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夢の図書館新館

お天気猫や

-- 2006年01月31日(火) --

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『北風のうしろの国』(その1)

☆北風

去年の秋、たまにしか訪れない書店でいつもの書店では見かけない本を漁っていたところ、ハヤカワ文庫のコーナーに赤い巻き毛に白い小花の冠を付け、野の花に囲まれた綺麗な人物画の表紙を見つけました。
復刊されたばかりの『北風のうしろの国』です。
ぱらぱらとめくってみます。

小さな男の子を抱いた優美な女性の姿の「北風」が、ロンドンの街の煙突の通風管をなぎ倒し、屋根の瓦を吹き飛ばして、冬の夜空を吹き荒れていました。
強い風に吹き煽られたように、すでに十冊以上抱えていた文庫本のてっぺんにその一冊を載せ、くるくるとレジに向います。

物語の舞台は19世紀のロンドン。文庫の表紙画はロセッティの友人だったラファエル前派の画家フレデリック・サンズの作品、本編には1871年の出版時に付けられた、同じくラファエル前派の挿し絵画家として名高いアーサー・ヒューズの美しいペン画が載っています。
本を買った頃はまだ暖かかったので、風の冷たい季節になってから読もうと思い、しばらく置いてありました。

この冬は思いがけず寒くなりました。
待たせたね、北風。
主人公の少年は馬小屋の二階につつましく暮らす、御者の幼い息子です。ある風の強い晩、壁の節穴から「北風」と名乗る不思議な女の人が訪れます。

小さな男の子から見れば見上げるようにすらりと背の高い、長い長い髪をなびかせた、青ざめた美しい顔を持つ大人の女の人。慈母のように優しく、復讐の女神のように恐ろしい、変幻自在の謎の女性。
北風、私は子供の頃から貴女を知っている。
勇敢な少年をこの世の果てへの旅へといざなう謎の美女、
メーテル、貴女は銀河鉄道999のメーテルであった事はありませんか。

少年の望みに従い、北風が彼を連れて行った北の果ての「北風のうしろの国」については、詳しい事は語られません。どうもヘロドトスがかつて語ったような所ではないようです。ただ、「北風のうしろの国」を訪れて、再び家に戻って来た少年は、少し普通とは違った子供になっていました。
それまでの勇敢で好奇心の強い男の子とは感じが変わって、後半の主人公は世俗的な賢さの代わりに本質的な智慧を持つ、不思議に満ち足りた少年となります。

(ナルシア)


『北風のうしろの国』著者:ジョージ・マクドナルド/ 訳:中村妙子/ 出版社:ハヤカワ文庫

2005年01月31日(月) ☆コールデコット賞の絵本展。
2003年01月31日(金) 『フランス田園伝説集』
2002年01月31日(木) 『いちご物語』
2001年01月31日(水) 『ばらになった王子』

お天気猫や

-- 2006年01月26日(木) --

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☆試験に出る『氷壁』

井上靖の『氷壁』を、NHKが連続ドラマ化して放映中です。
原作が発表された昭和30年当時は、仕事で貯めた金を注ぎ込み有給休暇で前穂高に挑んでいた主人公達が、現代の設定で挑むのは8000メートル級、世界最難関の「K2」前人未到のマジックライン無酸素登頂。
華々しい企業スポンサー付きで世間の注目を集める中、主人公のザイルパートナーが謎の滑落死を遂げる。 事故か、それとも。

原作発表から50年の間に変わった登山事情に設定を合わせ、登場人物の名前もドラマではほとんど変更されていますが、主人公達を惹き付ける美しきヒロイン・八代美那子の名だけはそのままです。
美那子さんだけは美那子さんでなきゃ、と憧れるスタッフが多かった、と見ました。

話は良く知っているのですが、実は私は『氷壁』を通して読んだ事がありません。
というのも、妙な所から結末を知ってしまったものですから。
試験の前というと、勉強に関係ない本や漫画を読みふけってしまうでしょう。
私も受験生の頃、自分の受験に必要な科目は放っておいて、過去問集などに載っている国語の出題ばかりあさっていました。
その中に『氷壁』の一場面がありました。
淡々と静かな文章でした。
前後の説明はなくとも、それが物語のラストである事は判ります。
今でも登場人物の言葉と、煙草の箱をはさんで開くようにしたページ、というくだりが印象深く蘇ります。

今でも国語の試験問題を読むのは好きです。
普段は目にしないジャンルの文章に触れられますし、これは、という名文に巡り会う事も多々あります。
自分が試験を受けているのではないので、出題者が回答者をひっかけようと工夫して選択肢に混ぜた、いかにも本当らしいけれど微妙に違う解釈を読むのも楽しい。

しかしながら、中には長編小説のネタを割ってしまっている出題もあります。
以前シィアルに話して呆れられたのが、ずっと以前の共通一次試験に使われていた村上春樹の『羊をめぐる冒険』。
「僕」と「鼠」が暗闇で静かに対話するシーンですが、
試験の問いの最後が、「羊とは何ですか」
‥‥。
確かにこの短いパートだけで、羊とは何かわかっちゃう。
物語の前後に関係なく、選択肢を読めばおのずと解答は得られます。
羊をめぐって長い長い冒険しなくても、ほんの2、3ページ分で羊が判ってしまって、
いいのかそれでっ!

物語全体の印象や文章の魅力を伝える、という点では、ハイライトシーンの取り出しにも意味はあります。
逆に長い物語全体から取り出されて、かえって印象の強まる場面も。
やはりセンター試験の国語に出題された司馬遼太郎の『項羽と劉邦』の一節。
みすぼらしい姿ながら、優れた才を持つ脇役の登場シーン。
『項羽と劉邦』本編はずっと以前にわくわくしながら読みましたが、
か、格好良い。こんな場面あったっけ。
長い物語の中から切り取ってみると、思いがけず印象的。
壮大な映画の予告編に入った1カットみたいです。
試験後、本編を買いに走ってしまった受験生もいたのではないでしょうか。

今が真の正念場の受験生の皆様、
国語の試験問題に出ていた作品の本編が
読みたくてたまらなくても、今は我慢です。
もうちょっとで、好きな本の読める春が来る!
どうか体調に気をつけて、頑張ってください。

(ナルシア)


『氷壁』著者:井上 靖/ 出版社:新潮文庫
『羊をめぐる冒険』上・下 著者:村上 春樹/ 出版社:講談社文庫
『項羽と劉邦』上・中・下 著者:司馬 遼太郎/ 出版社:新潮文庫
土曜ドラマ『氷壁』 出演:玉木宏 鶴田真由 山本太郎
放映:NHK総合、デジタル総合 土曜午後10時〜10時58分

2005年01月26日(水) 『あなたがいるから』
2004年01月26日(月) 『クマのプーさん』
2001年01月26日(金) 『サムシング・ブルー』

お天気猫や

-- 2006年01月20日(金) --

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『未来世療法』

私たちはみな、不滅の存在です。

という言葉から本書は始まる。

本書がそのことを思い出すきっかけになれば幸いです。

という結びの文章と、みごとにつながっている。

生きていくためにどうバランスをとればいいのか、それは身体と心だけではどうもおさまらない。ワイス博士は言う。

魂は永遠です。究極的には、ただ一つの魂、ただ一つのエネルギーがあるだけなのでしょう。多くの人々はこれを神と呼んでいます。愛と呼ぶ人もいます。でも、呼び方はどうでも良いのです。(引用)

心理療法を目的に行う過去世退行催眠。今の自分の生きにくさが過去の自分に由来していることを理解し、この世界で生きていくためのバランスを取り戻す患者たちがいる。彼らが語った体験録を中心に、本書でワイス博士は私たちを未来へも誘う。

そもそも時間の概念はこの三次元ならではのもの、それならば、過去や現世だけでなく、未来世も、同じひとつの魂の体験として、関連し合って存在していても違和感はない。

本書では『前世療法』以上に転生の法則が明らかにされる。これらの法則は、多くの患者たちが博士に語ったことの蓄積である。

宗教、人種、国籍、文化などによって規定される特定のグループの 一員に生まれ変わるための一番確実は方法は、過去世でそのグループに属する 人々を憎み、そのグループを差別し、暴力を振るうことだと、私はすでに発見していました。(引用)

それならば、何世代も争いを続けている民族間における転生は、まさに”本質的に”憎しみの連鎖である。入れ替わりの反復によって続けられる争いには果てがない。競争しつづける資本社会にも、同じ輪廻の鎖が巻きついているのかもしれない。

私たちは、両親を選び、ここで学ぶためにやってくる。私たちのすべてがここにあるのではなく、しかもそれでいながら、魂の本質をたずさえて生きている。ほんのちょっとした気づきと選択で、未来も、過去すらも変化する、そんな想いを共有することが、今、地球のアフィリエイトとしての私たちが求められていることなのではないだろうか。

私たちは時間の内と外に住んでいるのです。過去世と未来世は現在へと収束し、もし、過去世と未来世が今生の私たちを癒してくれることができれば、私たちの人生はより健全でスピリチュアルなものとなります。(引用)

(マーズ)


『未来世療法』著者:ブライアン・L・ワイス / 訳:山川紘矢・山川亜希子 / 出版社:PHP研究所2005

2005年01月20日(木) 『イルカの家』(その2)
2004年01月20日(火) 『死体が多すぎる』その2
2003年01月20日(月) 『町かどのジム』
2001年01月20日(土) 『わたしの日曜日』&『とっておきの気分転換』

お天気猫や

-- 2006年01月19日(木) --

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☆ヴィクトリアン逍遙。(その3)

『お茶においでになった女王さま』は、 1901年、ヴィクトリア女王が逝去したところから始まる。

1月22日、冬のさなかのその日を境に、新しい時代が、 ほんとうに久しぶりに始まったのだ。 国中が喪に服し、やがてエドワード7世とデンマークのアレクサンドラ王女が跡を継ぐ。

即位後マンチェスターを訪問した国王夫妻は、 主人公の一家をはじめ、街中を興奮に沸き立たせる。

そしてなんとアレクサンドラ女王は、 「私」の家へ、お茶に招かれてやってくる! この場面が本書のタイトルのゆえんで、いくら上流階級の家とはいえ、 「国民と近い」と言われるデンマーク王室のオープンな雰囲気をも伝えているように思われる。

メアリ叔母さんに、国王陛下の好きなヨークシャープディングの作り方を教わって 帰ってゆく女王様。 残念ながら「私」は、午後のお茶の後眠ってしまって、 女王様には会えなかったけれど。

「私」たちの日常は、叔母さんたちが婦人参政権運動に参加したり、 流行の髪型を試したり、移動遊園地へ行ったり。生活を彩るイベントの様子が 街の風景とともにていねいに描かれる。

男の人たちは、老いも若きも自動車に熱をあげ始める、 そんな時代だ。

随所に出てくる「ミスカーター」は、流行に敏感なベストドレッサー。 未婚のお嬢様だが、主人公の女の子にとっては親類のような存在らしく、 よく家に出入りしていて、ピンクの服がトレードマーク。 この若い女性のお茶目な雰囲気が、全体の隠し味となっている。

そして、やがて時は移り、最後のページでは、 アレクサンドラ女王の息子が新しい国王、ジョージ5世に即位したと告げられている。 皆に愛されたアレクサンドラ女王への追慕の念とともに、「私」は記している。

そういえば、 かの名探偵シャーロック・ホームズが活躍したロンドンも、 すっぽりとヴィクトリア朝の輝きと霧におおわれている。 ベーカーストリートにあるホームズ博物館のインテリアは、 思い起こせば確かにヴィクトリアンだった。(マーズ)


『お茶においでになった女王さま』(絵本)著者(文・絵):ヘレン・ブラッドレイ / 訳:暮らしの手帖翻訳グループ / 出版社:暮らしの手帖社1984

2005年01月19日(水) 『イルカの家』(その1)
2004年01月19日(月) 『死体が多すぎる』その1
2001年01月19日(金) 『ガラスの城』

お天気猫や

-- 2006年01月13日(金) --

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☆ヴィクトリアン逍遙。(その2)

『エマ』のこともまだ書き足りないのだが、 というよりも、ほとんどストーリーに触れずに終わってしまい、 未読の方には意味不明なことを連ねたと反省しつつ。

そもそもヴィクトリア女王の在位は長かった。 1837年から1901年まで。エリザベス1世(1558-1603)やジョージ3世(1760-1820)をしのぎ、歴代最長である。 1714年から始まったハノーヴァー朝は彼女をもって終焉した。 後を継いだのはエドワード7世。

『赤毛のアン』で知られるモンゴメリ作品にも、ヴィクトリア女王はたびたび登場する。 といってもこちらは肖像画として壁に掛けられていることが多い。

しかし、『エミリーはのぼる』の場合は特別な意味がある。 舞台はカナダ東端のプリンスエドワード島だが、 島民の多くは英国やスコットランドなどからの移民だ。 作家志望のヒロイン、エミリーは、マーガレット・マッキンタイヤおばあさんと いう不思議な貫禄のある女性と知り合い、 「王様におしおきした女」という物語の着想を得る。

移民であるマッキンタイヤおばあさんの語った興味深い物語の「王様」とは、 ヴィクトリア女王の息子、バーティ王子その人だった、という顛末。 バルモラル城での「おしおきの場面」には、 ヴィクトリア女王とアルバート殿下も登場するのだが、 エミリーがマッキンタイヤおばあさんに会う2年前に女王は逝去し、 バーティ王子が即位した、とある。

最近手にした絵本に、『お茶においでになった女王さま』 という作品があって、こちらもヴィクトリアンに関係している。

大判の絵本で、文章もかなり多い。 とある英国の上流家庭のレディが、孫娘に見せるため、 60歳になってから、幼い日々に見聞きした社交生活の様子を描き始めた。 当時女の子だった、自分自身の目と耳と口、そしてハートを再び働かせて。

絵の巧拙よりも、彼女だけが持っている懐かしい記憶をいかに絵にするか、 今の時代には失われてしまった空気の何を伝えるかが重要で、そこには大変な努力があったことだろう。

私たちのだれもが、ある程度の年齢になったとき、やろうとさえすれば 何かの形ではできるだろうけれど、こんな風にやりおおせるものではない。

始まりは、1901年。そう、ヴィクトリア女王が逝去した歳から。

女王さまはずっと長いあいだわが国の守護者でおられましたから、 人々は、もし女王さまがおかくれになったらどんなことになるか、 わからなかったのです。(引用)

(つづく)

(マーズ)


『お茶においでになった女王さま』(絵本)著者(文・絵):ヘレン・ブラッドレイ / 訳:暮らしの手帖翻訳グループ / 出版社:暮らしの手帖社1984
『エミリーはのぼる』著者:L・M・モンゴメリ / 訳:村岡花子 / 出版社:新潮文庫1967

2005年01月13日(木) 『吉を招く「言い伝え」』
2004年01月13日(火) 『神秘島物語』

お天気猫や

-- 2006年01月06日(金) --

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☆ヴィクトリアン逍遙。(その1)

森薫の漫画、ヴィクトリア時代のメイドが主人公の『エマ』を楽しんでいる。 ロンドンの住み込み美人メイド・エマが、ジョーンズ家のウィリアム坊っちゃまと、身分違いの恋に 落ちるところから始まる物語。

現在(2006年1月)、6巻まで出ている。まだ身分違いの恋に落ちている。 ところが6巻の表紙ではエマの顔がメイドというよりバトラー(執事)のように険しく なっていて、それを見た時、 ひょっとして勘違いしていたが、これは連綿と続く壮大な大河ドラマなのかも しれないと思った。

しかしエマはアメリカへ自分の意志で行こうとしていたのではなかった。 エマがキャリアウーマンになってアメリカで人生に大当たりし、ウィリアムより高い身分になって再会し、自由の国で幸せに…という私の秘かな希望は外れたようだ(身勝手きわまる読者愛)。

もっともそれはリンダ・ハワードの、女性バトラーをヒロインにしたロマンス小説(『一度しか死ねない』二見書房刊)の影響かもしれないが。

最近森薫を知ったので知らなかったことがあった。 ご本人はロンドンへ行ったことがあるのかどうか。 もしや行っていないのではと思っていた。 そうならばぜひそのまま描き続けてほしい、とも勝手ながら思っていた。 というここ数週間の問いに、5巻の後書き(毎回最高に楽しい)で答えが出ていた。

5巻で初めて著者はロンドンを訪ねたのだ。 その感動を想うと、ロンドン好きとしてうれしくもあり、 それを境に絵が変化した(一時的に?)ことも納得。

ここ5年ほどご無沙汰しているけれど、ロンドンへ3回旅した。 最初の感動は、この『猫や』に欠かせない要素となった。 表面にはそれほどわからないかもしれないが、ロンドンの空気がなければ、 猫やのテイストはずっと違ったものになったはずだ。

そして、最初のロンドンで実感したこと。 ここはヴィクトリアの街だ、と。 エリザベスの時代であっても、まだまだ精神的支柱のように 君臨しているのは、ヴィクトリア女王なのだと、例によってインスピレーションを受け、思い込んだ。

『エマ』には、実際に舞台を目にしたら画面にいやおうなく紛れ込んでしまう ノイズのような「現在のロンドン」がほとんど感じられなかったから、 それはヴィクトリア朝時代の人々や風景を描くうえで、 いいことではないかと思ったのだ。

ロンドンを実際に歩いて、随所に残るヴィクトリアンの遺香には心底、 感動されたのではないだろうか。舞台を知ってますます、今後が楽しみである。
※『エマ』は平成17年度文化庁メディア芸術祭のマンガ部門優秀賞受賞。
(つづく)

(マーズ)


『エマ』(漫画)著者:森薫 / 出版社:エンターブレイン・ビームコミックス2002-

2005年01月06日(木) 『ヴェネツィアの宿』
2003年01月06日(月) 『図書館の死体』
2001年01月06日(土) 『人類の子供たち』

お天気猫や

-- 2006年01月03日(火) --

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『シカゴ育ち』

☆ちょうど、冬のショパンの季節。

毎日が慌ただしいと、小さな幸せに足を止める暇もなくなってしまいます。 それでも、ふっと見つかった隙間の時間で『シカゴ育ち』を読んでいます。 その中に、『冬のショパン』という短編があります。

ジャ=ジャ(祖父)と僕(孫息子)の話だけれど、とうにジャ=ジャは心を閉ざし、家族との交流も断っていて、この二人にはハートウォーミングな触れ合いがあるわけでもない。ただほんの束の間、階上から漏れ聞こえてくるショパンの調べが、二人を繋いでいる。その繋がり方も、互いに一方的な感じで。やがて、ピアノを弾いていた階上の娘が去り、ショパンが聞こえなくなると、ジャ=ジャは前よりも一層閉ざされていく。
しかし、音楽は消え去っても、僕の中には、「何か」が残り、それ以前とは、大きく変化している。

淡々と日々は過ぎ去っていく。
私もジャ=ジャと僕を繋いでいたもの、ジャ=ジャの心を惹きつけていたもの、あるいは僕の心に残り続ける何かに触れてみたくて、ショパン全曲集を買いました。けれどここには、ジャ=ジャはいないから、ジャ=ジャのいた空間を感じ取ることはできない。それでも、加湿器の湯気を見ながらショパンを聴いていると、ふと、二人の情景が見えるような気がします。

隙間が見つかると、良い短編をぱらぱらと開きます。 『停電の夜に』(J・ラヒリ/新潮文庫)も思い出したように続きをゆっくりと読んでいます。(シィアル)


『シカゴ育ち』 著:スチュアート・ダイベック / 訳:柴田元幸 / 出版社:白水Uブックス

お天気猫や

-- 2006年01月02日(月) --

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『魔女』

いつの時代にも世界に偏在する魔女たちを通じて、人間たちの魂の 惑星への融合状況を、圧倒的なイメージで描きあげるオムニバス。

「スピンドル」は、イスタンブールを舞台に、力で世界を支配しようとする 西洋の魔女と、受容によって本質を導く東洋の魔女が対決する。 西洋の魔女が手に入れようと固執する市場の男性は、最初から彼女を受け入れない。 しかし幼い東洋の魔女が最後に言ったように、西洋の魔女ニコラの本当の敵は、 彼女自身の傲慢なのだ。

そして「クアルプ」(弔い)。 ジャングルに住む魔女クマリと、生きとし生けるものたちの末路。 文明社会という地獄に暮らす我々にとって、その声は何と儚く響くのだろう。 スピリットに満ち満ちた世界と、見えるものだけの世界。 「視る準備はできている?」という問いが、こだましつづける。

「ペトラ・ゲニタリクス」(生殖の石)、この魔女はカッコイイ。 化鳥のような目をしたミラ。病に冒された世界を救う、究極のヒロイン。 ミラは言う。

「遥か別の場所で生まれたコトバが、あなたを通して語られる事もある。」 (引用)

「うたぬすびと」は、元ちとせの唄が聞こえてきそうな物語。 主人公の高校生は魔女というわけではなさそうだが、 魔女っぽい女性、千足が輪廻の輪を回す役どころ。

五十嵐大介の絵は、アンバランスなほどの引力をもっていて、 無邪気さと狂気をみごとに溶かしてしまう。 他の作品は未読だが、他ではいったいどうなるのだろうと思う。

強力な物語を読み通してつくづくと感じるのは、 この惑星で女に生まれるということには、大いなる意味が あるのだろうなということ。 どんな生き方、どんな背景をもっていたとしても。 魔女であっても、そうでなくても。
(マーズ)


『魔女』第1集・第2集(漫画)著者:五十嵐大介 / 出版社:小学館IKKIコミックス2004-2005

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