
 でも実際、この一、二年、身の回りにやたらと腹ボテが多いのだが、なんでそう2000年とか2001年に拘るかね。年齢が数えやすい以外にメリットがあるとは思えんが。下手に人口が多くなっちゃうと、「団塊の世代」みたいに、学校の教室はギュウ詰めになるわ、進学就職の競争率は高くなるわ、損することの方が多いと思うのにねえ。まあ、多少は少子化が食いとめられていいのかもしれないけど。

 勅使河原宏と安部公房の一連の不条理劇、日本での評価はまだまだ低い、と思っている。
 『砂の女』も『他人の顔』もどれもみんな面白いんだけどな。
 ともかく日本人というのは、自分の理解の届かぬものについては、「わけがわからん」とか「ひとりよがり」とかの言葉で黙殺しがちだからなあ。ピカソを「子供の落書き」と平気で言ってのけるバカがゴマンといる国である。
 万人に理解される芸術なんてものはない。あると思うのは錯覚だ。だから、自分の理解できないものにだって、一定の評価はあるのだということを認めねばならない。なのに、そういう度量のないやつばかりだってのが情けないのである。

 帰宅してみると、部屋の中が異様に臭い。
 女房が生ゴミをまとめていたのはいいのだが、それを捨てにも行かずに部屋の中に放置していたのだ。
 昼間ゴミを捨てに行く姿を見られるのが恥ずかしいから、と、たいてい夜になって捨てに行っているのだが、いったい何が恥ずかしいというのか。自分のウチのゴミを見られたくないというのは、要するに見栄を張りたいという気持ちの裏返しである。全く、バカの分際でおこがましい。

 晩飯がないかと思って、パンを買って来ていたが、女房もほか弁を買って来ている。ほか弁も悪くはないが、昼間、買い物していてくれれば何か作ってやるのになあ。
 女房に買ってきたチョココロネを見せると、「またコロネ?」と笑う。
 ここしばらく、パンと言えばコロネを買っているので、女房は不思議に思っている様子である。別に大した理由はないんだけど。
 「子供のころコロネが好きだったんだよ」
 「……あんたの子供のころ、コロネがあったの!」
 ……人を戦前生まれのような言い方するんじゃねえや。

 アニメ『犬夜叉』『名探偵コナン』といつもの定番。
 桔梗を演じている日高のり子さん、灰原哀を演じている林原めぐみさん、それぞれ、ハッとするような緊張した演技を見せている。
 お二人とも、今回の作品を通じて、また一つ芸域を広げたんじゃないかな。ずいぶん自然な演技もできるようになってきたのだ。
 声優さん独特の癖のある喋り方は、言ってみれば歌舞伎の所作事と同じで、厳密にいえば応用の効く演技とは言えない。顔出し演技のできない声優が多いのがその証拠だ。ベテラン声優であっても、癖がつきすぎると自然な演技ができなくなるのだ。
 だから顔出しも声優も両方こなしてしまう故・小林昭二さんや穂積隆信さんなんかは、地味だがホントの名優だといえる。
 で、女性でそういう人ってのが凄く少ないんだよね。最近ようやく戸田恵子さんが顔出しするようになってきたけど、まだまだ絶対数は少ない。日高のり子さんや林原めぐみさんは顔出ししていってもいいんじゃないかと思うんだけどなあ。

 マンガ、奥瀬サキ作・志水サキ画『夜刀の神つかい』3巻。
 何だか意表を突こうとして、せっかくのいいキャラを敵も味方もどんどんムダに消してる気がするぞ。
 これが山田風太郎みたいに敵味方の消耗戦になるんだったらそれはそれで面白いんだけど、下手すりゃジャンプマンガになるものなあ。
 でも一磨を消した以上、その後釜になるべきなのは新しく吸血鬼にされたヒカゲでなければならない。そういう伏線を張ってきたのだから。……まさかこのままヒカゲを殺したりはしないよなあ。



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