2008年03月04日(火)  マタニティオレンジ246 耳掃除ムイムイ

ひと月ほど前、娘のたまが鼻風邪を引いたときに中耳炎が心配になって、耳を診てもらった。耳の中に棒状のスコープを突っ込むと、その画像がモニターに映し出されるのだが、それを見た看護師さんが、「うわ、のれん」と思わず声を上げた。鍾乳洞のようといおうか幽霊屋敷のクモの巣といおうか、白いものが何層にもぶら下がっているのが見えて、わたしはそれが中耳炎の炎症部分かと思ったのだが、「耳垢ですね。これじゃあ奥が見えません」と看護師さん。ピンセットでのれんを何枚かのけて、ようやく視界がひらけ、耳の奥が見えた。

助産院で「耳掃除はこまめに」と指導され、最初は綿棒でこちょこちょと中を拭っていたのだけれど、耳掃除好きなわたしは、ムキになったように掘ってしまう。娘の耳を傷つけることを恐れたダンナに「耳掃除はするな」と言われて以来一年ほどほったらかしにしてきた。そりゃあのれんも下がるだろう。

のれんを撤去すべく、一年ぶりに耳掃除。大人用の耳掃除棒で、力を入れすぎずにやさしく掻くと、子どもの耳垢とは思えないビッグな収穫。たまはいやがるかと思いきや、わたしの太ももに頭を預けて、うっとり。そういえば、わたしも母に耳掃除されるのが大好きだった。「ムイムイ」という言葉をすぐさま覚え、「ムイムイ」と言いながら太ももにゴロンとなり、耳掃除をせがむようになった。自分がされるのは好きだけれど、わたしがダンナの耳掃除をするのは嫌いなようで、明らかに不機嫌になり、邪魔をしにかかる。自分が中心にいないと面白くないのか、仲間外れにされたと思うのか、ママをパパに取られると焦るのか。先日は洗面所まで走って行き、洗面台に突っ伏してワンワン泣き出した。目の前じゃなくて、わざわざ離れた場所まで移動して泣くところがいじらしい。覚えたての「嫉妬」という感情をこんな風に表現するんだ、としみじみと感心した。

2007年03月04日(日)  マタニティオレンジ86 初節句
2005年03月04日(金)  押忍、ひさしぶりの総会っす。
2002年03月04日(月)  感想


2008年03月03日(月)  マタニティオレンジ245 みつけものとなくしもの

娘のたまが引き出しを開け閉めすることを覚えて、数か月が経つ。キッチンの引き出しから最近、洗面台の引き出しにターゲットを変えた。紅茶の缶や紙ナプキンより、化粧品や香水が出てくるほうが楽しいらしい。たまが手を突っ込んで掘り返すと、コピーライター時代に担当していた化粧品ブランドからいただいたマスカラやら口紅やマニキュアがざくざく出てくる。古いものは十年物、新しくても五年物。口紅の蓋を開けたり、マスカラを振り回したり、化粧水のサンプルのボトルをくわえたり。ずっと使わずにしまってあった化粧品たちが、子どものおもちゃとなって役に立つ日が来るとは思わなかった。買い置きしておいたものの行方不明になっていたあぶら取り紙やらダンナのひげ剃りの替え刃やらも奥から出てきて、拾いものをした気になる。

見つけものをした一方で、なくしものもある。昨日、ダンナの実家へ向かうとき、ドアにかけている小さな手提げ袋をたまが持ちたがった。中には子ぎつねヘレンの小さなぬいぐるみが入っていて、「これは出しておこうね」と取り出しかけたのだけれど、たまが「入れといて」と主張したので、入れたまま持たせた。へレンのぬいぐるみは映画の関連グッズとして売られていたもので、絵本『子ぎつねヘレンの10のおくりもの』の販売促進用に首からミニ版絵本をぶらさげて書店の店頭に飾られたものを記念にひとつ分けてもらった。なくしては大変と気をつけていたのだけれど、道中でいつの間にか手提げ袋はたまの手から落ちてしまい、気づいて引き返したものの見つからなかった。警察に届けたけれど、人から見れば、ただの安物のおもちゃ。拾った人がいたとしても、警察に届けるまでもないと判断するかもしれない。

2006年03月03日(金)  ちばっちと亀ちゃんの舞台『Soulmate』
2005年03月03日(木)  南イタリア魚介料理『ラ・スコラーレ』
2002年03月03日(日)  文京区のスポーツクラブ


2008年03月02日(日)  マタニティオレンジ244 二回目のひな祭り

日頃の子守のお礼と一週間ほど早いダンナ母の誕生日祝いを兼ねて、昨日の夕食は外で食べた。飯田橋の日中友好会館の一回にある『』という中国茶料理のお店。ここはいつ行っても空いているのだけれど、何を食べてもびっくりするほどおいしくて、値段がびっくりするほどリーズナブル。昨夜もほぼ貸し切りのような状態で、ベビーチェアにじっとしていられない子連れにはありがたいものの、もう少しはやってもいい気はする。娘のたまはジャスミン茶の野菜まんじゅうやジャスミン茶の水餃子をモリモリ食べ、大人の味の黒酢の酢豚やふかひれスープにも食いついた。一歳にして本場の中華に味をしめた様子。桃の節句を祝って食後に食べた桃饅頭も美味だったけど、たまはおあずけ。

たまにとっては、今年は二回目の桃の節句。今日は、ダンナ実家へ雛人形を見に行く。一年前は座布団に一人で座らせるのも危なっかしかったのに、今ではもう走りまわっている。娘の成長を喜び、これからも健やかに伸び伸びと育つよう願う。

去年は雛段についている牛車のオルゴールを怖がってぐずったけれど、今年は音楽に合わせて左右にゆらゆら。とにかく音の鳴るものが好きで、電話機の「モニター」ボタンを押してから「保留」を押すとスピーカーから音楽が流れることを覚えてしまった。お祝いにもらったオルゴールを差し出して、「ネジを巻いて」と訴える。ネジを巻きたてのときは元気がいいけれど、だんだん力尽きてやがて止まってしまうオルゴールの音色を聴いていると、無性に悲しくなる。とくに、最後の力を振り絞るかのようにポロンと一音鳴らした余韻の中で息絶える瞬間は、いたたまれない。一歳児にはそんな感傷はまだないのか、オルゴールが止まるなり「(また巻いて)」と無邪気に差し出してくる。

2007年03月02日(金)  マタニティオレンジ85 孫をかわいがるのは人間だけ
2006年03月02日(木)  シナトレ5 プロデューサーと二人三脚
2005年03月02日(水)  昭和十六年の教科書
2002年03月02日(土)  手づくり


2008年03月01日(土)  マタニティオレンジ243 お気に入り絵本『わたしのワンピース』

寒さに縮こまって8時過ぎまで寝ていた娘のたまは、気温の上昇とともに起床時間が早まり、ここ一週間は7時頃に起きている。今朝は6時半に起き、9時頃には「タイクツ」を全身で表現しはじめたので、歩いて図書館へ向かう。ベビーカーに乗せようとしたら、靴をはいて歩くのだと主張。大人の足なら徒歩10分の距離を右へそれ左へそれ、逆行し、だっこをせがみ、図書館は遥か彼方。やっぱりベビーカーで来るんだったと後悔する。

図書館には6畳ほどの絨毯敷きの読み聞かせコーナーがあって、親子や祖父母と孫のペアが思い思いに本を読んでいる。「たま、好きな本持っておいで」と言うと、棚から取り出したのは、『わたしのワンピース』(にしまきかやこ)。空から落ちてきた真っ白な布でうさぎが作ったワンピースが、花や鳥や雨や虹や星など出会ったものの模様に次々と染まっていくお話で、わが家にも一冊ある。留学時代の同期のナオコが「うちの息子がこれ大好きで」とプレゼントしてくれたもの。たまもすっかり気に入り、保育園でもこの本を繰り返し読んでもらっている。「家に同じのあるから、他のにしたら」と言うと、棚に戻し、別な棚からもう一冊の『わたしのワンピース』を取り出してきた。数ある本の中で、これが光って見えるらしい。

本に登場するワンピースだけでなく、本物のワンピースもたまは気になるようで、わたしの服に袖を通したがる。とくに明るい色やプリントの入ったものが好み。最近買ったfranche lippe(フランシュリッペ)のワンピース風コートは、白地に緑の配色が『わたしのワンピース』の表紙に似ているからか、うさぎや熊が描かれているからか、散歩に出かけるときは「これ着たら?」とでも言うように指差す。

2007年03月01日(木)  マタニティオレンジ84 「おなかの皮で風呂水」伝説
2005年03月01日(火)  ビューラー巻き巻きに挟み撃ちされる
2002年03月01日(金)  『たまねぎや』と『サムラート』


2008年02月29日(金)  マタニティオレンジ242 ゆびしゃぶりをやめさせる

朝から文京区の1歳6か月健診。身長や体重を測るのかと思っていたら、案内をよく見ると、「歯科検診」。立派な診察台に寝かされ、娘のたまは初めての歯医者さんに大泣き。今のところ虫歯はないけれど、母乳で寝かしつけている上に指しゃぶりをしているので「要注意」と言われる。母乳も指しゃぶりも子ども任せで自然にやめてくれればと思って見守っているのだけれど、親からもやめさせるように意識したほうが良いとのこと。とくに指しゃぶりは「骨が出てきて出っ歯になる」と脅され、指をくわえたら他のことをさせるように仕向けなさいと指導される。たまは眠くなると指をちゅぱちゅぱ吸うのだけれど、よっぽど眠かったのか、健診の間指をくわえっぱなしで、終わるなり眠りに落ちた。

歯ブラシの指導もされ、「笑顔で(恐怖を植えつけない)」「一本の歯を10秒かけて小さく磨く(まとめて磨かない)」「歯茎を人差し指で押さえて」などと教えられ、自分の磨き方がまったくなってなかったことを知る。

保育園を休んだので、午後からは相次いでママになった元同僚たちと母娘三組で会う。たまは人見知りする性格なのか、あとの二人が仲良く遊んでいるのをわたしの膝の上で見物。時間が経つと少しずつ打ち解けてきて、まじって遊ぶようになった。子連れにイヤな顔しないイタリアンのお店でランチを食べ、空腹でぐずる娘たちに食べさせる合間に自分もかきこむ。たまはキャベツとアンチョビのパスタを気に入り、一本ずつチュルチュルと吸い込んでいた。テーブルの下は食べこぼしがボタボタ。それでも店員さんは最後まで感じが良く、救われる。

ぽかぽか陽気の散歩日和。食後は小石川植物園へ。車が入ってこないし、芝生の上を思い切り駆け回れて、子どもを遊ばせるには最高の場所。だけど、入園料が330円。有料だから空いているというのもあるのだろうけれど、お金を払わないと広い土の場所で遊べないなんて。


2008年02月28日(木)  魔法にかかって初TOCCA

表参道の骨董通りを歩いていたら、TOCCAのブティックを通り過ぎた。ここのウィンドウにはいつもわたし好みの服が飾られていて、前を通りがかるたびに目が合うような気がしていたのだけれど、お店に入るのは今日がはじめて。「表に飾ってるワンピース、ちょっと見ていいですか」と白地に青い花が刺繍されたワンピースを指差すと、「黒もありますよ」とすすめられ、試しに着てみると、自分のためにあつらえたようにぴったり。ちょっと立ち寄ったつもりが、店を出るときには紙袋を提げていた。

店員さんが童話から抜け出してきた少女みたいに愛らしかったり、サインするペンに白い鳥の羽根がついていたり、とことんラブリーを極めた店内には、何かを連れて帰らずにはいられない気持ちにさせる不思議な力が働いていて、まんまと魔法にかかってしまった。名前はトッカでもお値段は特価とはいかず、わたしが買う一着としてはずいぶん思い切った買い物になったけれど、ラインがすっきりしていて着やせするし、わたしのワードローブに不足している気品を兼ね備えているし、何より、ウィンドウの外から憧れていたTOCCAの服がはじめて自分のものになったことがうれしいし、ちょうど一段落ついた仕事のギャラで自分へのご褒美を買ったことにする。

2007年02月28日(水)  推定年齢
2006年02月28日(火)  絵本『子ぎつねヘレンの10のおくりもの』打ち上げ
2005年02月28日(月)  フリーの人の確定申告
2004年02月28日(土)  「ブレーン・ストーミング・ティーン」著者贈呈本
2003年02月28日(金)  2003年2月のカフェ日記
2002年02月28日(木)  ヘンな弟よっくん


2008年02月27日(水)  25年ぶりに再読『まぼろしのペンフレンド』 

星新一 一○○一話を作った人』(最相葉月)を読んでいたら、SF作家の眉村卓さんの名前が何度も出てきて、小学6年生のときに夢中で読んだ『まぼろしのペンフレンド<』を思い出した。学校の図書室に一週間ほど通いつめて読んだ記憶があるが、なぜ借りて帰らなかったのかはわからない。どんな話だったのかもうろ覚えで、あらためて読んでみたくなり、講談社の青い鳥文庫から2006年に再刊された青い鳥シリーズ版を手に取った。

「はじめに」という著者の前置きで、この物語が昭和41年に「中学一年コース」に連載されていたこと、当時は携帯電話どころか電話もどの家にもあるわけではなかったこと、親しい仲でも連絡手段はもっぱら手紙で、雑誌などの「文通コーナー」が人気を集めていたこと、そうした時代を背景にした話であることが解説されている。わたしが読んだ時点でも、書かれたときから15年以上経っていたことになるけれど、時代の半歩先を描くSFに時代が追いついていたのか、当時違和感を覚えた記憶はない。でも、2006年版を手に取る少年少女は、携帯電話のない時代すら知らないわけで、「これはちょっと昔の話ですよ」と断りを入れる必要があるらしい。

小学6年生のわたしが一週間かけて読んだ一冊を、四半世紀後のわたしは2時間で読んだ。さすがに記憶はすっかり色あせ、初めて読むような感想を抱いたけれど、ところどころ既視感を覚えるくだりが顔を出し、今のわたしとつながっている過去のわたしが同じ本を読んだことを確認できた。

小学校の六年間でわたしを最も魅了したのがこの一冊だった。この物語の何にそれほど惹きつけられたのか。たしかに次から次へと主人公の身の回りで事件が起こり、最後まではらはらしながらページをめくり続けるのだけれど、シャーロック・ホームズの推理小説にだってドキドキはあった。たぶん小学六年生のわたしは、「まぼろしのペンフレンド」という設定に引き込まれたのだろうと推測する。

当時わたしは、はじめてのペンフレンドとの文通に夢中になっていた。五年生の夏休みに家族旅行で行った蓼科で、地元の五年生が授業の一環で実施していたアンケートに答える機会があり、その用紙に住所と名前と「おたよりください」のメッセージを記しておいたところ、一人の女の子が手紙をくれ、文通がはじまった。遠くに住んでいる相手がどんどん身近な存在になっていくのが楽しくて、週に何通も手紙を書くこともあった。だから、「ペンフレンド」がついたタイトルに惹かれて手に取り、まだ見ぬペンフレンドに想像を膨らませる主人公と自分を重ねたのだろう。

手紙には贅沢な余白があると思う。紙の手ざわり、手書きの文字、同封された写真やイラスト、相手を想像する手がかりがちりばめられ、封筒を閉じてからも余韻が残る。手紙が書かれてから読まれるまでの時差も相手に思いを馳せる時間を作ってくれる。「ペンフレンド」が死語と化した現代なら『まぼろしのメル友』になるのだろうけれど、他人になりすましやすいメールでは、「まぼろしの」があまり効かない。

「まぼろしのメル友」といえば、あるプロバイダーの広告を書いていたコピーライター時代、インターネット上の文通コーナーに登録したことがあった。押し寄せるように送られてきたメールの中でひときわ美しい文章を書く人がいた。一通一通のメールは、わたしのためだけに書かれた掌編のようで、毎朝会社でそのメールを開くのが楽しみだった。ところが、ある日届いたメールは、書き出しの数行以下が数か月前に届いたメールとまったく同じ内容になっていた。毎日したためられていると思っていた美文は、あらかじめ用意された長い小説の一部をコピー&ペーストしたものだったのだ。完成しかけたパズルがバラバラになったように、つかめそうだった相手のイメージは白紙になった。わたしは返事を書かず、その一通を最後に文通は終わった。

2007年02月27日(火)  平成18年度確定申告
2005年02月27日(日)  1975年のアカデミー賞映画『カッコーの巣の上で』
2002年02月27日(水)  世の中は狭い。いや、世界が広くなったのだ。


2008年02月26日(火)  マタニティオレンジ241 英語の歌を日本語で

一月以来、母娘ではまり、毎日のように観ているビデオ『Barney's Big Surprise Live on Stage』。『Barney and Friends』というアメリカの長寿子ども向け番組のショーを収録したもので、テレビでおなじみのキャラクターが目の前で繰り広げられるショーに観客の子どもたちは釘づけ、熱狂、興奮なのだが、スクリーンを通しても神通力は衰えず、娘のたまは吸い寄せられるように画面に食い入っている。

よく飽きないなあと感心するやら呆れるやらだけど、「ッカイ(もう一回)」とせがまれても、うんざりせずに大人も何度でも楽しめるのが、このビデオのすごいところ。子ども向けに作られているのだけれど、大人を締め出さないどころか引き込む魅力がある。子どもに合わせて目線は下げるけれどクオリティは下げない。ストーリーも音楽もしっかり作られていて、演じ手たちも力を抜いていない。

飽きない理由のもうひとつは、わたしにとっては格好の英語教材になっていること。よちよち歩きの子どもたちでも反応している簡単な英語が、最初は半分ほどしか聞き取れなかったのだけど、何度も聴くうちに聞き取れる台詞がふえて、今ではほぼ全部わかるようになった。休日にしかビデオを観る機会のないダンナは「何言ってんだかさっぱりわからない」と言うが、日本語もおぼつかない1歳半児のたまが、どうやら英語を聞き取っているらしいことが最近わかった。マザーグースの歌のHampty Damptyが出てくる場面が大好きなのだが、「ハンプティダンプティやってみて」と言うと、両手を上げて後ろにひっくり返る真似をする。「Hampty Dampty sat on the wall. Hampty Dampty had a great fall」という英語の歌詞と、塀に腰かけているハンプティダンプティが後ろにひっくり返る場面をちゃんと結びつけているわけで、これには驚いた。

でも、歌はやっぱり日本語で歌ったほうが楽しいと思い、たまがいちばん気に入っている『If all the raindorops』に日本語訳をつけてみることにした。「もしも雨が飴だったら」と日本語でもよくやる言葉遊びが歌になっている。「飴(雨)」を受け止めるために口を大きく開けて「Ah, ah, ah, ah……」と歌うサビの部分がたまは大好きで、ビデオに合わせて、首を大きく後ろにそらせて「ア、ア、ア、ア」とやるし、「ア、ア、ア、ア(のところかけて)」とビデオ再生をリクエストすることもある。

一番の「If all the raindrops were lemondrops and gumdrops」
は「もしも雨粒がアメ玉だったら」、二番の「If all the snowflakes were candy bars and milkshakes」は「もしも白雪が白玉だったら」と訳し、なんとなく韻も踏めて、いい感じになった。バーニーのビデオでは二番までなのだけど、インターネットで調べてみると、「If all the sunbeams were bubblegum and ice cream」という三番があるではないか。これが厄介で、「太陽がたい焼き」「お日さまがおはぎ」「日光がアンコ」「光がゼリー」「光がかりん糖」などなど考えてみたものの、「が」の前後のイメージがきれいにつながらない。原詞の「太陽光線が風船ガムとアイスクリームだったら」も相当苦しいけれど、降り注ぐ光を食べ物にたとえるところにそもそも無理がある。結局、オレンジ色のイメージでつなげて「お日さまがおみかん」に落ち着いた。太陽光線と果汁も近いものがあるし、今のところこれよりいい訳を思いつかない。

If all the raindrops

作詞:不詳
訳詞:いまいまさこ

If all the raindrops
Were lemondrops and gumdrops
Oh, what a rain that would be!
Standing outside, with my mouth open wide
Ah, ah, ah, ah, ah, ah, ah, ah, ah, ah
If all the raindrops
Were lemondrops and gumdrops
Oh, what a rain that would be!

If all the snowflakes
Were candy bars and milkshakes
Oh, what a snow that would be!
Standing outside, with my mouth open wide
Ah, ah, ah, ah, ah, ah, ah, ah, ah, ah
If all the snowflakes
Were candy bars and milkshakes
Oh, what a snow that would be!

もしも雨粒がアメ玉だったら
どんなにいいでしょう
お口をあけて見上げましょう
ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア
もしも雨粒がアメ玉だったら
どんなにいいでしょう

もしも白雪が白玉だったら
どんなにいいでしょう
お口をあけて見上げましょう
ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア
もしも白雪が白玉だったら
どんなにいいでしょう

もしもお日さまがおみかんだったら
どんなにいいでしょう
お口をあけて見上げましょう
ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア
もしもお日さまがおみかんだったら
どんなにいいでしょう

われながらうまく訳せたと自分で自分をほめながら歌っていると、「誰が訳してもそうなるんじゃないの? きっと同じのがすでにあるよ」とダンナ。それぐらい、しっくりきているってこと? メロディとの相性もばっちりで、保育園の送り迎えなどに大声で歌っている。はた目には、ベビーカーで大口開けてそっくり返っている娘に気づかず陽気に歌うノーテンキな母親に映っているかもしれない。

この『If all the raindorops』、番組の公式サイトにあるジュークボックスのページで聴くことができる。他にも番組で使われているナンバーが数十曲聴けて、親子で楽しめる名曲ぞろい。サイトにはビデオのページもあり、こちらも子守に威力を発揮。ショーのビデオで観客の子どもたちが最も熱狂している『Mr.Knickerbocker』は一見の価値あり。これが流れると、わが娘は狂ったように夢中でほっぺたをたたく。国境を越えて子どもの血を騒がせる何かがあるらしい。

2007年02月26日(月)  500円の価値
2005年02月26日(土)  ブラジル物産展
2002年02月26日(火)  数珠つなぎOB訪問


2008年02月25日(月)  マタニティオレンジ240 布おむつ歴半年

娘のたまのおしりかぶれがひどく、皮膚科に「おむつをはかせないか、布か」と言われて布おむつを始めたのが、昨年8月下旬(>>>2007年08月30日(木) マタニティオレンジ169 布おむつはエコかエゴか)。おしりかぶれが治っても布おむつは続いて、約半年になる。

「君、保育園の先生に不思議がられているだろうねえ。遅刻も忘れものも多くて、身だしなみもめちゃくちゃなのに、なぜか布おむつ。やる気あるんだか、ないんだか」とダンナはからかうが、やってみると、そんなに手間が増えるわけでもなく、部屋に充満するにおいからも、たっぷりと水分を含んだ重いゴミからも解放されて、むしろラクちん。エコだの子どもの健康のためだのという気負いを抜きにして、おむつカバー(楽天のほほえみ工房で購入)がかわいいからという単純な理由が、続けるいちばんの動機になっていたりする。この色づかいは、紙おむつにはマネできない。夏ならそのまま「見せパンツ」にしたいぐらい。

布おむつにすると、おむつ離れが早いという説がある。妹の娘は1歳半ではずれたらしいが、わが娘はまだまだの様子。出るとすぐわかるので「チ」と言いながら前を押さえて教えてくれたりするが、気まぐれで、水浸しになるまで知らせてくれずに機嫌よく遊んでいることも多い。夏までおむつ離れしなくても、見せパンツを楽しめるから、ま、いっか。

保育園では、各自のポリバケツにビニール袋を入れたものに汚れたおむつを放り込んでいき、お迎えのときに親がビニール袋ごと持ち帰る。今日のお迎えのとき、おむつバケツ部屋でわたしがビニール袋を取り出していると、トコトコとついてきたたまの手には、おままごとのオムライス(マジックテープで真ん中がくっついていて、おもちゃの包丁で半分に切れる)があった。「おむつとオムライス」の組み合わせがおかしくて、今夜の子守話が生まれた。

子守話13 おむつとオムライス

たまちゃんといっしょに ほいくえんにいった おむつくんとおむつカバーちゃん。
「きょうのきゅうしょくは オムライスよ」とせんせいのこえがして、びっくり。
「ねえねえおむつくん、オムライスってなに?」
「しらないよ。おむつのなかまかな」
たまちゃんのズボンのなかで おむつくんとおむつカバーちゃんはひそひそ。
ズボンのなかからは そとのようすが みえません。
でも たまちゃんも おともだちも オムライスをもりもりたべているようです。
「おむつカバーちゃん。みんな オムライスがすきみたいだね」
「きっと オムライスは にんきものなのね」
おむつくんとおむつカバーちゃんは なまえがにている
オムライスのことがほこらしくて うれしくなりました。

「オムライスって どんなかおをしているのかな」
「みんながだいすきなオムライス、わたしもみてみたい」
おむつくんとおむつカバーちゃんは
オムライスのことばかり かんがえるようになりました。
ほいくえんからおうちにかえるあいだも
せんたくきでじゃぶじゃぶあらわれているあいだも
ものほしざおにならんで かぜにゆれているあいだも
たまちゃんのおかあさんに たたまれているあいだも。

おむつくんとおむつカバーちゃんのきもちがつうじたのか
にちようび たまちゃんのおかあさんが いいました。
「たまちゃん きょうのおひるは オムライスよ」
「わーい」とたまちゃんはバンザイをしました。
おむつくんとおむつカバーちゃんは 
ほいくえんへもっていくものの かみぶくろのなかで
ちいさくとびあがりました。
そして ふくろのふちから かおをだしました。
「みえた?」
「みえた!」
「あれがオムライス?」
おむつくんとおむつカバーちゃんはどきどきしながら
たまちゃんのおさらのうえのオムライスをみました。
きいろいたまごのぼうしをふんわりかぶったオムライス。
たまちゃんのおかあさんがケチャップでかいたかおが
にっこりわらっています。
「あ、わらってるよ」とおむつカバーちゃん。
「うん、わらってるね」とおむつくん。
「オムライスのオムは おむつのオムかな」
「だったらいいな」
「だったらいいね」
おむつくんとおむつカバーちゃんも にっこりして
オムライスのいいにおいを むねいっぱいに すいこみました。

2007年02月25日(日)  マタニティオレンジ83 風邪の置き土産
2006年02月25日(土)  半年ぶりの美容院
2002年02月25日(月)  信濃デッサン館


2008年02月24日(日)  マタニティオレンジ239 通せんぼごっこで「くぐる」ことを発見

ダンナの実家で夕食。ダンナ両親、ダンナ妹、ダンナとわたしの大人五人の注目を独り占めして、たまはご機嫌。普段は母一人子一人で食事することが多いので、大勢に囲まれるにぎやかな食卓はわたしもうれしいし、たまも楽しそう。各自が話しかけ、ちょっかいをかけ、だっこし、おんぶし、遊び相手が五倍。笑い声も五倍。わたしは子育て負担率が5分の1になり、ゆっくり食事できて大助かり。

ダンナの実家の食卓は掘りごたつになっていて、床は畳。たまはハンカチ落としのように、五人のまわりをぐるぐる走り回る。必ず反時計回り。そういえば、トラック競技も左回り。「心臓が内側のほうが回りやすいんだよ」とダンナ父。たまも本能的にそれがわかっているんだろうか。

「たまちゃん、通せんぼ」とダンナ母が後ろの壁に手をついて、たまの行く手をふさいだときの、たまの反応が見ものだった。最初は腕を押しのけようとしていたが、「ばあば、ねんねしたら?」と寝かしつけ作戦を入れ知恵すると、「ネンネ」と言いながらダンナ母をたたきはじめた。ばあばが寝たふりした瞬間、「今だ!」「行け!」と野次馬の指令が出ると、あわてふためいて関門突破。また掘りごたつのまわりを一周回ってダンナ母のところに戻ってきて、再び通せんぼを食らうと、今度は自分も壁に手をつき、通せんぼ返し。そして、三回目の通せんぼ。押しても引いても腕が動かないと見るや、たまは四つん這いになり、腕の下をハイハイして通り抜けた。「くぐった!」「かしこい!」と野次馬は大騒ぎ。こんな風に知恵をつけていくんだなあ、と進化の瞬間を目撃した興奮で、掘りごたつの温度は急上昇。道を切り開く力を身につけるには、道に行き詰まることも必要なんだとしみじみ思った。

2007年02月24日(土)  マタニティオレンジ82 たま6/12才と応援団
2006年02月24日(金)  金曜日の夜の開放感
2005年02月24日(木)  だいたい・キラキラ・インドネシア語
2002年02月24日(日)  PPK

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