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最近、随筆やエッセイをよく読むようになった。
自分の「生」とどこかで連綿と続いているはずの
現実の世界に触れていたいと、思うことが多くなった。
人は、人生に、何を見ているのだろうか。
何を考えながら、人は歩いているのだろうか。
そんなことを脈絡なく、考える。
白洲正子さん(1910-1998)の人生。
青山二郎さん(1901-1979)の人生。
須賀敦子さん(1929-1998)の人生。
いろんな人の生き方に触れ、ふと、ため息が漏れる。
須賀敦子さんの「ヴェネツィアの宿」 須賀さんの留学生活、家族、友達、夫、 須賀さんの通り過ぎた日々が美しい言葉で描き出されている。 悲しみも喜びも、まるで物語を読むように美しい。 喜びはもちろん、悲しみであろうが、わだかまりであろうが、 言葉は、須賀さんの中から生まれ、昇華されていく。 そして、思い出のそれぞれは、言葉を越えて、目の前に現れる。 聖堂の静けさ、窓から流れ込む音楽、駅での宙ぶらりんの時間。 12編の物語が、次々と形を持ち、私の中でも大切な思い出となっていく。 須賀さんの心のふるえがしっかりと刻まれていく。 抑制された悲しみまで。心のふるえがすべて。
たとえば。
「カティアが歩いた道」では、留学時代の友人との三十年ぶりの再会が。
さくら色の空気に染まった道を歩く二人。
「アスフォデロの野をわたって」では、夫ペッピーノの喪失を。
アキレウスのように、忘却の野を渡っていってしまった夫の姿。
「オリエント・エクスプレス」では、父との別れ。
父親の望んだオリエント・エクスプレスの想い出の品々。
1950年代、須賀さんのようにヨーロッパで
留学生活を送ることができたのは、
恵まれたことではあろうが、困難もあっただろう。
その留学先で出会う、様々な人々。
両親の思い出。
喪失の物語。
ひとつひとつは、須賀さんだけの、物語であるけれど、
そのひとつひとつがあまりに鮮やかなので、
まるで、自分自身の人生のようにも感じられる。
それは、錯覚ではなく、誰にでも大切な思い出はあるから、
そう感じるのだろう。
物心ついたときから見つめてきた家族の姿。
かけがえのない学生時代。
その中での出会い、育んできた友情。
ずっと、側にいた人、去っていった人、
再び、出会う輪のように…
時代は違っても、背景は違っても、 そこに、人生が、人生の中の出会いと別れが綴られているから、 須賀さんの物語は、普遍なのだろう。
物語のように美しく感じられるドラマティックな人生でなくても、 誰の人生にも、ドラマはあって、 たくさんの人々との関わりの中で、生きている、 生かされている自分があるのだと、本を読みながら、 そう思う。
誰の中にも、その人自身の言葉で語られるべき、 意味のある人生が綴られているのだと、 そんなことを感じた。(シィアル)
『ヴェネツィアの宿』 著者:須賀敦子 / 出版社:文春文庫
2003年01月06日(月) 『図書館の死体』
2001年01月06日(土) 『人類の子供たち』
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管理者:お天気猫や
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